鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

次の世代へのアプローチ

2019年04月23日 14時24分01秒 | Weblog

 選挙戦が終わり4期目に入ることになりました。すでにこれまでの間、いろいろと気づいたり、お声を頂いたりした案件などについて、担当課で意見を交換するなど動き始めています。

 その中で、子ども政策と若者政策に関係する部分になりますが、あらためてシティズンシップ教育、主権者教育について、担当課で簡単ですが意見交換をしました。その理由は、市長選挙が無投票になったとはいえ、投票率が県議会議員選挙よりも低率の47.19%となったことと、若い世代との関係を考えたことからです。

■鈴鹿市の投票率などについて

 だからと言って、難しい話という訳ではありません。今回の選挙の中で、選挙カーに無邪気に手を振り声をかけてくる小学生、街宣をしているときわざわざゆっくり話を聞いていた中学生の子が嬉しそうに握手してくれたこと、選挙が終わってから朝の交差点で立っていると「おめでとうございます」と声をかけてくれた中学生、少し前に書きましたが生徒会の立候補演説の練習をしていた小学生の子たち・・・、彼らのことを考えると、なにか行動をおこし、形にしたほうがいいと考えたのです。(写真はイメージ)

 もしかすると、子どもたちは選挙カーを面白がっているだけなのかもしれません。しかし、そこには否定的な感情はほとんど感じられず、こちらがあいさつしたり、話しかけたりすると、素直に反応が返ってくることも多いです。それがなぜ、大人になるほどに否定的な反応が増えるのかを考えると、“単なる一過性のイベント”や“よくわからない”、“何をやっているかよくわからないのにうるさい”と言ったことが増えるからなのだろうと思います。

 そう考えたとき、選挙カーを使った選挙が終わった後、現時点の鈴鹿市議会では、子ども達にほとんどアプローチが行われておらず、もしかすると、子ども達も“その時だけだね”と思っているのかもしれないと思います。ただ、生徒会選挙などがあることで、選挙への親近感のようなものは、ある一定の水準で持っているかもしれません。しかし、これが年齢を重ねるとどんどん選挙から距離が離れていき、また「自治」との関わりも薄まることで、“選挙というものはめんどくさいものだ”という感覚が強化されるのではないでしょうか。

 では、このような状況にどのような手を打てばよいのか、今日、教育指導課と意見交換と懇談したということです。

 昨年はティーンズミーティング(高校生報告)を鈴鹿市議会では実施しましたが、自分の考えは、市内30の小学校で「独自の補助資料をつくり、各小学校で議員が市議会のことについて、出前授業を総合の時間などで行っていったほうがよい」ということです。それを、2~3名の議員グループで毎年おこない、説明と質問・意見交換を行ってはどうでしょうか。授業時数を2コマ使えば可能ではないかと思います。中学校でも議会が主体となる取り組みを実践できればと考えます。

 高校生報告会についても、昨年は議場を使い行いましたが、検討の過程で、私は意見として各高校ごとでの報告会を提案していますし、地域課題解決型学習のような形にしていき、実際に地域課題に取り組む学習を深めてはどうかと考えます。また、陳情や請願などにつなげる取組も行ってはどうかと思います。

 しかし、これらの取り組みを議会が主体となって進めるとしても、議会や議員のための取り組みということではなく、子どもや若い世代の成長を支援する取り組みであることを忘れてはいけないと思います。「教えてあげる」ではなく、「共に学び、共に成長する」という視点が重要で、そのことを通して、鈴鹿市での議会を通じた民主主義が育ったり、自治の意識の高まりにつながると考えます。

 実現につなげたいと考えています。

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厳しい財政について

2019年04月13日 13時34分53秒 | Weblog

  鈴鹿市の財政は厳しいと、行政の説明でよく聞くことがあります。しかし、その中身が語られることはほとんどないのではないでしょうか。平成31年度予算では、歳入と歳出ともに633億6700万円が骨格予算として計上され、この後の肉付け予算といわれる部分も含めれば、総額はさらに大きくなります。その金額だけを見ればお金があるように見えますが、実際はどうでしょうか。

