今日は少し寒さも和らぎ、日向はそれなりに暖かな1日でした。昨日は真っ白だった葛城山(標高959m)も遠望するに白いところはなく、隣の金剛山(1125m)の山頂付近に雪の白々した気色が伺えるばかり。まだまだ12月半ばですから、気温はともかく地温はそれほど下がっていないのでしょう。とはいえ、天気予報では週末また第1級の寒波が襲来するらしく、クリスマスくらいまでは寒い日が続くらしいですから、少しくらいの暖かさで気を緩めていると酷い目に遭いそうです。
さて、こういう時は早々に布団をかぶって本でも読んでいるのが幸せと言うものですが、取りあえずまた1冊の本を読み終えました。「日露戦争 勝利のあとの誤算」黒岩比佐子 文春新書 です。新書にしてはちょっとぶ厚い目の本でしたが、日露戦役戦勝100周年の掉尾を飾る1冊として、興味深く読むことが出来ました。
司馬遼太郎も述べているように、日本人は日露戦争で勝ったことで調子狂いになり、その後の道を誤ったという指摘は、正しいように思えます。この時まで日本人は先進欧米諸国を追いかける立場でしたが、大国ロシアに勝ったことで、自分自身は欧米列強に追いついたような感覚を持ってしまったのかもしれません。しかしながら、あとから歴史として振り返ったものなら誰でも判るように、日露戦争はとても勝利と手放しで喜ぶことの出来ない、まさに薄氷の勝利でした。陸戦は緒戦で相手の戦意の低さに助けられたものの、旅順では思い切り手痛い目に遭い、戦争終結時には、弾薬や糧食も尽きて、ほとんど戦闘に耐える状態ではなかったと聞きます。海軍も日本海海戦の大勝利ばかりよく知られていますが、その前のウラジオストックを拠点とする艦隊の通商破壊に散々翻弄され、黄海海戦では、肝心の旅順艦隊を取り逃がしています。その事が原因で陸からの旅順攻略が必要になり、乃木大将の第三軍が、日本人の血液を湯水のごとく旅順の地にばらまいてしまう事になるのです。日本海海戦も、幸いバルチック艦隊の砲術練度が低かったおかげか、集中砲火を浴びた連合艦隊旗艦三笠に座乗する司令長官東郷平八郎は怪我一つ無くすみましたが、もし一発でも東郷を含む艦隊幕僚達を襲っていたら、日本艦隊は混乱をきたしてあれほどの大勝利は得られなかったかも知れません。第一、日本経済自体が、戦時体制の前に破綻寸前になっており、もしロシアが大国の地力を発揮して後半年でも戦争を継続していたら、日本は満州から叩き出されていた事でしょう。そんな自分達の実力を、当時の指導者達が見事なまでに客観的に推し量り、その限界を見極めた上で、ありとあらゆる努力を払って戦争終結に導いたことを、我々は知ることが出来ます。つまり、少なくとも当時の指導者層は、調子狂いしてなかったわけです。ところが日本はその後思い切り道を誤ってしまいます。その昔、東宝映画「日本海大海戦」を見た頃の私は、これが疑問でした。これほど相手と自分達の力量を正確に把握し、勝利のために努力を惜しまなかった人達が、どうして昭和に入ってその経験を生かすことが出来なかったのか。結局は指導者層の情報秘匿のため、国民がいかに自分達が危うかったのかをまるで知らないままに時を過ごしてしまったことが、痛恨の昭和史の遠因の様ですが、ではどうして指導者達は、素直に自分達日本国の弱さを国民に説明し、理解を求めようとしなかったのか、そのあたりの事情が、この本を読むことで私には見えてきたように思えます。書き方がどうも小説っぽいと言うか、史実と想像がごっちゃになる所が多々あるようにも見受けられますが、勝利を祝う熱狂的な空気や、ポーツマスの賠償交渉でロシアから大したものを得られず、檄高する当時の国民の様子が肌で感じられます。また、私は朝日新聞始め当時の新聞社が国民に迎合し、その気分をあおりたてたのがそもそもの間違いだったのでは、と永らく思っておりましたが、確かにそう言う一面もある一方で、仕方ない部分も確かにあった、というのも理解できました。暗黒の昭和史を知り、国が戦争する、ということを理解するには、是非目を通してみたい本の一冊に挙げられると思います。
