くそっ、何でこの女は判ろうとしないのだ? おこ者が! 八条は、自分の舌足らずは棚に上げて、目の前の娘の愚鈍さを呪った。都では当たり前な物言いが一向に通じない。いっそのことその呆けた口に両手を突っ込み、用をなさぬ舌を引き抜いてやりたいと八条は思った。そこを辛うじて越えられたのは、ひとえにまだ見ぬ娘への興味が怒りを上回っていたからである。八条としては一生分の忍耐を使い果たしたような気持ちで、もう一度娘に問い直した。
「その娘は美しいのか、と聞いておるのじゃ!」
「何だ、そんなことが聞きたかったのか!」
娘はようやく八条の言いたいことを理解した。何だ、そんなことならもっと初めからはっきり言えばいいのに。娘も八条流の物言いに文句をつぶやいた。娘としても、八条と対するのは相当に忍耐を要求されることだったのである。
一方八条は、娘のあけすけな言い方に一種の気後れを感じていた。自分がたとえ田舎者相手とはいえあのようにはしたない物言いをしたことに、少しばかり後味の悪さを憶えていたのである。その天性の明るさに何か馬鹿にされているような気がして、八条は憮然と答えた。
「そうじゃ」
「ふーん、あの娘が別嬪かどうかねえ。鬼童さんとか言った色男は、天女だ、絶世の美女だとか頻りにほめてなさったが、わしゃああんな青っちょろい、目の大きな女がそれほど美しいとは思えなんだなあ・・・」
それに、と娘はなおも自分の感想を述べようと舌をふるったが、もはや八条にそれを聞く忍耐は残っていなかった。
「もう良い、早々にその娘をここへ呼んで参れ!」
「でも・・・」
「うるさい! まろが呼べといったら、黙ってさっさと連れてくるのじゃ! 判ったか!」
「はいはい・・・」
娘はなおも未練げに八条を振り返ったが、八条は見知らぬ人を見た番犬のように歯を怒らせて娘をにらみつけた。しかし、八条は肩をすくめて部屋を飛び出した娘の言うことを、あるいは聞いておくべきだったかも知れない。娘はこう言いたかったのだ。
「あの子にはきっと想い人が居るよ。あんたがいくら言い寄ったって、無駄だよ」
もっとも八条がその諌言を素直に受け入れたかどうかは、大いに疑問ではあったが。
ともかくもしばらくして娘は、八条の言いつけを忠実に実行した。八条はそのまま外で待つように娘に伝えさせ、悠々と着替えに小半時をかけた。十分威儀は整ったと何度も確かめた後、八条はようやく最上の暇つぶしに取りかかったのだった。
八条は当然の如く上座に腰を据え、少女に入ってくるよう言い渡した。
「苦しゅう無いぞ、ささ、近う、近う」
少女は、呼びに来た娘の少し心配げな視線と、八条に直射した非難の表情とを追い風に、しずしずと部屋に流れ込んだ。
微妙に伏せた少女の顔は八条からは見えなかったが、その豊かな緑の黒髪と汚れ無き白魚の指の配色は、否応もなく八条の期待を膨らませた。下女と同様の質素で色柄も乏しい衣装は、ここで借り受けたものであろう。八条としては是非朱の色も鮮やかな女房装束も所望したいところだったが、それはまた後の楽しみに取っておくことにして、鬼童が絶賛したという少女の美しさを楽しむことにした。
「苦しゅう無いぞ、面を上げい」
少女はゆっくりと顔を上げた。
(おおっ)
八条はその大きな二つの宝玉の美しさに魅了された。潤いときらめきを兼ね備えた生きた宝玉、瞳の黒さは一点の曇りもなく底無き深淵が人を引きずり込まずにはいられないようであり、八条は見つめられただけで気を失わんほどな喜びを覚えた。美女というとあちらの女御、こちらの姫君と評判高い花々を八条も目にしてはいたが、それによって養われた八条の審美眼は、その美女達をこの一顧で色あせた過去の遺物に整理してしまったのである。
「名は、名は何と申す」
「麗しき夢、と書いて、麗夢と申します」
八条は、かすかに動くその唇が、快感を引き起こすなまめかしい別の生き物のように感じられた。
「麗夢か、良い名じゃの」
八条を金縛った漆黒の瞳が、名乗りと共に再び伏せった。八条は救われたような、もの足りぬような気持ちで話し始めた。
「まろは、五位判官代の八条雅房じゃ。こたびはもったいなくも勅命を賜り、平氏残党追捕の任を帯びてこの地にまかり越した。その途上、まろは行き倒れて命旦夕にあったそちに出会い、ここまで運んで助けて取らせた。つまり文字通りまろは、そちにとっては命の恩人と言うべき者である」
「それはかたじけのう存じます」
深々と平伏する麗夢に、八条は十分な満足と優越感を憶えた。
「所で麗夢、まろはそちを救うに当たり、奇怪なる言を耳にしたのじゃ。今そちをわざわざ呼んだのも、その詮議をするためである。素直に答えるなら決して悪いようにはせぬ故、まろの問いに答えよ。良いな」
