あっ、という聞き慣れた小さな叫び声を追いかけるように、がらん、と音を立てて、人の頭ほどもある石が一つ、いずくとも知れず転げていった。「大丈夫か、鬼童君!」と白いハンドライトの光芒が辺りの闇を一瞬だけなぎ払い、けつまずいて片膝をつく瀟洒なスーツ姿を照らし出す。
「大丈夫です。榊警部、それよりちょっとここ照らしてもらえませんか?」
鬼童は身体のことよりも、極太のストラップで肩から下げた巨大な拡声器のような装置の方が気になるらしい。呆れる榊を呼びつけた上に、自分が手していたペンライトも口に加えて、倒れた拍子に地面にぶつけてしまった装置先端を両手で念入りに撫でさすっている。円光はとりあえず緊張を解くと、もう一度闇をすかすように前方を睨み据え、目の前に錫杖を突き立てた。
南麻布学園地下迷宮。
つい先日、ここに封じられていた「闇の皇帝」と言う名の一つの悪夢を巡り、原日本人の末裔達と麗夢、円光、鬼童との間で熾烈な闘いが演じられたのだが、空爆とした暗闇に、その名残は何もない。
あの時、麗夢と円光の力を合わせ、鬼童海丸が持参した思念波砲なるからくりを用いて、この闇に充満した黒の想念をきれいさっぱり浄化し、再び封じ込めたのだ。既にここは、円光の、負の力や悪の気配にすこぶる鋭敏な皮膚感覚をもってしても、ただの廃墟以外の何ものでもない。しかし……。
円光は、両の手を複雑に組み合わせ、真言を一つ唱えて改めて意識を集中させた。額の梵字が白くおぼろに光り、闇の中に端整な顔立ちを浮かび上げる。
感じる。
方角は……、どうやら更に奥の闇の彼方らしい。
だが、正邪は不明。
生き物が放つ命の炎なのか。妖しの器物が漏れこぼす不穏な瘴気なのかも不明。
ただ、曰く言い難い何かが存在する気配が、小さく、しかし鋭く円光の超感覚を刺激するのだ。
円光は再び目を開くと、ようやく榊に促されて立ち上がった鬼童が言った。
「でも、本当に何かあるのかい? 円光さん。僕のセンサーには一向に引っかからないんだが」
「拙僧にもしかとは判りかねる。だが、確かに何かがある」
円光は、その、自分を呼ぶかのように気配を放つ「何か」を見据えるように闇を凝視した。
「円光さんがそう言うのなら、そうかも知れないけどね……」
「とにかく先を急ごう。あんまり気持ちのいい場所ないからな」
「確かに。円光さん、行くよ」
じっとして動かない円光に、榊と鬼童が榊と鬼童が先を促した。円光も、うむ、と軽く頷くと、再び錫杖を手にとった。
実際は、大した問題はないのかも知れない。
闇の皇帝が封印され、原日本人四人の巫女達が祭壇を築いたほどの場所だ。その祭具なり、結界の残滓なりが残っていて、異彩な気配を放っていたとしても不思議ではない。このまま進んでようやく辿り着いた先に、かつての祠跡や宝玉のなれの果てが転がっているだけというのも充分に考えられる話だ。
だが、万一と言うこともある。
円光は、ともすればこんな気配は捨て置いて、今一番気がかりな地上の一隅に駆け付けたい気持ちを抑え込んだ。
何にせよここは原日本人が護り続けてきた霊場なのだ。そこに何かの気配がぬぐい去れないでいるとあらば、まずはその所在を確かめ、正体を見極めねばならぬ。大事ない。あの人はお強い。
円光はもう一度闇を見据え直すと、がれきの山と化した地面に、草鞋の足を進めていった。
「それにしても、東京の地下にこんな大空洞があろうとはな」
ひとしきり、懐中電灯のビームを走らせ、榊が驚きを隠せない様子でひとりごちた。天井は多分10mを優に超えるだろう。土がむきだしの壁面は、榊の両側に余裕で数メートルの空間を隔ててそそり立っている。そして、その奥行は単一電池4本の生み出す光では到底届かないほどに深く暗い。それが、都内でも有数の規模を誇る南麻布女学園キャンパスの下に広がっていようとは、多分ほとんどの人間が知らないに違いない。
「防空壕に使われたという記録もないみたいですし、上の学園の建物を建てた時にも気づかれなかったと言うのはまさに奇跡と言うよりありませんね」
鬼童も慎重に足を運びながら榊に答えた。
「それも原日本人とか言う輩の力なのかな?」
「そうかも知れませんね。とすると、彼女らが闇の皇帝とともに封印された今は、相当脆くなっているかもしれませんよ」
「脅かさないでくれよ、鬼童君。こんなところで生き埋めなんて、洒落にならんぞ」
「ハハハ、警部も心配症ですね。多分まだ大丈夫ですよ。昨日今日できた穴と言うわけでもないですし……」
「しっ! 静かに」
多分不安もあるのだろう。饒舌に話を続けていた二人を、円光が鋭く制した。何事? と円光を見やると、歩みを停め、左右の闇に視線を走らせて、何かを探っている様子である。
「な、何かあったのか? 円光さん」
榊がその墨染め衣の背中に追いつき、不安げに小声で問いかけると、円光は鬼童は装置のデータ表示用液晶を凝視し、手元の感度調整ダイヤルを軽く動かしてみた。
「うーん、円光さんは何か感じ取っている様子なのに、センサーはノイズしか拾ってない。まだまだ装置の改良が必要だな……で、円光さん何が……」
「おじさん達誰? ここに何しに来の?」
!