さて、こういう時は早々に布団をかぶって本でも読んでいるのが幸せと言うものですが、取りあえずまた1冊の本を読み終えました。「日露戦争 勝利のあとの誤算」黒岩比佐子 文春新書 です。新書にしてはちょっとぶ厚い目の本でしたが、日露戦役戦勝100周年の掉尾を飾る1冊として、興味深く読むことが出来ました。
司馬遼太郎も述べているように、日本人は日露戦争で勝ったことで調子狂いになり、その後の道を誤ったという指摘は、正しいように思えます。この時まで日本人は先進欧米諸国を追いかける立場でしたが、大国ロシアに勝ったことで、自分自身は欧米列強に追いついたような感覚を持ってしまったのかもしれません。しかしながら、あとから歴史として振り返ったものなら誰でも判るように、日露戦争はとても勝利と手放しで喜ぶことの出来ない、まさに薄氷の勝利でした。陸戦は緒戦で相手の戦意の低さに助けられたものの、旅順では思い切り手痛い目に遭い、戦争終結時には、弾薬や糧食も尽きて、ほとんど戦闘に耐える状態ではなかったと聞きます。海軍も日本海海戦の大勝利ばかりよく知られていますが、その前のウラジオストックを拠点とする艦隊の通商破壊に散々翻弄され、黄海海戦では、肝心の旅順艦隊を取り逃がしています。その事が原因で陸からの旅順攻略が必要になり、乃木大将の第三軍が、日本人の血液を湯水のごとく旅順の地にばらまいてしまう事になるのです。日本海海戦も、幸いバルチック艦隊の砲術練度が低かったおかげか、集中砲火を浴びた連合艦隊旗艦三笠に座乗する司令長官東郷平八郎は怪我一つ無くすみましたが、もし一発でも東郷を含む艦隊幕僚達を襲っていたら、日本艦隊は混乱をきたしてあれほどの大勝利は得られなかったかも知れません。第一、日本経済自体が、戦時体制の前に破綻寸前になっており、もしロシアが大国の地力を発揮して後半年でも戦争を継続していたら、日本は満州から叩き出されていた事でしょう。そんな自分達の実力を、当時の指導者達が見事なまでに客観的に推し量り、その限界を見極めた上で、ありとあらゆる努力を払って戦争終結に導いたことを、我々は知ることが出来ます。つまり、少なくとも当時の指導者層は、調子狂いしてなかったわけです。ところが日本はその後思い切り道を誤ってしまいます。その昔、東宝映画「日本海大海戦」を見た頃の私は、これが疑問でした。これほど相手と自分達の力量を正確に把握し、勝利のために努力を惜しまなかった人達が、どうして昭和に入ってその経験を生かすことが出来なかったのか。結局は指導者層の情報秘匿のため、国民がいかに自分達が危うかったのかをまるで知らないままに時を過ごしてしまったことが、痛恨の昭和史の遠因の様ですが、ではどうして指導者達は、素直に自分達日本国の弱さを国民に説明し、理解を求めようとしなかったのか、そのあたりの事情が、この本を読むことで私には見えてきたように思えます。書き方がどうも小説っぽいと言うか、史実と想像がごっちゃになる所が多々あるようにも見受けられますが、勝利を祝う熱狂的な空気や、ポーツマスの賠償交渉でロシアから大したものを得られず、檄高する当時の国民の様子が肌で感じられます。また、私は朝日新聞始め当時の新聞社が国民に迎合し、その気分をあおりたてたのがそもそもの間違いだったのでは、と永らく思っておりましたが、確かにそう言う一面もある一方で、仕方ない部分も確かにあった、というのも理解できました。暗黒の昭和史を知り、国が戦争する、ということを理解するには、是非目を通してみたい本の一冊に挙げられると思います。
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