鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

28日のこと

2011年04月29日 00時44分23秒 | Weblog
今日は、午後から若松総代会に出席していました。その後、挨拶に何軒か伺い、夜はお通夜に出席しました。それと、久々に自分のバレーをしに行き、身体を動かしたところです。

若松総代会に出席して思っていたこと、考えていたことは、地域づくりに関連していくつか取りくみたいということです。若松地区は、ご存じの方もいるように大黒屋光太夫をはじめとして、地域資源がたくさんあります。それらを活かせば、地域ブランドを作り出すこともでき、それを市内のいろいろな所で販売することにつなげることで、自立した地域予算を確保できるのではないかと思います。
そのことに取りくんで、なんらかの方向を作りたいです。

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会派、会派と

2011年04月28日 00時46分36秒 | Weblog
議会の中で騒がれる季節です。特に改選期は騒がれるようで、新しい期になった今も、自分としては違和感がぬぐえません。

しかし、会派制というしくみ、これほど市民からわかりにくい仕組みはないと思います。。。
そのことを考えずに、それがあるのを前提と考えている議員の方からすれば、「数の論理」という大義名分の上に、多数派形成の一環と考え、会派制はあるべきとされていたりするのですが、どうしても腑に落ちません。

鈴鹿市議会で言えば、議案提出には「3人」以上の議員で行うとなっています。また政策提言などについては、全員で協議することができるようにした「議員間討議」のしくみが前期につくられ、その議題を提出するのも「3人」以上となっています。
これらから考えれば、会派は「政策提言」を行うことを目的とするだけでいいと考えます。

「会派」という仕組みは、鈴鹿市議会もはじめからある仕組みではありませんし、議会に必要なしくみと法律の中に書かれているわけでもありません。ただ、過去の経緯の中で形成され、慣例で残っているしくみだと思います。

新しい会派を作ろうという動きもあるようですが、どのようになっていくのでしょうか。

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昨日の動き

2011年04月27日 09時05分05秒 | Weblog
昨日は午前中に同僚議員と懇談したあと、初集会で挨拶をさせて頂いた自治会の自治会長さんや、地元の自治会長、その他お世話になった方々のところで懇談させていただきました。その間に市役所に行き、これからの政策課題について、担当課職員から情報収集をしていました。
夜は久々にバレーに参加、その後、地元で懇談をしていました。

選挙が終わり、いろいろな方から「少し休んだらいいんじゃないか」と、あたたかい言葉をかけていただくこともあるのですが、これからの市政への取り組みで考えることが多く、今できること、取り組もうと考えていることを整理していこうとしています。この点は、1期目と大きく違うところと自分で思っています。

情報収集について、やはり3月11日の大震災を受け、論点となるであろう中学校給食についての基礎情報を学校教育課で、もうひとつは12月の質問とも関連して伊勢若松駅に関することについて商業観光課とすこし話をしました。

立会演説の際にも言わせて頂いたように、前半2年間について、災害対策、地域医療、議会改革の3つを重点的に取りくむ課題に設定しました。その他のことに取りくまないというわけではもちろんありません。もちろん、真剣に議論をしていきます。
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選挙終わって

2011年04月25日 08時13分45秒 | Weblog
2回目の選挙が終わりました。
新人として戦った前回とは違い、現職議員として迎えた今回の選挙は、考えることが非常に多くありました。

「いい議員」とは?

これまでの時代、選挙がお祭りの様相を見せる中、このことがずっと置き去りにされてきてなかったでしょうか。

常日頃、まちのことを考え行動したり、いろいろに活動報告をしたりすることより、選挙に対して熱を持ったり、選挙の時にあいさつ回りをする議員がいいという選択がされてなかったでしょうか。
自分の推す候補者ではなく、他の候補の価値を下げる形をとるような選挙がされてきてなかったでしょうか。「あの人は大丈夫だから」ということで、票を集めるような。

しかし、考え直して頂きたいのは、そのような選挙を重ねてきた結果が、今の世の中だということです。「議会は、議員は何もしない」と言う前に、そのような選挙をこれまで行ってきたのは、私たち自身ではないでしょうか。