暗闇の中、突然掛けられた幼い声に、榊と鬼童は飛び上がらんばかりに驚いた。何かある、と直前に緊張の度を高めた円光でさえ、一瞬確かに気をとられ、錫杖を握る手に思わず力が入った。その間も榊と鬼童のハンドライトがめまぐるしく洞窟内に白い光芒を引き、その声の元を探すが、反響する声の方角を見極めるのは、さしもの円光でも難しいものがあった。
「どこ照らしてるの? こっちよ、こっち!」
再び甲高い女の子の声が3人の耳を打ち、ライトの光が更に狂ったように土壁を次々と照らし上げて行く。やがて、円光の視線が正面やや左上の闇を凝視すると、二人に注意を促した。
「榊殿、鬼童殿。あそこだ」
円光の指し示す錫杖の先を追いかけるように二つの光が接近し、ついに一点に集中したとき、その光は、明らかに場違いなモノを白く浮かび上げていた。
「やっほー」
高さにして5m位の所だろう。岩でも露出しているのか、土壁の一部がテラス状にせり出しているその上で、一人の小さな女の子が俯せになって3人をニコニコと見下ろしていた。
「き、君は誰だ。こんなところで何をしている?」
職業柄か、まず榊が真っ先に声をかけた。すると少女は、ニコニコした表情を崩さずに、頬杖をついてまた言った。
「人の事を尋ねる前に自己紹介しなきゃ」
「これは失礼した。拙僧は円光と申す修行中の者。こちらの二人は、拙僧の有人の榊殿と鬼童殿だ」
円光が3人を代表して返事すると、少女は更に嬉しそうに円光に言った。
「あら、以外に礼儀正しいね」
「おいおい、円光さん、子供相手になに生真面目に自己紹介してるんだ」
鬼童は、呆れ返って円光をたしなめると、朗らかに笑う少女を見上げた。
「それより君、その服は南麻布女学園の初等部の制服だろう? 小学生の君こそこんなところで何してるんだ!」
すると少女は、すっと笑顔を収めると、何か変なものでも見たかのように眉を顰めた。
「へーぇ、この服を初等部の制服って見分けるなんて。おじさん、ひょっとしてヘンな趣味のヒト?」
「バ、馬鹿な事を言うな! 僕はみ、南麻布女学園高等部の教師、鬼童海丸だ! 断じて、ヘンな趣味のヒトじゃないしおじさんじゃない! あぁっ警部! なぁに疑わしそうに見てるんですか!」
ほぉ-うそんな趣味が……、とすぐ隣にじとっとした視線を向けていた榊は、気を取り直して少女に言った。
「まあそんなことより、確かにここは遊び場と言うにはかなり問題があるな。君、危ないから私たちと一緒に地上に戻りなさい」
「えー、おじさん達の方が危ないんじゃないの?」
「おいおい、私は警察官、円光さんは僧侶だ。まあ確かに彼はちょっと不安だが……」
「警部!」
「冗談だよ。とにかく詳しいことは地上で聞くから、すぐ戻るんだ。円光さん、あの子の所まで行けるか?」
半分涙目の鬼童をまあまあとなだめつつ、榊は円光に尋ねた。多分、円光の脚力なら造作も無く飛び移り、少女を抱えて無事降りて来られるに違いない。円光も軽くテラスまでの高さと途中足がかりになりそうな壁面の様子を凝視すると、再び錫杖を地面に突き立て、短く返事した。
「承知」
「そんなつもりで言ったんじゃないんだけどな。まあいいや。もう一人自己紹介まだでしょ? おじーちゃん!」
「大丈夫です。榊警部、それよりちょっとここ照らしてもらえませんか?」
鬼童は身体のことよりも、極太のストラップで肩から下げた巨大な拡声器のような装置の方が気になるらしい。呆れる榊を呼びつけた上に、自分が手していたペンライトも口に加えて、倒れた拍子に地面にぶつけてしまった装置先端を両手で念入りに撫でさすっている。円光はとりあえず緊張を解くと、もう一度闇をすかすように前方を睨み据え、目の前に錫杖を突き立てた。
南麻布学園地下迷宮。
つい先日、ここに封じられていた「闇の皇帝」と言う名の一つの悪夢を巡り、原日本人の末裔達と麗夢、円光、鬼童との間で熾烈な闘いが演じられたのだが、空爆とした暗闇に、その名残は何もない。
