新型感染症の影響がある中で私たちは、バブルが終わって以降の世の中は、良い方向に向かっていたといえるのかなということを、いろいろな要素から考えてみてはどうかと思います。
いろいろな“モノ”や“サービス”が増え、それらを足した“総量”としては成長してきたのかもしれないけれど、それらで生きることの“質”も満たされてきたのでしょうか。満たされてきているなら、いろいろな場面の社会課題に対して支援が必要と声が上がるのはなぜでしょう。
支援についても、それは本当に必要から生まれてきているものなのか、それとも、なにかが達成されることで生まれているものなのでしょうか。どちらにしても、社会課題への支援を求める声が絶えないのは、そもそも個別の事案それぞれの原因だけではなく、それらも含めた社会全体の歪みがあるからだと思います。
社会の歪みをなくすことを考えることなく個別の対処をしていっても、歪みに起因する社会課題はなくならないだけではなく、解決を目指したはずの取り組みからもさらに課題点が目についてきたり、積み重ねられている対処によって歪みがどんどん見えづらくなっていく、場合によっては大きくなってしまうのではないでしょうか。
「私たち誰もが〝幸せ〟であれば社会課題はほとんど起こっていないはず。」と考えれば、社会課題がたくさん目についている状態は「私たちの誰もが〝幸せ〟ではないからかもしれない。」とも考えられるのではないでしょうか。
解決したい社会課題について、その要因と考えられることを多様な視点で、要因ごとに一言で表現していき、それぞれについて考えてみる。それを同じように他の社会課題についても行った上で、複数の課題に共通する要因を抜き出していけば、共通する課題としての取り組みの方向性が浮かび上がるのではないでしょうか。そしてその解決に取り組むことで、複数の社会課題が解決の方向に向かうと考えることが大切だと思います。