かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

1995年以来の円高、と聞いて、在りし日の諸共を思い出す。

2008-12-18 21:30:44 | Weblog
 昨日は本当にどうかしていたようですね。ブログ、一回はミスで消してしまい、2回目、何とか書き上げた分は、なんと、投稿したものを公開設定しないまま寝てしまうとは。今、今日の分のブログを、と思ってアクセスして、一昨日の記事が最新で出ているのを確認して、一体何があったのか? と少しだけ固まってしまいましたよ。
 まあそんな大弱りな昨日でしたが、早々に床に就き、そのまま朝までぐっすり寝たおかげか、今日はマシな状態で起きることができました。回復率6割くらい? な感じで、なんとなく頭痛がひどくなりそうな極軽めの疼痛が即頭部や目の奥に感じられますし、おなかの具合も今ひとつだったりしましたが、それでも昨日の抵抗しがたい猛烈な眠気に比べれば天地ほどの差があります。今日もなるべく早めに就寝、明日には更に回復の度を高め、心身ともに力をためてから今年最後の連休に望みたいです。

 さて、ちょっと気付かぬ間に円が対ドルレートで87円なんて数字になって、前にそんなになったのはいつだったのかと軽くぐぐって見ると、1995年以来なのだとか。思い出してみると、1995年は阪神大震災で明け、オウム地下鉄サリン事件があり、と何かと騒然とした年だったように感じますが、改めて少し調べてみると、ガメラが復活し、PHSサービスやテレホーダイサービスが始まり、ウィンドウズ95が発売され、ゆりかもめが新橋から有明まで開通し、と、時代を感じさせる話も結構転がっていました。なるほど、平成ガメラ3部作はこの年スタートしたのか、とか、たった13年前にはまだ携帯電話はそれほど普及してなかったんだ、とか、そういえばこの頃は夜10時までに寝て朝4時とか5時に起き、テレホーダイでダイヤルアップ接続して快適に『パソコン通信』を楽しんでいたんだ、とか、コミケにゆりかもめで行くようになったのはこのあとだったのか、とか、それぞれ見ていると結構感慨深いものがあったりします。そうそう、1995年といえば、私の麗夢同人小説の記念すべき第一作「麗しき、夢」を印刷し、同人誌に作った年でもありますね。ほんとに、一昔前に過ぎないのに、とんでもなく時代は変化してしまったものです。
 一方で、富山敬や山田康雄が逝き、私個人としては、歴史学者の宮崎市定が亡くなった年としても記憶に残る1995年。色々と思い出すことは多いですが、その時経済はどうだったかな? と思い出そうとしてもどうもピンとこないのは、それほどたいした問題も無かったのか、はたまた私自身が経済問題にはさほどの関心もないせいなのか。良いということも無かったとは思うのですが、さて?

コメント
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