かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

かつて京都でオーロラを観測できた時があったそうな。

2017-03-22 20:02:00 | Weblog
 今朝の最低気温は2.7℃、最高気温は13.1℃でした。先日の3連休のような春日和ではありませんでしたが、一日よく晴れてそこそこには気温も上がりました。ただ影に入ったりすると空気が冷たくて、この間までの寒さがぶり返したような感じです。

 さて、平安時代末期の家人、藤原定家の日記「明月記」に書かれている「赤気」が、当時異常に活発化した太陽活動によってもたらされたオーロラだった可能性が高い、という研究発表が、アメリカの地球物理学連合の学術誌に出たのだそうです。以前から彗星説とか色々取り沙汰されてきたこの天文現象について、ようやく本命とも言うべき最有力の説が提唱されたと言えます。時に元久元年(1204年)の2月27日、定家はその日記に「此三ヶ夜有赤気云々・・・」などと記録していますが、これが京都の夜空に連続して現れたオーロラだったという話です。
 京都でオーロラなんて有りうるのか? と現代の常識からすると疑いも大きいですが、国立極地研究所や国文学研究資料館等の研究チームによると、今は北米大陸方向に傾いている地軸が当時は日本列島側に傾いており、オーロラが観測しやすい状況になっていたことや、中国の歴史書「宋史」の同時期の記録に「太陽の中に黒点があり、ナツメのように大きい」との記載があることから、太陽の活動が活発化していた可能性あり、と推測、オーロラが見られてもおかしくない、という結論に至った模様です。
 平家が壇ノ浦に滅びる1185年より少し前、関西では日照りによる飢饉が続いて京都は荒れに荒れ、鴨長明の方丈記などにもその記録があるようですが、これもひょっとしたら活動気に入っていた太陽活動のせいなのかもしれません。なんにしてもこれらの記録がきちんと暦や日付と合わせて残り、現代まで伝わって解析に用いられるというのは、無限に広がる大宇宙の片隅にも、ちゃんと銀河の歴史の1ページが刻まれているようで、巨大な望遠鏡で宇宙の深淵をのぞき込むのとはまた違う雄渾なるロマンを感じます。

コメント
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