今日は、朝未明に雨音で目が覚めました。そのまま二度寝しようと思ったのですが、一時は相当強く降ったようで、窓とカーテン越しに聞こえる雨音が思いの外耳について、まどろむこともできませんでした。しょうがないので一度トイレに立った後は再び布団にくるまって暖を取り、しばらくゴロゴロしているうちに目覚まし時計がいつもの通り鳴り響き、起床することになりました。そんなわけで結構寝不足のはずなのですが、今のところさほど眠気は覚えずにいます。
さて、ISの人質殺害事件からこっち、ジャーナリストの肩書を持つ方々が色々な事を宣っておいでですね。その全部に目を通したわけでもないですが、基本、報道の自由こそ絶対正義、というような論調のように感じさせられます。まあそれはそれで一つの見解ですから、それこそ自由意見として表明されていれば良いと思うのですが、政府や権力者は情報をコントロールして見せたいものだけを見せて都合の悪いことは隠したがるから、そんな大本営発表よりも自分たちが命を張ってそれを阻止すべく活動しなければならないのだ、という意見には、若干の違和感も覚えます。政府や権力者が情報を制御するのはまあ当たり前の話で、それを監視して必要な物は引きずり出さねばならない、というのはその通りだと思うのですが、そうやって引きずり出しにかかるジャーナリストと言われる方々の高潔な倫理は、一体誰が保証して、誰が監視しているのでしょう? そうでなくても、大手マスコミによる捏造や誤報が相次ぎ、ジャーナリズムの権威が失墜している我が国においては、そう言った正しそうな主張も単なる自己中な発言にしか聞こえない場合があるという困った状況になっています。そうであるからには、その発言にも重々注意されるべきだろうと思われるのですが、どうも私が見た2,3の例では、自分の掲げる絶対正義に心酔して他を顧みない危険な様子が伺えるものばかりです。客観性とか中立性とかいうのは、科学者でさえ中々その原則を守れないでいる難しい話で、報道においても当然口ではなんと言おうともそうそう超然としていられるものでは無いと思います。ジャーナリストもまたヒトである以上、目で見て耳に入ってきたことを、頭で処理して喋ったり書き留めたり写真に撮ったりする過程で様々なフィルターが掛かってしまうのは避けがたく、主観的であることから逃れることはできませんが、だからといってプロパガンダまがいのことを報道が自ら意識的にやらかしては行けないだろうとも思います。
まあ少なくとも、これら命を的に戦場を駆けるジャーナリストの方々はせっかく素晴らしいことをしようとしている訳ですから、自らの正しさを常に証明し続ける努力をし、自分たちの責任でそれを担保するための監視役を創るよう努力して欲しいと思います。例えばこの間の事件ように、運悪く取材対象に捕まったらその時自分はどうするのか、国民や政府にどうして欲しいか、をはっきり表明されてはどうでしょう、というか、後藤氏のように、それは自分の責任であり助けるに及ばないということを明言されてはいかがでしょうか。その上で果敢に挑戦されるなら、政府もその足にカセをはめるべきではないでしょうし、国民もそうして得られたニュースには感謝の気持を持って受け入れることができるでしょう。もちろんそれに対する正当な報酬にも文句をつける筋合いはありません。
さて、ISの人質殺害事件からこっち、ジャーナリストの肩書を持つ方々が色々な事を宣っておいでですね。その全部に目を通したわけでもないですが、基本、報道の自由こそ絶対正義、というような論調のように感じさせられます。まあそれはそれで一つの見解ですから、それこそ自由意見として表明されていれば良いと思うのですが、政府や権力者は情報をコントロールして見せたいものだけを見せて都合の悪いことは隠したがるから、そんな大本営発表よりも自分たちが命を張ってそれを阻止すべく活動しなければならないのだ、という意見には、若干の違和感も覚えます。政府や権力者が情報を制御するのはまあ当たり前の話で、それを監視して必要な物は引きずり出さねばならない、というのはその通りだと思うのですが、そうやって引きずり出しにかかるジャーナリストと言われる方々の高潔な倫理は、一体誰が保証して、誰が監視しているのでしょう? そうでなくても、大手マスコミによる捏造や誤報が相次ぎ、ジャーナリズムの権威が失墜している我が国においては、そう言った正しそうな主張も単なる自己中な発言にしか聞こえない場合があるという困った状況になっています。そうであるからには、その発言にも重々注意されるべきだろうと思われるのですが、どうも私が見た2,3の例では、自分の掲げる絶対正義に心酔して他を顧みない危険な様子が伺えるものばかりです。客観性とか中立性とかいうのは、科学者でさえ中々その原則を守れないでいる難しい話で、報道においても当然口ではなんと言おうともそうそう超然としていられるものでは無いと思います。ジャーナリストもまたヒトである以上、目で見て耳に入ってきたことを、頭で処理して喋ったり書き留めたり写真に撮ったりする過程で様々なフィルターが掛かってしまうのは避けがたく、主観的であることから逃れることはできませんが、だからといってプロパガンダまがいのことを報道が自ら意識的にやらかしては行けないだろうとも思います。
まあ少なくとも、これら命を的に戦場を駆けるジャーナリストの方々はせっかく素晴らしいことをしようとしている訳ですから、自らの正しさを常に証明し続ける努力をし、自分たちの責任でそれを担保するための監視役を創るよう努力して欲しいと思います。例えばこの間の事件ように、運悪く取材対象に捕まったらその時自分はどうするのか、国民や政府にどうして欲しいか、をはっきり表明されてはどうでしょう、というか、後藤氏のように、それは自分の責任であり助けるに及ばないということを明言されてはいかがでしょうか。その上で果敢に挑戦されるなら、政府もその足にカセをはめるべきではないでしょうし、国民もそうして得られたニュースには感謝の気持を持って受け入れることができるでしょう。もちろんそれに対する正当な報酬にも文句をつける筋合いはありません。