かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

ただでさえ大変な課題が目白押しの現代社会で、カビ臭い過去の議論を政治でするのはもうやめては?

2014-10-22 22:18:24 | Weblog
 昨夜からの雨が終日続き、なんともうっとおしい1日になりましたが、明日からはどうやら晴れのターンになるのだそうです。桜やカエデの紅葉も始まりつつありますが、少なくとも1週間ばかりは秋晴れの爽やかさの中で、移ろいゆく季節を堪能できる日々が訪れそうです。

 さて、菅官房長官がいわゆる従軍慰安婦問題における河野談話について、「強制連行を示す資料がない中で、(認めたのは)大きな問題だ」との発言をなし、当時河野氏が独断的に軍による強制連行を認めたことを批判しましたが、早速中韓から非難の声が上がっているようです。少なくとも当時河野談話が事実関係が未確認のまま、内容も韓国とのすり合わせしつつ発表されたものであり、当時の政府見解から逸脱したいわば勝手な行為だった事が明らかになっておりますから、その点については誰からも非難を受けるいわれは無かろうと思います。むしろ勝手なスタンドプレーをした河野洋平氏や、今までそれらのことを有耶無耶にしてあたかも談話が絶対不可侵であるかのごとく取り扱ってきた政治家諸氏の罪こそ大とすべきでしょうが、なにはともあれ、こうして見直しの声が政権中枢から出てくるのは良いことです。海外には、強制性の有無とかいうのは問題ではなく、女性の尊厳を踏みにじった慰安婦という存在そのものが問題なのだ、という非難があるやに聞いておりますが、私にはどうもこの理屈がいまいちピンときません。それらは歴史的な話であり、その時代背景を抜きに非難もなにもあったものではなかろう、と思うのです。また、極端な話、酒池肉林や炮烙の刑を実施した殷の紂王は残虐非道な支配者だ、と非難するのと何が違うのでしょうか? 今更紂王を非難するようなヒトは多分おるまいと思いますが、少々時代が新しい生々しく感じられるやも知れぬ話ではあっても、所詮は歴史の一ページに過ぎぬのではないでしょうか? それも、事実関係が未確認というもはや「歴史」にすらなっていない話で非難されるのはなんとも居心地の悪い気がします。日本人の大半が戦争未体験世代となり、もうすぐ全ての日本人が戦争そのものを知らない世代になってしまうことを考えると、正直なところ、そんな経験もしていない昔のことなど知ったことかと言ってみたくなる衝動にも駆られます。まあ祖先が言われない罪で汚されているという部分にはきっちり反論もしておきたいとは思いますが、それもあくまで歴史の話としてであって、今現在の現実と直接的に関わるものではないのではないかと言う気がします。
 もういっそのこと中韓含め世界には、この話、歴史研究としてならともかく、政治課題としては我が国は一切取り上げません、とはっきり宣言してみてはどうかとも思います。そういう意味でも、菅官房長官の姿勢は好ましいものに感じられます。

コメント
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