 鈴鹿市の歳入(収入)をみると、独自に使い道を考えられる「一般財源」と、使い道が決まっている「特定財源」があり、その比率はおおよそ6対4です。つまり入ってくる分の約4割は使い道が決まっています。歳出(支出)をみると、約5割が人件費、扶助費、公債費で構成される義務的経費(支出が義務付けられている)です。つまり、予算額が大きく見えても、独自に使える枠はかなり小さいことが考えられます。

 この指標としての「経常収支比率」について、これは「独自で使えるお金に対して、固定費となるお金が、どれだけの割合なのか」を示すものです。この数値が80%を超えると、独自に使える枠が少ない、「財政の硬直化」といわれる状況になっていると言われます。次の図はこのことを表したものです。

 経常収支比率について、鈴鹿市は平成13年に77.7%だったものが、平成29年には93.9%になっています。これはこの間に、固定費となる政策を実施してきた結果と言えますこのことを金額でみると、独自に使えたのは平成13年は約82億円だったのですが、平成29年度決算の時点では約23億円にまで縮まっています。このことが「厳しい財政」という言葉が示すことです。この間には、基金(自治体の貯金)全体の減少もありますし、臨時財政対策債の増加という課題も存在しています。

 このような状況が続けられてきているのは、図の右側のグラフに見えるように、税収が大きく減少することなく、ある一定の水準で推移してきたことがあるからといえます。しかし、前回のブログに書いているように、なんらかの理由で、この金額が下向きになった時どうなるのでしょうか。財政調整基金に余裕があるのであれば、一時しのぎをすることは可能かもしれません。しかし、それを続けることは難しいでしょう。

 そう考えれば、将来に向けての負担を減らすために、経常経費の抑制に取り組まなければいけませんし、それは要望されるすべての政策を実現することは難しいということとつながるでしょう。また、入れ替わるときがいつか来る可能性があると想定して物事を考え、行動する必要も出てくると考えます。

 そうなったとき、「なくてはならない事業」、「あるにこしたことはない事業」、「必要度の低い事業」と仕分ける必要が出てきます。その上で事業を選択していくことに対しては、市民、行政、議会のすべてが責任をもっていかなければいけなくなると考えています。だからこそ、聞こえのいいことだけを政治は語るべきではないと考えています。

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市財政と人口減少の影響について

2019年04月13日 12時46分41秒 | Weblog

 今回も座談会でお話した内容から。鈴鹿市の人口減少が、財政にどのように影響するか、自分なりに考えたことです。

 次の図は、国立社会保障人口問題研究所のデータから作成したものです。鈴鹿市人口ビジョンでも、2015年から人口減少局面に入っていることが示されていますので、2015年から2045年にかけての人口推移から考え、特に生産年齢人口と個人市民税の関係に着目しました。個人市民税については、決算カードから引用しています。ただし、計算については単純に比率から算定したものになっています。 

 社人研のデータでは、15歳から64歳の生産年齢人口について、2015年は12万2021人、2030年には10万5318人、2045年は7万8323人と減少する予想となっています。個人市民税について、2015年は112億5777万700円でした。そこで、2015年とそれぞれの年度の人口について比較し、その比率を個人市民税の額にかけて計算すると、2030年は97億1546万1551円、2045年は72億2749万2834円という形になります。

 このことから、あたりまえといえばあたりまえですが、人口減少は税収減小とはっきりつながることがわかります。この当たり前の事実をどれだけ真剣に考えているのか、そこは問われる点ではないでしょうか。

 この税収減に対して、個々の収入が変わらないのであれば、人口を増やす施策で税収を確保するという考えになるでしょうし、人口が減っていくのであれば、個人の収入を増やす政策を考えなければいけないということになるでしょう。それらを組み合わせることが、これからの政策選択です。

 ただ、人口増の政策について、自然増となる出生数を増やす政策をとったとしても、生産年齢人口(15~64歳)から考えられるように、生まれた子が働き始めるまでには、最低でも義務教育を終えなければいけませんから、仮に出生数が増えても15年間は労働などから税収が増えることは期待できません。

 社会増となる政策について、他の地域からの移住を期待することは別の地域の人口減とつながることですし、外国人労働者の方々の受け入れを増やすことはその方々たちの生活と今の社会との融和の課題とつながるでしょうから、なんらかの形で社会的なコストが増える要因も抱えていると考えられます。

