かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

12.破壊神、降臨。その3

2008-03-30 12:25:54 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
「どぉりゃあぁっ!」
 気合一閃! 
 円光の一撃は、軟らかい豆腐を叩いた様な容易さで、根の三分の二程にいきなり入った。これなら切断は容易だ! と思わずほくそ笑んだ円光が、今度こそ切断しようと錫杖を引き抜いたその時だった。ぶしゅっと白い樹液が傷口からほとばしったのを合図に、途轍もない事態が始まったのである。
 まず突然膨張した凄まじい妖気に、思わず仰け反った円光を追い、樹液あふれる傷口から、あの白い鞭が十本余りも飛び出して円光の体に巻き付いた。あっと駆け寄ったアルファ、ベータ、榊も、円光から鞭を引き剥がそうと悪戦苦闘する間もなく、たちまち新たに現われた蔓に囚われて身動きが取れなくなった。
「ぐうっ!」
 凄まじい力で絞られて思わず呻いた榊は、いきなり先の夢の木本体にも劣らぬ勢いで空中高く持ち上げられた。円光、アルファ、ベータも、ほぼ同じ速さで榊の隣を上昇していく。辛うじて首を出して下を見た榊は、両脇に軒を連ねる綾小路通りの家々が白い根に押しつぶされて行くのを見た。一抱え程度の太さだったあの白い根が、高圧空気を強制的に吹き込まれた風船のようにその体積を飛躍的に増したのだ。そして、巨大化した根が軒先でつばぜり合いするように立っていた家々を、ブルドーザーのように押しつぶしていったのである。更に上昇を続ける榊の目は、遥か東の果てまで続く白い道を捉えた。その両脇に押し潰された家屋が大雑把に積み上げた土嚢のようにうず高い壁を作りつつある。
「なんてこった・・・」
 少しづつ京都市の全貌が目に入った榊は、その絶望的な光景に、ただ呆然と見つめる以外に為す術を知らなかった。
(あれは、ひょっとして平安京?)
 榊の遥か下で、白い巨大な碁盤目が、京都の街を覆い尽くしつつあった。既に京都の人工光源はほとんどその光を失いつつあったが、かわりに時を得て力を増した夢の木の放つ燐光が、京都の惨状を見せ付けるかのようにあたりを照らし上げた。それはまさに、極め付けの悪夢が宿る、夢の王都に違いなかった。
 はるか東で、新幹線を降り立った榊や円光の目を見張らせたあの新京都駅ビルが崩れつつあった。ビルの壁面を覆う壮麗なガラスの壁から触手のごとき白い蔓が何本も突き出して揺らめき、高さ60メートル、総工費1500億円の一大建築を締め上げながら砕いていく。その北側、駅ビルに寄り添うように立つ京都一高い「お東さんの蝋燭」、京都タワーが、足元を破壊され、ゆっくりと駅ビルに倒れかかっていく。東西に伸びる新幹線の高架も、各所で寸断されてもはや鉄路と呼び得る状態ではない。更に北では、榊が浦辺とそぞろ歩き、その繁栄ぶりに目を見張った、四条、新京極といった繁華街が瓦礫の山と化していくのが見えた。京都高島屋、阪急デパート、大丸百貨店といった大型店舗が砂のお城のように崩れていき、その周辺の大小さまざまなビジネスビルも、後を追うように姿を消していく。その先では、建物の高さ、格式の高さ、そして値段の高さで京都一を誇ったその名も京都ホテルが、60メートルの巨体を、ピサの斜塔の様にゆっくりと傾むけ始めた。恐らくこのまま倒れるのを免れたとしても、二度と宿泊する事はかなわないであろう。
 これら建物群は京都でも目立つ高層建築であり、榊にも容易に判別できたのだが、榊の目から見えないところでも、京都の死命を制しかねない大破壊が、地下を中心に進行していた。京福電鉄、京都市営地下鉄、阪急電鉄京都線、JR東海道線と山陰本線、近畿日本鉄道京都線といった公共交通機関が軒並み各所で寸断され、電気、水道、下水道、ガス、電話のライフラインも著しく機能を損ない、完全停止するのも時間の問題と思われた。
 無論破壊されたのは現代の財産だけではない。1602年、徳川時代の到来を象徴すべく建築された二条城が、ちょうど中央を東西南北から交差する白い根によって分断され、四つに割れて周囲の堀を埋めながら崩壊していった。北東に目を転じれば、主無き今も御所の名で呼ばれ、宮内庁が管理し皇宮警察が警備に付く京都御所が、その土地の四分の三を抉り取られるようにして白い根に蹂躙されていく。京都駅西側の梅小路蒸気機関車館で、今も完全稼働する戦前の古強者が、金属的な悲鳴を上げながらスクラップへと身をやつし、三条通りの京都文化博物館所蔵の貴重な歴史の遺産達が、コンクリート塊と一緒くたにされて埋もれていく。その中で、今や建築物高さ京都一を取り戻した東寺の五重の塔だけが、不気味なほどすっくとそびえ立っていた。京都の玄関口、東寺は、江戸時代再建された建物ではあったが、平安京開闢以来変わらぬ位置で建ち続け、土地を占有していたがために、かつての大路小路を再現しつつあった白い根の暴虐を免れたのである。だが、一人東寺が生き残ったとしても、1200年日本有数の大都市であり続けた一つの町が、急速にその寿命を終えようとしてるのは間違いないようであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

13.鬼童の実験 その1

2008-03-30 12:25:27 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
午前三時。平安大学の北岡研究室と表札のかかる一室で、鬼童は気乗りしない様子がありありと顔に出ている北岡を助手にして、まくり上げた左腕の肘のやや上のところに、ゴムチューブを巻き付けていた。
「ほんまにやんのか? 鬼童」
 もう何度目か数える気にもならない質問が、また鬼童に注がれた。
「ああ。馬鹿げていると思うかも知れないが、やってみる価値は絶対にある」
 鬼童が確信を持ってこれも質問と同じ回数の回答を返すと、これまた同じ回数のため息と共に、少しずつ実験の準備が整えられていく。 
「これでええ。後は採るだけやで」
 チューブを巻き終えた北岡は、医学部の知り合いから分けて貰った滅菌済みの採血用注射器と、真空採血管を鬼童に手渡した。
「お前さんの強情さにはほんま呆れるわ。こんなあほな事思いつくとこも、昔からちっとも変わらん」
「それに付き合ってくれる君もな」
 ひとしきり笑顔で向き合うと、鬼童は早速実験材料の調達にかかった。左肘の内側を軽く二、三度叩き、浮き上がった静脈の位置を確かめる。次いで70%エタノールをしみこませた脱脂綿で膨らみ周辺を拭いて殺菌すると、北岡から受け取った注射器の針カバーを取り除き、その左腕の盛り上がりに針を当てがった。
「お前さん、自分で採血した経験あるのか?」
 鬼童のぎこちなさに不安を覚えた北岡が問うと、当然無い、と鬼童は答えた。
「だが、健康診断の度にちゃんと見ているよ」
 見ただけでちゃんと出来るもんやないで、と北岡が愚痴るのを後目に、鬼童は針を皮膚に突き刺した。ぴりっとした痛みが肘に走るが、実験のためにはこれくらい何と言う事もない。鬼童は、充分針が侵入した事を確かめると、真空採血管を注射器のシリンダーに差し込んだ。途端にやや黒みがかった静脈血が、採血管内へ吹き出すように溜まっていく。見よう見まねのくせに一発で静脈を探り当てた鬼童に、やっぱりこいつは天才か、と北岡が感心するのも束の間、採血を終えた鬼童は、片手で器用に採血管を抜き取ると、傍らの試験管立てに入れた。
「これでよし」
 注射針を抜いて絆創膏を貼り付けた鬼童は、その試験管立てを実験台に移した。そこには既に、培養カルスの入ったフラスコが、鬼童の血液を待っていた。鬼童は少量の液体を正確に計測、採取できるピペッターと言う器具を使い、自分の血液を採血管から吸い出した。そして、フラスコの口を閉じているアルミ箔のふたを取った。その傍らで、あほな事を、と言う目をしながらもじっと見守る北岡が居る。今更言う事もない北岡ではあるが、この部屋で行われる実験である以上、それを見届ける責任がある、と夜遅くまで付き合っているのである。
「では、入れるぞ」
 鬼童は慎重にピペッターの先をフラスコに入れると、カルスの真上で血液を押し出すためのボタンにかかった右手親指に、力を入れた。
 鬼童がこの実験を思いついたのは、既に昨日になった朝、例の白いサボテンが朝日に焼失した直後の事であった。白いサボテンの発芽は、多分美衆恭子の血液が関与しているに違いない・・・。実際、鬼童がその幼苗を発見したのは飛び散った恭子の動脈血がかかった砂金の部分でだけだった。あとは、堅い種子のままだったのだ。それにもし北岡の言う通りこのサボテンはアルビノで自ら栄養分を生み出す事が出来ず、そのままでは早晩枯れてしまうしかない、と言う事なら、発芽したのも鬼童が発見する直後だったと考えられる。そのきっかけは何かと考えれば、やはり恭子の血の事に思いをはせるのが妥当だろう。つまりこのサボテンは、人間の血液にその生育を依存していると考えられる訳である。従って今培養中の細胞塊に血液を与えてみれば、ひょっとして何か変化が現れるかも知れない。あの精神エネルギーが観測できるかも知れないのだ。こうして鬼童は手早く計画をまとめると、北岡に協力を願った。北岡は、一言の元にその計画の馬鹿馬鹿しさをあげつらったが、鬼童の熱心な「頼む」を何度も聞き、結局協力する事になったのである。
 こうしてついに鬼童がその一滴目で白いカルスを赤く染めようとしたその時だった。
「あっ! しまった!」
 突然、足元のコンクリートに巨大なハンマーが撃ちつけられたような衝撃が走り、床を大波のように揺れ動かした。戸棚のガラス器具が激しくぶつかり合い、何枚かの窓ガラスが、振動に耐えかねて派手な悲鳴を上げて割れ砕けた。電線を絶たれたのか、室内の電灯が一斉に明滅して消え、夜明け前の闇が、破壊された窓からたちまち室内に充満した。
 だが、鬼童が驚き嘆いたのは、あくまで実験をやり損ねたためであった。一滴ずつ様子を見ながら落とすつもりだった血液を、地震の拍子にいきなり全部カルスの上にぶちまけてしまったのである。鬼童の血で真っ赤に染まったカルスと寒天培地。しかしそれは、落胆する鬼童の前で思いも寄らぬ変化を起こした。カルスを没するほどに溜まった赤い液体が、まるで乾いたスポンジに遭遇したように急速に消えていったのである。
「!」
その瞬間、リストバンドで固定していた簡易精神エネルギー測定装置がこうるさい警報音を鳴らして鬼童の心臓を蹴り上げた。がちゃん! とガラス容器が乱暴な扱いに抗議の悲鳴を上げるのを無視して、鬼童は測定装置の表示に目をやり、再度心臓が高鳴るのを覚えた。
(凄い! 凄いエネルギー量だ! あの夢見人形に匹敵するぞ!)
 やはりそうだったのだ、と鬼童は自分の読みの正しさを知った。白いサボテンは明らかに血を欲している。それも人間の血を。それが与えられた時、ただの植物ではないその本来の力を発揮して、奇跡を起こすのだろう。鬼童の血液を吸収して三倍ほどに膨れ上がった白いカルスを見て、鬼童は更に血液を注入する事を決意した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

