鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

議員定数及び報酬検証特別委員会の設置に関して

2022年07月26日 11時58分07秒 | Weblog

 6月29日に開催の本会議で、鈴鹿市議会に「議員定数及び報酬検証特別委員会」が設置されました。思い返すと平成26年(2014年)9月定例議会で提出された請願「鈴鹿市議会議員の定数削減を求める請願書」からほぼ8年を経て、鈴鹿市議会における定数の議論が行われることになります。

 2014年は請願「鈴鹿市議会議員の定数削減を求める請願書」が提出されたあと、総務常任委員会で請願者を招致しての継続審議が行われながら、翌年の3月定例会で委員会で不採択、本会議でも否決となりました。当時、請願の採択に賛成の議員は、会派「すずか倶楽部」所属の4人でした。当時、討論に登壇した際の論点は、次の画像の通りとなります(クリックで拡大できます)。

 2014年と比較した鈴鹿市の状況の変化は、総合計画2023が策定され、その中で地域住民による地域づくり協議会の設置が、そのための条例制定とともに確立し、現在市内に28の地域づくり協議会があることです。旧来からある「自治会」だけでなく、住民・市民が主体的に参加することが期待される団体ができたことは、請願以降の変化の中で重要な点だと思います。

 財政面では、依然として経常収支比率が90%を超えていて、財政の硬直化は継続しているといえます。また人口は、2014年6月に20万1057人でしたが、2022年6月は19万6955人となり、約4千人の減少となっています。これらについて、2014年時点の社会情勢と比較して考えると、2022年以降はより不安定な要素が多く、厳しさは増すと考えることが妥当と思います。

 その中での特別委員会の設置になるわけですが、議員定数と報酬の議論は「黒船」なのかもしれないと思います。それは議会・議員にとってだけではなく、市民の皆さんにも住民自治と団体自治の関係を見直す転機でしょうし、行政もDX(デジタルトランスフォーメーション)を通じて住民参画の推進と、それによる住民主体の課題解決の推進に取り組むといった、社会の変革点としての位置づけではないかという意味合いです。

 鈴鹿市民にとって、地域だけでなく多様な社会課題の解決に関わる形はどのようなものなのか、その時、行政側に求めるものはどのようなことなのか、そして、あるべき議会の姿や活動とはどのような形なのか、そこで活動する議員はどのような人物像なのか人数はどうなのか、ということを集中して考えることが大切だと思います。

 考えることについて多様な論点や視点はありますが、大正大学の江藤俊昭教授が講演などで「議決の前の日に眠れるんですか」とよくおっしゃられるのですが、その点について、市民のみなさんと現状の話と意見交換をするだけでも、変わるものがあると思います。

 私自身は、財政課題や今後の社会課題を考えるとスリムで筋肉質な議会を目指すべきだと思います。その中で、市民参画と住民参画の機会を議会も行政も増やすと同時に充実し、そこで課題を解決できるように財源と権限を委譲、それとともに議員数は現状より削減する方向が、鈴鹿市にとって良いと考えています。

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少しふりかえって考えましょう

2022年07月24日 19時51分26秒 | Weblog

 私たちは新型コロナウイルスの情報が多いあまりに、〝いま〟の情報だけに目が向かいすぎていて、少し前に流れていた情報と比較したり、それを自分でふりかえってみたり、自分で検証したりしているでしょうか。また、厚生労働省やメディアがそのようにしているかに注目しているでしょうか。

 例としてみなさんは、ワクチンパスポートやワクチン接種証明について振り返ることがあるでしょうか?あるとすれば、それらにより色々な優遇措置があったりするということで、今の時点でもその部分で知っている、その活用という観点から関心があるという方が多いのではと思います。

 ふりかえって、ワクチンパスポートや接種証明での優遇措置はなぜ行われたのかといえば、ワクチンの接種を進めるためだったはずです。

 では、ワクチン接種を進める根拠は何だったかを振り返ると、ワクチンには「感染予防効果が期待される」、「重症化予防が期待できる」、「感染拡大抑止効果が期待される」、それらにより「集団免疫」が形成され感染症が沈静化することが期待できるため、だったからではなかったでしょうか。