 個人の収入を増やす政策について、最低賃金を上げることが考えられますが、そのためには企業の生産性向上や、労働力を低く抑えて雇用しようとする考えの転換、私たち自身もものを安く手に入れるためにはどのようなことがあるかを考えるなどが必要になるのではないでしょうか。

 つまり、ある対策がそのまま解決につながるとは言えない状況です。そのようなことを政治が深く考えず、目先の人気取り政策に走ってしまえば、行き詰まるスピードを速めるだけになり、決めた人たちがいなくなったころに、選択の余地がない状況に追い込まれるのではないでしょうか。

 このようなことを避けなければいけないと思っています。

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市財政と議会

2019年04月13日 09時54分01秒 | Weblog

 三重県の財政が厳しいと、県知事・県議会選挙を前に新聞で記事として取り上げられていたりしました。このことについて、知事の財政運営という観点から記事が書かれていたりしたのですが、これは三重県全体として考えると、政治の責任が半分しか語られていないと考えます。

 次の図は、学生インターン生への説明や、自分の報告会で用いたパワポ資料からです。要点は、自治体の財政について、議会にも責任があるということです。 「行政はお金がないのか」と一般質問で行政側に問う議員の方がいらっしゃったりしますが、議員一期目から違和感を感じています。なぜなら、行政の持つお金は、つきつめれば『税金』なので、それを他人事かのように言葉に出されることは、税を使う意識に乏しいのではないかと思うからです。

 行政は、することが義務付けられているものや、総合計画にのっとった事業を基本にして、予算案を作成して議会に提案します。そして、それを議会は審議して、修正が必要であれば修正をして、認めるのか認めないのかを決めます。この議決という大きな権限が議会にあるわけですから、厳しい財政状況というときに、議会が関係ないふりはできないと考えています。

 ですが、「あれも、これも」と税を使うことを提案するばかりで、その実現のための財源は、行政に考えろとばかりに質問される方もいらっしゃったりします。ですが、財政に対する責任は議会にもあるのですから、提案するのであれば財源についても考えを持って臨むことが、議員には必要と考えています。

 ただ、財政の課題について10年、20年といった期間で考えられることはあまりなく、4年間の任期期間、もしくは単年度での視点が多いのではないかと思います。しかし、財政破たんや財政危機といったことは、決して他人事とはいえなくなっている今、多様な視点や考えを持つ議会が、財政について真摯に議論する必要は、これまで以上に高まっている、というより、必須の事項だと考えます。

 たびたび、ブログにも取り上げさせて頂いたりしますが、国の「平成31年度予算の編成等に関する建議」について、ぜひご一読頂いて、議会と財政、そして私たちの生活について、一緒に考えて頂ければと思います。

■「平成31年度予算の編成等に関する建議」

 

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市民と、行政と、議会・議員と

2019年04月12日 14時47分51秒 | Weblog

自分が議員になろうとした動機のひとつに、地域の市民活動をしていた時、当時の市の管理職クラスの人と意見交換する場があり、その際、「バッジがついているかついていないかで、話の聞き方が違うのか?」を聞いたときに「違います」と言われ、そのようなまちではいけないと考えたことがあります。その考えを鈴鹿で実現していくためには、市議会議員となり行動することだと考え、三期十二年、議員活動の中で市民参加や地域づくりなどを訴えながらいまに至っています。

次の図は、三期目に学生インターンを受け入れているのですが、「市民、行政、議会」の関係を自分なりの考えとあわせて説明するためにつくったものです。この図を話すときは、行政も議会も市民と別のところにあるということではないということと、選挙の部分では、投票や立候補だけではなく、市長にも、議会と議員に対しても「リコール」の権利を持っていることを話しています。

この図の説明で押さえたいことは、「自分のまちを住みよいまち、魅力的なまち」にするには、市民としての関わり、行政職員としての関わり、議会(議員)としての関わりが考えられますが、別々に存在しているのではなく、「市民」に行政も議会も含まれているということです。ですから、行政も議会も、市民の皆さんが力をつけ、市を良くすることに参画できるような制度づくりをすべきだと、私は考えています。

このことについて、三期十二年の議会活動の中、いろいろと意見をしてきたことで、行政も議会も変わりつつあると考えています。しかし、このことは一人で実現したわけではなく、行政であれば関係職員の方々、議会であれば他の議員の方々や議会事務局職員の方々の動きがあってこそのものと考えています。

