「まあ、心の有無はまた今度話をしよう。今日来たのはその事を議論するためじゃなくて、何とかこれを生かし続ける方法はないか、教えてもらいたくて来たんだ」
鬼童は、その精神反応が時間と共に低下している事を北岡に説明した。
「これは、植物も精神活動している事を証明する貴重な資料なんだ。だが、死んでしまっては、これ以上の実験は不可能になる。だから何としても生かし続けたいんだ」
「成る程」
北岡はサンプル瓶をもう一度見つめると、うんと頷いて鬼童に言った。
「精神反応が落ちてるっちゅうのは、理解でけん事はない。何言うてもこいつ、じき枯れてしまいよるからな」
北岡の一言に、鬼童は仰天して言った。
「枯れるって何故なんだ? 養分が足りないのか?」
「違うわ鬼童」
北岡は互いの湯呑みに改めて熱い茶を注ぎ直して、鬼童に言った。
「植物は水と二酸化炭素さえあれば、自分で必要な栄養分を生み出す事が出来る。光合成でな。でも、こいつはその光合成を行なう葉緑素を全く持ってないんや。今までは種子内に貯えられとった養分で生き長らえとるが、そんなもん、じきにのうなる。でも、自分では光合成出来んから、結局栄養不足であえなく死亡、というわけや」
「だから何とか生かす方法はないのか、北岡!」
「ない事はない」
鬼童の焦りを落ち着かせようというのか、北岡はゆっくりとした口調で対策を述べた。
「一つは実生接木や。ヒロケレウス・グヮテマレンシス、和名は三角柱というサボテンに接木してやれば、ほぼ間違いなく助けられるやろう。もう一つは細胞の一部を取って組織培養する手ぇや。ただし、どちらも若干の問題がある」
ずっと音を立ててお茶を啜った北岡は、早く先を話せ、と視線で急かす鬼童をちらと見ながら、話を続けた。
「まず接木だが、これは技術的にも容易で、かなり高率の成功が期待できる。だが、台木に使う三角柱の性質として、生長が加速され、老いるのが早くなる。それに細い木だから、大きく育つような奴を接ぐと後々管理が大変や。それに、こいつは一つしか個体がないから、接いでも結局一つしか育てる事が出来ん。
もう一つの培養は、うまく行けば大量の個体を得る事が出来るが、必要な植物ホルモンが未解明やし培養条件もようわからん。つまり失敗する確率が高い。それに、培養中の突然変異にも注意が必要や」
メリットとデメリット、その両方が理解できたか? と北岡はひとしきり顎をなでて鬼童を見た。
「でも、それしかないならやるしかない。頼む、力を貸してくれ、北岡!」
「そうだな」
北岡は、それまでの悪戯っぽい表情を改め、珍しく真顔で鬼童の目を見た。
「ところでお前さん、何とかいう人形の精神エネルギーを測定して、研究室一つぶっこわしたそうやな」
「えっ? なぜ君が城西大学での事件を知っているんだ?」
すると北岡は、何度も読み込まれたのか、ややくたびれかけた新聞を一冊、黙って鬼童の手元に放り投げた。
「読んでみ。そこ」
鬼童は、北岡が指し示した記事に目を落とし、すぐにあっと息を飲んだ。その三面記事は、ごく小さなベタ記事で、東京で起こったある火災事故について報道していた。死亡一名、行方不明者一名。警察は、放火の疑いもあるとして、行方不明になっている人物の捜索に取り組んでいる、という。鬼童は、その行方不明者の欄に、しっかり自分の名前が記載されているのをたっぷり三秒は見つめていた。
「それ読んで心配になったから、松尾んとこに電話したんや。あいつ、今女子高で教師してんねんて? 南麻布女子学園言うたかな? ちょっと驚いたけど、あの風采や、さぞかし女子高生にもててるんやろなあ。うらやましいやっちゃ。ああ、そんな事よりも、や、松尾に聞いたら、何や案の定実験に失敗して火事になったらしい、って言うやないか。そしたら今度は当の本人から急に会いたいて電話や。こりゃてっきり夜逃げしてきおったな、って思たで」
口調は柔らかいが、北岡の目は笑っていない。鬼童は軽い悪寒を感じながら、北岡に言った。
「松尾は超心理物理学で青春の汗を流した同志だからな。あいつが下野してからも、実験の経過はその都度連絡を取っていたんだ。それより僕をどうする気だ。警察に突き出すのか?」
「初めはそれも考えた。面倒は後免やしな。ほんまにただの逃亡者なら、とっとと自首を勧める積もりやった。でも」
「でも?」
意味ありげに間を取った北岡は、すっかり冷めたお茶をぐいと飲み干し、真っすぐ鬼童を見据えて言った。
「研究者としてなら話は別や。ここは意欲と能力のある研究者を拒むドアは持っとらへん」
「じゃあ、協力してくれるんだな」
瞬く間に明るくなった鬼童の表情に、北岡はしょうがない、と苦笑いして言った。
「ああ。そやけど、うちであんな火事出したら即刻叩きだすで」
「恩に着る。北岡!」
感動のあまり抱きついてきかねない鬼童の喜びように、北岡も笑顔で答えた。
「じゃあ、早速接木の準備や。ミスッても文句言いなや」
「よろしく頼む」