13.鬼童の実験 その2

2008-03-30 12:25:14 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
「北岡、見てくれ! やっぱり思った通りだ。この植物は、人間の血を欲しがっているんだ!」
「何あほな事言うてんねん! 早よ逃げなあかん!」
 北岡は地震で転倒し、したたかに打った腰を押さえながら鬼童に言った。今は生き残っていた非常用電源が作動し、室内の明かりが辛うじて再点灯したが、続く余震でどうなるか判ったものではない。真っ暗になったら逃げるに逃げられんぞ! とせき立てる北岡に、鬼童はきょとん、として窓を指した。
「なに、すぐに夜が明けるさ。あんなに外が白んできてるじゃないか」
 それは、夜明け前の光にしては嫌に青みがかった妙な色をしていたが、実験に熱中する鬼童と地震に動転している北岡には、その理由を詮索する余裕はなかった。それよりも、さあ実験の続きだ、と主張する鬼童を、北岡は強引に連れ出した。
「この状態では実験も何もできん! これ以上四の五のぬかすんやったら、ここから出ていってもらうで!」
 これにはさすがに鬼童も降参するしかなかった。ここで実験を続けられるのはひとえに北岡の好意あっての事だ。渋々避難を承知した鬼童は、それでもカルス入りフラスコや実験台に散乱している雑多な品々をかごに詰めると、せかす北岡の後に続いた。そして、外に出た二人は、異様に青白い光の正体を天高く見上げる事になった。
「何やねん、あれ?」
 それは、ほんのすぐ近くに聳え立つ巨大な白い柱であった。それが不規則に波打ちながら、どんどん天高くその先を伸ばしている。その周囲にも、ずっと細い蔓のようなものが遅れて何十本も立ち上がり、イソギンチャクの触手のように揺らめきながら、あるいは柱にまとわりつき、あるいは外に開いて周囲の建物に絡みついているようだ。その中に鬼童は、何か他と違うものがある事に気が付いた。ふと手元を見ると、実験室から逃げ出した時抱えてきた雑物の中に、折り畳み式のオペラグラスが混じっている。鬼童は取りあえず荷物を下に降ろすと、その簡易双眼鏡を取り出し、今気づいたところに焦点を合わせた。
「あれは! 確か円光さんと榊警部! それにあの大きな犬と猫は、アルファとベータと言ったっけ? 何であんなところに?」
 もしや、と鬼童は胸をときめかせて、もう一人、忘れようにも忘れられない人物がいるのではないか、とその周辺を見回した。碧の黒髪、漆黒の瞳。一見幼げにも見える美貌の少女。期待で胸を躍らせる鬼童の耳に、その名を叫ぶ円光の声がかすかに届いた。
「麗夢殿ぉっ!」
 やはり!
 鬼童は自分の想像が間違っていなかった事に小躍りした。
「行ってみよう!」
「何やて?」
「あそこに行って見るんだよ、北岡!」
 オペラグラスをしまい、荷物を抱えて今にも駆け出そうとした鬼童の肘を、北岡はがっちり捉えた。
「待てって! この非常事態に何抜かしてんねん!」
 その太い腕を振りほどき、鬼童が駆け出そうとしたその時だった。突然平安大学のキャンパスに地割れが走った。あっという間もなく地割れに引き裂かれた二人は、その地割れから、巨大な白い壁が持ち上がったのを見た。倒れた拍子にぶちまけてしまった鬼童の荷物が、その白い壁の上に引っかかったまま持ち上げられていく。鬼童は思わぬアクシデントに血の気が引く音を聞いた様な気がした。たまらず放り出した時、地割れの轟音に重なってガラスの砕ける小さな音がわずかに鼓膜を震わせた様に思えたのだ。実際、鬼童が実験途中だったカルス入りのフラスコは、衝撃に耐えかねて砕け散っていた。だが、鬼童はその残骸の代わりに、失望を一瞬で驚異に塗り替える異常な情景を見た。鬼童の血液によって能力の一端を引き出されたカルスは、白い木の根に取り憑くと、その栄養を奪って大きな変貌を遂げつつあったのである。
 一秒ごとに細胞数が倍々ゲームで急激に増殖し、わずか、直径3センチ程度にすぎなかったその柔組織が、10秒で千倍、20秒で百万倍へと、瞬く間に増殖していった。と同時に、鬼童の簡易精神エネルギー測定器が甲高い悲鳴のような狂乱の警報をわめき立てた。
 恐る恐る計測値を見た鬼童は、表示された桁違いの数字に文字通り仰天した。
(何て数値だ! と、智盛を軽く凌駕しているぞ!)
 不意を突いたとはいえ、実戦訓練中の自衛隊をあっさり蹴散らし、富士山噴火の天変地異を起こしかけた智盛の怨霊。その力の凄まじさをこの間目のあたりにしたばかりなのに、今またそれを超越した力の発現を目にしようとしている。そしてそれがついに姿を現した時、真理を掴んだ科学者の興奮が、人間としての恐怖と戦慄に席を譲った。
「これはいかん!」
 加速度的に大きくなったカルスは、一分を経過した時点で、ついに爆発的な生長段階に入った。夢の木の細胞塊は、そのガン細胞のような不定型を維持したまま、極大期に入った夢の木の白い柱を追うようにして立ち上がり、上へ上へと奇怪なオブジェを積み上げ始めたのである。
「だ、大丈夫か、鬼童!」
 呆然と見上げる鬼童に、白い壁の向こうから北岡の声が届いた。はっと我に返った鬼童は、北岡が居ると思しき辺りを見やって、こっちは無事だと答えた。
「それよりも君は大丈夫か? 無事だったら早く避難してくれ! とんでもない事が起きようとしているんだ!」
「そないな事、言われんでも判るわ! 鬼童こそ早よ逃げ! 東にうちのグランドがある。そこがこういう時の避難場所や!」
「いや、僕は行かねばならないところがある」
 ま、待て鬼童! と叫ぶ北岡の声を振り切って、鬼童は白い木が立ち上がった方角に、全速力で走りだした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