行政については、総合計画2023前期計画策定の際は、無作為抽出のアンケートからワークショップに参画するような動きがありました。都市マスタープランの策定の際も各地区別の検討委員会が開催されるなど、行政は参画機会を増やしていると思います。また、若い世代の参画についても、行政側は進めています。

議会についても、議会基本条例の制定後、市議会主催の議会報告会の開催が定例化していますし、昨年は鈴鹿市議会で初となる「ティーンズミーティング(高校生報告会)」の実施など、すこしずつ進んできていると考えています。高校生報告会については、広報広聴会議で実施することに私もこだわって発言し、それを当時の野間議長が拾い上げて頂いたことで実施につながったと考えています。

鈴鹿市では地域づくり協議会の動きも進めています。この動きについては、地域でどのようなことを実現するのか、その実現のために行政内部での連携は進んでいるのか、各種計画の中で“地域”の考えは共通したものになっているのか、地区市民センターの位置づけなども含めた団体自治の政策の進捗など、行政側の体制整理に不足があると考えています。しかし、この地域づくり政策を通して、住民主体の地域活動を活発にし、道路の維持補修なども含めて、地域で自律していく取り組みを進めることは、避けて通れないものだと考えています。

このような動きの中で、議員のすべき仕事はなにかということも精査し、議員定数のあり方も見直すなど、人口減少にあわせた改革を行っていくべきだと考えています。

 

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子どもたちから選挙を考えました

2019年04月09日 07時30分23秒 | Weblog

昨日、いろいろと地域を歩いている中で、少し微笑ましい光景に出会いました。

それは愛宕小学校の近くを歩いていたときのことです。校庭の端にあるブランコで女の子が二人いたのですが、一人の子はブランコに乗り、もう一人の子はその子の向かいに立っていました。なにをしているのかな?と思っていると、立っている子が大きな声で話していました。
聞こえてきた内容は、「私が副会長になったら、廊下走りをなくしたいです。」ということで、生徒会の立候補演説の練習をしているところだったのです。もう少し聞いていると、「やっぱり書記にしようかなぁ」と話していたので、思わず「やりたい方でがんばりなよ」と声をかけました。すると、二人は笑っていたのですが、お互いに話して練習を続けながら、どうするかを考えていました。
自分は、今の時期にその姿に出会ったのは、なにか意味があるからだろうと思いつつ、その場を立ち去りました。

いろいろと思い出しながら、どんなことが関係しているのか考えたところ、大きく三つありました。
一つは、廊下走りをなくしたいということを、先生方も含めてどう実現に取り組み、生徒全体の体験にできるかが大切だなということ。
二つめに、生徒会に立候補するときは女の子の割合が高いのに、大人の選挙はそうならないのはなぜかということ。
三つめに、大人の選挙になると、生徒会の選挙でしているような、立会演説で候補者を比較することが極端に少なくなることを、大人がどう考えるかということです。

一つめについて、生徒会選挙を学校行事の一つとして、パフォーマンスだけにならないようにする配慮の上で、公約を実現に繋げることを、子どもたちの体験として共有できるようにすることは、シティズンシップ教育の面からも重要で、大人が枠をはめすぎずに、子どもたちが自発的に考えることと、行動に移すまでに合意形成に取り組むようにするなどを尊重していくべきなのだと思います。コミュニティスクールの取り組みと連携することも大切な要素になるはずです。

二つめについて、女性議員が少ないのは、男性社会の影響があるからだと、少し前にテレビの報道番組でコメンテーターが言っているのを聞きましたが、それはもう少しいうと、高齢男性が優位になりやすい構造のことではないかと思います。このことは男女問わず若い世代全体に言えることで、議席の中で若年層の割合を増やす取り組みや制度づくりをすれば、女性の割合が増えるのではないかと思います。それと、社会構造の中に「家族の反対」も入れるべきでしょう。また、もしかすると、一つめの体験の際に成功、もしくは達成した満足感のようなものが得られていなかったこともあるかもしれないと思います。

