タイトルをみて気づかれる方がいるのではと思います。
自分自身で「ファーストペンギンにはなっても、ゆでガエルになるべきではない」と思っています。
ファーストペンギンは、朝ドラをご覧の方はだいたいわかって頂けると思いますが、新しい考えや変化にしり込みせず果敢にチャレンジしていく姿勢と考えだと考えています。
ゆでガエルは、周りの変化に鈍感なあまり機を逸してしまい、大変な状況に自分を追い込んでしまう姿勢や考えだと考えています。
もしかすると、危機をいち早く察知して鳴き出すカエルや、鍋から逃げ出すカエルは、ある意味でファーストペンギンと近いかもしれません。
で、冒頭のことばになるのですが、このような意識は議会にせよ行政にせよ、政治に携わる立場の人は常に意識しなければいけないと思います。私たちを取り巻く社会と自然の状況は、ファーストペンギンの姿勢だけで乗りきれるほど甘くはなく、危機やリスクに敏感なカエルの側面がなければ、結果として破綻に繋がる恐れが出ると思うからです。
だからといって、リスクや危機にしり込みするカエルや逃げ出すだけのカエルで、ファーストペンギンの姿勢がないことも、大きな失敗はないかもしれないでしょうが、ジリジリと追い込まれていくことになると思います。
自分自身で意識することはもちろんですが、自分よりも若い世代の市職員の方々が、このような意識を表に出しながら業務に取り組めるようになるとき、鈴鹿はもっと変わっていくと思いますし、そうでなければいけないと思っています。
年始の番組だったか年末の番組だったか、どちらだったのかが定かでないのですが、社会学者の加藤諦三氏が、広くみられる今の世界情勢や社会現象について、キーワードとなるものは“ 絶望 ”だとおっしゃっていたのを聞いて、腹にすとんと落ちる感覚がありました。
それは暴力的な事象だけではなく、度を越した経済活動などにもみられるのではないか、という内容だったと思います。絶望感が人を暴力的であったり、享楽的であったり、刹那的であったり、そのような行動に押しやるということは、極端に表に出ている社会現象についてその原因は特別なものでなく、実は私たちの身近にあり、それをきっかけに人は転がっていくと考えれば、一見、異様に見える事件などが大きな世の中の流れとつながるように思います。
このことを映画でたとえると、一番わかりやすいのは、もしかするとスターウォーズかなと思ったりします。フォースの暗黒面と、そこに落ちる過程がそれにあたるのかなと。アナキン・スカイウォーカーがダースベーダーへと変わっていくあたりなどはそうかもしれません。同時に、ダースベーダーからアナキンに戻ることができるところも、絶望から立ち直る過程としてあてはまるのかもしれませんね。
しかし、この“ 絶望 ”感は特別なものではなく、些細なことも含めれば、私たちのすごく身近なところに存在するものであるし、私たち自身がそれを感じやすいことをから目をそらしてはいけないと思います。
“ 絶望 ”に目を向け、それにどう向かい合うかによって、私たちのこれからが変わっていくのではないかと思います。絶望感に共感し、それを昇華させるような行動に私たちが取り組むことができたら、世の中はもっと寛容になり、次のステップに私たちは踏み出せるような気がします。
3期目の1年が過ぎました。本当にあっという間です。
会派では一番下の年齢ですが、これまでの経験もあり、会計担当など番頭さんのような役回りで動いてきています。どこまでできているかは、周りの方の評価でだいぶ違うと思いますが、自分としては意識の置き方など、自分を変化するように行動してきました。足りないところは多々ありますが・・・
さて、自分でここまでを振り返ると、手前みそな話になりますが、市議会議員として市政に取り組むにあたり、農業で言えば土作りや農地を耕すような、そのような形の動きで市政に携わってきて、それが行政職員の方々の動きとあわさりながら、鈴鹿市の政策の動きに繋がっていることが多くあるとあらためて思います。
例えば、鈴鹿での地域医療について、自分の議員としての1期目に、鈴鹿市内での小児救急体制が夜10時以降は市外病院での対応になるという課題がありました。当時から鈴鹿の地域医療を応援する会で活動しており、一般質問でも取り上げ、鈴鹿での地域医療について関心を深めました。
その後、丹波市など先進地を視察したり、いろいろな研修に参加し学んだり、また応援する会で行政や消防と連携して市民の方むけの勉強会を運営したりするなかで、小児救急の課題は単純に解決できるものではなく、医師不足や安易な受診行動の抑制の課題、三重県の政策との関係、医師派遣を行う大学との関係など、広い視点から政策として考えて組み立てることが必要だと考えました。
その考えの上で、常任委員会での活動や一般質問、また日々の議員活動を通じて、鈴鹿市の地域医療のあり方に取り組んできているのですが、そのひとつの成果が、健康づくり課に地域医療グループが設置されたことだと思っています。
別の点では、行政が市民参画を進めることをポイントに置き、いろいろな場面で提案してきたことがあります。
特に総合計画や都市マスタープラン改定の過程で、これも一般質問や委員会などでの発言、担当課での懇談を通じて、行政側に働きかけてきました、これらについても、行政職員の方々の動きがあって、都市マスタープランで地区別検討会議やオープンハウスの開催、総合計画で無作為抽出アンケートの回答者の方々と行政職員がワークショップで話し合うなどに繋がったのではないかと思います。
市民参画の場の拡大と深化は、これからの鈴鹿市にとって重要です。このような場に参加する人が増え、そこで得た知識や経験を身近な人に広めることが、鈴鹿市全体の底上げになるはずです。当然ながら、その変化の中で、行政も議会も変化せずにいられないはず、変化し適応していくべきだと考えています。
2期目の活動の中では、ここまで書いてきたことに加えて、財政面からの鈴鹿市の持続可能性についての政策にも力を入れました。この中では少子化と高齢化の進行、そして人口減少という面も折り込みながら、質問を構成するように意識してきました。
学校や公民館をはじめとした公共施設、道路や橋などのインフラ、水道管などの水道施設、それらの維持更新などマネジメント面について行政側に問いかけながら、それらが市民にとっても課題ということを、できるだけ議場という公開の場で取り上げるように意識しました。これらについても、国の動きもありますが、公共施設マネジメント白書の発行などに繋がったかと思います。
議員がなにか政策を実現しようと考えるとき、市民サービスを拡大する話は耳ざわりが良いですが、それを実現するための財源はどうするのかと考えれば、都合の悪いことにも目を向け考える必要があります。公共施設やインフラなどに関する課題は住民の方の要望も多い部分で、これらをどうするかという見通しがない状態で、行政サービスを増やすことは、めぐりめぐって次の世代にいろいろなツケをまわすことに他ならないと思います。
このような形で取り組んできていることは、行政職員の方々との連携や力添えがなければ実現に繋がらなかったでしょうし、もちろん議会内で同じような意識を感じている方々がいなければ難しい話です。
ともかく、これまで耕して種をまいてきたものをベースに、これからの政策に取り組んでいきます。