14.鬼童の木

2008-03-30 12:24:37 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 夢の木は、京都市街を壊滅状態に陥れたところでようやく小休止を迎えた。体積の増幅という悪魔的な生長が済み、不気味な静寂が辺りを包む。榊達もようやく止まった。といって、榊は安堵する気に到底なれなかった。およそ百メートルは上がっただろうか? 下界の惨状は遠く東の果てまで広がり、白い根が織りなした旧平安京街路が白くぼんやり見えるばかりである。上はと言うと夢の木の先端は榊よりまだ50メートル以上上空にあり、麗夢の安否はおろか、一体そこで何が生じているのか、窺い知る術もない。それに、今白い蔓の気が変わって榊を振りほどいたとすれば、もはや榊に助かる術はない。いや、円光や、力を使い果したのか、今はすっかり元の子猫と子犬に戻ったアルファ、ベータでも無事には済まないだろう。何の道具もなしに百メートルの高さから自由落下して命永らえる事など、ほとんどの動物にとっては不可能に違いなかった。
「円光さん、大丈夫か?」
 榊は、右隣、やや下辺りに釣り下げられた円光に言った。ついさっき、再び麗夢の名を叫んだ円光は、顔を上げてそれに答えた。
「拙僧は大事ありません。榊殿こそご無事か?」
「ああ、私は何とかね。アルファ、ベータ! 君達は大丈夫か?」
「にゃぁん」
「わんわんっ!」
 以外と元気そうな返事に安堵した榊は、何とか身をねじって円光の方に向き直ると、愚痴とも後悔とも付かぬしんみりした口調で円光に言った。
「しかし、大変な事になってしまったな」
「面目ない! 拙僧が短慮にも馬鹿な事をしたために」
「円光さんが気に止む事はない。遅かれ早かれ、綾小路高雅はこうする積もりだったんだ。それよりも、これからどうするか、だよ」
「これから?」
「そう。これからだ」
 榊はまだ諦めていない。圧倒的不利の態勢のまま膠着状態に入ったが、とにかく何か行動を起こさねばならない。その第一歩を、榊は円光に提案した。
「円光さん、智盛の時に、麗夢さんとテレパシーで会話した事があっただろう? あれで今麗夢さんを呼び出せないか?」
「テレパシー? ああ、拙僧の念を麗夢殿に通じさせたあれですか。判りました。試みてみましょう」
 円光は黙りこくると、精神を集中して念を練り始めた。何となく円光を取り巻く空間が揺らいだように見えたのは、念の集中によってエネルギーレベルの高まった円光のオーラのためだろう。真剣そのものの円光の表情に、榊は大きな期待を持ってその成果を待った。しかし、およそ一分ほども念を凝らし続けていただろうか。額に大粒の脂汗を浮かべた円光は、多大な力を必要とする念を解き、面目ないと榊に告げた。
「何か強力な結界が張り巡らされていて、麗夢殿の位置すら確かには判りません」
「そうか。アルファ、ベータ、君たちならどうだ? 何とか麗夢さんの位置だけでも判らないか?」
「みーぃ」
「きゅーん」
 二匹とも既に何度も試みていたのか、すぐ情けない表情で目を伏せた。これにはさすがに榊も困った。テレパシーはともかく、麗夢の居場所すら判らないでは何とも手の出しようがない。何とか円光が阻まれたという結界だけでも破る事ができないものだろうか。色々考えた挙げ句、榊は、懐に呑む「大砲」の事を思い出した。
「円光さん、例えば麗夢さんの拳銃で木を撃ったら、その結界とやらを無力化できないだろうか?」
「確かに麗夢殿の武器なら何とかなりそうにも思えますが・・・」
 円光が同意を保留したのも当然であった。麗夢の居所が判らない以上、下手に撃てば麗夢にも当たってしまうかもしれない。とにかくきっかけが、何かきっかけがあれば・・・。じりじりと身を焦がすような時間が過ぎていく中、円光は上空で新たな動きが始まった事を察知した。
「榊殿、物凄い妖気だ! 花が、花が開く!」
 はるかな上空で白い花弁が徐々に開き、巨大な花が咲こうとしているのが見える。同時に、天井に轟く雷鳴のような老婆の声が、辺りの空気を震撼させて時の到れる事を宣言した。
『おお、夢の花よ、力強く花開け! そしてこの末法の世を救う夢の御子を生ましめるのだ!』
 ついに、かつて失敗に帰した儀式を今度こそ成功させるために、平安時代の夢守の姫君、れいむの生まれ変わりが今生贄に供されるのだ。榊は居ても立ってもいられなくなった。こうなったら一か八か、あの花を狙って撃つしかない! 榊が非常の決心をして銃を取り出したその時だった。榊の右隣至近で、突然もう一本の光の柱が立ち上がったのである。
「なんだぁ、こぉれはぁ?」
 妙に間延びした高雅の声が鳴り響いた。白い、自分とよく似た固まりが、急速に膨れ上がっている。だが、夢の木が美しく十三陵の襞を備え、その外見は至ってなめらかで一種軟体動物の皮膚感を思わせるものがあるのに対し、新たに出現したそれは、まるで幼児が気の向くままに粘土を盛り付けたといった風な不定型のいびつな固まりであり、それが、大量の洗剤に沸き立つ泡のように膨れ上がってくるのである。その生長スピードは、夢の木自身から見ても驚異的な勢いだった。瞬く間に木と同等の高さまで膨れ上ってもまだその生長を止めようとしない。その存在に危険を察知したのであろう。夢の木は突然低い鳴動を辺りに鳴り響かせると、新たに生じた白い固まりに攻撃を開始した。榊や円光を捕らえるそれの数倍巨大な蔓が数本、幹の中程から発生し、猛烈な勢いで白い固まりに撃ちかかったのである。
『800年! 待ちに待ったこの時を、誰にも、何物にも邪魔だてはさせぬ!』
 その沸騰した怒りが、一瞬万全を期したはずの多重結界の緊密な鎖に緩みを生じさせた。同時に、アルファ、ベータ、円光が、ひたすら渇望していたその精神波動を捉え、歓喜の雄叫びを上げた。
「麗夢殿!」
「どこだ! 円光さん!」
 思いもよらぬ事態に、榊は今こそ待ち望んだチャンスが訪れた事を知った。
「あそこです! あの花の下の膨らんだところに、麗夢殿が!」
 はっしと上を睨んだ榊の目に、開きかけた花弁の下で、一際明るく光る膨らみが見えた。心なしか、人形が透けて見えるようだ。その、植物でいえば子房という種子が育まれるところに麗夢を確認した榊は、ここが先途と全神経を集中させて狙いを定め、ついに引き金を引いた。わずかに遅れて、円光の練り上げられた気迫の活が麗夢に飛んだ。
(麗夢殿! 起きなさい!)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

