かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

12.夢守 その5

2008-03-15 22:57:40 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 立ち上がり、智盛に向かって歩き出した少女に榊は叫んだ。
「そんな、お待ちなさい! 他に、他に方法はないのですか!」
「あなたの首など使わないでくれ! しゃれこうべだろうが水晶だろうが、必要なものがあれば私が用意してくる!」
「首が必要ならいっそこの拙僧の首を!」
 鬼童、円光も相次いで麗夢を引き留めた。が、麗夢は少し困ったような微笑みを残してその手を振り切った。
「お志は真にかたじけのう存じますが、智盛様を救うにはこれしか方法がありません。どうか皆さんは安全な所に下がっていて下さい」
「しかしどうやって!」
 鬼童は言った。
「どうやってあの巨大化した智盛卿から、悪夢を引きずり出すのですか!」
「それは大丈夫です。夢守には、それだけの力が天から与えられていますから」
「麗夢殿!」
「円光様、鬼童様、それに榊様、本当にお世話になりました。この上真に申し訳ありませんが、後始末の方、よろしくお願いします」
 なおも肯じない三人に一礼した麗夢は、今度こそ智盛の方へまっすぐ向くと、二度と振り返ることなく再び笛を取り出した。


 またも静かに流れだした旋律は、先程とは微妙に違う音色を湛え、麗夢を包み込んだ。やがて、その笛の音が一粒一粒小さな光の粒に変わったかのように、麗夢を淡い燐光が覆い始めた。光は笛の調べに乗って麗夢から美しい真円を描いて放射され、仏の背輪のように麗夢を中心に照り輝いた。円光は、優美という文字をそのまま形に表したかのような如来の姿をそこに見た。思わず手を合わせる円光の前で、突然麗夢の血染めの衣装がはじけるように解けた。一本一本の絹糸がほぐれると、一瞬目も眩む燭光となって飛び散った。三人の漂白された眼球が再び映像を捉えられるようになる前に、彼等の鼻がまず辺りを清めるように広がったえもいわれぬ馥郁とした香りに気がついた。中でも榊はその香りに覚えがあった。この夢隠しの郷にやってきた最初の晩、自分を苦しめた悪夢をどこからともなく現れていとも簡単に払ったあの女性。その時の姿は既におぼろにしか記憶には残っていないのに、とうに忘れていた香りがその夢の女性を鮮やかに脳裏に蘇らせたのである。それは、目の前の少女の後ろ姿にうり二つであった。緑の黒髪が美しく扇を開くその向こうに、鮮やかな紫の狩衣姿が透けて見えた。薄絹の羽衣が天女のそれに等しく少女の身体へふわふわとまとわりつき、櫛目もすっきりと通った頭に、金色の冠が輝いて見せた。
(あれは、夢ではなかったのか?)
榊は、改めて夢守にと変じた麗夢の姿に見入った。
 麗夢は姿を変じてからも相変わらず笛を吹き続けたが、巨人と化した智盛は、いつまでもそんな演奏を聴くつもりはなかった。突然、思い出したように剣を振り上げた智盛は、自分の十分の一もない可憐な少女に、苛烈なる一撃をもって迎えた。空を切る轟音が麗夢の耳元をかすめ、逃げ遅れた髪の幾筋かがその身体に別れを告げた。必殺の間合いを外された智盛は怒り狂った。再び天高く振りかざされた剣が少女目指して疾駆し、またもその柔らかな身を捉え損ねて地面に巨大な穴を穿った。智盛の振るう剣はまさしく稲妻の嵐と化して麗夢を襲った。剣が落雷の轟音を轟かせる度に地は裂け、岩は砕け、木は消し飛んだ。が、まるで柳が強風に煽られながらも決してちぎれ飛ぶことがない様に、麗夢の身体は絶対に智盛の剣に触れなかった。だが、いつその剣が麗夢の柔らかな身体を捕らえるかと思うと、円光も榊も気が気ではない。さりとて自分たちに何が出来るという訳でもない。それが何とも悔しく、情けなさに涙すらこぼしかねない二人である。とうとうたまりかねた榊が、鬼童に向かって何とかならないのかと問いかけた。
「せめてあの化け物を、一瞬でもいい、止めることが出来ないのか?!」
 榊の切迫した口調とともにすがるような円光の視線も感じて、鬼童は目をつむって腕を組んだ。
「一つだけ方法があります。いや、可能性がある、と言うくらいのものですが、第一、出来るかどうかすら怪しいかも知れないのです」
 ややあって言い出した鬼童に、それでも構わないから早く話せと榊は促した。鬼童は言った。
「榊殿、円光殿、あの、智盛卿の背に立った脇差しの柄は見えますか」
 二人は目を細めてそれを確認すると、鬼童は続けた。
「あれは、恐らく刃を受け付けないであろう智盛卿の肉体に直に突き立った、唯一の刀です。即ち、外から幾ら切りつけても効かない攻撃も、あれを拠り所にすれば直接智盛卿の肉体に打撃を加えることが出来るはずです」
 成る程とうなずく二人に、鬼童は難しい表情を崩さず榊に言った。
「榊殿、ここから、あれを正確に射抜くことが出来ますか?」
「あれを?」
 榊は改めて柄を見た。白木の半分位を智盛の血で赤く染め、五、六寸ばかりな長さを残して背に立っている。だが、距離は榊の強弓でも届かせるのがやっとかも知れなかった。それを更に確実に当てるとなると、武芸では達人の域に達した榊をしても躊躇しないではいられない。榊は内心の自信の無さを取りあえず隠して、鬼童に問い返した。
「あれを射るだけでいいのか? この矢で」
 榊がやなぐいから取り出した矢を鬼童に渡した。
「いいえ、ただ矢を当てるだけでは駄目です。まずこれを付けます」

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