今日は久しぶりに朝遅くまで惰眠を貪りました。ようやく床を起き出して遅い朝食を撮り終わったた時には10時近くになっていましたが、朝遅いと一日が余計早く過ぎてしまうような感じがして、どうも調子が狂ってしまいます。元はといえば昨夜少々遅くまで起きていたためなのですが、忘年会続きで身体の方も思ったより疲弊していたのかもしれません。正月休みを控え、今からこれでは休み明けの仕事が大変になることは想像に固くありませんが、今日明日位でなんとか矯正できますかどうか。
さて、大分県は、世界農業遺産認定の「国東半島宇佐地域」の写真を使ってカレンダーや、冊子を7万部ばかり作製し、関係機関等に配布しようとした所、日付のところに「大安」、「仏滅」、「友引」などのいわゆる「六曜」を記載していたのが問題視され、配布を中止する騒ぎになったのだそうです。大分県の人権・同和対策課は、「科学的根拠のない迷信を信じることが差別につながる場合がある」と回収・配布中止に至った経緯を説明しています。
この手の話は時折人権を声高に主張するヒトや団体から聞くものですが、個人的な感想からしたら、はっきり言ってバカとしか言いようがないというか、非常識というか、なんとも頭の痛い話ですね。そもそもからして、彼らは何かというと「科学的根拠」を頭に掲げて迷信を打破しようと躍起になってますが、その言動は要するに宗教を認めない共産主義の発想そのものですし、やっていることはまるっきりイスラム過激派が仏教などの宗教遺跡を破壊したりするのと変わらない蛮行、文化破壊です。第一、「科学的根拠のない迷信を信じることが差別につながる場合がある」ことの科学的根拠は一体どこにあるんでしょうか? 百歩譲って、迷信が差別を産んだ、というより差別を惹起するような状況が、歴史的な流れの中で迷信として定着したのではなかろうかと思いますが、それはともかく、そのようなことがありうると納得した上で、では今時「六曜」が一体どんな差別につながりうるのか、はっきりしてもらいたいです。また、「科学的根拠の無い迷信」そのものがいけないというのなら、村の祭りも根拠の無い迷信、神社や寺など宗教関係も迷信、結婚式で指輪交換したり近いのキスをするのも迷信なら、クリスマスやバレンタインデーも迷信、それ以外にも、この世のあらゆる形而上のものはみんな迷信に過ぎませんから、全て排除しなければ「差別」の根源になりかねない危険をはらんでいるといえます。さて、この人権・同和対策課の方々は、これら一つでも抵触すること無く、ひたすら「科学的な根拠のある」生活だけを日々送っているんでしょうか? そして、この人達には一切差別意識が無いんでしょうか?
いい加減、自分達の言っていることの愚かさ加減を認識して欲しいものです。科学がもしそんなに堅固で万古不易な万能なる真理であるのなら、未だに世界中で宗教が大きな力を持っている事をどう説明するのでしょう? 欧米の科学者が真理を追求すればするほど、そこに「神」の力を感じていることの矛盾をどう考えるんでしょうか?
まあ例えば、せめてこの下らないことを言う人達が、ローマ法王やイスラム教指導者に対して、「迷信だからおやめなさい」と意見しに行く位の事をしでかしてくれるなら、あるいはそこまではいかなくても、大分県なら宇佐八幡の神主さんとかだけでも、「あなた方の活動は差別を助長する危険がある」と苦言を呈し、臼杵の大仏を「迷信の産物だ」と破壊することを主張したのなら、少しはその言葉にも説得力が増すでしょうが、所詮身近な日本の文化にケチをつけること位しか出来ないのでしょうから、とてもそんな「差別根絶」のための活動などやれはしないでしょう。
しかし、もし将来、『差別』の科学的根拠が明らかになったりしたら、この主張をなす人達はどうするんでしょうね? 差別を本当に憎み、消去することに血道をあげるのであれば、それこそ墨家のような宗教でも立ち上げて、全ての世界に愛を注ぐよう努力したほうが良いでしょう。
さて、大分県は、世界農業遺産認定の「国東半島宇佐地域」の写真を使ってカレンダーや、冊子を7万部ばかり作製し、関係機関等に配布しようとした所、日付のところに「大安」、「仏滅」、「友引」などのいわゆる「六曜」を記載していたのが問題視され、配布を中止する騒ぎになったのだそうです。大分県の人権・同和対策課は、「科学的根拠のない迷信を信じることが差別につながる場合がある」と回収・配布中止に至った経緯を説明しています。
この手の話は時折人権を声高に主張するヒトや団体から聞くものですが、個人的な感想からしたら、はっきり言ってバカとしか言いようがないというか、非常識というか、なんとも頭の痛い話ですね。そもそもからして、彼らは何かというと「科学的根拠」を頭に掲げて迷信を打破しようと躍起になってますが、その言動は要するに宗教を認めない共産主義の発想そのものですし、やっていることはまるっきりイスラム過激派が仏教などの宗教遺跡を破壊したりするのと変わらない蛮行、文化破壊です。第一、「科学的根拠のない迷信を信じることが差別につながる場合がある」ことの科学的根拠は一体どこにあるんでしょうか? 百歩譲って、迷信が差別を産んだ、というより差別を惹起するような状況が、歴史的な流れの中で迷信として定着したのではなかろうかと思いますが、それはともかく、そのようなことがありうると納得した上で、では今時「六曜」が一体どんな差別につながりうるのか、はっきりしてもらいたいです。また、「科学的根拠の無い迷信」そのものがいけないというのなら、村の祭りも根拠の無い迷信、神社や寺など宗教関係も迷信、結婚式で指輪交換したり近いのキスをするのも迷信なら、クリスマスやバレンタインデーも迷信、それ以外にも、この世のあらゆる形而上のものはみんな迷信に過ぎませんから、全て排除しなければ「差別」の根源になりかねない危険をはらんでいるといえます。さて、この人権・同和対策課の方々は、これら一つでも抵触すること無く、ひたすら「科学的な根拠のある」生活だけを日々送っているんでしょうか? そして、この人達には一切差別意識が無いんでしょうか?
いい加減、自分達の言っていることの愚かさ加減を認識して欲しいものです。科学がもしそんなに堅固で万古不易な万能なる真理であるのなら、未だに世界中で宗教が大きな力を持っている事をどう説明するのでしょう? 欧米の科学者が真理を追求すればするほど、そこに「神」の力を感じていることの矛盾をどう考えるんでしょうか?
まあ例えば、せめてこの下らないことを言う人達が、ローマ法王やイスラム教指導者に対して、「迷信だからおやめなさい」と意見しに行く位の事をしでかしてくれるなら、あるいはそこまではいかなくても、大分県なら宇佐八幡の神主さんとかだけでも、「あなた方の活動は差別を助長する危険がある」と苦言を呈し、臼杵の大仏を「迷信の産物だ」と破壊することを主張したのなら、少しはその言葉にも説得力が増すでしょうが、所詮身近な日本の文化にケチをつけること位しか出来ないのでしょうから、とてもそんな「差別根絶」のための活動などやれはしないでしょう。
しかし、もし将来、『差別』の科学的根拠が明らかになったりしたら、この主張をなす人達はどうするんでしょうね? 差別を本当に憎み、消去することに血道をあげるのであれば、それこそ墨家のような宗教でも立ち上げて、全ての世界に愛を注ぐよう努力したほうが良いでしょう。