15.麗夢復活! その1

2008-03-30 12:24:10 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 麗夢は、たゆたう微温湯に浸りつつ、心満たされる至福の時を送っていた。淡いパステル調の色彩が入り交じった、朧に霞む世界が広がり、麗夢を包み込んでやさしく抱き抱えてくれているようだ。これは夢だろうか。でも自分は暗黒の映像以外に見る夢はない。では現実なのか。そういうにはあまりに実体がなさ過ぎる。だが、今の麗夢にはそんなことはもはやどうでもよかった。気持ちがいい。全てが満たされる幸せな気持ち。それこそが大事であり、それを疑ったり、不思議と思う必要はない。麗夢は、思考する事の一切を放棄し、ただひたすらその幸福を享受する事に努めた。
 無音。静寂。余分な刺激が一切遮断された世界。だがそれは、耳が痛くなるような不安を呼ぶ質のものではない。そんな世界にも、時折働き掛けてくる何かがある。
『それでいい。何の心配もいらない。ただゆっくりとそうしていればいい』
 何となく声として聞こえてくるような気がする。いや、実際には耳には何の刺激も伝わっていない。でも、そう呼び掛けてくる気持ちが伝わってくる。そのたびに麗夢は軽く肩を揺すり、ほほ笑みを口元に浮かべて、こくりと首肯く。胎児のように背中を丸め、手足を抱え込んでゆらめきながら浮かぶ。そう。麗夢は今、確かに子宮といえる場所にいた。夢の木の花の子房という、植物の子宮に。ここで自らを受精卵と化し、もうすぐやってくる雄の花の花粉、すなわちはるけき古より運命づけられていた配偶者の精を受ける。この選ばれし二人の因子が合わさった時、夢守一族の悲願、夢の御子が誕生する。末法の世に君臨し、あらゆる悪を憎み撃ち払う究極の絶対善。夢の転輪聖王が現れるのだ。夢の姫君、麗夢はそのために生まれ、育まれてきた。800年前、失敗に帰した夢の御子生誕の儀式を、姫の生まれ変わりとして麗夢が執り行う。その事に疑問も不安もない。ただこの暖かく、心地よい子宮において、その成就の時を待ち続ければいいのだ。
 今、薄い皮膜の外側の、地上百メートルに達する高さで、榊等が麗夢を救出するために必死に戦っている。だが頑丈な外皮と中を満たす羊水、そして何物の侵入も許さない強力な結界が、夢の姫君を守護し、同時に一切の活動を封じる無形の枷となって、麗夢の心と肉体を緊縛していた。例え外の世界が透けて見えていたとしても、麗夢は何の感情も催さなかったに違いない。麗夢にとっては、自分を包み込むこの小さな空間だけが全てであり、そんな外の世界はもはやどうでもよい事なのだ。
 しかし、その幸せもついに壊れる時がきた。乳白色の、何もかもがやさしいこの世界に似付かわしくない凶悪な雑音が、全てに満ち足りていた麗夢の神経をかき回したのである。
 (なになになになになになになになになになに?!)
 聞き慣れていたはずの自分の愛用拳銃の炸裂音が、今の麗夢には判らない。
 混乱、戸惑い、不安、恐怖、怒り。それら強い負の感情が次々とバーストし、そのたびに安逸な楽園が破れ、汚されていく。それが失われる事への強い喪失感と強烈な渇望とが重なりあい、麗夢は無意識にその痕跡だけでも我が手に残そうと丸まっていた体を伸ばし、無闇矢鱈と手を振り回した。そこへ、叩きつけるように飛び込んできた想念が、麗夢の頭をその底から蹴り飛ばした。
(起きなさい! 麗夢殿!)
(れむ? 私はれいむ。夢守の御子を生むために生まれてきた夢守)
 混乱する頭で、今自分を不調法にも叱り付けた声に、麗夢は必死で反論する。だが、その恐ろしい声は決して許してはくれなかった。
(何をおっしゃる! あなたは綾小路麗夢! ドリームハンターの麗夢殿だ!)
(ドリームハンター・・・)
『惑わされるでない、れいむ!』
 鬼童のカルスと戦い、すっかり気を取られていた高雅、いや、高雅に巣食った平安京の亡霊が、ようやく円光の所業に気が付いた。
『お前は我らが悲願、夢の御子を生むためにこの世に生を受けたのだ! さあ、花を開け! 雄の精を受けるのじゃ!』
 嗄れ声が、割れ鐘を乱打するように鳴り響く。麗夢はその声に鞭打たれたかのように身を震わせると、いったん覚めかけた意識をまた封印し、至福の眠りに落ちようとした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

15.麗夢復活! その2

2008-03-30 12:24:01 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
(私は、れいむ・・・)
(違う! あなたは御子を産むための道具ではない! 麗夢殿、目をさますのだ!)
 円光の必死の念が、眠りかけた麗夢を再び叩いた。
(私は麗夢・・・)
『おのれ、しっかりせぬか! はるかな時を超えた夢守のしきたりを忘れて何とする! その伝統を守る事こそがお前の役目なのだぞ!』
 必死で呼び掛けるのは老婆も同じであった。が、自分の放った一言が、もう一人の相手にどう聞こえていたかまでは、さしもの夢守の怨霊も気付かなかった。
 それまで夏の入道雲のように、ただ無定形な拡大を続けるだけで、夢の木の攻撃にも何の反応も示さなかった細胞の固まりが、突如強烈な意志によって統一された整然たる行動に出た。まず、単なる一つの固まりにすぎなかったカルスから、初めて枝分かれがふたつ生じた。それは、あくまで本体と同じような雲状態の不定形さを見せながらも、次第にあるものを思わせるオブジェに生長した。オブジェはその先端をさらに五つに分離させ、より完全な形を整えて、夢の木の方にぐいと突き出した。同時に、最頂部の辺りにも変化が現われた。冷えた溶岩のように奇怪な凹凸を無数に刻んだその表面に妙になめらかな部分が現われ、始めは円形に、やがて卵形にと急速にその面積を広げだした。なめらかな表面は次第に立体的な造形を見せ始め、ついにある女性の顔へと変貌を遂げた。そしてそれは、円光、榊、そして今にも木の下に駆けつけつつあった鬼童を、心底から驚かせたのである。
「き、恭子、さん・・・!」
 下膨れの瓜ざね顔、やや細い目と小さく官能的な唇は、確かに夢隠村の鍾乳洞で草薙の剣に斬首された、美衆恭子の首そのものだった。カルス上に現われた美衆恭子は、うなるような抑揚のない音を発しながら、生前そのままの肉付き豊かな艶めかしい腕を振り上げ、夢の木に掴みかかった。
「し、き、た、り・・・、でん、と、う・・・、や・・・く、め・・・」
 一言告げるたびに、恭子の柳眉が吊り上がった。視線はあらぬ方を虚ろに漂わせるだけであったが、その五本の指は急速に伸びてしっかりと夢の木に食い込み、破れた樹皮から白い樹液を噴出させた。
「しき、たり・・・でんと・・・、う、やくめ・・・。しきたり!」
 何度かあやふやなうなり声を紬ぎ続けていた恭子は、突然はっきりと人間の言葉を雷鳴のように轟かせ、目に憎悪の炎を点灯して、視線を夢の木に合焦した。
「しきたり! しきたり! しきたり!」
 鬼童は、死の直前に恭子が吐露した心中の不満を思い出した。閉鎖的な村にはびこる古くからのしきたり、伝統、そして、それをただ頑迷に守るだけの役目を負った美衆家の歴史。それら全てを憎悪し、否定し、破壊する事をどれだけ恭子が望んでいたか。鬼童が育んだ夢の木のカルス。これはその発芽の時、恭子の血液だけでなく、恭子の残存思念、伝統やしきたりに対する破壊衝動まで受け継いでいたのだ。そんな恭子の苛烈な攻撃に、白い木も反撃に出た。樹体から更に数十本の蔓が伸び、恭子のカルスを締め付けるとともに、巨大な刺と化した数本が恭子の手の平を貫き、指を引きちぎった。だが、無限に増殖を続けるカルスは破壊された箇所を迅速に新しい細胞で埋め尽くし、手も指も次々に生え変わっては白い木の肌を締めつけた。夢の木の注意はすっかり目の前の敵に集中し、麗夢を呪縛する力が明らかに弱まった。
「麗夢殿、目を覚ますのだ! 貴女の使命を思い出すんだ!」
 これまでよりも一段とはっきりした思念の束が、麗夢の心に突き刺さった。円光の、アルファ、ベータの、そして榊の、それぞれの思いが麗夢を包み込み、ついに夢の木の呪縛を上回った。瞬間、麗夢の心の中で、何かがふつと切れた。
 カッ!
 あらゆる闇を切断する強烈な光が爆発した。直視していれば間違いなく視神経を焼き切ったであろう光の束が、夢の木の花を内側から吹き飛ばした。光は奔騰して辺りを純然たる白に染め、やがて一人の屈強の戦士を生み出した。碧の黒髪で艶やかに光を弾き返し、自らも生命の息吹を光と化して発するかのようなま白き肌を浮かび上がらせて、その戦士が飛び上がる。腰と胸にわずかな着衣を留める刺激的な無防備さを顕にしながら、何物にも犯しがたい鉄壁の強さを誇る最強の戦闘衣裳。もみじのような手に握るのは、あらゆる魔を一刀の元に両断する破邪の剣。額に輝く夢の秘石が無限の力を解放し、カモシカの足が天空を駈けた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