あの時、麗夢と円光の力を合わせ、鬼童海丸が持参した思念波砲なるからくりを用いて、この闇に充満した黒の想念をきれいさっぱり浄化し、再び封じ込めたのだ。既にここは、円光の、負の力や悪の気配にすこぶる鋭敏な皮膚感覚をもってしても、ただの廃墟以外の何ものでもない。しかし……。
円光は、両の手を複雑に組み合わせ、真言を一つ唱えて改めて意識を集中させた。額の梵字が白くおぼろに光り、闇の中に端整な顔立ちを浮かび上げる。
感じる。
方角は……、どうやら更に奥の闇の彼方らしい。
だが、正邪は不明。
生き物が放つ命の炎なのか。妖しの器物が漏れこぼす不穏な瘴気なのかも不明。
ただ、曰く言い難い何かが存在する気配が、小さく、しかし鋭く円光の超感覚を刺激するのだ。
円光は再び目を開くと、ようやく榊に促されて立ち上がった鬼童が言った。
「でも、本当に何かあるのかい? 円光さん。僕のセンサーには一向に引っかからないんだが」
「拙僧にもしかとは判りかねる。だが、確かに何かがある」
円光は、その、自分を呼ぶかのように気配を放つ「何か」を見据えるように闇を凝視した。
「円光さんがそう言うのなら、そうかも知れないけどね……」
「とにかく先を急ごう。あんまり気持ちのいい場所ないからな」
「確かに。円光さん、行くよ」
じっとして動かない円光に、榊と鬼童が榊と鬼童が先を促した。円光も、うむ、と軽く頷くと、再び錫杖を手にとった。
実際は、大した問題はないのかも知れない。
闇の皇帝が封印され、原日本人四人の巫女達が祭壇を築いたほどの場所だ。その祭具なり、結界の残滓なりが残っていて、異彩な気配を放っていたとしても不思議ではない。このまま進んでようやく辿り着いた先に、かつての祠跡や宝玉のなれの果てが転がっているだけというのも充分に考えられる話だ。
だが、万一と言うこともある。
円光は、ともすればこんな気配は捨て置いて、今一番気がかりな地上の一隅に駆け付けたい気持ちを抑え込んだ。
何にせよここは原日本人が護り続けてきた霊場なのだ。そこに何かの気配がぬぐい去れないでいるとあらば、まずはその所在を確かめ、正体を見極めねばならぬ。大事ない。あの人はお強い。
円光はもう一度闇を見据え直すと、がれきの山と化した地面に、草鞋の足を進めていった。
「それにしても、東京の地下にこんな大空洞があろうとはな」
ひとしきり、懐中電灯のビームを走らせ、榊が驚きを隠せない様子でひとりごちた。天井は多分10mを優に超えるだろう。土がむきだしの壁面は、榊の両側に余裕で数メートルの空間を隔ててそそり立っている。そして、その奥行は単一電池4本の生み出す光では到底届かないほどに深く暗い。それが、都内でも有数の規模を誇る南麻布女学園キャンパスの下に広がっていようとは、多分ほとんどの人間が知らないに違いない。
「防空壕に使われたという記録もないみたいですし、上の学園の建物を建てた時にも気づかれなかったと言うのはまさに奇跡と言うよりありませんね」
鬼童も慎重に足を運びながら榊に答えた。
「それも原日本人とか言う輩の力なのかな?」
「そうかも知れませんね。とすると、彼女らが闇の皇帝とともに封印された今は、相当脆くなっているかもしれませんよ」
「脅かさないでくれよ、鬼童君。こんなところで生き埋めなんて、洒落にならんぞ」
「ハハハ、警部も心配症ですね。多分まだ大丈夫ですよ。昨日今日できた穴と言うわけでもないですし……」
「しっ! 静かに」
多分不安もあるのだろう。饒舌に話を続けていた二人を、円光が鋭く制した。何事? と円光を見やると、歩みを停め、左右の闇に視線を走らせて、何かを探っている様子である。
「な、何かあったのか? 円光さん」
榊がその墨染め衣の背中に追いつき、不安げに小声で問いかけると、円光は鬼童は装置のデータ表示用液晶を凝視し、手元の感度調整ダイヤルを軽く動かしてみた。
「うーん、円光さんは何か感じ取っている様子なのに、センサーはノイズしか拾ってない。まだまだ装置の改良が必要だな……で、円光さん何が……」
「おじさん達誰? ここに何しに来の?」
!
