かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

2.白拍子 その1

2008-03-22 22:35:32 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 既に夕闇が迫りつつあった。
 いつしか雨はやみ、これ以上濡れる心配はなくなったが、月明かりが透けてくるほどに空が晴れた訳ではない。その上、間の悪いことにやんだはずの雨はいつまでたっても地面に落ちつこうとせず、濃厚な霧となって都を覆いつつあった。夜目には自信のある公綱も、さすがにこれには閉口した。
 この時代、夜とはまさに闇に閉ざされた世界といってよい。満月が真昼と感じられるほどに、光に飢えた世界なのだ。もちろん人間には原初の昔から火という明かりを手にしている。が、その火をなんの気兼ねなく自由にできるのは、ほんのごく一握りの者だけであった。圧倒的多数を占める一般の庶民にとっては、油一滴、まき一本でさえそう簡単には使えないのである。そんな闇の中に、人々は様々な異形の姿を見る。常夜灯を点しうる権力者達も、もとはといえば闇を恐れるがゆえに、金に糸目をつけることなく火を焚き続けているに過ぎない。だが、公綱のすぐ前にいる娘は、公綱でさえ緊張を強いられる闇の中を、まるで臆する様子もなく足を進めている。よほど夜目が効くのだろう。公綱でさえ、ふとした拍子に娘の姿を見失いかけるのは二度や三度ではないのだ。
 そんな公綱の感嘆譜を背に受けながら、娘は都大路の東の端、東京極大路にさしかかった。大路というと巨大な道というよりは広場と呼ぶにふさわしい大仰な施設である。そのむやみに広い空間に沿って、東側にこれもどれほどの広さか検討もつかない真黒の谷が横たわっている。鴨川の流れである。その広い川原は、都のうちでも最も雑多で怪しげな雰囲気に満ち溢れていた。古来川原は刑場であり、死体の遺棄場所であり、遊女、くぐつ、芸人、盗人など、およそ繁華街にふきだまるあらゆる暗がりの住人達が蠢く世界であった。
 その中には、白拍子も含まれる。平清盛に寵愛された祇王、仏。源九郎義経の情人、静。滝口入道との悲恋で世人の涙を誘った、横笛など、世に名を残す白拍子もあるが、その多くは、今様を唄い、舞などして、貴人の宴に華やかな一時の花を咲かすだけの無名の芸人達である。彼女らは芸を披露する一方で、時に春を篠いで糧を得なければならない境遇の、一言に云えば下賎の者達であった。
(しかし、智盛様ともあろう方が、白拍子などに心を奪われるとは)
 あの美しさでは仕方がないか、と思う一方で、数多あるやんごとなき女御、姫君の類をそれこそ選りどりみどりに出来る身分の方なのに、少々安っぽすぎる恋だ、とも公綱は思う。
(まあ、いずれ正室は然るべき所より輿入してもらうとして、側室に迎えるというのならそう悪くないかも知れぬな。聞くところによると、あの木曽義仲も巴なる美女に鎧具足を付けさせ、一手の大将として使っているということだし)
 公綱の脳裏には、鮮やかに男を放り投げた、娘の技がまだしっかりと刻まれている。あの華奢な身体で重い鎧をまとい、長刀を振りかざして馬に乗れるかどうかはやってもらわないと判らないが、あの分なら今度の北陸遠征に連れていけば、義仲の巴御前といい勝負をするのではなかろうか。
(そうなれば、あの美しい顔をわしらも楽しめようて)
 公綱は、自分がそんなことを考えていることにはっとなって気付くと、あわてて頭を振って尾行に専念することにした。
 そんな公綱の思いも知らぬげに、娘は東京極大路まで出ると、方角を北にとって更に歩き続けた。やはり五条の辺りか、と思いながら、公綱も後に続いた。現代でもこの辺りは京都最大の繁華街になっているが、既にこの時代、内裏の整然とした官庁街とはまるで趣の違う都の姿が、醸成された婬靡な空気を孕んで、闇の中にわだかまっていた。鬼が出る、などというまことしやかな話も、それこそ一つ二つではない。そんな雰囲気が肌で感じられるのか、公綱は背後になんとなしの気配が感じられて、気味悪さが募る。だが、娘の足取りは河原の脇を通るようになってからも一向に変わる様子がなく、その落ち着き払った足取りが、かえって公綱を苛立たせた。
 やがて娘は五条橋のたもとを過ぎ、そろそろ四条辺りかと思われる所まで来ても、まだ真っすぐに歩き続けた。
(まだ先なのか)
とようやく公綱が不審の思いに囚われ始めた時、突然少女は左の小路に姿を消した。
「なに?!」
 公綱は、完璧に虚を突かれた。すわ! 気付かれたか?! といつになくあわてふためいて、大急ぎで娘の消えた小路に駆け寄った公綱は、その道からいきなり何の前ぶれもなく襲ってきた強烈な殺気に、弾き飛ばされるように立ち止まった。 
 うなじへ焼きごてを当てられたようにちりちりと苛立ち、背中に鋭い悪寒が走り抜ける。さっき手玉にとった田舎侍など百人分束にしても、これほどの威圧を覚えることはなかっただろう。
(逃げるか)
と公綱は半ば本気で考えた。かなうかどうかはやってみなければ判らないが、判らないと判断せざるを得ないことこそが、公綱を戦慄させた。だが、公綱はわずかの逡巡の末、結局正面からその殺気と対峙することに決めた。こっちが引いて見逃してくれるなら逃げるのも手だが、相手の殺気は既に脅しの領域を超えている。智盛との約束もあるし、公綱としてもここで一目散に後を向くのはやはりためらわれた。
 公綱は、一旦引いた足を思い切って小路に踏み入れた。

第2章その2に続く。

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