鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

震災がれきの受け入れについて

2012年04月20日 14時32分20秒 | Weblog
震災がれきの受け入れについて、皆さんいろいろと考えをお持ちだと思います。
議会の傍聴に来ていた方から、鈴鹿でも受け入れるべきではないかと意見を聞かせていただいたこともあります。
そのことについて、現時点での考えを少し書きます。
最初に、受け入れについて全く反対ではありませんが、東北地方の復興という側面や、鈴鹿市の地理的位置などを考えると、慎重に判断しなければいけない、現時点で安易に回答を出すべきことではないと考えています。関東以西に運搬することはあまり現実的とは思いません。

たしかに感情的な面からみると、被災地の復興のためとして、被災者の方々の心境を考えると、目の前のがれきの処理が進まないことはつらい現実なのだと思います。そのようなことから、がれきを受け入れるとすることは、ある部分でよいことだろうということも否定しません。

しかし、本当にそれがよいことなのか。
感情やムードに流されている部分はないか、その点は冷静に論理的に考えるべきことだと思います。そのまちの運営に携わっている、市長、議会(議員)、行政はその視点を外すわけにはいかないと考えます。

昨日、ある情報番組でこの件が取り上げられていましたが、被災地を含む自治体の方の話には、できるだけ自分たちの地域で処理をしていきたいというニュアンスがありました。また、最終処分場が不足してるものについてを支援を求めたいという話がありました。

考えれば、私たちは被災地というと、震災がれきが積み上げられている状況を見て、その場所だけのことで考えていますが、宮城県を考えても、被災していない地域もあり、そこでのごみ処理を連携することで対応していく、それで生まれる処理などの補助を、自分たちの地域を再生するための原資とするという考え方もあり得ると思います。

また別の視点では、テレビなどの情報を見ていると、特に近年、高速での移動が可能になったこともあり、三重県から宮城県までが近く感じられる部分がありますが、冷静に考えれば新幹線でも4時間近くかかる距離です。移動に関してのコストはかなりかかると考えるほうが妥当でしょう。

そして大切なことは、元に戻りますが、そもそも、被災地の自治体の方々が広域処理を求めているのか、そのことに私たち自身が目を向けているのかということです。
そのことを抜きにして、広域処理を議論するということに違和感を感じます。

論点を鈴鹿市に向けると、今日の防災安全特別委員会で懇談の形でこのことが取り上げられていたのですが、結論から言えば、感情論は別として、判断するに足る情報が少ないということがわかりました。

今、鈴鹿市で焼却されたごみの焼却灰は、九州の事業者に引き取ってもらっています。焼却ごみについて、発生から最終的な処理までを鈴鹿市の中で完結しているわけではありません。
ですから、仮に鈴鹿市として引き受けて焼却するがれきが大丈夫と判断しても、焼却灰の受け入れ先がどう判断するのかということが課題としてあります。また、事業者だけでなく、その会社のある自治体やそのまちの住民の方がどう考えるのかという課題もあります。
鈴鹿市として妥当と判断するから、あなたたちも受け入れてくれというのは、ありえない判断でしょう。現在委託している事業者はもちろん、焼却灰の受け入れ先ともこの点の整理と確認は必要です。

また、先にも書いていますが、そもそも被災自治体ではどのように考えているのかを整理して情報を集める必要があるでしょうし、少しでも距離的に近い自治体で処理していくことはできないのか、その点を議論することも必要と考えます。

国・政府は広域処理を全国の自治体に投げかけるのではなく、東北地方を中心に、処理について理解と行動をしてもらえる自治体を増やし、それでも補えない部分を遠方の自治体に相談するという形をとるべきだと考えます。

放射性物質が混入している場合の考え方は、徳島県の目安箱への回答がわかりやすかったので参照ください。
http://www.pref.tokushima.jp/governor/opinion/form/652
飛び交う数値や聞きなれない単位で、私たちの感覚はマヒしがちですが、放射線の影響はすぐに消えるものではなく、半減期しだいで半永久的なものであることを考えると、慎重にならなければいけないことであると思います。

人にとって感情は大切なものですが、理性的かつ論理的に物事をとらえ、考え、判断することも大切なことだと考えます。
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障がい者雇用について

2012年04月20日 09時50分30秒 | Weblog
昨日は、メールで鈴鹿市における障がい者雇用についてご意見を頂いたので、その調査と担当課との意見交換を行っていました。

