鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

いじめについて

2014年01月31日 14時50分04秒 | Weblog
以前にも書いたことがあるのですが今回も。
国や自治体で「いじめ撲滅に取り組む」と言われますが、いまの世相ではたしてどれだけ改善できるのか、個人的には懐疑的に思うところがあります。というのは多くの人は、いじめは子どもたちの事象と考えているようですが、いじめそのものは大人の世界にもあることだからです。
たぶん本当はみなさんわかっていることと思います。

 それなのに、注目されるのは子どもたちの部分だけで、大人の闇にはちゃんと目を向けない気がします。いじめの問題を子どもにも大人にもあることと考えると、子どもだけに改善を働きかけても、もっと多数の大人の中にそれがある限り、いじめ全体としては変わりにくいでしょう。どうしてかと言えば、子どもたちは大人がしていることを、言葉に出さなくても見たり聞いたり、かぎ取ったりしていると思うからです。だからいくら大人が「いじめはだめだ」と言ったところで、大人の世界でそれができだけ減っていかなければ、子どもたちの行動が変わるとは思えないのです。
 しかし数が減ればいいのかと言えばそうではないところもあると思います。例えば、制度で見えなくすることや隠ぺいといった形を取れば、はた目には改善したように見えますが、実際は変わらないという状況はそのままです。
 大人がこのようにふるまってとすれば、子どもたちも自分たちで“制度”や“きまりごと”をつくったり、隠すという行動をとることは容易に考えられることでしょう。

ここまで書いたところで、
 では、いじめをなくさないといけないと言っている大人の世界、まず政治や行政、教育の現場から考えてみて、“いじめ”がはたしてないでしょうか?
 ・・・残念ながら、ないとはだれも言えないでしょう。それどころかいじめに近いことが、かなり根深くはびこっていないでしょうか。はっきりとわかるそれはないでしょうが、制度や仕組みとして内在化している可能性が高くはないでしょうか。
 「いじめはだめだ」と言ってる大人が、自分がそれに類することをしていたとしたら、その行動にどう理由付けするでしょう。言葉と自分の行動のギャップを埋めるために、きっといろいろ理由を探すのではないでしょうか。自分を自分たちを変えるのでなければ、相手のよくないところばかりに目を向けたり、いろいろな制度や慣習を理由にしながら自分を正当化しようとするか、それとも相手にその価値観を押し付けるかになるのではないでしょうか。
政治、行政、教育の現場では、まだまだ後者の2つの動きが強いように感じます。
 それなのに子どもたちからいじめをなくそうと言っても、子どもたちにの心に届く言葉になっていかないと思います。

 “いじめ”は“その人がその人であることを否定すること”だと思います。
そして誰もが持っている権利を、一部の人たちの価値観で否定したり侵害するときに現れるものだと。政治や行政、教育がいじめの撲滅を唱えるのであれば、自分たちが過去からの積み重ねで持つ制度や慣習などをすべて公開し、その見直しに取り組むことも必要だと思います。
 今の自分の立場から考えれば、政治こそ先頭に立って行くべきことだと思います。


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別視点の大切さ

2014年01月30日 19時58分22秒 | Weblog
STAP細胞を発見した小保方さんの話題がニュースを席巻していますね。今回のニュースを通じて思うのは、“ あきらめないこと ”や“ 周囲の支援 ”ということの大切さはもちろんですが、やはりこれまでの固定観念にとらわれず取り組むことの大切さも、私たちは参考にすべきということではないでしょうか。

論文を発表した際に「あなたは過去なん百年にわたる生物学を愚弄している」という批評を与えられたということは、過去からの固定観念のしばりで可能性を見えなくしてしまっていた人もいることを表していると思います。もしこの言葉で心を折ってしまっていたら、最悪は発見につながらない、もしくはもっと先になってしまっていたかもしれないでしょう。自分の考えを曲げず、また支援してくれる人たちがまわりにいたことが今回につながったことは、メディアに取りあげられている通りだと思います。
しかし、発見のきっかけもその後の取り組みも、過去からの固定観念にとらわれず考え行動したからこそだと思います。それが新しい扉を開いたということだと思います。

理系の世界は過去からの固定観念があっても、実験などの成果を積み重ね、証明することで新しい考えが認められると思います。
一方ひるがえって、私たちを取り巻く世の中のことや社会のことはどうでしょう。固定観念にがんじがらめになっていないでしょうか。しかも、政治に携わる一部の人だけでなく、市民の人たちもそれに取り込まれてはいないでしょうか。

今回のニュースからは、私たちが次の時代に向かうために、政治も固定観念にとらわれない発想と行動が求められている、そのことをもっと打ち出していいのだと元気づけられました。
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今日のできごと

2014年01月30日 17時12分33秒 | Weblog
今日は午前中に若松自治会長会総会に出席、午後から告別式に参列したあと、市役所に置いてあったノートパソコンを引き上げに行き、あわせて公共交通と元旦の千代崎地区の課題について担当課と意見交換しました。

