昨日は阪神淡路大震災から17年目でした。
あの日、テレビで燃える神戸を見たときの衝撃はいまだ残っています。ボランティアではありませんでしたが、地震から1週間後、バイクで171号線を使い大阪から神戸に至る道で見た、神戸のまちの中の状況、マンホールが浮き上がり、給水車で水を待つ人、倒壊した阪神高速、自然災害に対する自分たちの小ささを感じました。
その後、復興の過程でコミュニティから切り離されて孤独死を迎える方がいらっしゃったこと、行政の再建計画の過程で住み慣れた町から出ていかざるをえなくなった人がいたことなど、考えることがたくさんありました。
そして昨年の東日本大震災。
阪神淡路後、放送大学の地学の講座を見ているとき、日本周辺は活動期に入ったという話を聞いていたことを改めて思い出しました。
そんな昨日は、メディアで関連しての放送がありました。
NHKのクローズアップ現代では、釜石の奇跡と呼ばれる子どもたちの行動について、子どもたちの声を聞きながら考えていました。また、10時からの放送では、阪神淡路で被災し、そこから復興に携わった方々のそれぞれの取り組みを取り上げていました。
釜石の子どもたちの行動について、教育の大切さを私たちに投げかけていることは間違いありません。子どもたちは学んだ知識を元に、それぞれに考え行動し、大きな被害から逃れている。学んだことを自分の知識として捉えて、自分のことと置き換え行動したのだと思います。
放送中、津波の強さを実験した映像がありましたが、映像はスマトラ沖地震での津波被害の後、テレビなどでも放映されているものだったと思います。多くの大人はスマトラ沖での津波の映像を見、それを特集した番組を見ていた人も多かったのではないかと思います。
それでは、スマトラのそれをリアルタイムで見ていなかった子どもたちとの違いは?と考えると、見た映像や情報に対してどれだけ自分にも起こりえることと考えていたかということかもしれません。
「逃げる」このことをシンプルに考えることなのでしょう。そこから、自分は自分たちはどう行動するのかを整理することが大切と感じました。
行政職員として都市計画に取りくんだものの、住民との話し合いがうまくいかず、そのことでまちの復興に支障が出た経験を持つ方は、今回の震災で被災地に入り、住民との話し合いの大切さを伝えて、復興計画づくりに協力している。
商店街の復興に援助されている方は、自分たちの復興経験での苦労を踏まえて、自分たちの持つ情報を、交流のあった商店街の方々に伝え、復興を援助している。
建築家の方は、阪神淡路大震災で焼失したりして住む場を失った長屋の住民の方々の住まいをもとあった場所に再建するために取りくみ、その経験を今回の被災地で活かそうとしている。
これらは復興の局面だけでなく、これから被害を想定している地域にとっても示唆に富んでいると思います。
この二つの番組を見終わって考えたのは、被災地の復興の局面で、どこに住むのか、どのように住むのか、どのようなまちを創るのか、子どもたちの声をやはり聴くべきではないかということです。
東北地方の太平洋岸のまちにとって避けられない津波という自然の脅威も考えながら、これから10年、20年、それ以上かかるかもしれない町の復興は、次の世代の課題でもあると思います。子どもたちは大人と同じように、それ以上に敏感な心で津波とその被害を経験している。その経験は非常に大切です。なぜなら、復興の過程の中で、彼らは大人になっていくからです。
だからこそ、復興計画を今の大人だけで急いで考えるのではなく、子どもたちの考えを聞きながら、複数世代にわたるものにしていくことが大切だと考えます。
あの日、テレビで燃える神戸を見たときの衝撃はいまだ残っています。ボランティアではありませんでしたが、地震から1週間後、バイクで171号線を使い大阪から神戸に至る道で見た、神戸のまちの中の状況、マンホールが浮き上がり、給水車で水を待つ人、倒壊した阪神高速、自然災害に対する自分たちの小ささを感じました。
その後、復興の過程でコミュニティから切り離されて孤独死を迎える方がいらっしゃったこと、行政の再建計画の過程で住み慣れた町から出ていかざるをえなくなった人がいたことなど、考えることがたくさんありました。
そして昨年の東日本大震災。
阪神淡路後、放送大学の地学の講座を見ているとき、日本周辺は活動期に入ったという話を聞いていたことを改めて思い出しました。
そんな昨日は、メディアで関連しての放送がありました。
NHKのクローズアップ現代では、釜石の奇跡と呼ばれる子どもたちの行動について、子どもたちの声を聞きながら考えていました。また、10時からの放送では、阪神淡路で被災し、そこから復興に携わった方々のそれぞれの取り組みを取り上げていました。
釜石の子どもたちの行動について、教育の大切さを私たちに投げかけていることは間違いありません。子どもたちは学んだ知識を元に、それぞれに考え行動し、大きな被害から逃れている。学んだことを自分の知識として捉えて、自分のことと置き換え行動したのだと思います。
放送中、津波の強さを実験した映像がありましたが、映像はスマトラ沖地震での津波被害の後、テレビなどでも放映されているものだったと思います。多くの大人はスマトラ沖での津波の映像を見、それを特集した番組を見ていた人も多かったのではないかと思います。
それでは、スマトラのそれをリアルタイムで見ていなかった子どもたちとの違いは?と考えると、見た映像や情報に対してどれだけ自分にも起こりえることと考えていたかということかもしれません。
「逃げる」このことをシンプルに考えることなのでしょう。そこから、自分は自分たちはどう行動するのかを整理することが大切と感じました。
行政職員として都市計画に取りくんだものの、住民との話し合いがうまくいかず、そのことでまちの復興に支障が出た経験を持つ方は、今回の震災で被災地に入り、住民との話し合いの大切さを伝えて、復興計画づくりに協力している。
商店街の復興に援助されている方は、自分たちの復興経験での苦労を踏まえて、自分たちの持つ情報を、交流のあった商店街の方々に伝え、復興を援助している。
建築家の方は、阪神淡路大震災で焼失したりして住む場を失った長屋の住民の方々の住まいをもとあった場所に再建するために取りくみ、その経験を今回の被災地で活かそうとしている。
これらは復興の局面だけでなく、これから被害を想定している地域にとっても示唆に富んでいると思います。
この二つの番組を見終わって考えたのは、被災地の復興の局面で、どこに住むのか、どのように住むのか、どのようなまちを創るのか、子どもたちの声をやはり聴くべきではないかということです。
東北地方の太平洋岸のまちにとって避けられない津波という自然の脅威も考えながら、これから10年、20年、それ以上かかるかもしれない町の復興は、次の世代の課題でもあると思います。子どもたちは大人と同じように、それ以上に敏感な心で津波とその被害を経験している。その経験は非常に大切です。なぜなら、復興の過程の中で、彼らは大人になっていくからです。
だからこそ、復興計画を今の大人だけで急いで考えるのではなく、子どもたちの考えを聞きながら、複数世代にわたるものにしていくことが大切だと考えます。