今回も2度目の土俵に上がらせて頂きました。
支援して頂いた方々、投票いただいた方々の期待に応えるために、しっかりがんばっていきます。まず、議会改革について行動を起こしていくことを考えています。
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‘か’と‘や’

2011年04月16日 23時29分47秒 | Weblog
10年近く前に、目標を語った方に言われた言葉があります。それは自分の中にまだ生きています。

『「政治家(せいじや)じゃなくて、政治家(せいじか」になってな』、今の自分にとってもとても大切な言葉です。目の前の力関係にとらわれず、自分の信じることをしっかり取り組んでという言葉だったのだと思っています。

議会は多数決の場ですが、だからと言って、自分の説明責任と議決責任に意識をしっかりもたず、多数派の流れだけで議決するなら、それを理由に自分の立場や便益を得ようとするなら、それは「‘せいじや’」であると思います。


いまどれだけのところにきているのか、自分ではよくわからないところもありますが、他の方の評価もどうかはわかりませんが、少なくとも、「‘や’」と言われるような意識で市政に取りくんではいません。

もうひとつ
議員は「センセイ」ではない、議員はあくまで議員、代議士というように代わりに議論をする存在、だからこそ責任もあり重い存在でもあるのだと。

大切な言葉と意識を、いろいろな方から頂いて今があります。
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明日からを前に

2011年04月16日 23時10分21秒 | Weblog
前回の選挙時は、妻と2人で自転車に乗っての活動と、選挙カーでの連呼活動を合わせた形をとっていました。自転車に乗るのは、それ以前にいろいろ配っていた時、直に話せることの大切さを感じたからでした。選挙カーの方は、自転車とはいっても市内すべてを周ることはできないこと、また名前が聞こえないということでいろいろ言う方もいるということなども話に上がり、市内でも遠くの地域を周ることをしていました。

しかし、今回は選挙カーの使用を取りやめました。
東北関東大震災が大きな要因のひとつでもありますが、それ以前から疑問に考えていたこと、名前を連呼するだけの街宣活動に意味はあるのか、選挙公費を使うことは果たしてどうなのか、などのことも含めて検討しました。その上で、東北関東大震災での被災地でガソリンが不足、また復興のためにも大きな税投入が必要になるだろうことも考え、先の結論となったわけです。

自転車での移動は、どうしても一日で動ける範囲に制限があること、天候や時間に左右されること、立会演説の告知についてや、もちろん自分自身の体調についてなど、多くの不安があることは否定しません。しかし、無駄な税の使用を控えるということなどから、自分として決断したことですから、この方法でやりきります。

どれくらいの方が選挙カーを使うのか、またどれほどの選挙公費を使われるのかはわかりませんが、これから先の市財政について考えるとき、それぞれの方の意識が垣間見えるのかもしれません。それぞれの方の考えもあるでしょうから、決して額についてのことで、是非を論じることもありませんし、否定をするものでもありません。

政党色などの色についても、非常に考えることが多いものです。自分としては無党派で行動しているつもりでも、人とのつながりから、外側から色をつけて見られることがあるのだと感じます。
この点についても、自分自身の方針をしっかり持っていかなければと思います。
地方議員には政党色はいらない。地方議員は、自分たちの地域について、自分たちの地域の住民・市民のみなさんにとってプラスになる判断をしなければいけない。
「しがらみ」や「なれあい」から完全に独立した存在であるべき。

いろいろ経験してきた今だからこそ、強く感じることが多いです。
「みんなで鈴鹿をそだてましょう」そういう意識でがんばっていきます。
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ほんまもん

2011年04月16日 17時49分40秒 | Weblog
世間でも、製品になった物を仕入れ、ラベルをつけかえて売ったり、違う容器に入れたりしてることがあると思います。本当はそこで作っていなくても、あたかもそこで作っているように消費者の人は感じてしまったりすることも。
場合によっては、これは犯罪かもとは思いますが、どこでも手に入るものを、それなりにパッケージングして売るなんてこともあったりすると思います。
だからこそ、「ほんまもん」に対して私たちは憧れと安心を感じるのだと思います。