鈴鹿市では現在のところ法定雇用率が目標値より下回っているということで、三重県労働局から指摘されています。
そこで、鈴鹿市人事課課長と懇談し、法定雇用率について2.1%で鈴鹿市では25名だが、実際は1.6%で19.5人という現状について状況や、採用についての考え方等を聞きました。
鈴鹿市役所での一般事務の正規職員への障がい者雇用について、平成16年から特別枠として2名の採用を目標にして取り組んできているとのこと。しかし、応募の母数も少なく、ペーパー試験での点数も芳しくなく、採用数が少ないということでした。24年度採用試験で、志願者数は10名、採用は車いす使用の職員として1名。
雇用率算定については、重度の障がいがある場合、1人で2人と算定され、また嘱託職員も算入されるということです。

障がいをお持ちの方も、その対象は幅広く、行政での雇用ということについては、考えるべき点はいろいろあると考えます。
現在、鈴鹿市役所では庁内の掃除などは外注、市立体育館などの施設については指定管理者の導入という形になっており、その部分で雇用率に算入されない、できない部分があります。

平成27年4月からは一般の事業者についても、障がい者雇用について100人以上の事業者から雇用が義務付けされるようになるということです。それ以下の事業者もあるでしょうから、市としての法定雇用率には入りませんが、外部委託の形になっているところに対して、市として何らかの形で障がい者雇用の条件づけを考えてもよいのではないかと思います。

一般事務職員採用の際、目標値があるからとはいえ、障がい者の志願者の試験点数が下回っている状況では、一般の志願者との公平性に問題が出るでしょうし、仕事の内容等も考慮すると、ある程度の知識や対人能力なども考える必要はあると思います。
また、行政事務の効率化、行財政改革を進めている現在、指定管理者などの形でこれまでは公で行っていた仕事を、外部に委託していくという流れも止めるものではないと考えます。

そこで、懇談の際、人事課長には以下の3つを意見として提案しました。

1.採用試験について、ペーパーテストの点数結果より、そのほかの能力、コミュニケーション能力などについての配分を大きくしてはどうか。
2.指定管理者など市が外部委託をしている仕事に対して、市として何らかの形で障がい者雇用の条件づけを考えてはどうか。
3.嘱託職員採用について、障がい者枠で募集してはどうか。

すぐに解決には至りませんが、人事課長としても雇用率の改善については取り組むということでした。

その後、愛宕小学校区関連の別用で白子地区市民センターに赴き、地区市民センター長といろいろ懇談していました。
その際、センター長の考えを聞く中で、市役所の仕事を精査すれば、軽度の知的障がいを持つ方も就労可能な職務があることをお聞きしました。一朝一夕で解決するような問題でもなく、短期的な課題ではなく中長期的にこのまちの在り方とも関係することと考えますので、いろいろなことを考えるときに、この視点を忘れないように気を付けたいと思います。
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松池跡と研修センタ跡地にて

2012年04月18日 02時26分27秒 | Weblog
市立体育館の近辺ではいくつかの動きがあります。
白江土地区画整理地では集合保留地として市がまとまった土地を保有し、近隣の方々などから、その土地を人が集まる場所として、また市民センターの機能を持たせた施設整備について意見があがっています。

NTT西日本研修センタ跡地については、北側の野球場を中心に防災公園整備を行っています。


中に入ってみたのですが、安全性の理由から野球場を囲んでいた土塁は、バックスクリーンとレフト側に残る形になっています。
もともとの風景を知っている身としては、やはり一抹の寂しさを感じます。
植えられていた桜も、樹木医のチェックのもとで、古木や樹勢の良くない木を伐採したということですが、今となっては本当にその必要があったのかも確認できません。ライト側にも桜があったのですが、それもなくなっています。

また、野球場については、バックスクリーンが従来より大きくされていました。
個人的な考えですが、この球場については子どもたちの野球利用を中心にしていくのが良いのではないかと思います。

松池も埋め立て後、子供向け公園と駐車場機能を持った広場の整備が、市政70周年の記念日までの完成に向けて取り組まれています。


以前にも松池について話題にした覚えがありますが、本当に生物が多様に生息していた環境が、整備の名のもとに壊されて、生きものの息吹を感じなくなったことにショックを受けた経験があります。それから月日がたち、このような形で利用されることは、自然な流れなのかもしれません。

