かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

12.夢守 その3

2008-03-15 22:56:02 | 麗夢小説『麗しき、夢』
「智盛様! 智盛様、しっかりして!」
 麗夢は、我を忘れて倒れた智盛を抱き起こした。白絹の衣装が智盛の血を吸って赤く染まるのも構わず、麗夢は智盛の名を呼び続けた。智盛は、一度閉じた目をもう一度開くと、既に力を失った手を辛うじて動かし、麗夢の手を染めた己が血を拭った。そして泣きじゃくる麗夢の顔に手を伸ばし、その頬の涙をぬぐい取ると、一言づつ噛みしめる様に麗夢に言った。
「今一度、そなたに会えて、本当に、良かった・・・。れい・・・む・・・」
 麗夢の手の中で、智盛の身体が急に重さを増した。妖術で無理矢理肉体に縛り付けられた魂が、今ようやくその呪縛から解き放たれるのだ。麗夢は、為す術ない自分の無力さをこの時ほど呪ったことはなかった。一族として果たさなければならなかった運命と、その責任において自分が何をしたのかという衝撃は、麗夢の心を圧しつぶさずにはいなかったのである。が、その哀れと言うには余りに言葉の足りないこの光景に直面して、円光、鬼童、榊等は、目の前にある重要なことを見落とした。智盛の手にある草薙の剣が、不気味にも未だ燐光を失わないことを、三人は見逃したのである。ただ一人、それに気づいたのは、今の今まで麗夢の笛に苦しんでいた、祟海ただ一人だけだった。
(おのれ小娘め! だがわしはまだ負けてはおらん。わしをここまで苦しめた報いを受けるがいい!)
 崇海は気力を振り絞って立ち上がると、智盛の右腕に飛びついた。あっけにとられる他の者達も構わず、崇海は草薙の剣ごとその右腕を持ち上げると、すぐ脇にあった徐福の首岩めがけて神剣の切っ先を叩きつけた。
「大願成就じゃ! 智盛! 今しばらく、こと切れるなよおっ!」
 剣は崇海の悲鳴に近い叫び声に呼応するように、智盛の腕を通じて新たな力を得た。鈍い光りが太陽のきらめきを取り戻し、その力が岩の結界と激突したのである。岩は一瞬神剣を拒むかのように鳴動し、崇海に冷や汗を流させた。しかし、八陣すら切り破る剣の前に、岩は後少しを耐えきれなかった。智盛の魂ばくは今しも旅立とうとしており、ほんの数瞬踏ん張っていれば、剣は絹すら切れぬ骨董品に帰ったはずだったのだ。だが、このかけに崇海は勝った。剣の光がはじけるように岩の結界と火花を散らしたかと思うと、突然、稲妻のような亀裂が岩の上半分を覆い尽くし、瞬間一気に砕け散った。同時にもうもうたる黒煙が立ち上り、周囲の山の高さに届くと、渦を巻きながら横に広がって天を覆い尽くした。月も星もその光を地上に届けられず、辺りは暗黒の闇に閉ざされるかに見えた。ただ、黒煙を吐き続ける岩だけが、中から不気味な燐光を放ち、周りを妖しく照らし上げた。岩はその間にもゆっくりと崩れ続け、やがてその底を残して完全に破片と化した。そして、その中身を衆目に晒したのである。榊、円光、鬼童は、一様におぞけをふるった。榊など、戦場で幾らも見たことのある物だったが、今目の前にある物は、これまで見たものの恨みを、全て練り上げたとしてもまだかわいい位に思えてしまう程のまがまがしさをそれに覚えた。それは、「首」だったのである。わずかに残って互いにほつれあう頭髪、中の目玉を失ったように大きく落ち窪んだ目、既にミイラと化して張りと艶を失いながら、名状しがたい生気を漂わせている皮膚。その姿そのものが、首に許しがたい凄みを与えるのである。が、祟海だけは、その首に頬摺りせんばかりに喜んだ。
「おお、やっと見つけたぞ、徐福よ」
 草薙の剣に精を吸われ、意識も朦朧となりつつあった祟海だったが、ここまで来れば後一息である。今、祟海を辛うじて失神から救っているのは、三十有余年をかけてきたこの瞬間に対する執念でしかなかった。祟海は最後の力を振り絞り、もう一度智盛の腕を持ち上げた。
「さあ目覚めよ、徐福の首よ! そしてその秘めたる力を、このわしに譲るがいい!」
 祟海は、智盛の腕にすがりつくようにしてもう一度剣を首に振り落とした。剣は祟海の力に余る手応えで受けとめられた。思わず手を離して転げた祟海は、その切っ先が突如開いた首の口に、がっちりとくわえられているのを見た。
(我が眠りを妨げる物は誰か?)
 榊等は、突如頭に鳴り響いた声に狼狽した。聞こえるのではない。まるでその声の主が体の中に潜んでいるかのように、直接頭の中に届くのである。それでも榊、鬼童は耳を塞がずにはいられなかった。その声には、地獄の獄卒もかくやと言わぬばかりな凄惨さを湛えて、聞く者を無限の穴に引きずり込むような響きがこもっていたのである。円光だけは、般若心経を口ずさみつつ、必死にその声と戦った。
(我が眠りを妨げる者、その報いを受けん)
「よこせ! その報いを! さあ、このわしに渡すのだあっ!」
 祟海は、当然首が語りかけているのは自分だと信じて疑わなかった。この場で首と語る資格のある者はこの自分以外になく、その首の渡す物がなんであれ、それを受け取れるのは自分だけだと固く信じていたのである。だが、首が認めたのはそんな熱烈な愛好家の寄せる期待ではなかった。首は語った。
(この剣は・・・。よかろう。さあ受け取れ。そしてその欲望を満足させるがいい!)
 既に五感を失い、寸刻を待たずに事切れるばかりであった智盛に、その声が届いたかどうかは分からない。だが、声の主は相手の返事など期待してはいなかった。「首」は草薙の剣の力を認めたのであって、その所有者の状態などはどうでも良かったのである。そして声が言い終わるが早いか、膨大な力が剣を通して智盛の身体へと流れ込んだ。と同時に、智盛の身体は、有り余る奔流を受けかねるかのように、二度三度と海老のようにはねた。

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