鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

名古屋後、大阪後

2011年11月29日 11時03分18秒 | Weblog
大阪でのダブル選挙が終わって、今朝の情報番組では、政界再編という言葉がまた踊っていました。名古屋のときもそうでしたが、違和感があると思いませんか?

愛知県と名古屋市、大阪府と大阪市、そのどちらの選挙についても、本来はそれぞれの自治体のあり方が問われることではないでしょうか。中京都構想にしても、大阪都構想にしても、国の制度を変えることも必要でしょうが、その前に、それぞれの自治体に住んでいる住民生活をどう考えるのかが起点だと思います。

確かに、今回の大阪での選挙は勢いがあり、一方では今の国政に閉塞感が充満している。その意味では、勢いを取り上げることは一定の意味があることだと思います。このように地方でうねる流れを、国会や政党がきちんと受け止めるべきだと思います。

そのように考えると、今の流れは政界再編ということだけではなく、地方自治についての考えの大きな転換期ということも、間違いない事実ではないでしょうか。しかし、この点について、あまり報道されていないのではないか、ここに違和感を感じています。

そんなことを考えていて思ったことは、やはりよく言われることだと思いますが、メディアの意義や責任ではないでしょうか。
全国ネットの情報番組などで、どうしても国政とつなげた劇場型政治の報道に軸足がかかるのは、ある部分仕方ないことでしょう。それはある意味で演出している部分もあるでしょうし。

しかし一方で、メディアの重要な役割には、より多くの客観的な情報を、いかに受け手に提供できるかにあると思います。今の全国メディアでは、今起こっていることの本質はどうなのかを考える材料がほとんどない、冒頭の違和感はここにも関連しています。

ですから、名古屋後、大阪後について、メディアは国政と絡めた報道ではなく、あくまで、それぞれの自治体がどのように変わったかを報道することが重要ではないでしょうか。それは、一部の目立つ人に焦点を当てて、そこを切り口にするのではなく、引いた視点で、自治体運営そのものを報道することと思います。これだと、確かに素材的には面白みはないでしょうが。

ともかく、今後よりいろいろな地域が活発に動いていくことになるとは思います。なるべきだと思っています。
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目をそらしてる?

2011年11月18日 11時18分02秒 | Weblog
市、自治体が自主的にお金を稼ぐことは、ホームページのバナー広告や各種印刷物への広告くらいなど、ほとんどできていないのが現状なのに、住民・市民の人たちには'市にはお金がある'という方が多いです。ここのところの意識の変革が、これからの時代、もっと求められるべきと思っています。

市にはいってくるお金は、個人と法人の住民税や固定資産税をはじめとした税であったり、市の借金である市債、県や国からの補助金などなどです。県や国の補助金といっても、もとをただせば私たちの各種税金から戻ってきているものですから、そのまちに住む私たち、住民・市民みんなのお金とも言えます。

ここで、'市にはお金がある'という言葉と、市にはいってくるお金は、私たち住民・市民のお金だということについて、しっかり考えるべきだということが見えます。私たちが納入した税は、手を離れた瞬間に別の誰かの人格になるわけではなく、あくまで自分達の生活をよくするために、それぞれみんなが行政に預けているということで、多様な意思がそこにあるはずだということです。

その預けられたお金をどのように使うのかを考えるのは、選挙で選ばれる市長であったり、選挙で選ばれる議員と議会ですが、より多くの住民・市民の福祉の向上につながるのかを考えて最終的にそれを決めるのは議会ということのはずです。そう考えると、議会の責任の大きさをあらためて考えるところです。

ある決定をする際には、必ずしもそれに賛成の人ばかりではなく、異論を持つ人もいる。多様な意思を持つ納税者を意識すればこそ、そこに議論の必要性が生まれ、議論の過程の中で、本当の意味での結論に導かれていくのだと思います。
そう考えたとき、住民・市民のひとりひとりも、他の納税者を意識して、自分達の要望などを考えることが大切ではないでしょうか。

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気になること

2011年11月06日 11時02分16秒 | Weblog
先だってすずか倶楽部が行った議会報告会は、報告と会場からの質問への返答の際、極力議会全体として客観的に答えることを意識していました。しかし、返答した方によっては、自己の考えが出た場合もあって、なかなか運営の難しさを感じたところです。