暗闇の中、突然掛けられた幼い声に、榊と鬼童は飛び上がらんばかりに驚いた。何かある、と直前に緊張の度を高めた円光でさえ、一瞬確かに気をとられ、錫杖を握る手に思わず力が入った。その間も榊と鬼童のハンドライトがめまぐるしく洞窟内に白い光芒を引き、その声の元を探すが、反響する声の方角を見極めるのは、さしもの円光でも難しいものがあった。
「どこ照らしてるの? こっちよ、こっち!」
再び甲高い女の子の声が3人の耳を打ち、ライトの光が更に狂ったように土壁を次々と照らし上げて行く。やがて、円光の視線が正面やや左上の闇を凝視すると、二人に注意を促した。
「榊殿、鬼童殿。あそこだ」
円光の指し示す錫杖の先を追いかけるように二つの光が接近し、ついに一点に集中したとき、その光は、明らかに場違いなモノを白く浮かび上げていた。
「やっほー」
高さにして5m位の所だろう。岩でも露出しているのか、土壁の一部がテラス状にせり出しているその上で、一人の小さな女の子が俯せになって3人をニコニコと見下ろしていた。
「き、君は誰だ。こんなところで何をしている?」
職業柄か、まず榊が真っ先に声をかけた。すると少女は、ニコニコした表情を崩さずに、頬杖をついてまた言った。
「人の事を尋ねる前に自己紹介しなきゃ」
「これは失礼した。拙僧は円光と申す修行中の者。こちらの二人は、拙僧の有人の榊殿と鬼童殿だ」
円光が3人を代表して返事すると、少女は更に嬉しそうに円光に言った。
「あら、以外に礼儀正しいね」
「おいおい、円光さん、子供相手になに生真面目に自己紹介してるんだ」
鬼童は、呆れ返って円光をたしなめると、朗らかに笑う少女を見上げた。
「それより君、その服は南麻布女学園の初等部の制服だろう? 小学生の君こそこんなところで何してるんだ!」
すると少女は、すっと笑顔を収めると、何か変なものでも見たかのように眉を顰めた。
「へーぇ、この服を初等部の制服って見分けるなんて。おじさん、ひょっとしてヘンな趣味のヒト?」
「バ、馬鹿な事を言うな! 僕はみ、南麻布女学園高等部の教師、鬼童海丸だ! 断じて、ヘンな趣味のヒトじゃないしおじさんじゃない! あぁっ警部! なぁに疑わしそうに見てるんですか!」
ほぉ-うそんな趣味が……、とすぐ隣にじとっとした視線を向けていた榊は、気を取り直して少女に言った。
「まあそんなことより、確かにここは遊び場と言うにはかなり問題があるな。君、危ないから私たちと一緒に地上に戻りなさい」
「えー、おじさん達の方が危ないんじゃないの?」
「おいおい、私は警察官、円光さんは僧侶だ。まあ確かに彼はちょっと不安だが……」
「警部!」
「冗談だよ。とにかく詳しいことは地上で聞くから、すぐ戻るんだ。円光さん、あの子の所まで行けるか?」
半分涙目の鬼童をまあまあとなだめつつ、榊は円光に尋ねた。多分、円光の脚力なら造作も無く飛び移り、少女を抱えて無事降りて来られるに違いない。円光も軽くテラスまでの高さと途中足がかりになりそうな壁面の様子を凝視すると、再び錫杖を地面に突き立て、短く返事した。
「承知」
「そんなつもりで言ったんじゃないんだけどな。まあいいや。もう一人自己紹介まだでしょ? おじーちゃん!」