これは議員についてもそうではないでしょうか。
体裁を整えて、仕事をしているように見せたり、見識があるように見せかけたり、人の言葉を自分の言葉のようにするのではない。
よく「練習はウソをつかない」と言ったりしますが、日々の積み重ねから自分の頭で考え、自分の判断で行動することが大切と思います。
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今日のできごと

2011年04月16日 17時44分37秒 | Weblog
今日は午前中に若松Jrふれあいクラブの総会と、若松地区町民育成会議の総会がありました。そのどちらにも顧問としての立場で出席させて頂いていました。

2つが連続して開かれたのですが、総会の場には地域の方々も多く参加されており、若松地区の地域のつながりをあらためて感じます。このようなつながりも一朝一夕にできるものではなく、いろいろな活動を通じて積み重ねられた結果、地域の力としてできているものだと思います。

これから地域づくりがより注目される、それに取りくむことが必要になってくる時代が来ると考えています。他の地域での取りくみで魅力があるもの、参考になるものを吸収し、身近な地域づくりの取り組みに活かしていきたいと思っています。

午後からは明日からの準備などをしていました。
今日でブログの更新は1週間ほど停止となりますが、1週間の間、貴重な経験を積んでいきたいと思っています。
夜にまた更新します。
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告示まで

2011年04月14日 23時14分36秒 | Weblog
あとわずかになりました。
そうしてる間にも、福島の原発の状況は改善せず、報道では関東周辺の液状化被害の情報がいろいろ出てきており、本当に今回の災害は大きさもまた深刻さも深めていると思います。

今回の統一地方選挙は、すこし前の名古屋市議選での流れも含めて考えると、大きな転換点だと思っています。住民が「議員」に求めるものはなになのか、そのために必要な、あるべき議員の姿とはどうであるのか、それを考えるべき選挙なのだと思います。

もちろん、地方議員の一人として、今まで考えてきた以上に議員としてのあり方、議員としての仕事、それらを違った視点からも見つめながら考え直さなければいけないと思っています。

バッジをつけることが目的ではなく、行政職員となれあうようにして「仕事」をすることでもなく、「名士」のようにふるまうのでもなく、今とこれから先のどちらにも、自分の知識と発想を活かし、鈴鹿をよりよいまちにしていく、持続可能な、自分たちに続く世代にも継承していくことに一所懸命になる議員が、議会が求められると思います。

鈴鹿だけでなく日本全国で、今回の統一地方選挙は、単に地方政党が活発な動きを見せたということ以上に、住民自治も含め、私たち一人一人が考え直すときと考えます。そうすることで、自ずと国政の動きも変わるはずと思います。今必要なのは、難局から学び、次の時代を創造することのはずです。

自分の今できることを一所懸命取り組みたいと思います
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減災プラスα

2011年04月12日 17時36分43秒 | Weblog
統一選の論点のひとつに、想定される大災害に対する防災があると聞きますし、実際にリーフレットなどでも書かれていることが多いのですが、ある意味、それは当然のことと思います。現職議員であればなおさらと思うところです。
そのことについては、任期いっぱいまで考え議論し対応すべきと考えるのですが、一人の議員として気づいたことを担当課などに連絡はできても、議会としての動きにできないことにジレンマを感じています。

さて、大災害に対してですが、防災ではなく減災、被害をできる限り小さくするという観点が必要なことはもちろんですが、地方議会において東北関東大震災の被害から考えるべきことは、被災後のリスクマネジメントではないでしょうか。
ある意味、防災や減災対策を口にすることは、市民の方々でもできる範囲のことで、議会として想定する必要や責任があるのは、被災してからのことだと思います。

復興の部分も含めて考えることは、リスクマネジメントの一環のはずです。被災してから考えるのではなく、その前にありえる可能性について抽出し、災害までに結論が出なくても、それに対して議論をしておくだけで、実際は災害時の対応を一日でも早くすることにつながるのではないでしょうか。

液状化や地盤沈降、津波などにより堤防が壊れて常時浸水する状況が出た場合、私たちのまちはどのように考え、被害を受けた人たちの支援をするのか、そのようなことを考える必要があるのではないかと気づかせられたのが今回の震災だと思います。
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