今日も今日とて、朝からモデムをリセットして接続を試み、2回ほどで繋がって、そのまま夕方まで快適な環境が維持出来ましたが、日が落ちた途端また繋がらなくなりました。おいおい、お日様が無いと動かないのか? と呆れてしまいましたが、昨日サポートにメールを出しておいた所、その返事が来て、何でもうちの地区の伝送路にノイズが乗っていてつながりにくくなる現象が生じているのだとか。その解消に明日早朝メンテナンスを実施するので待って欲しい、との内容でした。まあ色々言いたいことはありましたが、昨日の夜メールして今朝には一応の回答があったその誠意を信じ、とりあえずもう少し様子を見ることにしました。このプロバイダは、サポートは昔から、中々他に乗り換えようという気にならないほど、割と反応がいいんですよね。
さて、巷では有名ホテルやら百貨店やらで食品の偽装がヤンヤヤンヤと取り沙汰されて連日大賑わいですね。そろそろいい加減静かになるかと思いきや、マスコミは色々なところから新たな鉱脈を見つけてきては、せっせとほじくり返して社会正義の名のもとに、鳴り物入りの公表を続けています。
どうせすぐ収まるだろうと思っていたので取り上げる気もなかったのですが、かくも話題が継続するのをみては、やっぱり一度は自分の感想を書いておき、この時代の話題を残しておくのが、将来このブログを読み返す年老いた私への義務だろうと思い、今更ながら書くことにしました。
といっても、これまで取り上げなかった位に、特に偽装そのものには大した感慨もありません。まあ、もうちょっとうまくやんなさいよ、とか、いつまでこの話題でどんちゃん騒ぎしているんだ? とか云うような感想はありますが、そもそもからして、食中毒や毒物混入でヒトが死んだり重い病が広まったりしたわけではありませんし、食べられるものを食べられる形で提供されたんだから、大騒ぎするほどのことでもないのでは? と私は思うわけです。
食事後の会計の時に、その料理の味やお店の雰囲気、サービスその他諸々の内容に満足してお金を出したのなら、それで良いのでは?
その時に、あれは味の割に高いと思った、とでもいうのなら、なるほど、と理解できるのですが、その時にはつゆ知らず、後になって実はあの材料は安物のまがい物でした、と分かったのなら、それに腹を立てるよりも、かくも見事に美味しく仕立てあげたシェフや板前さんの腕前、それらを楽しく食べられるように演出したお店のサービス力に驚嘆し、賞賛できるんじゃないでしょうか。
とまあ、自分で言っていてこりゃ大分極論だなぁ、と思っていないわけではないのですが、マスコミ各位には、料理人達の研鑽努力やその技量に対する敬意がかけらも見受けられないように思えるので、あえて極論に舵を切ってみました。
というわけで続けますが、お店の側が「味も判らない奴原」と客を馬鹿にしているという論調も見かけましたが、それもある意味しょうがないと思わないでもないです。なにせ、実際判らなかったのですから。それでお店側がお客を馬鹿にしているとは私にはちょっと思いにくいのではありますが、その事は別にしても、その時本物かどうか判断できなかった以上、舌の鋭さが不足していたのは事実ですし、その事自体を恥じるほど己の舌にプライドを持っているのか、そんな面倒なプライドは持っていないのかで、その後の考え方ややるべきことが変わってくると思います。ちなみに私は今のところそれほど舌にプライドは持っていませんので、本物か偽物かより、実際に食べてみて美味しかったかどうかを今後も判断基準にしたいです。提供側が楽しく美味しく騙してくれるなら、それが体に悪いということでもないのだったらそれで十分幸せなんじゃない? と私は考えます。きっと私は、「本物」という情報よりも、実際に食べてみて美味しい、という事実が欲しいということなんでしょうね。