 今の状況は?… 第7波と言われる急激な状況ではないでしょうか。

 日本の人口の約8割強の人が、2回以上のワクチンを接種されている状況です。しかし、三重県の情報として6月29日に公開されたものの中で、その時点で、感染者(陽性反応者)における2回以上のワクチン接種者が占める割合は6割を超えています。

 ということは、当初期待されていた「集団免疫」は形成されず、ワクチンには「重症化予防の効果はあると考えられる」、一方で「感染予防と感染拡大抑止効果は低いと考えられる」という状況を示しているのではないでしょうか。そうすると、ワクチン接種を進めること自体、果たして妥当なのかを疑う必要が出てくるはずです。

 ではこのような状況で、ワクチンパスポートや接種証明にはどのような意味があるのでしょうか。ワクチンを接種していても、未接種でも有意な差がないのであれば、そのような状況で政策として進めることは、政策によって人を分断する方向を強めることになりはしないかと思います。

 メディアはこのようなことを調査した上での報道を行うべきだと思いますし、政策形成や決定にあたっては、分断につながらないような配慮と、エビデンスに基づいた判断がより求められると思います。

 

 懸念していることは、このコロナの状況に見られることが、今の時代の空気になっていないかということです。

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〝 新型 〟に振りまわされていませんか?

2022年07月13日 08時49分51秒 | Weblog
 新型コロナウイルスについて、感染者(陽性反応者)数の増加スピードが速く、第七波と騒がれはじめています。政府も医療従事者などへのワクチンの4回め接種の動きを進めていると報道にあったりします。けれども、それらの情報は過去からの流れを踏まえながら、分析や検証を伴ったものになっているものでしょうか。
 
 以降に書くことの前提として、私自身、コロナウイルスにリスクがないとは考えませんし、近年ではSARSやMARSのような変異があったことも事実ですので、変異の中で不明のリスクが存在することも否定はしません。ただ、コロナウイルスそのものは風邪症候群のウイルスとして過去から存在していることも事実ということがあります。
 
 そのような前提の上で考えても、「新型コロナウイルス」と表現されて以降、ウイルスの変異があっても、すべて〝 新型 〟という言葉が使われ、そのイメージをSARSやMARSのままに固定されているように思います。アルファから始まり、いまB Aと数字で表される変異株は、疾病としてどれだけのリスクがあるのでしょう。それはもともとのコロナウイルスとどう違うのでしょう。
 また、ウイルスも変異する中で宿主と共生・共存するようになっていくことは自然なことであるのに、常に〝 新型 〟ということで不安に駆られるのは、不自然なことのように思います。
 
 「新しい変異で未知」ということばかりが先行して、過去からの流れを含めて検証されているでしょうか。科学的な視点で語られることが必要だと思います。そうしなければ、わたしたちは〝 新型 〟という言葉にずっと縛られ続けると思います。
 
 ワクチンについて、第六波と言われる中の三重県のデータを見ていると、感染者(陽性反応者)のうち接種歴が2回以上の方の割合が、約60パーセント前後ありました。このことから言えることは、ワクチンについて重症化抑止の効果は期待できることは見えたものの、感染予防と感染拡大予防の効果についてはあまり期待できないということではないでしょうか。
 
 また、現行のワクチンは初期の株で開発されたものであって、ウイルスの変異による〝 新型 〟にどれだけの効果を持つのかは、わかっているわけではないと思います。それなのに、初期の株で開発されたワクチンを、効果が期待できるからとして接種し続けるのは、科学的な行動ではないでしょう。
 
 インフルエンザでもウイルスの型によってワクチンは違い、さらに、型の違うワクチンではインフルエンザを発症することは、私たちの生活実感でもあることのはずです。それなのに、コロナウイルスについては同じままで良いと思ってしまっているように感じます。
 
 感染者数(陽性反応者数)を抑制するためとして、若い世代の3回めのワクチン接種が話題に上がっていますが、そもそもワクチンを接種しても感染するのであれば、現在の感染者数(陽性反応者数)をもって接種を推進するのは論理的でないでしょう。
 
