かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

12.夢守 その8

2008-03-15 23:02:54 | 麗夢小説『麗しき、夢』
 智盛は瞑目してしばし沈黙を守ったが、涙に暮れる二つの瞳に、もう一度その目を開いて見せた。
「私のことよりも、そなたのことだ。封印の首が必要なら、この私の首を使うのだ。麗夢」
「ご、ご存じだったのですか? 封印のこと」
「肉体こそ悪夢に引きずられてままならぬ身だったが、そなたの話は皆聞いていたよ。力だけでなく、目も耳も、普段の何倍も鋭くなっていたようだ。そなたの話は、耳元で鐘を鳴らすようだった」
 麗夢は少し頬を赤らめたが、直ぐに思い詰めた顔に戻って智盛に言った。
「では、封印の首は、夢守のものでなければならないことも、ご存知の筈です」
「生きていた頃の私の首なら、確かに無理だったろう」
 智盛は、達観した穏やかさで麗夢に言った。
「だが、今の私は、まさに我が身体そのものが悪夢を入れる器と化している。反魂の術が、私に器としての力を授けたのであろう。このまま我が首をはね、そなたが結界を施して封じてくれれば、きっとうまくいくはずだ」
「でも・・・」
「お願いだ、麗夢」
 再び涙にかき曇る漆黒の瞳を見つめて、智盛は言った。
「この私に、一度でよい、そなたの役に立てる時を与えておくれ」
 智盛の言葉は、深く麗夢の心を貫いた。もう智盛の決意を翻意できないと悟ったが、それでも麗夢は動けなかった。一度はおのが身を呈してその命を助けた愛しい男である。既に一度、夢守の名の下に手をかけてしまったというのに、その後悔も覚めぬ間に、もう一度刃を手に取ることなど、今の麗夢にはそもそも無理な相談だった。智盛はそんな麗夢に深いため息をつくと、口調を改めて麗夢に迫った。
「よいか、麗夢。私はもう死んだのだ。心こそ妖術に囚われてここにこうして縛り付けられてはいるが、我が魂は既にこの世のものではない。私を哀れと思うなら、ゆっくり眠る時を与えてくれ。二度と私に、そなたが死ぬところを見せてくれるな!」
「私には、智盛様の死ぬところを見せてもよいとおっしゃるのですか!」
 笛を握る手の甲が青く筋立ち震え、激情が涙となって目から溢れた。理性の鎖はあっさりとその任を放棄して、麗夢の身体を智盛へと跳ね飛ばした。智盛もまた、押さえ込んでいた想いのたけを解き放った。二人は互いの身を確かめあうように固く抱き合い、相手の温もりを少しでも掴もうと唇を重ねた。榊も円光も、二人の運命を涙無しで見ることが出来なかった。その鎧と墨染めの衣の袖が濡れそぼつ隣で、鬼童もまた、滅多に見せたことのない涙を浮かべていた。
 いつしか東の空が朱に染まり、遠く一番鶏の時告げる声が山々にこだました。智盛は、このまま永遠にと願う想いを必死に断ち切り、麗夢の肩を両手で掴むと、静かに麗夢を引き起こした。
「もう行かねばならぬ。そろそろ悪夢が私の中で蠢動し始めたようだ。これ以上時を過ごせば、再び私は自分を失ってそなたを始め、相手がいなくなるまで殺戮の限りを尽くすだろう。お別れだ。麗夢」
 智盛は右手を懐に入れ、一本の笛を取り出した。
「もう一度、そなたの舞にあわせて吹いてみたかった・・・」
 智盛は名残惜しげに笛を握っていたが、やがて思い切ったようにそれをすっと麗夢に差し出した。
「これを形見に、我が後生を弔い賜え。私はこれより洞奥に至り、自ら首をはねる。そなたはもう一度洞窟ごと悪夢を封印するのだ。いいね」
 麗夢は智盛の愛笛を呆然として受け取ったが、立ち去ろうとする智盛の背中を見た途端、その手の形見を投げ捨てて智盛に飛びついた。
「お願い! もう一度だけ抱いてっ!」
 智盛は少し困った顔をしたが、それでも愛しい女の最後の望みをすげなくするような真似はしなかった。もう一度振り返った智盛は、しっかりと麗夢を抱きしめた。智盛は、そのまま麗夢の後ろで涙に暮れる三人の男に顔を向けた。
「榊殿とおっしゃったな。憎き源氏の旗を掲げているとはいえ天晴れな武者振りでした。我が首には万金の価値があるだろうし、出来れば貴方のような方にこそ我が首を差し上げたいところではあるが、かような次第、曲げて容赦願いたい」
 遥かに高位の四位少将が下げる頭に、榊は感激した。涙を拭って何度もうなずいた榊は、それが少しも惜しいとは思わなかった。確かに智盛の首は貴重である。鎌倉まで持参すれば、国一つ位では安いほどの価値がある。だが、相手は此方をもののふと認めた上で、頭を下げているのである。この意気に感じずして誰がもののふと名乗ることが出来ようか。余人は知らず、榊はそれを否定できるほど恥知らずではなかった。忝ないと改めて頭を下げた智盛は、残る二人にも声をかけた。
「あなた方は、余人にはない特別の力を持っておられるようだ。どうかこの麗夢を助けて、封印の成就 に力を貸していただきたい」
 円光鬼童も榊に習って頭を下げた。
「ではさらばだ。麗夢。いつかまた、浄土で会おうぞ!」
 智盛は三度麗夢を抱きしめると、はじけるように鍾乳洞に駆け込んだ。麗夢は呆然とその姿を見送るばかりであったが、やがて奥から我が名を叫ぶ愛する男の絶叫が届くと、崩れるようにその場に倒れ伏した。新たな涙がその場を満たし、生まれ変わった平穏な日々を約束するかの様に、朝日にきらめいて見せた。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 12.夢守 その7 | トップ | 13.麗しき、夢 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

麗夢小説『麗しき、夢』」カテゴリの最新記事