かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

12.夢守 その6

2008-03-15 23:01:33 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 鬼童は懐から掌ほどの小さな石を取り出した。表面はつややかに磨かれており、微妙な曲線を描く涙滴のような形で全体に緩く弧を形作っている。鬼童は鏃の金突を折りとって捨て、驚く榊も構わずにその小石を矢の先端に縛り付けた。そして円光に改造した矢を渡し、先の小石に込められるだけ気を込めるように頼んだ。黙ってそれを受け取った円光は、その小石が秘めた力に一瞬はっと顔色を変えたが、黙ってうなずく鬼童に促されて一心に気を練り始めた。その様子を不思議そうに見ていた榊は、その石は何かと鬼童に聞いた。
「勾玉ですよ」
 鬼童はこともなげに榊に言った。勾玉? と更に首をひねった榊に、鬼童は少しだけその秘密を語った。
「勾玉というのは、天地ようやく開闢してまだ神と人が混じりあっていた上古、大和の大王が珍重した宝玉の一種です。勿論それ自体の美しさもさることながら、かつての大王はその石が秘めた力を利用し、大和の国の礎を築いたと言います。その力を少しだけ、借り受けようと言うわけです」
「結界を張った水晶球のようなものか?」
「使いようによっては遥かに強力ですよ。これで効果がなければ、我々には巨人化した智盛卿にかすり傷一つ付けることもかなわないでしょう。まさに、最後の頼みの綱です」
 鬼童が話す内にも円光は全身全霊を振り絞ってありったけの気をその石に練り込んだ。まさにへとへとになって大きく肩で息をしながら円光が矢を鬼童に返すと、鬼童はその矢を榊に手渡した。
「後にも先にもこの一矢が全てです。これを、確実にあの柄に射当てるのです。そうすれば円光殿の込めた気が勾玉からあの剣に流れ込み、智盛卿の傷を深く、大きく抉りましょう。それで何とかならなければおしまいですが、我々に出来る精いっぱいのところがこの矢です。ゆめゆめ、射損じめさるな」
 矢を受けた榊は、身体の芯から起こる震えを止めることが出来なかった。かつてこれほど緊張する役目を負わされたことがあっただろうか。矢はたった一本。対する目標は遥か彼方の小刀の柄。届かせるだけでも至難の業であるのに、その小さな的に必ず当てなければならないのだ。榊は、源平合戦の折りに那須与一が射抜いた扇などより、これは遥かに難しいことだと思った。が、今、自分に出来ることはこれしかない。これが出来なければ、自分を信用して気を使い果たした円光や、策を授けてくれた鬼童に対し、何の面目あって再び顔見せできるだろうか。榊は両手を広げ、自分の頬を左右からしたたかに張り付けた。改めて弓を手に取り、指ではじいて弓弦の強さを確かめる。これも榊の古くからの戦友だったが、日頃の手入れの甲斐もあってその強さには寸分の狂いもない。榊は必中の気合いも高く、鬼童に肩を貸してくれるよう頼むと、矢をつがえて遠く智盛の背に立つ柄に狙いを付けた。
 今、智盛は麗夢の舞に翻弄されて激しく剣を振り回している。榊はなかなか矢を放つ機会をつかむことが出来なかった。二度ほど、(今だ!)と思い定めたのも束の間、すんでの所で思いとどまった。瞬間智盛の身体は大きく動き、榊は失敗の重い二文字を背負い込まずにすんだのである。
「ええい、少しじっとしてられんのか! でかい図体のくせに!」
 榊は、次第に募るあせりもあって珍しく悪態をついた。が、確かにこのままでは成功はおぼつかない。息を整えた円光が、自分が行って何とか麗夢殿と一緒に智盛の動きを止めてみる、と言いだしたのも、そんな榊の苦悩がその顔に滲み出ていたからである。だが、円光決死の申し出は、その寸前で食い止められた。三人は忘れていたのである。この場に残る、もう一人の主役を。智盛に走り寄ろうとした円光も、一心に狙いを定める榊と鬼童も、突然湧いて出たかのようなその老人の登場に、今更ながらに驚いた。が、この驚きを当の本人が聞いたら、さぞその自尊心を傷つけて、憤ったことだろう。幸か不幸か、本人はそんな周囲に気を配っていられるほど、余裕も余力も持ち合わせていなかった。
「智盛、智盛ぃ」
 老人の声は蚊の鳴くほどな小ささだったが、老人としては今精一杯の声量である。
「智盛、その力を我に、この祟海によこせ。それは、わしのものじゃ。わしの、わしのものなのじゃ」
「祟海の奴、一体、何をするつもりだ?」
 榊は、まだ生きていたのか、と一人ごちたが、祟海がはうようにして智盛と麗夢の戦いの場に近寄ろうとするのを見て、何と無謀なと思わずにはいられなかった。健脚の円光にさえ、近寄るのは危険すぎると制止したばかりなのである。満足に歩くことさえかなわない祟海など、踏みつぶされるのがおちではないか。だが、あくまで智盛はまだ自分の支配下にあると信じて疑わなかった祟海は、榊程危機感を抱いていなかった。もっとも、抱こうにもそれだけの感覚を喪失し、執念だけで何とか前に進んでいるばかりなのである。
「さあ、返せ智盛。わしの言うことが聞けんのか。何をしておる、早く返さぬか!」
 祟海は、ほとんど残りかすですらない自分の気を限界まで引き出して練り上げた。
(智盛は、自分が気を失ったほんの少しの間、一時的に暴走しているに過ぎない。こうしてもう一度命令を直接打ち込めば、再び自分に盲目的に従うかわいい化け物に戻るはずじゃ)
 祟海は、もう本当に目が覚めているのかどうか、自分でも怪しくなる程に意識朦朧としていたが、これだけは何としてもの執念が、その状態からは信じられないほどの大きな気を集めさせた。
「さあ、返すんじゃ、智盛ぃっ!」

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