議員になってから、いろいろな方を見送らせて頂くことが増えました。ご高齢の方から、自分と変わらない年齢の方、自分よりも若い方までたくさんの方々を。参列させて頂いていると、いろいろな人のつながりを知ったり、家族の方々などの故人の方への想いにふれることが多くなります。そうすると、自分の終わりを意識することや考えることも増えてきます。
だからこそ、今できることを、一所懸命に取り組むことが大切なんだと日々思います。

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型にはめるのはどうでしょう

2014年01月29日 00時14分44秒 | Weblog
ジュニアバレーを卒団した子たちと話す機会が時々あるのですが、
たまに気になることを聞いたりします。
それはプレーについて自分の型にはめようと、
子どもたちに強制する言い方をする顧問の先生がいることです。
プレーについて先生が信念を持って指導し、
そのことで上達するなどの実感が得られていれば、
子どもたちも相応に納得すると思いますし、
そのような指導方針があってもよいと思います。
しかし、型にだけはめようとするような先生もいたりして、
そのような場合、上達するという達成感や、
おそらく試合での満足感を得られることが少なく、
子どもたちは納得できない気持ちを
むりやり抑えられるようになってしまったり、
このような指導は問題があると思います。

例えばアタックのフォームについて、
肘から上げてコンパクトにスイングする打ち方があります。
これはこれでありと思いますが、
唯一絶対のアタックの打ち方ではないでしょう。
それが正しいのであれば、
全日本女子チームでほぼ同じ身長で同じポジションの、
迫田選手、新鍋選手、江畑選手がみな同じ打ち方で、
同じようなアタックの傾向を持っていることになるのでは?
けれどそういうことはないですよね。
多様なはずです。
ということは、
子どもの体格や筋力、理想とする選手などなど、
子どもの特徴や意志を尊重した指導があってしかるべきです。
あくまで個人的な考えですが。
ただ、子どもの特徴や意志を尊重することは、
実際の教育の現場でも大切なはずではないでしょうか。
こういう部分でも部活動の指導は考え直す点があると思います。

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ニュースからふと考えたこと

2014年01月28日 16時22分39秒 | Weblog
気を付けないといけないと思うのですが、
「先進国と比較して~」とか「OECD加盟国中~番め」などの表現が付加され、
いろいろな社会の政策や制度が語られることがありますが、
これほど、はっきりしているようであいまいな比較はないと思います。
それが独り歩きしがちになっていないでしょうか。
要は都合の良いところや表現だけをつまんでいないかということです。
自分もそういう部分があると感じますが、
自分の利害に関係することについてはやはり関心が高くなりますし、
自分に都合のいい情報を積極的にとりがちだと思います。
そういう意味で先にあげたような表現は、
私たちの耳に情報が入りやすくする効果があるのでしょう。
そのことを否定するのではありません。
少し違った観点で見るのもありかと思うのです。

「ある国や地域で提供されている政策や制度 = 
     お金(税など)×そのコミュニティの人たちの意識」

と考えてみるのがいいと思うのです。

ある国に“いいな!”と思う政策や制度があったとき、
税金のあり方やお金の使い道の違いを、
その国や地域と一人あたり金額に換算して比較したり、
社会に対する責任意識や参加意識を、
自分の住んでいるまちと比較してみることで、
その政策や制度を実現するために、
私たちがするべきことがいろいろと見えると思います。
例えば「お金」について、
増やせばいいじゃないかと考えるのであれば、
消費税などの負担との関係や、政府のお金の使い方に関心を持って、
そこも考えるほうがよいでしょう。
「意識」について考えると、
サービスの受け手の立場ばかりになっていないか、
お互いに支える仕組みをつくったりできないか、
などということが考えられるのではないでしょうか。
なにも考えたり考慮せずに、
結果のことばかり語るのはバランスにかけると思います。
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大野城市視察から

2014年01月27日 21時38分38秒 | Weblog
先だって、福岡県大野城市に「公共サービスDOCK事業」の視察に行きました。
事業の内容を簡単にまとめると、経常事業についてフルコスト計算書診断を行い事業の棚卸をし、それについて事業仕分けを行って業務改善につなげるということです。それ以外の市のマスタープランなどに掲げる事業については、食記診断という手法を用いるということでした。この取り組みによって、成果としてコストの縮減、当初5年間で純減が2億5千万円以上、現在までトータルで2億9千万程度の削減効果があったということです。

鈴鹿市でもフルコスト計算書を導入する意義が高いと思いました。なによりも、その取り組みが継続して行われることで、若手職員の意識が高まることにつながり、業務改善や行政改革の原動力になっていることは、現在の鈴鹿市役所の組織風土を変えていくことに重要だと思います。
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こんな一日も

2014年01月26日 19時23分32秒 | Weblog
今日は一日中、5月に岐阜市で開催予定の
「市民と議員の条例づくり交流会議in岐阜」の
チラシ原案づくりをしていました。
このイベントは東海地域の有志地方議員や市民ボランティアで
自主的に企画、運営をしています。
ですので、作業をしてお金になるわけではありませんが、
お金に換えられないものがえられると思います。
こんな一日もあるんです。