北岡は、その姿からは思いもよらない機敏な動作で立ち上がると、鬼童の持ち込んだ植物を救うべく、準備を整え始めた。
鬼童は、その精神反応が時間と共に低下している事を北岡に説明した。
「これは、植物も精神活動している事を証明する貴重な資料なんだ。だが、死んでしまっては、これ以上の実験は不可能になる。だから何としても生かし続けたいんだ」
「成る程」
北岡はサンプル瓶をもう一度見つめると、うんと頷いて鬼童に言った。
「精神反応が落ちてるっちゅうのは、理解でけん事はない。何言うてもこいつ、じき枯れてしまいよるからな」
北岡の一言に、鬼童は仰天して言った。
「枯れるって何故なんだ? 養分が足りないのか?」
「違うわ鬼童」
北岡は互いの湯呑みに改めて熱い茶を注ぎ直して、鬼童に言った。
「植物は水と二酸化炭素さえあれば、自分で必要な栄養分を生み出す事が出来る。光合成でな。でも、こいつはその光合成を行なう葉緑素を全く持ってないんや。今までは種子内に貯えられとった養分で生き長らえとるが、そんなもん、じきにのうなる。でも、自分では光合成出来んから、結局栄養不足であえなく死亡、というわけや」
「だから何とか生かす方法はないのか、北岡!」
「ない事はない」
鬼童の焦りを落ち着かせようというのか、北岡はゆっくりとした口調で対策を述べた。
「一つは実生接木や。ヒロケレウス・グヮテマレンシス、和名は三角柱というサボテンに接木してやれば、ほぼ間違いなく助けられるやろう。もう一つは細胞の一部を取って組織培養する手ぇや。ただし、どちらも若干の問題がある」
ずっと音を立ててお茶を啜った北岡は、早く先を話せ、と視線で急かす鬼童をちらと見ながら、話を続けた。
「まず接木だが、これは技術的にも容易で、かなり高率の成功が期待できる。だが、台木に使う三角柱の性質として、生長が加速され、老いるのが早くなる。それに細い木だから、大きく育つような奴を接ぐと後々管理が大変や。それに、こいつは一つしか個体がないから、接いでも結局一つしか育てる事が出来ん。
もう一つの培養は、うまく行けば大量の個体を得る事が出来るが、必要な植物ホルモンが未解明やし培養条件もようわからん。つまり失敗する確率が高い。それに、培養中の突然変異にも注意が必要や」
メリットとデメリット、その両方が理解できたか? と北岡はひとしきり顎をなでて鬼童を見た。
「でも、それしかないならやるしかない。頼む、力を貸してくれ、北岡!」
「そうだな」
北岡は、それまでの悪戯っぽい表情を改め、珍しく真顔で鬼童の目を見た。
「ところでお前さん、何とかいう人形の精神エネルギーを測定して、研究室一つぶっこわしたそうやな」
「えっ? なぜ君が城西大学での事件を知っているんだ?」
すると北岡は、何度も読み込まれたのか、ややくたびれかけた新聞を一冊、黙って鬼童の手元に放り投げた。
「読んでみ。そこ」
鬼童は、北岡が指し示した記事に目を落とし、すぐにあっと息を飲んだ。その三面記事は、ごく小さなベタ記事で、東京で起こったある火災事故について報道していた。死亡一名、行方不明者一名。警察は、放火の疑いもあるとして、行方不明になっている人物の捜索に取り組んでいる、という。鬼童は、その行方不明者の欄に、しっかり自分の名前が記載されているのをたっぷり三秒は見つめていた。
「それ読んで心配になったから、松尾んとこに電話したんや。あいつ、今女子高で教師してんねんて? 南麻布女子学園言うたかな? ちょっと驚いたけど、あの風采や、さぞかし女子高生にもててるんやろなあ。うらやましいやっちゃ。ああ、そんな事よりも、や、松尾に聞いたら、何や案の定実験に失敗して火事になったらしい、って言うやないか。そしたら今度は当の本人から急に会いたいて電話や。こりゃてっきり夜逃げしてきおったな、って思たで」
口調は柔らかいが、北岡の目は笑っていない。鬼童は軽い悪寒を感じながら、北岡に言った。
「松尾は超心理物理学で青春の汗を流した同志だからな。あいつが下野してからも、実験の経過はその都度連絡を取っていたんだ。それより僕をどうする気だ。警察に突き出すのか?」
「初めはそれも考えた。面倒は後免やしな。ほんまにただの逃亡者なら、とっとと自首を勧める積もりやった。でも」
「でも?」
意味ありげに間を取った北岡は、すっかり冷めたお茶をぐいと飲み干し、真っすぐ鬼童を見据えて言った。
「研究者としてなら話は別や。ここは意欲と能力のある研究者を拒むドアは持っとらへん」
「じゃあ、協力してくれるんだな」
瞬く間に明るくなった鬼童の表情に、北岡はしょうがない、と苦笑いして言った。
「ああ。そやけど、うちであんな火事出したら即刻叩きだすで」
「恩に着る。北岡!」
感動のあまり抱きついてきかねない鬼童の喜びように、北岡も笑顔で答えた。
「じゃあ、早速接木の準備や。ミスッても文句言いなや」
「よろしく頼む」
北岡は、その姿からは思いもよらない機敏な動作で立ち上がると、鬼童の持ち込んだ植物を救うべく、準備を整え始めた。