その中で気になったことがあります。
報告会直接というよりも、議会での議論や政策に関連することです。
なにかというと、このブログでも前に話題にしたことがありますが、「中学校での完全給食の実施」に関することです。

人の話に聞いたところでは、どうやら私には「給食に反対するけしからん議員」との評価があるようで、報告会で進行を担当していたため、給食の話題が出た際に自分の意見を言わないようにしていたところ、結果として質問をされた方に「あの人は給食に反対」と思われたようでした。また別の方の話にも、「給食に反対することはけしからん」と話している人がいると聞きました。

それらのことから‘給食に賛成か反対か’のように、答えを単純化して物事をとらえる傾向が賛成市民の中にはないかということが気になります。
また、東日本大震災以降の災害への危機感を語る人が多いものの、災害への減災対策費用と給食センター建設費用と関連をつけて考え、全体としての財政面からの考えや、政策的な順位付けについても考える人が少なそうなことが気になりました。

ちなみに、鈴鹿市に中学校での完全給食実施のためには、新規で中学校での完全実施のために給食センターや学校の受け入れ体制の建設等も含め、約27億円と想定されています。給食センターを除いても、今後10年間に改修の必要があるとされている'教育関連施設だけ'で約67億円程度が必要になると想定されています。

もちろんこの他にも、公民館の男女共用となっているものを男女別にするなどの改修、地区市民センターの改修、市民会館や図書館、道路の新設や改修、橋梁の保全などなどと考えれば、必要となる金額は膨大となるはずです。もちろん、これに減災を前提としての災害対策費なども考えるべきです。

医療費などの扶助費の増大、少子高齢化と人口減少など、生活そのものと大きな関連のある要素も無視できないものです。経済についても、楽観できる要素はどこにもないというのが、これからの世の中だと考えています。

このような世の中、次の世代にどれだけ負担を送らないか、将来負担をいかに増やさないかを真剣に考えるべきで、その上での政策選択が必要だと思います。
だからこそ、3月11日以前に考えられていたことについては、しっかり見直しをするべきと考えます。そう考えたとき、センターを建設して給食を実施するということは、別の観点からも考え直すべきだと思っています。
決して、給食自体に反対ではないというのは、そのような考えがあるからです。

ともかく、多様な観点を踏まえて判断がなされない状況には不安を覚えます。
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2011年11月01日 23時11分33秒 | Weblog
ある場所とある場所が、川や谷で行き来ができないときや、つながったほうがずっといい結果があるとき、人は橋をかけてきてたのだと思う。若松地区の地域づくりでも「かけはし」という言葉で、まちづくりのつながりを表したりしているのも、そのような思いからだと思っています。

しかし橋は最初からあるわけではなく、誰かがかけようと思わなければ、かけようという思いから行動を起こさなければ、そこに橋はできないものだと思います。
はじめに橋を架けるとき、今の世の中にあるような立派な橋から架けられたわけではないはずです。はじめはそれはその距離にあわせて、切り倒した木のような粗末なものからはじまって、次第に人の往来にあわせて、橋を頑丈に立派にしていったのではないでしょうか。

橋をかけようとする意欲、橋をかけようと努力すること、橋をかけるために行動することは、つながりを作るという目的からすれば、架けた橋を批評することよりも価値のあることのはずではないかと思います。

架けた橋がそれぞれにとってプラスになることが見えるのであれば、良くない点をあげることよりもどうすれば橋がさらに良いものになるのかを意見し、一緒に橋をよくして行くことが何より大切なことではないでしょうか。

議会の報告会は、まさにそれではないでしょうか。仮に一部の議員が動き出したものであっても、それが市民と議会をつなぐことにとって有意義なことであるのであれば、その点について考えるべきと思います。

議会の大きな目的は、やはり住民・市民生活の向上にもあるのですから、それにつながる活動を、矮小化する必要もないはずです。住民・市民の視点から考えれば、多様な考えと多様な立場の議員が一緒になって議会の報告をし、また住民の意見を聴く機会もあることは、非常にプラスのことです。

せっかくつながり始めた橋を壊したくないですし、できればよりよい橋にしていきたいと私なら思います。

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