15.麗夢復活! その3

2008-03-30 12:23:53 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
「アルファ! ベータ!」
 破邪の剣が一閃し、二人と二頭の戒めを瞬断した。たちまち力を取り戻した夢の魔獣が、落ちていく榊と円光をがっちりとくわえ、一気に百メートルを駆け降りる。
 二人と二匹は、ようやくたどり着いた鬼童の面前に降り立った。めざとくその姿を認めた榊が、驚きの声を上げた。
「君は確か」
「ええ、お久しぶりです。榊警部」
 二人の交歓に、円光も気が付いた。
「鬼童殿! 何故このようなところに?」
「何、皆さんがいるのが見えたから、走ってきたんですよ。おっ、麗夢さんが降りて来るぞ」
 鬼童の言葉とほぼ同時に、すっくと戦いの女神が舞い降りた。夢の戦士、ドリームハンター麗夢の艶姿である。
「麗夢殿! やっと、やっと目が覚めたのですね!」
「ええ。心配かけて御免なさい。でももう大丈夫! さあ、この混乱の幕を引きましょう!」
 円光達に軽くウインクを返すと、麗夢は巨大な夢の木に向き直った。
「迷える夢守の魂よ、さあ、出ておいで!」
 麗夢の呼び掛けが、戦いに没頭していた夢の木に変化を生じさせた。木の根元、ちょうど麗夢と相対するところがぐっと盛り上がり、ま白い人形を形づくる。半分木に埋め込まれたかのようなその姿は、次第に細かく深い造形を刻んだ。その姿は、まず平安装束の高雅そのものになった。だが、麗夢が夢の木に支配されたように、高雅もまた、木に憑依した平安末期の亡霊に取り込まれてしまったのだろう。麗夢が見つめる前で、高雅の容貌がぐにゃりとゆがんだ。背丈が縮み、顔に長く深いしわが次々と刻み込まれた。すっかり老婆の顔へと変貌したその姿は、怒りの表情も露わに麗夢に話しかけた。
『何をしている、れいむ! 早く木に戻れ! そして、夢の御子誕生の儀式を執り行うのじゃ!』
「私は夢御前じゃない! 綾小路麗夢! ドリームハンターの麗夢よ!」
『何を申すか。れいむ、我らははるけき古えからこの世界に君臨し、夢の世界を束ねてきた。例えあれから800年が過ぎようとも、我らがこの世界の主人たる事に変わりはない! さあ、今一度木と結ばれ、その花を開かしめよ。さすれば今度こそ我らが悲願、世を救う究極の夢守、夢の御子を産む事がかなうのじゃ!』
「夢の御子なんていらない!」
 麗夢は決然として言い放った。
「私は私が好きな人達の夢を護るために、これからも全力で戦い続ける! 街一つをこんなにしないと出来ない夢の御子なんか必要ないわ! 悪い夢を見るのもいい加減になさい!」
 麗夢の剣幕に老婆も見る見る青筋を立てた。
『我らの悲願を悪い夢だと?! れいむ、貴様・・・、貴様と言う奴は・・・。栄えある我ら夢守の心と魂を失ったか!』
「夢守の心と魂を失ったのは貴女の方よ! もはや貴女は夢守でも何でもない! 死夢羅博士と同じ、夢魔の一人だわ!」
 麗夢が言い切った瞬間、夢の木の老婆の顔が、突発的に高まった内圧に中央から隆起した。内側に充満した怒りの溶岩が急速に膨れ上がり、ついにその圧力に耐えかねた顔は、噴火した火山のような罵声とともに、縦横に裂けた。
『こ、この夢守の大老を捕まえて夢魔だと!』
 裂目から飛び出したのは、円光達にとってはお馴染みの、白い蔓の鞭であった。それが十本束になって、一直線に目前の麗夢へ襲いかかったのである。
「危ない!」
 決して気を抜いていたわけではない。だが、円光、アルファ、ベータの驚異的な反射神経を持ってしても、その攻撃に割って入る事は到底出来なかった。その場にいた誰もが、一瞬で麗夢が鋭く変形した蔓に貫かれたと幻視するほどに、その攻撃は迅速で苛烈だった。
「そんな技、通用しないわよ!」
 麗夢は仁王立ちのまま剣を思い切り振り下ろした。剣の一撃を喰らった蔓は、溶鉱炉に落ちた氷柱のように一瞬で根元まで蒸発した。気が付いた時には、ただわずかに残る数本が、著しく長さを減じて揺れうごめくばかりである。
『ええい! 一度ならず、二度までも我を裏切ろうとはぁっ!』
 大老は、憎悪にたぎる凄まじい顔で麗夢をにらみつけると、突然右腕を突きつけた。
『夢守一族の悲願を、我らの使命を忘れるとはもはや許せん! こうなったら我が手でその蒙昧を叩き直してくれるわ!』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

16.高雅の決断 その1

2008-03-30 12:23:18 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 大老の叫びと同時に、しわだらけの掌の真ん中が突然ぷっと盛り上がった。こぶはたちまち左右へと急速に伸び、2メートル近い棒と化した。更に右端の方がすっと薄くなり、先端がぐっと反り返って一枚の刃に変化した。大老は現れた大長刀を握りしめ、軽々と振り回した。
『いざ、覚悟せい! れいむ!』
 大老は雄叫びも高らかに突然腰の辺りに白いひもを伸ばしながら夢の木を離れると、麗夢目がけて突きかかった。その鋭鋒を麗夢もがっしと受け止め、はじき返す。大老は一旦数メートルも飛び下がると、間髪入れず再び長刀を振りかざして吶喊した。
「アルファ! ベータ!」
 麗夢の呼びかけに、二頭の魔獣が大老と夢の木を繋ぐひもの根本に襲いかかった。その足を止めようと夢の木から何本もの白い蔓がうなりを上げて二頭に襲いかかる。アルファ、ベータは持ち前のフットワークで襲い来る鞭をかいくぐると、夢の木に食らいついた。たちまち樹液がほとばしり、アルファの爪とベータの牙を白く染める。だが、大老はひるまなかった。
『無駄じゃ!』
 大老の叫びを合図に、夢の木がその白い巨体を震わせ、あちこちから蔓を吹き出した。その蔓はこれまでのように鞭として襲い来る事なく、突然風船のようにその先端がふっと膨れ上がると、たちまち大老の姿に変化した。麗夢と対峙する本体と寸分違わぬ長刀を構えた数十人の大老が、蔓の先端に生まれたのである。
 大老の群は麗夢の周囲あらゆる方向から、一斉に襲いかかった。
『粉微塵にすりつぶしてくれるわ! れいむ!』
「大威徳悪夢消滅法!」
 今にも剣戟に取り囲まれんとした麗夢の背後に、円光が立ちはだかった。夢を司る第六界の守護者、大威徳明王の真言を口に含んで九字を切った円光から、突如紅蓮の炎が立ち上る。
「麗夢殿! 後背はこの円光が引き受け申す。心おきなく戦われよ!」
「ありがとう円光さん!」
 大老の分身が円光全身全霊の結界陣に阻まれたのを見て、大老は怒りも露わに更に夢の木から分身を生んだ。
『おのれ、こうなったら!』
 大老は、分身達に今度は榊、鬼童を襲わせた。 
「アルファ、ベータ! 警部達を守って!」
 夢の木に取り付いていた二頭はさっと無防備な二人の男の元へと飛び移る。二頭は巧みな連係プレーで大老の群を翻弄し、その苛烈な波状攻撃をはね返した。麗夢も大老本体の斬撃を紙一重でかわしては、全力を込めて剣を叩き付ける。その背後で円光が目の前に錫杖を突き立て、複雑な印を両手で組んで、真言陀羅尼を唱え続けた。一進一退の攻防がいつ果てるとも知れず続けられる。
「麗夢さん! 円光さん! 朝だ! 日が昇るまで粘るんだ!」
 皆の必死の粘りを見て思わず鬼童は叫んだ。ベータに食いちぎられた分身大老の長刀を手に戦っていた榊が言い返した。
「どう言う事だ、鬼童君!」
「この白い植物は、太陽光線を浴びると簡単に発火して、吸血鬼のように灰になってしまうんです。今日の日の出時間まであと15分! 後15分粘れば夢の木は滅びるはずです!」
「判ったわ鬼童さん!」
「ご教授かたじけない鬼童殿!」
 口々に麗夢と円光は返事を返した。後15分! 何としても支え切り、日の光を拝ませてやる! 麗夢、円光、アルファ、ベータは、意気込みも新たに大老に立ち向かった。
『ええい小面憎い奴ばらめぇっ! じゃが、わしの力を甘く見るな!』
 大老は、一旦麗夢から間合いをはずすと夢の木に戻り、そのまま水に潜るようにして木と同化した。すると、にわかに夢の木が鳴動し、どす黒い密雲がいずこともなく湧き生まれた。雲は夢の木の上空で渦をなし、分厚い暗黒色で京都の空を覆い始めた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