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岩見教授の最終講義を聴いて

2014年01月25日 23時22分57秒 | Weblog
写真は許可を取っていないので不掲載ですが・・・
よい学生とはいえなかったのですが、
今日の最終講義では演台直前のかぶりつきに。
講義を聴き終わった感想は
ゼミ教授としては終わりでも、
また次のスタートに立たれている姿に、
自分自身も元気づけられた感じということです。
また、今の自分の考えの中に、
ゼミで学んだことが生きているんだなと。
そして教授やゼミの仲間とのつながりも同じように、
自分の中に生きているということを。

今、財政面から地方自治、
自分のまちを考えることが
いろいろな研修で注目されていて、
たしかに大事だと自分でも思いますが、
やはり自分は人の動きについて、
社会学の視点をコアに持って、
地方自治や政策を考えたいと思いました。
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学食から考える

2014年01月25日 12時15分41秒 | Weblog
 今日は、関西大学社会学部の恩師である岩見教授の最終講義聴講のため、吹田市にある関西大学にきています。で、今の時間は講義までの時間待ちと腹ごしらえのため、昼食を20年ぶり以上で社会学部の学食で食べたところです。

メニューは唐揚げランチ410円(一般価格)、鳥の唐揚げ3個に豚肉の炒め物とご飯と味噌汁で満足の内容です。

 どうして学食をネタにしたのかというと、昨年のオープンガバメント研修の際、東大の学食についてブログに書いたのですが、関大社学で学食を食べていて、鈴鹿医療科学大学白子キャンパスのある鈴鹿市でももっと注目していい視点だと思うからです。食だけの視点ではなく、福祉や健康という視点も含め、豊かな市民生活につなげられると考えるからです。

食についてから。
 両大学とも学生数が多いことと、近隣住民も多い(利用者数は別として)こともあるでしょうが、それによる提供コストの低減などもあるでしょうが、1食だいたい500円以下の設定がほとんどです。白子キャンパスで以前に学食を食べたことがありますが、おおよそ似たような価格設定だったと思います。
 ということは、年金生活をされているような高齢者の方をはじめとして、学食を通じて生活支援が考えられないでしょうか。また、鈴鹿医療科学大学の持つ食や健康についてのノウハウや知識を学食を通じて提供してもらうことができれば、食を通じての健康支援を行うこともでき、そこから鈴鹿の産品を活用した鈴鹿発の健康メニューの提案や、新製品開発につなげられると思います。

豊かな市民生活の視点から。
 食だけでは継続的に人は集まりにくいかもしれません、やはり食を中心とした“ 場 ”や“ 空間 ”に魅力が必要になってきます。そのときの魅力で大切なことは“ 交わる ”ことだと考えます。交わりのキーワードは“ 人 ”、“ 自然 ”、“ 知 ”でしょう。もちろんもうひとつ重要なのは「目的がはっきりしなくても、一人でも、そこですごせる」ことがあることです。東大も関大もその要素があると思います。
 そう考えると白子キャンパスもそれらを備えています。“ 知 ”の部分としてのキャンパスはもちろんですが、“ 自然 ”として研修センタ跡地土地利用計画にそった野球場跡地を活用した防災公園もできますし、“ 人 ”の部分は現在のところ薬学部の関連の人たちがいます。
しかし、今のままでは東大や関大のようには難しいでしょう。だからといって鼻から考えをわきにおいてしまうのではなく、“だからこそ”自治体として豊かな市民生活を提案できるチャンスがあると考え、積極的に関与していく姿勢が必要です。
 白子キャンパスに隣接して高齢者の自立した生活の提案と支援を行う拠点や子育て支援に関する拠点を設置したり、市民活動の支援拠点や起業支援の拠点を併設して、公共交通をつなげるなどの施策と連携させるという発想があると思います。そのような場を活用して、次の価値や考えを生み出す人たちが出てくることができれば、鈴鹿は持続的でかつ若さをもったまちというあり方でいられると思います。

 できないわけではありません。本当はもう少し前からでも取り組めたことだと思います。鈴鹿全体に意義のあることのはずなのに、他人事という空気が足を止めさせていたり、目先のことにとらわれすぎて足を止めていたりがあるのではないかと思います。
 そのようなことに一石を投じたいと思います。

 ともかく、学食から連想していくだけでも、けっして暗い話ばかりではなく、ワクワクすることが考えられると思うのです。
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一日の終わり

2014年01月24日 23時43分53秒 | Weblog
今日は午後から岐阜市に行きました。
用事は5月17日に岐阜市で開催予定の
市民と議員の条例づくり交流会議in岐阜の企画会議でした。
一応、交流会議の運営委員に名を連ねているので、
東海地方で行われる企画を支えています。
東海企画は2010年に第1回が刈谷市で、
2012年に第2回が桑名市で行われており、
今回が3回目になり、東海3県をまわることになります。
これまでも交流会議のイベントでは、
市民と議員、議会の関係について取り組んでおり、
議会改革に関係することを、
実行委員をされているそれぞれの地域の議員や民間の方々と、
話し合いながらつくっています。
5月の企画は前日にもオプションの企画があったり、
みなさんがんばっています。
ぜひ、告知の際に申し込んでもらいたいなぁ
と思います。
今日の終わりに思うことです(^_^)
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