八条は、一息ついて麗夢の乱れなく渦を描くつむじを見た。今の所別段変わった様子はない。その落ちつきぶりがどう崩れていくか、強烈に加虐欲を刺激された八条は、思わず崩れそうな相好を引き締めながら、麗夢に言った。
「その娘は美しいのか、と聞いておるのじゃ!」
「何だ、そんなことが聞きたかったのか!」
娘はようやく八条の言いたいことを理解した。何だ、そんなことならもっと初めからはっきり言えばいいのに。娘も八条流の物言いに文句をつぶやいた。娘としても、八条と対するのは相当に忍耐を要求されることだったのである。
一方八条は、娘のあけすけな言い方に一種の気後れを感じていた。自分がたとえ田舎者相手とはいえあのようにはしたない物言いをしたことに、少しばかり後味の悪さを憶えていたのである。その天性の明るさに何か馬鹿にされているような気がして、八条は憮然と答えた。
「そうじゃ」
「ふーん、あの娘が別嬪かどうかねえ。鬼童さんとか言った色男は、天女だ、絶世の美女だとか頻りにほめてなさったが、わしゃああんな青っちょろい、目の大きな女がそれほど美しいとは思えなんだなあ・・・」
それに、と娘はなおも自分の感想を述べようと舌をふるったが、もはや八条にそれを聞く忍耐は残っていなかった。
「もう良い、早々にその娘をここへ呼んで参れ!」
「でも・・・」
「うるさい! まろが呼べといったら、黙ってさっさと連れてくるのじゃ! 判ったか!」
「はいはい・・・」
娘はなおも未練げに八条を振り返ったが、八条は見知らぬ人を見た番犬のように歯を怒らせて娘をにらみつけた。しかし、八条は肩をすくめて部屋を飛び出した娘の言うことを、あるいは聞いておくべきだったかも知れない。娘はこう言いたかったのだ。
「あの子にはきっと想い人が居るよ。あんたがいくら言い寄ったって、無駄だよ」
もっとも八条がその諌言を素直に受け入れたかどうかは、大いに疑問ではあったが。
ともかくもしばらくして娘は、八条の言いつけを忠実に実行した。八条はそのまま外で待つように娘に伝えさせ、悠々と着替えに小半時をかけた。十分威儀は整ったと何度も確かめた後、八条はようやく最上の暇つぶしに取りかかったのだった。
八条は当然の如く上座に腰を据え、少女に入ってくるよう言い渡した。
「苦しゅう無いぞ、ささ、近う、近う」
少女は、呼びに来た娘の少し心配げな視線と、八条に直射した非難の表情とを追い風に、しずしずと部屋に流れ込んだ。
微妙に伏せた少女の顔は八条からは見えなかったが、その豊かな緑の黒髪と汚れ無き白魚の指の配色は、否応もなく八条の期待を膨らませた。下女と同様の質素で色柄も乏しい衣装は、ここで借り受けたものであろう。八条としては是非朱の色も鮮やかな女房装束も所望したいところだったが、それはまた後の楽しみに取っておくことにして、鬼童が絶賛したという少女の美しさを楽しむことにした。
「苦しゅう無いぞ、面を上げい」
少女はゆっくりと顔を上げた。
(おおっ)
八条はその大きな二つの宝玉の美しさに魅了された。潤いときらめきを兼ね備えた生きた宝玉、瞳の黒さは一点の曇りもなく底無き深淵が人を引きずり込まずにはいられないようであり、八条は見つめられただけで気を失わんほどな喜びを覚えた。美女というとあちらの女御、こちらの姫君と評判高い花々を八条も目にしてはいたが、それによって養われた八条の審美眼は、その美女達をこの一顧で色あせた過去の遺物に整理してしまったのである。
「名は、名は何と申す」
「麗しき夢、と書いて、麗夢と申します」
八条は、かすかに動くその唇が、快感を引き起こすなまめかしい別の生き物のように感じられた。
「麗夢か、良い名じゃの」
八条を金縛った漆黒の瞳が、名乗りと共に再び伏せった。八条は救われたような、もの足りぬような気持ちで話し始めた。
「まろは、五位判官代の八条雅房じゃ。こたびはもったいなくも勅命を賜り、平氏残党追捕の任を帯びてこの地にまかり越した。その途上、まろは行き倒れて命旦夕にあったそちに出会い、ここまで運んで助けて取らせた。つまり文字通りまろは、そちにとっては命の恩人と言うべき者である」
「それはかたじけのう存じます」
深々と平伏する麗夢に、八条は十分な満足と優越感を憶えた。
「所で麗夢、まろはそちを救うに当たり、奇怪なる言を耳にしたのじゃ。今そちをわざわざ呼んだのも、その詮議をするためである。素直に答えるなら決して悪いようにはせぬ故、まろの問いに答えよ。良いな」
八条は、一息ついて麗夢の乱れなく渦を描くつむじを見た。今の所別段変わった様子はない。その落ちつきぶりがどう崩れていくか、強烈に加虐欲を刺激された八条は、思わず崩れそうな相好を引き締めながら、麗夢に言った。