16.高雅の決断 その2

2008-03-30 12:22:51 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
『夢の木の弱点などもとより承知よ! さあ、これでもう貴様らの最後じゃ!』
 黒雲がすっかり空を覆い尽くすと、白々と明るみを増していた世界が、再び暗闇の夜へと逆戻りした。
「天変地異か!」
 鬼童は、青ざめた顔で空を見上げた。時空をねじ曲げるほどの途方もないエネルギーがそういつまでも維持できるとは思えないが、既に麗夢も円光も一杯一杯の戦いを続けている。上空でも、勢いを盛り返した夢の木が鬼童のカルス「恭子」を圧倒しつつあった。驚異的な再生能力を誇る恭子カルスだったが、夢の木と大老はついにその力の源を突き止めた。カルスが平安大学構内に露出した夢の木の根に寄生し、そこから莫大なエネルギーをかすめ取っていた事を知り、その根を根本から切り離しにかかったのである。
『さあ、いつまで保つかな? れいむ、考え直すなら今の内じゃぞ』
 再び現れた大老の高笑いに麗夢は歯を食いしばって剣を振るった。だが、長刀を振るう大老に隙は無く、こちらはと言うと蓄積する疲労が次第に剣の冴えを鈍らせつつあった。大老の分身を一手に引き受けて足止めしていた円光の法力、大威徳明王の聖炎もほのかに揺らぎ始めている。榊も、アルファ、ベータももう限界だ。鬼童は、自分一人何もできないでただ守られているだけな存在でいる事に耐え難い苦痛を覚えた。何か出来ないか、何か。その時、ついにカルスが夢の木の攻撃の前に屈服する時が来た。栄養源を絶たれたカルスは、その再生能力を著しく失い、根本からゆっくりと折れ砕けた。どうにもならない悔しさに眉を顰めながら、巨大な恭子の顔が崩れていく。ぼろぼろと組織の断片が鬼童の周囲にも落下しては溶けるように消えていく。その塊の一部がすぐ足下に転がり落ちてきた時、鬼童はついに凄まじい決断を下した。
「お前は僕の血も吸い上げたはずだ! さあ、必要ならもっと吸って見せろ!」
 鬼童はやにわに右手親指の先を喰い切ると、あふれ出した血ごと右手を足元の細胞塊へ叩き付けた。
 鬼童とて確信があってそんな事をした訳ではない。カルス覚醒のきっかけとなった実験の結果から類推して、血液の存在がこのカルスを活性化させるとは予測していたが、こんなやり方で何か変化が起こせるとまでは、考えていなかった。後で冷静になって見れば、その行為は冷や汗を呼ぶに充分な暴挙だと言えただろう。だが、鬼童はこの時、出来ると信じた。この自分の血で、再びカルスに活を入れる事が出来ると疑わなかった。そして、その思いは現実となって鬼童に報いた。新たなエネルギー源を得たカルスは、鬼童の身体を苗床に再び強烈な分裂を開始したのである。
 その分裂の方向は、まっすぐ横向きに夢の木を指向した。一直線に繰り出された槍のように伸びたカルスの先端は、木の幹に深々と突き刺さった。鬼童は、傷口から強制的に血を吸い上げられて、瞬く間に意識を失って昏倒した。ばたりと倒れる長身を、こちらも肩で息をする榊がしっかりしろと抱きかかえる。麗夢、円光も鬼童危篤を目の当たりにしたが、大老の波状攻撃の前に声をかける事すら出来ない。
 戦う誰もが、もはやここまでか、と悔し涙を滲ませた時、それは起こった。
『もう止めよう、お婆ちゃん』
 それは、大老の高笑いに比べればあまりに小さな一言だった。だが、その言葉が生んだ効果は劇的だった。あれほど跳梁乱舞した大老の分身達がにわかに矛を収め、口を解かれた風船のようにしぼんで元の蔓に戻ってしまったのである。慌てたのは大老であった。
『高雅、何をしておる! 早う力を尽くせ! あと一息、あと一息なんじゃぞ!』
しかし、夢の木は沈黙を保った。替わりに、大老が現れたすぐ隣の木肌へうっすらと人影が浮いて出た。それは次第にはっきりとした盛り上がりを見せ、やがて、一人の若者の姿に結晶した。茶の地味なセーターとすり切れたGパンを身につけた青年は、もの悲しげな顔で大老に話しかけた。
『もうええ。お婆ちゃん、これ以上はあかんて』
『何を言うか、高雅! いや、高坊、今更何言うてんのん。しっかりおきばりやす!』
 大老から高雅の祖母に口調を変えた老婆に、高雅はゆっくり横に首を振った。
『もうあかん。今、あの人の想いが僕の中にずん、と突き刺さったんや。自分の身に変えても麗夢さんを想う気持ちが。そこのお坊さんや警部さん、犬や猫の気持ちかて、痛いほど感じられるんや。みんな、自分を犠牲にしてでも麗夢さんを助ける事しか考えてへん。そんなん僕には無理や』
 高雅の言葉が一言ずつ訥々と口から発せられるたび、夢の木が発揮した無限の力に一つずつ枷がかかっていくように、円光には感じられた。それは、大老こそが如実に味わう感覚だっただろう。大老は必死になって高雅を説得した。
『高坊、見とうないんやったら目ぇつぶって木ぃの中でおとなしゅうしとり。じき婆ちゃんここら片付けるさかい。な? 早よ戻り、て』
『いや。お婆ちゃんには悪いけど、もうこんな事止めにしたいんや。ごめんな、お婆ちゃん』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

16.高雅の決断 その3

2008-03-30 12:22:44 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 高雅の言葉が終わらぬ内に、分厚く空を覆っていた黒雲に変化が現れた。濃密に塗り込めた暗黒が次第に薄れ、再び渦を巻きながら消え始めたのである。
『ま、待て! 高雅! おこなる振る舞いはよせ!』
 あわてて地が出た大老に、高雅は寂しげに笑いかけた。
『やっぱりちゃう。死んだお婆ちゃんとはちゃうんや。そないな事とうに判ってたんやけど、よう認めへんかった。でももうあかん。これ以上誰かを犠牲にするのはたくさんや』
『ええい! たかが苗床の分際でわしに逆らうのか! 高雅!』
 怒りに震える夢守の大老の耳に、榊の喜びの声が突き刺さった。
「光だ! 雲が晴れるぞ!」
『な、なんと!』
 大老の顔が、驚愕の表情で凍り付いた。その顔に、すっと淡い明暗が浮かんだ。遅れていた日の出が始まったのだ。
『い、いかん! は、早う、早うせい! まだ、まだ間に合うんじゃ、れいむ!』
「いいえ。私は麗夢。貴女の言いなりにはなりません!」
 麗夢の最後通牒が届くのと同時に、東の山裾から溢れかえった陽光が、その日一番を競うかのように白い木の肉体へ複数の陰影を同時に刻みこんだ。
『ぎゃあ~ぁっ!』
 耳を聾する絶叫が、朝の静寂を打ち破った。樹皮の日を浴びたところが沸騰するようにつぎつぎと泡をはじけさせ、ついにもっとも真東に向いていた面から、青白い炎が立ち上がった。
『そ、そんな・・・。これほどの時間をかけ、今度こそ成功を期したのに、どうしてなんじゃ?!』
 ひとしきり嘆き悲しんだ大老は、再びきっと麗夢をにらみつけ、強い口調で非難を浴びせた。
『れいむ、貴様、貴様夢の御子無しで、たった一人でどうやって末法の世の艱難を救う積もりじゃ! もはや世は闇に閉ざされるばかり、貴様、この世を滅ぼすつもりなのか!』
 見る間に青い火が大老を包みこむ。麗夢はしっかりと大老の目を見据えながら、最後の言葉を投げかけた。
「私は一人じゃない。こんなに力強い味方がいるわ!」
 麗夢の左手が、後ろに居並ぶアルファ、ベータ、円光、榊、そして鬼童を一人ずつ指さした。
『ふん・・・。そんな連中が何の役に立つものか・・・いずれわしの言った事が正しかった事を、絶望の淵で知るがいい、れいむ!』
 捨てぜりふを最後に、大老の姿が崩れ落ちた。瞬く間に一介の灰になって散らばっていく。熱さを感じさせない炎はやがて木全体を覆い尽くし、巨大な青い松明と化した。京都市街を貫いた根も、本体が発火するのとあい前後して、次々と青い火に包まれていった。
『さようなら、麗夢さん。短い間だったけど、貴女との出会いはいい夢だった。それから、お婆ちゃんを、いや、夢守の大老を許してやって下さい。我が家の倉でひたすら願いの成就を夢見続け、人々の行く末を案じ続けていたんです。未曾有の大難を救うにはこれしかないって思い詰めていたんです。どうか、その事を理解してやって下さ・・・』
「高雅さん!」
 麗夢の呼びかけに高雅の口は動いていたが、もう声が届く事はなかった。やがて夢の木は盛大な炎を上げて燃え盛り、高雅の姿が失せる頃には急速に勢いを失ってうずたかく灰を積み上げるばかりとなった。
 全てが幻の灰と変じ、朝の風に吹き散らされる中、榊はもう一つの懸案事項の処理にかかった。
「鬼童君! しっかりしろ! おい、鬼童君!」
 鬼童の右手に生えていた細胞塊も、既に朝日と共に火を発して灰となった。榊はその手に火傷あとがない事を確かめると、若者の首筋に指を当てた。榊は右手人差し指に弱々しい脈動を感知すると、元のかわいい姿に戻って心配げにのぞき込むアルファとベータに笑顔を向けた。
「大丈夫だ。まだ生きている。だが早く病院に連れていった方がいい」
「拙僧がおぶりましょう」
 円光は、榊の手を借りて鬼童の身体を背中に負った。麗夢も歩み寄って気を失った鬼童に礼を言った。
「ありがとう、鬼童さん。貴男のおかげだわ」
「さあ、急ごう」
 榊が先導し、鬼童を抱えた円光、麗夢、アルファ、ベータが付き従った。その一行を祝福するかのように、明るい秋の日差しが暖かく包み込んだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