ところで、仮に海原雄山みたいな食通だったら、偽物をその場でお皿ひっくり返してみせるくらい明確に区別が付くもんなのでしょうか? 私には到底判りそうにないのですが、マスコミ各位には是非食通と呼ばれるヒト達にその見分けがつくか、食べ比べを試してもらって欲しいです。
それでもし食通の眼力で偽物を即看破できるというのなら、同じ人間である我々にも、鍛えようによってはそれが可能になるかもしれない、という夢が持てそうじゃないですか。
さて、巷では有名ホテルやら百貨店やらで食品の偽装がヤンヤヤンヤと取り沙汰されて連日大賑わいですね。そろそろいい加減静かになるかと思いきや、マスコミは色々なところから新たな鉱脈を見つけてきては、せっせとほじくり返して社会正義の名のもとに、鳴り物入りの公表を続けています。
どうせすぐ収まるだろうと思っていたので取り上げる気もなかったのですが、かくも話題が継続するのをみては、やっぱり一度は自分の感想を書いておき、この時代の話題を残しておくのが、将来このブログを読み返す年老いた私への義務だろうと思い、今更ながら書くことにしました。
といっても、これまで取り上げなかった位に、特に偽装そのものには大した感慨もありません。まあ、もうちょっとうまくやんなさいよ、とか、いつまでこの話題でどんちゃん騒ぎしているんだ? とか云うような感想はありますが、そもそもからして、食中毒や毒物混入でヒトが死んだり重い病が広まったりしたわけではありませんし、食べられるものを食べられる形で提供されたんだから、大騒ぎするほどのことでもないのでは? と私は思うわけです。
食事後の会計の時に、その料理の味やお店の雰囲気、サービスその他諸々の内容に満足してお金を出したのなら、それで良いのでは?
その時に、あれは味の割に高いと思った、とでもいうのなら、なるほど、と理解できるのですが、その時にはつゆ知らず、後になって実はあの材料は安物のまがい物でした、と分かったのなら、それに腹を立てるよりも、かくも見事に美味しく仕立てあげたシェフや板前さんの腕前、それらを楽しく食べられるように演出したお店のサービス力に驚嘆し、賞賛できるんじゃないでしょうか。
とまあ、自分で言っていてこりゃ大分極論だなぁ、と思っていないわけではないのですが、マスコミ各位には、料理人達の研鑽努力やその技量に対する敬意がかけらも見受けられないように思えるので、あえて極論に舵を切ってみました。
というわけで続けますが、お店の側が「味も判らない奴原」と客を馬鹿にしているという論調も見かけましたが、それもある意味しょうがないと思わないでもないです。なにせ、実際判らなかったのですから。それでお店側がお客を馬鹿にしているとは私にはちょっと思いにくいのではありますが、その事は別にしても、その時本物かどうか判断できなかった以上、舌の鋭さが不足していたのは事実ですし、その事自体を恥じるほど己の舌にプライドを持っているのか、そんな面倒なプライドは持っていないのかで、その後の考え方ややるべきことが変わってくると思います。ちなみに私は今のところそれほど舌にプライドは持っていませんので、本物か偽物かより、実際に食べてみて美味しかったかどうかを今後も判断基準にしたいです。提供側が楽しく美味しく騙してくれるなら、それが体に悪いということでもないのだったらそれで十分幸せなんじゃない? と私は考えます。きっと私は、「本物」という情報よりも、実際に食べてみて美味しい、という事実が欲しいということなんでしょうね。
ところで、仮に海原雄山みたいな食通だったら、偽物をその場でお皿ひっくり返してみせるくらい明確に区別が付くもんなのでしょうか? 私には到底判りそうにないのですが、マスコミ各位には是非食通と呼ばれるヒト達にその見分けがつくか、食べ比べを試してもらって欲しいです。
それでもし食通の眼力で偽物を即看破できるというのなら、同じ人間である我々にも、鍛えようによってはそれが可能になるかもしれない、という夢が持てそうじゃないですか。