 いろいろと考えると、私たちは〝 新型 〟という言葉に振りまわされていて、すこし立ち止まった視点から物事を見たり、考えたりすることをやめてしまっているように危惧します。これから先の社会のためには、私たち自信が考えることをやめてはいけないのではないでしょうか。
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若い世代の可能性

2022年07月11日 14時14分52秒 | Weblog

7月7日に白子高校で行われた「次期鈴鹿市総合計画策定のための意見交換会」の様子を、白子高校の現場で見学させて頂きました。生徒会と3年生をあわせて7名の生徒さんの参加で行われたのですが、とても良い雰囲気で最後のまとめのところまで頑張っていました。総合計画策定や都市マスタープラン改定に若い世代の参画を進めるべきだと、一般質問だけではなく、担当課で意見交換をしてきた身として感慨深いものがあります。

説明と進行は2名の市総合政策課の職員が行い、導入の各分野の取り組みを説明した後、11分野から今後10年程度の間に重要なものを選択して付箋に書き、それをホワイトボードの各分野のところに貼り付け、将来の鈴鹿市の姿を一言でスケッチブックに書くというものでした。

はじめは、生徒さんの反応はどうかなぁ・・と様子を見ながら思っていたものの、いったん作業に入ると生徒の皆さんが集中して自分の中にある意見を書き始め、そこに担当の先生も混じる形で盛り上がっていきました。

それを振り返って考えたのですが、大人として考えや回答を押し付けるわけではなく、書き込んだ内容について共感しながら現状を話すという形で、担当した市職員さんの話し方や雰囲気の努力があってこそなのですが、生徒の皆さんが「聴いてくれる」と実感するものがあったからだと思います。

ただ、現場でも感想として担当職員と意見交換をしたのですが、単発のイベントとしてしまうのではなく、継続して高校側と連携して随時意見を聴くことや、場合によっては市民参画委員の検討の場への参加を考えてもよいのではないかと思いますし、パブリックコメント募集の際に、積極的に声を聴くように行動してはどうかと思います。

そのためには職員のマンパワーも必要なところで、業務を見直したり整理することで、関わることのできる職員を増やしてはどうかと考えます。

ここからは自分の反省ですが、4年前と3年前に鈴鹿市議会で高校生報告会を開催したのですが、2019年以降、新型コロナ禍や議会内での動きの関係もあり、高校生報告会の開催がストップしています。そのことには、自分の力不足を感じますし、忸怩たる思いがあります。

来年の統一地方選後となりますが、市議会として高校生世代を中心に、若い世代とのつながり、声を聴くことを再開できればと考えています。

愛知県新城市の若者議会や、秋田県遊佐町の少年議会のような運営も考えられますが、一定額の予算を配分し、その使い道について若者で考えてもらい、予算事業として提案するという形は、首長側の提案の要素が強く感じます。もちろん、それらの事業は魅力的ですし、鈴鹿市でも実現できればと思います。

■新城市・若者議会 https://wakamono-gikai.jp/

■遊佐町・少年議会 http://www.town.yuza.yamagata.jp/ou/kyoiku/shakyo/copy_of_shounengikai_2021html

しかし、議会として取り組むのであれば、やはり“ 声を聴く ”ところにまず力を入れていくことだと考えます。そして、聴き取った意見を市議会で議論し、政策形成や課題解決に取り組み、実現できたこと実現に至らなかったこと、それぞれについて説明をすることで、若い世代とのコミュニケーションを創っていくことに力を入れることが、議会の役割なのだと思います。

その際に気を付けることは、5月に会派市民の声で参加した「第14回 日本自治創造学会  研究大会」で、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任准教授の若新 雄純氏が表現していた「プロっぽい大人として、世界を持っているというスタンスでくる“ 界隈の人 ”」の影響をどれだけ小さくできるか、また自分たちがそうならないように配慮できるかということだと思います。

若い世代の可能性を信じ切れるか、可能性を支え切れるか、それが鈴鹿市の課題であることは間違いないと考えています。

 

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