17.大団円

2008-03-30 12:21:40 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 京都東山清水坂。
 上り切った所に北法相宗中本山、国宝清水の舞台が名高い清水寺を控える瀟洒な町並みに、二人の男が落ちつかなげに立っていた。二人とも、道を陸続として上がってくる観光客や修学旅行生の好奇の視線を集めるに足る、眉目秀麗な長身である。一人は町並みにふさわしく墨染めの衣をまとい、一人は洗練された趣味を感じさせる上品なスーツ姿。すなわち、円光と鬼童海丸の二人だった。二人とも、麗夢さん(殿)遅いな、と中々時間が過ぎない事にいらだちを覚えつつも、辛抱強く思い人の登場を待ち続けていた。
 今日は鬼童の快気祝いを兼ねて、一日、麗夢と京都観光を楽しもう、と二人で色々と案を練り、昼までは鬼童、午後は円光と役割を分担して麗夢をエスコートする予定なのだ。二人にとって幸いと言えたのは、榊が仕事を理由に麗夢の誘いを断った事だった。榊は京都府警の災害救助に協力する傍ら、この地震災害で国際警察会議を実行できるかどうか調査し、警視庁に報告する義務もしょっていた。
「それにしても鬼童殿、あれほどの災害を被ったというのに、町の活気はこの通り全然かわらないのだな」
「うん、破壊されたのは結局平安京の部分だけですからね。今の京都市にとっては、全体の六分の一の面積に過ぎない、と言うわけですよ」
「なるほど」
 市の中心部がほぼ完璧に破壊され、表玄関である京都駅が倒壊し、近鉄、阪急、国道一号線、それに地下鉄と言った主要幹線が軒並み機能マヒしてまだ復旧の見込みが立っていないと言う悪条件である。しかし、金閣寺、銀閣寺、南禅寺、祇園や嵐山、太秦といった京都の観光名所は大方被害を受けた地域、すなわち旧平安京の外にあった。また、鴨川東岸にあったおかげで難を逃れた私鉄の京阪電鉄が大阪との大動脈の役割を果たし、市内の道路網もがれきの片づけが進んでなんとか市バスの運行が可能なまでに整備されつつあった。しかも被害区域は元々オフィス街が大きな面積を占めており、時間帯も夜明け前の最も人口密度の低い時だったために、不動産に対する被害の割には著しく少ない犠牲者で済んだ。おかげでこうして観光客は相変わらずの盛況ぶりであり、こうしてここで見ている限りは、事件の傷跡はほとんど感じられないほどだった。
「お待たせ! どう、似合う?」
 ようやく用意を整えた待望の人物が、二人の前に現われた。本物の晴れ着で変身! がキャッチフレーズの店で舞妓に変わった麗夢が、アルファ、ベータをお付き替わりに従えて現れたのである。鮮やかな朱で統一した装束と、活気あふれるその声が、二人の心をときめかせたのは言うまでもない。
「おお、これはこれは」
「艶やかというか華やかというか、やはり僕が睨んだとおり、良くお似合いですよ」
「そう?」
 おしろいで白く塗り固めた顔が、まんざらでもなさそうにほほ笑みを見せる。腰まで届く緑の黒髪は、この時ばかりはきれいにまとめられて鮮やかなかんざしで結い上げられ、いつもの活動的な赤いミニスカートも、美しい晴れ着姿に変わっている。ちょん、と揃えられた白足袋と赤い花緒の履物も良く映える。道行く人もため息混じりに振り返り、中には勘違いしたのか、盛んにカメラのシャッターを切ったり、ビデオカメラを向ける人の姿もあった。二人もしばしそんな姿に見惚れていたが、やがて鬼童が口火を切った。
「それではご一緒に。清水の舞台を見て、地主神社にもお参りしましょう」
「ええ」
 鬼童は努めてさり気なく麗夢の手を取って、清水坂の石畳をエスコートした。午前中は鬼童殿、と納得していた円光も、さすがにこれには渋い顔である。だが、円光とて、午後は京都十刹を初め、金閣寺や銀閣寺、時間があれば宇治平等院や大原三千院、鞍馬寺や嵐山まで足を延ばす事も検討している。とても半日でこなせるメニューではないと鬼童に批判されながらも、円光は甘い想像に口元をほころばせていた。
(それにしても、結局あれは何だったのだろうか)
 先を歩く少女の後ろ姿を見つめながら、円光は考えた。
 800年前から京都に眠り、復活を夢見続けていた植物。800年分の欲望と怨念を苗床に、ついに京都の街を破壊するまでに生長した夢の木。しかし、榊と二人で調査した高雅の屋敷にも、植物園にも既にその痕跡はなく、どういう経緯で高雅と結びついたのかはついに判らずじまいであった。一方鬼童が管理していた夢の木の細胞塊も、半壊した研究室に差し込んだ朝日によって、全てがまったくの灰に変じていた。こうして、ついに手がかりは消滅したのである。
「多分本人も言ったように彼も夢守の民の末裔だったんだろう。そして、あの奇怪な植物を守り育てていたんだ」
 榊の結論はほとんど推測の域を出ないものだったが、円光も多分そんなところなのだろう、と納得していた。
 だが、一つだけ円光には判った事があった。夢の木の目的。それが円光に戦慄にも似た未来への興奮を呼び起こすのだ。
(夢の木は、法が滅びる末法の世を救う究極の戦士、夢の御子を生み出そうとしていた。つまり、末法の世を生み出す何かが現われ、戦いが起こるという事ではないか。例えばあの死神、死夢羅のような。いや、生み出すためだけにこれほどの破壊が伴うのだ。その相手は多分もっと恐ろしい何か破滅的な事に違いない)
 円光は、それがすでに確定した予定であるかのように感じ、思わず武者震いをした。
(その時は拙僧、今度こそ我が身を盾として麗夢殿のお役に立って見せよう)
 自然と力の入った右手が、しゃん! と手にした錫杖を一段と高く鳴り響かせた。
「どうしたの円光さん! 早くいらっしゃいよ!」
 いつのまにか円光は、先を行く二人に遠く離されてしまっていた。振り向いた麗夢の笑顔に顔が火照るのを感じた円光は、誤魔化す様に顔をなで、ふと、鬼童の言葉を思い出した。
(地主神社といえば、確か・・・?)
「鬼童殿! いくら順番でも抜け駆けは許さんぞ!」
 円光の叫びに、鬼童は、あ、ばれたかと舌を出し、早く行きましょうと麗夢を引っ張った。その後を追って駆ける円光。三人の先で待ち受ける、縁結びの神として名高い地主神社の祭神、大己貴命がはたしてどちらを組合せとして選ぶのか。それもまた、まだ見ぬ未来に起こりうる、一つの戦いと言えなくもなかった。

終わり
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後に一言。

2008-03-30 12:20:56 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 かっこうの第4作をアップいたしました。
 前作「夢都妖木譚 平安編」の続編、という形をとっています。「平安編」でも描きましたとおり、もともとの発案はこっちのほうが先で、今回、内容重複とやっぱり全体的に頭でっかちでバランスが悪いこともあって割愛したエピローグ部分を膨らまして一冊にしたのが、「平安編」でした。
 刊行は2000年の夏コミでしたが、欲張ってもう一つ中編『運命の法則』を同時平行で書いていたためか、決定的に時間が不足してしまい、内容が破綻、誤字脱字はてんこ盛り、それを修正する時間も無く、強引にラストをまとめる、という醜態を演じてしまいました。今思い出してもまったくもって赤面の至りで、当時お買い上げくださった方々には申し訳ない限りでしたが、結局あまり明確なテーマも無しに書き進んだのが敗北の原因と悟ることができました。それまでは、あまり主題というものを意識せずに作文をしておりまして、これ以前の作品では、無意識的にテーマを設定できていたためか、あるいはそれもたっぷり時間をとって構想を練ったり作文したりしていたために、問題が表面化することがなかったんだと思います。現実には、数十ページ書いてたのがどうも流れが悪くなって行き詰まり、全部破棄して一から書き直し、なんてことをしょっちゅうやってましたから、そうしてリセットを繰り返すうちに、自然とテーマが固まっていったのでしょう。この作品は、連続してコミケに通るようになり始め、はじめてその時間をとれずにいた作品で、切迫した時間がいつもどおりの試行錯誤が許されない状況となり、いわゆる醸成期間が不足したのでしょう。結局、次のコミケ前に一大決心して、無意識下にあったテーマ「鬼童の仲間入り」をはっきりと頭に意識して全体を見直し、破綻している部分を大幅加筆修正いたしました。そういう点で、私に創作の上で欠かせない重要な要素である「主題」の大切さを認識させてくれた、創作修行上欠かせない作品になったと思います。
 改めて読み返して気づきましたのは、妙に持って回った言い回しが目立つことです。多分当時読んでいた本に影響を受けていたんでしょうね。自分の文章ながら、たまになら個性的と思えるものも、こう多用されるといやみに見えてきますので、幾分気になったところを修正しました。
 もう一つ気づいたのは、このお話、自分の学生時代や仕事の経験が随所にちりばめられています。「夢の木」がもろサボテンなのは完全に私の趣味ですし、種をまいて芽が出たときや花が咲いたときの感動が、原体験としてあります。また、鬼童が平安大学で実験を繰り返す日々の有様や、フリージャーナリストの様子なども、読んでいるうちにそれぞれの原体験になる記憶がよみがえりました。特に学生時代。徹夜で実験や計算に明け暮れていたわけですが、今にして思うとよくあれで心身とももったものだと我ながら感心してしまいました。そろそろセピア色が濃くなりつつある遠い記憶ではありますが、こうして文章にその反映を残していると、いつでもそれを鮮度を保った形で蘇らせる事ができるんですね。創作を趣味にできた幸運を、ありがたく感じました。
 