ちなみに、現時点での設計では、国道23号線側に公園を整備し、市立体育館側を駐車場機能を持つように整備するとなっていますが、公園として考えれば、逆の利用のほうがいいのではないかと思います。そうするほうが、体育館と武道館をつなぐ導線としても、公園としても利用しやすいのではないかと思います。
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大飯再稼働について考える

2012年04月16日 12時54分52秒 | Weblog
大飯原発再稼働に向けて政府が動き出しました。
正直なところ、政府の動きには大きな疑問を持ちます。福島での出来事はなにも解決しておらず、進行中の事故であるにもかかわらず、自分たちで決めた基準に従って、施設は安全と考えるから再稼働に動くというのは、あり得ない話だからです。

このような動きになるのは、福島での事故について、報道の上で福島第一原子力発電所だけでの事故のように印象を受けることも影響していることがあるのではないかと思います。先の事故の影響は、放射性物質が大気中にも海水中にも大量に放出されたという現実だけでなく、風評被害やいわれのない差別的対応があるなど、非常に大きく、金銭的保証だけで考えることができないと考えるべきだと思います。

政府は‘除染’という言葉で、あたかも流せば大丈夫のような印象を与えているのではないかと思いますが、実際は放射性物質が河川などに流入したり、別のところで濃縮されていると考えるべきではないでしょうか。それらは半永久的にその土地に残ったり、生物に取り込まれながら循環したりしていく。その影響をもとの状態まで戻すことは、非常に難しい、ほとんど無理と考えるべきではないかと思います。

また、放射性物質から発せられる放射線は、DNAにダメージを与えることから考えれば、そのような環境で子供を安心して育てられるかと考えれば、そうできないと考えるのが妥当だと思います。本当に子供たちのことを、次世代のことを考えるのであれば、国、政府は大きな責任を持った判断と行動をしなければいけないと思います。

こう考えるだけでも、福島での事故とその後の現状から考えれば、とてつもない影響がまだある状況で、解決していないことがあることは間違いないと思います。つまり、福島での事故について、そのリスクから算出される影響について、まだなにも国民には分かっていない状態であると思います。
放射性物質が拡散して、その土地を汚染するというリスクについて考えると非常に大きな問題が見えてくる。不都合な情報は隠しているのではないかと思います。もしくは考えないように情報が誘導されているのかもしれません。

政府は大丈夫と言っているが、本当にその土地に住み続けて、安心して子供も育てられるのか・・・

津波の影響ではなく、原発事故で住めなくなった土地がある。

高濃度の放射性物質汚染により、食べられなくなったものがある。

これらのことから政府は目をそむけてはいけないはずです。
私たちもそのことを受け止めるべきだと思います。

ともかく、福島での状況が大飯原発で起こったとするとと考えると、政府が大丈夫とその施設だけで判断することは、非常に無責任な考えだと言わざるを得ないと考えます。政府が考えるべき、判断するときに重要なことは、施設の安全性の是非についてではなく、もし福島と同様の事故が起こったとき、どのような対応を国として責任を持ってとるのかということをはっきりさせることでしょう。施設は安全と判断するから、自治体や住民にご理解を求めて再稼働するというのは、事故以前の考えから何も変わっていないことを自分たちで証明しているだけではないかと思います。

仮に大飯原発で同じような事故が発生したと考えると、影響は足元の自治体だけでなく、広く関西圏に放射性物質を拡散させることになるのではないか、季節風を考えれば、三重や愛知、岐阜にも影響があるかもしれない。もし、大都市を多く抱える地域で住めなくなる土地が広がったとき、政府は国はどのような対応を考えているのでしょうか。それでもそこに住み続けてくれというのか、移住したいなら自分の責任で移住しろというのか、まったくそれが見えてこないところに憤りを感じます。
政府が再稼働を急ぐのであれば、最低限、事故が発生した場合の国、政府がとる行動と、その後の被災した人に対する対応策も明示すべきではないかと考えます。

ただ、大飯原発の再稼働について、近辺の住民の方々が施設に寄り添って生活してきているということに対して、再稼働しないのであれば、何らかの取り組みを考えなければいけないだろうと思います。そのことも大きな課題です。また、再稼働に向けて電力不足が理由となっていることについて、私たちも自分たちの生活を見直すことが求められるところと考えます。

ともかく、今のような状況で拙速に再稼働を判断するべきではないと思います。
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