かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

日本がどこかの国を侵攻する可能性があるって、どんだけ日本を買いかぶっているのかと返って心配になります。

2022-04-12 20:23:21 | Weblog
 奈良市の今朝の最低気温は13.7℃、昼間の最高気温は27.5℃、五條市の今朝の最低気温は12.8℃、昼間の最高気温は27.6℃でした。今日も一段と暑い一日でした。日差しは時折雲に遮られることもありましたが大体まる1日照り続けて、なんとなく空気も蒸すような感じがあり、余計に堪える暑さになりました。明日も更に曇りがちながらも気温が上がり、明後日の雨にかけて、湿度も上がって不快度は更に高まる模様です。さすがに春仕様では暑すぎるので、季節としては早すぎですが夏想定の格好で出かけたほうがいいかも知れません。

 さて、東京大学入学式に映画監督の河瀬直美さんが来賓に招かれ、祝辞を述べられたそうな。いわく、
「例えば『ロシア』という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかりあっているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか」
「一方的な側からの意見に左右されて本質を見誤っていないか。」
「誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで私は安心していないか」
「自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性がある自覚をしておく必要がある。そうすることで、自らの中に自制心をもって拒否することを選択したいと想います」

 最後の締めの手前までは割といいことを仰っているように感じられました。今回の場合、結局話し合いではなく実力行使、それもとても紳士的とは言えない行為に出たロシアが明らかに悪いとしか言いようがなく、まずはその行為の停止、反省、謝罪の上でないと、ロシアの主張を耳に入れるのが難しい状況にあると私は思いますが、そうやって絶対悪を設定することで勧善懲悪時代劇を観ているような心地よさを覚えかねないことは気をつけてもいいと思います。そうでないと、悪の枢軸ロシア・中国はもはや滅ぼすより無い、というような終末的発想に走りかねない恐ろしさがなんとなく感じられないこともありません。ですが、最後の一言は必要だったのでしょうか? この手の話をする人は、まず日本が外に戦争に出られるような国かどうかの見極めをまずなさるべきであろうと思うのですが、いくら80年前に世界相手に戦争をしたからと言って、それはあの時代だからこそ可能であったというより無く、あの時代よりもさらにあらゆるものの自給能力に欠けてしまった我が国が戦争などとてもできそうにないと思うのですが、何を持って我が国の戦争遂行能力を課題に評価されているのか、機会があれば教えを乞いたいところです。それに、どこに戦争しに行くというのかも今ひとつ不分明です。例えばかつて攻め込んだ大陸ですが、まだ貧しかった頃には宝の山に見えたかも知れませんが、今は人ばかり多くて、水が足りずに砂漠化が進んでなんの魅力もない赤茶けた黄砂を生む大地に過ぎませんから、わざわざ労力をかけて戦いに行く価値がありません。
 そもそも戦う力が無いと思います。戦争が外交手段の一つであることは違いないと思うのですが、我が国がそれを選択できるようになるには、よほどの期間莫大な予算を費やして正面装備を充実させ、人員を充足させ、後方の体制を整え、ありったけの物資を備蓄して、初めてちょっとは可能になるかどうかでしょう。5年や10年では到底足りないと思います。一方で若者が今後どんどん減って行くのですから、ますます戦争などできなくなってしまいます。心配されるのは構わないと思うのですが、防衛予算がたかだか倍にしようかどうしようか、という話が出たくらいで戦争始めちゃうかも、と心配されるなど、全くの杞憂と言うより無いと思うのですが、一体何を心配されているのかも聞いてみたい気がします。

コメント
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