かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

05.転機その3

2010-07-04 16:55:26 | 麗夢小説『夢の匣』
「あ! 教頭先生に荒神谷さーん! お願い! そのカエル捕まえてぇっ!」
 担任、綾小路麗夢の叫びに、皐月は、初めてその前をぴょんぴょん跳ねる何匹もの緑色の姿に気がついた。
 だが、何かおかしい。
 飛びまわる小さなカエルが、ヒトの走るスピードと同じくらい早く、まっすぐこちらに向かってくる事自体が異例な事なのであるが、それ以上におかしなことが、このカエル達にはある。なんだかカエルが紐みたいな何かを引っ張って飛んでいるような……。あれは、何?
 次の瞬間、その「何か」が皐月にも唐突に理解された。と同時に、唐突にこみ上げてきた嘔吐感に、皐月はうめいた。そうだ、この死神が言っていたではないか。理科室で解剖実験だ、と。
「ははは、なかなかの趣向だろう? 臓物をさらけながら行進してくるのがカエル、というのが、わしとしてはかなり物足りないのだがな」
「何をしたの?」
 喉元をせりあがってくる酸っぱい衝動を我慢して、皐月はなんとか問いかけをこぼした。対するルシフェルは、心底愉快げに眉をそびやかせて答えた。
「ふふん、途中で麻酔が切れて動物が暴れだすなどは、解剖実験ではよくあることだ。それをわしの力で少々大げさに演出してやったまでよ」
 その説明で、皐月には大体の状況が理解できた。
 一旦は麻酔薬をかがされておとなしく解剖台に載ったカエルが、お腹を切り開いて内臓の様子が観察できるようになった途端に麻酔が切れて暴れだし、腸やなにかをさらけながら実験室中を飛び回る様を。
 その途端にパニックになり、悲鳴を上げて逃げ惑うクラスメイトの様子。
 そんな実験室の阿鼻叫喚ぶりが、嫌に鮮明に皐月の目に浮かんだ。
 紫は、多分他の女の子たちと一緒に悲鳴を上げて、ひょっとしたら失神位しているかもしれない。
 星夜なら冷静に動いただろうか。いや、案外咄嗟には何も出来ず、カエルたちが窓から飛び出る様を見送っていたかもしれない。
 でも、と皐月は思い直した。
 琴音がいる。
 琴音なら、いつもどおり静かにきっちりと仕事してくれているはず。
 でも、そうだとしたらどうして? どうして皆がこっちに向かってくるの?
「教頭センセー! お願いです捕まえて下さーい!」
 見ると、麗夢は大きなガラス瓶を抱えていた。多分再度麻酔をかけようと、慌てて容器を持ち出してきてしまったのだろう。そのすぐ後ろに、榊、鬼童、円光の3人がいる。それから大分遅れて、顔を真っ青にした琴音を抱えるように星夜と紫が走って来る……って、あれ? 琴音が? あの子、カエル苦手だったの? そんな設定、したっけ?
「早く止めないと、あ奴らも気づくかも知れんなぁ?」
 のんびりと話すルシフェルを、皐月は初めて睨みつけた。お腹が切り裂かれてから麻酔が覚めるなんて演出、悪趣味にもほどがある。
 でも、状況は確かにまずい。
 このままあの場所まで彼らになだれ込まれたら、これまでの苦労が水の泡になりかねない!
「さて、せっかくの趣向だ。わしも最後の演技位は、全うしてやろうか」
 焦りの色も濃い皐月を前に、ルシフェルはニンマリと口元をひねりあげたかと思うと、途端に顔を真っ青に変じさせてへっぴり腰に姿を変えた。
 傲岸不遜な夢魔の総帥から解剖が苦手な教頭先生への見事な変身。ともすると自分の構築した悪夢がまだ破綻なく続いているのではないか、と皐月に錯覚させかねないほどの、それは見事な変化であった。そんな表情のまま、ルシフェル、いや、教頭先生は声をひっくり返して指導対象である新米教師に呼びかけた。
「あ、あ、ああ綾小路先生! い、いいいいい一体これはどういう事ですかっ!」
 初めて発せられる上司の裏声に、麗夢も慌てて言い訳を返す。
「すみません! 麻酔が足りなかったみたいで、カエルがみんな逃げ出したんですぅ!」
「は、はは早く! 何とかなさい! ひぃっ!」
 10匹近い腸を引きずるカエルの群れが、教頭先生を挟みこむように通過して、高等部部室棟に飛び込んだ。
「あの中に逃げたぞ!」
 榊の叫びに、麗夢と男子小学生の一団も部室棟になだれ込んだ。勢いで教頭に化けたルシフェルも一緒に扉をくぐる。振り向きざまに、ルシフェルがニヤリと満面の笑みを見せつけていったのが、皐月の逆鱗を思い切りひっぱたいた。5人の姿が部室棟に消えるのを見送った皐月は、ようやく追いついてきた仲間の3人に語気鋭く言い放った。
「揃いも揃って何やってるのよ! バカぁっ!」
「す、済まない。まさか琴音が悲鳴上げて気絶するなんて思わなかったから」
「でも可愛かったよ? キャーッなんて黄色い声上げて」
「……ごめんなさい」
 斑鳩星夜が口ごもりながら謝り、眞脇紫が脳天気に笑顔を見せる。きっと睨みつけられた琴音は、無表情な中に微妙な気落ちした様子を漂わせて、一言小さく謝った。だが、今はそんな場合ではないことは、皐月自身が最もよく理解している。急がないと!
「とにかく追うの! 急いで!」
 言うやいなや、荒神谷皐月は高等部部室棟へと飛び込んだ。
「お、おう!」
「待って! 皐月!」
「…………」
 3人3様の答えを返し、星夜、紫、琴音がリーダーの後を追う。目指すはかつての姉達の根城。古代史研究部部室である。
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