かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

イマドキの年寄りは、若者達以上に未知の不明瞭な生き物なのかもしれません。

2008-12-23 22:05:08 | Weblog
 12月最後の祝日にして天皇陛下の生誕記念日である今日もあと2時間で終わりますと、いよいよ今年もカウントダウンが始まったような気分になってきます。仕事はまだ3日ほどあるのですが、大きな仕事は来年にまわし、とりあえず片付ける必要のある仕事や、不急の仕事で今まで後回しにしてきたような書類作りのような仕事、そして、年末恒例の大掃除などでほぼ埋まってしまうので、気分的にはもうことしは終わり、というのに近いものがあります。なるべくのんびり心身ストレスためることなく終わりたいものですが、世間的にはどうもなにやらやたらとストレスを溜め込んでいるような事件が目に付く気がします。
 例えば、電車の優先座席で携帯電話のメールを操作していた男を注意したのがきっかけで殴り合いの喧嘩になっていたり、愛人に買い物を頼んだところ、違うものを買ってきたからといってかなづちで殴るなどの暴行に及んだり、という、話を聞く限り、実に些細なことがきっかけで激怒し、見境無く暴れているように感じます。しかも、それぞれの事件の当事者が50歳、55歳、64歳、と、本当にいい年をした壮年の人たちという点がなんとも今日的な感じです。そういえば、前に見たニュースでは57歳とか54歳とかの暴走族が検挙されていたりしてましたし、もはや、『いい年して』とか、『年甲斐も無く』なんていう言葉は、死語と化しているのでしょうか。もちろん、世の50代、60代の人たちの大半はごくごく平和に日々の営みを送っているのでしょうし、それ以下の年齢層の人たちもこの種の事件を起こしていないわけではないので、「イマドキのオジサン連中は・・・」などと言うつもりも無いのですが、私が幼かった頃と比べると、50代、60代の壮年世代は、枯れた感じがせず、ずいぶんと生臭さが強くなった様に思います。
 人数そのものが増えたこと、元気なお年寄りが増えて、より活動的になっていること、など、色々とこのように目立つ理由があるようですが、それならそれで、『五〇にして天命を知り、六〇にして耳したがう』ようなステレオタイプな壮年像をイメージしてその種の事件を目新しく取り上げるより、今の年寄りとはどういう生態の生物なのか、今までの常識を疑って解析してみる必要があるのではないかと思います。きっと警察庁辺りではやってたりするんじゃないか、と期待したいのですが、いずれにしても、老若男女を問わず、マナーだとか社会規範だとかは自然に守ることができるようなヒトであるように、広範な教育や必要なら法的措置なども取ってもらいたいものです。

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