震災がれきの受け入れについて、皆さんいろいろと考えをお持ちだと思います。
議会の傍聴に来ていた方から、鈴鹿でも受け入れるべきではないかと意見を聞かせていただいたこともあります。
そのことについて、現時点での考えを少し書きます。
最初に、受け入れについて全く反対ではありませんが、東北地方の復興という側面や、鈴鹿市の地理的位置などを考えると、慎重に判断しなければいけない、現時点で安易に回答を出すべきことではないと考えています。関東以西に運搬することはあまり現実的とは思いません。
たしかに感情的な面からみると、被災地の復興のためとして、被災者の方々の心境を考えると、目の前のがれきの処理が進まないことはつらい現実なのだと思います。そのようなことから、がれきを受け入れるとすることは、ある部分でよいことだろうということも否定しません。
しかし、本当にそれがよいことなのか。
感情やムードに流されている部分はないか、その点は冷静に論理的に考えるべきことだと思います。そのまちの運営に携わっている、市長、議会(議員)、行政はその視点を外すわけにはいかないと考えます。
昨日、ある情報番組でこの件が取り上げられていましたが、被災地を含む自治体の方の話には、できるだけ自分たちの地域で処理をしていきたいというニュアンスがありました。また、最終処分場が不足してるものについてを支援を求めたいという話がありました。
考えれば、私たちは被災地というと、震災がれきが積み上げられている状況を見て、その場所だけのことで考えていますが、宮城県を考えても、被災していない地域もあり、そこでのごみ処理を連携することで対応していく、それで生まれる処理などの補助を、自分たちの地域を再生するための原資とするという考え方もあり得ると思います。
また別の視点では、テレビなどの情報を見ていると、特に近年、高速での移動が可能になったこともあり、三重県から宮城県までが近く感じられる部分がありますが、冷静に考えれば新幹線でも4時間近くかかる距離です。移動に関してのコストはかなりかかると考えるほうが妥当でしょう。
そして大切なことは、元に戻りますが、そもそも、被災地の自治体の方々が広域処理を求めているのか、そのことに私たち自身が目を向けているのかということです。
そのことを抜きにして、広域処理を議論するということに違和感を感じます。
論点を鈴鹿市に向けると、今日の防災安全特別委員会で懇談の形でこのことが取り上げられていたのですが、結論から言えば、感情論は別として、判断するに足る情報が少ないということがわかりました。
今、鈴鹿市で焼却されたごみの焼却灰は、九州の事業者に引き取ってもらっています。焼却ごみについて、発生から最終的な処理までを鈴鹿市の中で完結しているわけではありません。
ですから、仮に鈴鹿市として引き受けて焼却するがれきが大丈夫と判断しても、焼却灰の受け入れ先がどう判断するのかということが課題としてあります。また、事業者だけでなく、その会社のある自治体やそのまちの住民の方がどう考えるのかという課題もあります。
鈴鹿市として妥当と判断するから、あなたたちも受け入れてくれというのは、ありえない判断でしょう。現在委託している事業者はもちろん、焼却灰の受け入れ先ともこの点の整理と確認は必要です。
また、先にも書いていますが、そもそも被災自治体ではどのように考えているのかを整理して情報を集める必要があるでしょうし、少しでも距離的に近い自治体で処理していくことはできないのか、その点を議論することも必要と考えます。
国・政府は広域処理を全国の自治体に投げかけるのではなく、東北地方を中心に、処理について理解と行動をしてもらえる自治体を増やし、それでも補えない部分を遠方の自治体に相談するという形をとるべきだと考えます。
放射性物質が混入している場合の考え方は、徳島県の目安箱への回答がわかりやすかったので参照ください。
http://www.pref.tokushima.jp/governor/opinion/form/652
飛び交う数値や聞きなれない単位で、私たちの感覚はマヒしがちですが、放射線の影響はすぐに消えるものではなく、半減期しだいで半永久的なものであることを考えると、慎重にならなければいけないことであると思います。
人にとって感情は大切なものですが、理性的かつ論理的に物事をとらえ、考え、判断することも大切なことだと考えます。
議会の傍聴に来ていた方から、鈴鹿でも受け入れるべきではないかと意見を聞かせていただいたこともあります。
そのことについて、現時点での考えを少し書きます。
最初に、受け入れについて全く反対ではありませんが、東北地方の復興という側面や、鈴鹿市の地理的位置などを考えると、慎重に判断しなければいけない、現時点で安易に回答を出すべきことではないと考えています。関東以西に運搬することはあまり現実的とは思いません。
たしかに感情的な面からみると、被災地の復興のためとして、被災者の方々の心境を考えると、目の前のがれきの処理が進まないことはつらい現実なのだと思います。そのようなことから、がれきを受け入れるとすることは、ある部分でよいことだろうということも否定しません。
しかし、本当にそれがよいことなのか。
感情やムードに流されている部分はないか、その点は冷静に論理的に考えるべきことだと思います。そのまちの運営に携わっている、市長、議会(議員)、行政はその視点を外すわけにはいかないと考えます。
昨日、ある情報番組でこの件が取り上げられていましたが、被災地を含む自治体の方の話には、できるだけ自分たちの地域で処理をしていきたいというニュアンスがありました。また、最終処分場が不足してるものについてを支援を求めたいという話がありました。
考えれば、私たちは被災地というと、震災がれきが積み上げられている状況を見て、その場所だけのことで考えていますが、宮城県を考えても、被災していない地域もあり、そこでのごみ処理を連携することで対応していく、それで生まれる処理などの補助を、自分たちの地域を再生するための原資とするという考え方もあり得ると思います。
また別の視点では、テレビなどの情報を見ていると、特に近年、高速での移動が可能になったこともあり、三重県から宮城県までが近く感じられる部分がありますが、冷静に考えれば新幹線でも4時間近くかかる距離です。移動に関してのコストはかなりかかると考えるほうが妥当でしょう。
そして大切なことは、元に戻りますが、そもそも、被災地の自治体の方々が広域処理を求めているのか、そのことに私たち自身が目を向けているのかということです。
そのことを抜きにして、広域処理を議論するということに違和感を感じます。
論点を鈴鹿市に向けると、今日の防災安全特別委員会で懇談の形でこのことが取り上げられていたのですが、結論から言えば、感情論は別として、判断するに足る情報が少ないということがわかりました。
今、鈴鹿市で焼却されたごみの焼却灰は、九州の事業者に引き取ってもらっています。焼却ごみについて、発生から最終的な処理までを鈴鹿市の中で完結しているわけではありません。
ですから、仮に鈴鹿市として引き受けて焼却するがれきが大丈夫と判断しても、焼却灰の受け入れ先がどう判断するのかということが課題としてあります。また、事業者だけでなく、その会社のある自治体やそのまちの住民の方がどう考えるのかという課題もあります。
鈴鹿市として妥当と判断するから、あなたたちも受け入れてくれというのは、ありえない判断でしょう。現在委託している事業者はもちろん、焼却灰の受け入れ先ともこの点の整理と確認は必要です。
また、先にも書いていますが、そもそも被災自治体ではどのように考えているのかを整理して情報を集める必要があるでしょうし、少しでも距離的に近い自治体で処理していくことはできないのか、その点を議論することも必要と考えます。
国・政府は広域処理を全国の自治体に投げかけるのではなく、東北地方を中心に、処理について理解と行動をしてもらえる自治体を増やし、それでも補えない部分を遠方の自治体に相談するという形をとるべきだと考えます。
放射性物質が混入している場合の考え方は、徳島県の目安箱への回答がわかりやすかったので参照ください。
http://www.pref.tokushima.jp/governor/opinion/form/652
飛び交う数値や聞きなれない単位で、私たちの感覚はマヒしがちですが、放射線の影響はすぐに消えるものではなく、半減期しだいで半永久的なものであることを考えると、慎重にならなければいけないことであると思います。
人にとって感情は大切なものですが、理性的かつ論理的に物事をとらえ、考え、判断することも大切なことだと考えます。