 ところでこの挿絵は、あとがきに入れたもので、この作品を書くにあたって一番最初にイメージを固めるためのラフスケッチ、という位置づけのものでした。まあこんな小品からお話が生み出されることもある、ということで、記念に上げておきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドラッグストアでDNA鑑定なんて、アメリカはなんとお手軽な国だことか。

2008-03-29 23:53:42 | Weblog
 今日は長編小説第4弾として「夢都妖木譚 平成京都編」をアップしようとがんばりましたが、少し手間取りまして全体の7割程度を草稿として非公開状態でアップするに留まりました。挿絵も探さなくちゃなりませんし、明日朝起きられたら、昼ごろまでに公開できるよう努力したいと思います。

 さて、アメリカで、赤ちゃんとの血縁関係を迅速に調べられるDNA鑑定キットの販売を、ドラッグストアで始めたんだそうです。価格は、鑑定料金を含めて149ドル。鑑定キットを買って、調べたい男性と赤ちゃん双方の唾液を送ると、5営業日以内に親子か分かるそうな。さらに赤ちゃんの母親の唾液も送るとより精度が高まり、99.99%正確なデータが得られるのだそう。通常親子関係の遺伝子診断は医師や弁護士を介するため、結構時間がかかってお金も高くつくそうですが、ためしに日本での状況を調べてみましたら、簡易鑑定で8万円、裁判の証拠に使えるレベルだと20万円、という民間鑑定会社のデータが拾えました。鑑定結果が出るまで3週間と時間も確かにかかるみたいです。なお、こちらは鑑定に使うのが口腔細胞もしくは血液だそうですから、その点からも結構面倒と言えるかもしれません。
 唾液のDNA鑑定は警察も証拠として使っているそうですので、結構信頼もできるのでしょう。これもネットで検索してみましたら、こんなのも見つかりましたし、いずれに本でも唾液で当たり前にDNA鑑定するようになるのかもしれません。
それにしても、そんなものをドラッグストアで販売するなんて、アメリカという国はお手軽なサービスが好きな国なんですね。日本でこれをやろうとしたらどんだけ法律やら条令やらのハードルがあるのでしょうか。なんとなく厚生労働省とかがうるさそうな感じがするのですが、できれば日本でも似たようなサービスが立ち上がってほしいものです。もっとも私は、親子関係調査などにはさして興味はありません。ただ、簡単なDNA鑑定技術が開発され、改良がなされていけば、いずれ遺伝子に由来した病気の予防、効き目のある薬の検索や副作用のチェック、より望ましい食生活の設計などにも使えるようになるんじゃないか、と期待しているのです。できたらいろんなメニューの診断キットができて、それぞれが3,000円くらいならためしにいくつか使ってみたいな、と思ったりいたしましたが、日本でそんなことができるときが訪れてくれるんでしょうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

事実確認できないことを事実と書かれても名誉毀損にならない、というのは、理解に苦しみます。

2008-03-28 23:55:30 | Weblog
 今日、携帯電話が突然ブーン、ブーンと振動しました。普段はマナーモードに設定しっぱなしですので、またメールでも来たのか、と取り出してみたら、「あと10秒で電源が切れます」とのメッセージが。電池切れでした。そういえばここ3日ばかり充電した覚えが無かったのですが、説明書の待ちうけ可能時間からすればまだまだ余裕でいけるはずです。メールは少しやりましたが、通話はほとんどしてないですし、まだ入手したばかりでもあるので、そうそう電池が消耗しているとも思えず、ひょっとして電池パックの異常? なんて考えてしまいました。でも、そういえば携帯電話としてはほとんど使ってなかったけれど、携帯カメラとしてはかなり頻繁に使っていたことを思い出しました。ついさっきも、パシャパシャと10枚ばかり連続で撮影してましたし、マイクロSDカードにも、大分撮りだめしたデータが残されています。どうやらカメラ機能は想像以上に、というよりも想像すらしてなかったのですが、とにかく結構電池を食うみたいです。これからは充電には気をつけようと思いましたが、1年以上たって電池が消耗してきた時にどうしたものか、考えておいたほうがよさそうです。

 さて、大江健三郎氏の著書「沖縄ノート」や家永三郎氏の「太平洋戦争」で、大東亜戦争末期の沖縄戦で民間人の集団自決を命じた、と記述された元陸軍少佐の方と大尉の親族の方が起こした名誉毀損の訴訟で、大阪地裁は原告の請求をすべて棄却したとのこと。記述には合理的な根拠があり、真実と信じる相当な理由があった、として名誉毀損は成立しない、との判断を裁判所が示したそうですが、一方で、元少佐らが自決を命じた、と直ちに断定できない」ということも言っていて、正直なにがいいたいのか、よくわからない判決になっているように感じました。本では、実名を出して自決せよと命じた、と明記してあるのに対して名誉毀損を訴えたのに、その記述の真否は断定できない、と言いながら名誉毀損は成立しない、という理屈が、もう一つ腑に落ちないのです。実際にどうだったかははっきりしないのに実名で断定的に記述されたというのは、十分名誉を損なう行為だと私は思うんですが、裁判官の考え方は、その点が客観的に不明でも、関与が推認できるから名誉毀損にならない、というのですが、推認できただけでその行為をやったも同然、と法律家が言うのは、どうにも違和感がぬぐえません。推認できても確認できない以上、疑わしきは被告人の利益に、というのが法律家の考え方なんではないのでしょうか。そもそも、軍の関与についてあったかなかったかが歴史学的に議論される分野において、歴史学者でもない一介の法律家が軍の関与があったと断定するなんて私はおこがましいと思いますし、それを前提に関与を推認するということ自体、乱暴なんではないか、と感じます。
 原告の方々は控訴されるとのこと。多分次の裁判がどう判決が出ようとも、負けたほうは不服として最高裁まで争うことになるのでしょう。となると、元少佐殿はすでに相当のご高齢ですし、被告の大江氏ももう十分年寄りの部類になります。この上は裁判所には可能な限り迅速な裁判の進行を心がけてもらうよりないでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハルがなぜ狂ったか? なんてことで夜明かししたりもしたなあ、と思い出しました。

2008-03-27 22:46:23 | Weblog
 今日は久しぶりに1日中たちっぱなしの仕事で、思いのほか疲れました。これですんなり眠ることができれば良いのですが、かえって目がさえたりしないか、少々心配ではあります。

 さて、『2001年宇宙の旅』も、ついにHAL9000が反乱を起こし、プール博士他乗組員が全員死に、土星手前まで来た宇宙船ディスカバリー号には、ボーマン船長ただ一人が残される、というところまでたどり着きました。その昔学生だったころ、仲間達とこの作品の映画を観てその見事なまでの映像に魅了され、なぜHAL9000が反乱を起こしたのか、酒を酌み交わしながら青臭い議論をとめどなくやり続けたのを思い出します。何を話し合っていたのか、その内容はすでに記憶の中には一片も残ってはいませんが、互いに熱く語り明かしたことだけは、不思議と記憶にこびりついているようです。その時の気分が、今暖かく胸のうちによみがえってきました。と同時に、この映画を改めて今一度観てみたくなりました。できれば映画館の大スクリーンで観たいところですが、さすがにそれは無理でしょうから、テレビでこの際我慢するとして、今更、昔々テレビで放映されたときの録画ビデオを探すのも難しいですし、とりあえずはDVDでも買ってくるのが現実的なようですが、さて、そもそもこの映画のDVDって売ってるんでしょうか? まずはそこから調べてみないといけませんが、手に入るものなら是非入手して、改めてその映像美に浸りかつての熱い気持ちを思い出してみたいものです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする