英国のEU離脱が国民投票で過半数を得たことから考えることですが、このことが経済に与えることはもちろんですが、なぜこのいうな動きになったのかを考えることも、鈴鹿市での施策を考えるときに重要だと思います。私自身は、経済学者ではありませんし、いろいろな動きを研究しているわけでもありません。今までに学んだことや、考えたことを下敷きにして、今のできごとを考えています。
まず、経済に与える影響について、離脱が過半数を得たことが明らかになったとたんに、為替市場での円高が進み、株式市場では株価の大幅な下落が起こり、それが実体経済にも影響を与え、日本経済にも大きな影響を与えるということが、報道などでも伝えられていました。
ここで考えたいのは、そのような動きに私たちがどう関わっているかということです。
いわゆる庶民(あまりこの表現は好きではありません)としての生活をしている私たちが、金融や株式の市場に急速に影響を与えているでしょうか。わかりきったことといわれるでしょうが、私たちがこのような市場に急激影響を与えるほどの動きをできるはずはありません。それなりに大きな金額が動く必要があるでしょう。
例えれば、競馬のG1クラスのレースのオッズが、1人が100円で馬券を買うくらいでは変動しないことに近いかもしれません。もちろん、何千人というひとが同じ行動をとれば、100円で買う馬券でも変わると思いますが、それよりも大きな金額で動かす人がいるからこそ変わるものでしょう。
話を戻して、為替や金融市場でなぜ大きな変動が起こるかと考えると、それにより利益が大きく左右される一握りの人たちが、いろいろな思惑を絡めながら、その市場で行動しているからだということではないでしょうか。私たちはほとんどそれに関わっていないのに、私たちの生活に大きな影響があるとされる矛盾があるはずです。
今気になっているのは、私たちが支払った年金で積み立てられた基金が、GPIFでの基本的な運用比率が変えられたことにより、いったいどれだけの影響が出ているのかということです。
なぜこうなったかを考えるとき、国ごとのEU内での発言力の違いということもあったかもしれませんが、「人・モノ・金」の動きが基本的に自由になったことと、やはり「移民」という課題が、多くの人たちに影響を与えていたからではないかと思います。
「人」について言うと、自分にとって都合の良いところに移動できるということは、資産が多くあり動くことのできる人は、より資産形成をしやすいところや環境の良いところへ、逆に、貧困状態に近い人で動く意志がある人は、少しでも多く稼げる機会のあるところへ移動することになるでしょう。前者は「モノ・金」の動きと関係して、後者は「移民」と関係して、多くの人に影響を与えていたのだと思います。
「モノ・金」については、企業の活動が企業利益を優先に行えるということになり、それと「人」の部分での資産を持つ人たちとの動きとつながったとき、より資産を形成するための動きにつながっていたのではないかと考えられ、それが税逃れにつながったりして、庶民生活にも影響を与えていたことがあるのではないでしょうか。その一つの例が、イギリスでのグローバル企業の税逃れに出ていると思います。
参考:NHKのサイトから、クローズアップ現代「“租税回避”マネーを追え~国家VSグローバル企業~」
「移民」について、多くの生活に困窮する人たちが移動してくるということは、その人たちに対する社会的支援が税から必要になることと、労働という面から考えれば、相対的に低い賃金での雇用が進み、それまでそこに住んでいた人たちと入れ替わっていくことが進み、そこにいた人たちの労働の場がなくなるということとつながったことがあるでしょう。また、多くの人たちが違う文化圏から移住してくることは、異文化コミュニティの規模拡大につながり、それが逆にもともとあったコミュニティに対して、排他的な側面を持っていった可能性があるのではないかと思います。このことは、今の日本でも見られる地域があるのではないでしょうか。
人道的な面での支援は大切だと思います、他の方々の文化を尊重することも大切だと思います、しかし、それらが考えられるのは、自分たちの生活やコミュニティが曲がりなりにも安定しているからではないでしょうか。その視点を忘れてはいけないと思います。
いま日本でも、TPP(⇒ウィキペディア:環太平洋戦略的経済連携協定)や、人口減少社会の中での成長のためにと「移民の推進」(⇒ウィキペディア:移民政策)、といったことが議論の俎上に出ています。これらはどのような層の人たちが、どのような考えの上で進めようとしているのか、私たちは立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。
仮にTPPによって、特定の国もしくは特定の企業などの考えが、私たちに押し付けられることになったら、私たちはそれでいいのでしょうか。労働力が不足するという考えについて、それは私たちの生活実感と重なっているでしょうか、不足の前に働いていない人もいたり、まだまだ働ける可能性がある人もいるのではないか、なかなか労働者が集まらないといわれている業界では、収入や条件面で低く抑えられていないでしょうか。
そう考えれば、私たちは、どのような世の中の仕組みであったほうがいいのか、私たちはどう行動を選択すればいいのか、私たち自身が真剣に考えなければいけないところにきていると思います。その答えは、いま提示されるものばかりでなく、私たち自身で創りだしていく必要があるのだと思います。