三つめについて、今回の県議選を通じて考えていたのですが、やはり候補者の公開討論会を実施するべきなのだろうと思います。鈴鹿市で考えると、中学校区すべてで実施するような動きがあって良いと思います。候補者の政策主張だけでなく、その場で問われる課題にどう答えるのか、実際に候補者の考えを聞く機会があることは、人気投票の要素が強い今の選挙を変えるために必要だと思います。子どもたちはしているのですから、大人が模範を示す気概は必要ではないでしょうか。

子どもたちの姿を見て、あらためて考えさせてもらえました。
練習していた子が、実際に生徒会に立候補して、自分の思う立場に当選してほしいなと思いつつ。

(写真は直接その子たちを撮るわけにはいかなかったのでイメージです。)

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政治は身を引き締めるべき

2019年04月07日 14時16分56秒 | Weblog

人口が右肩上がりに増える時期から、若年人口と生産年齢人口が減少する局面に入ってからも、いろいろな公共サービスや公共施設やインフラを増やしてきたことが、今の国と地方の長期債務の状況に至っていると思います。それは政治の責任だけではなく、私たち自身も選挙を通じてなどの形で、それに関係していることは否定できません。そのことは「平成31年度予算の編成等に関する建議」でも触れられていると思います。

◆平成31年度予算の編成等に関する建議

ですが、いまのような社会状況を維持するために、特例公債(赤字国債)で財政運営をしている国、地方でも臨時財政対策(赤字の地方債)が前提になっている今の状況は、とても持続可能な状況とは思えません。政治に求められるのは、次の世代にも、いまの社会をつなげていくこと、持続可能な社会とすることではないでしょうか。

鈴鹿市の臨時財政対策債の残高について、平成31年度予算の段階で約290億円あります。市債残高が全体で約470億円ということを考えると、大きな課題ということが見えます。臨時財政対策債は、自分なりに噛み砕いていうと「地方は建設に関係する借金以外は本当はしてはダメだけど、国が算定する地方交付税について、全額を出すことができないから、不足する分は後年の地方交付税で対応するから、その分は地方で借りてもいいよ。」という制度です。それが約290億円積み重なっているということは、そもそもの制度自体が自転車操業になっているということです。

このことを考えに置かず、政治を行っていくとすれば、その先にもしもの事態が起こるとして、誰の責任になるのでしょうか?もしもの事態が起こったときに「だれの責任だ」と、犯人探しで騒ぐことは政治の役割ではないと思います。政治が行うべきは、もしもの事態を想定に入れながら、いまの選択を慎重かつ大胆に行うことだと思います。

目の前の選択の是非だけでなく、それが10年後、20年後にどのようになるか、想像力を働かせながら、取り巻く状況の変化も想定に含め、選択の是非を議論するという意識を持たなければいけないと、政治は身を引き締めるべきだと思います。

 

 

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老いを考える

2019年04月06日 13時49分30秒 | Weblog

今日は、若松の深田神社で開かれていた「お花見茶会、コーラス奉納」の様子を見に行っていました。今年は、寒くもなく風もそれほどなく、桜の花がきれいでした。

その場には、白子高校茶道部の学生のみなさん、近隣の高齢者福祉施設の方々、公民館で活動するコーラスサークルのみなさん、地域の方々がいらっしゃいました。そこで地域の方とお話させて頂く中で、ふと頭に浮かび考えたのは、“老いる”ことについて、どれだけ私たちは自分ごととして考える機会があり、その上で、“老いる”という課題に向き合っているのだろうかということです。

極論を言うと、私たちは生まれ出た瞬間から“老いる”ことから逃れられないのだと思います。ただ、段階によって「成長」なのか、それとも「老化」なのか、とするだけで、人として誰もが向かいあうことになる変化なのだと思います。

そう考えると、茶道部の女子学生のみなさん、コーラスサークルのみなさん、高齢者福祉施設のみなさん、目の前の状況だけをとらえると、世代が分断されているように見えますが、実際はみなさん、“老いる”という流れに同じようにのっているのではないでしょうか。その観点から将来を展望して政策を整理、自分ごととして考えることが大切だと思います。

コミュニティの観点から考えると、地域によって違いはありますが、現在60代後半以上の方々が形成されているコミュニティへの帰属意識や交友関係などを下地に、将来の地域コミュニティの形を考えるだけでは、スマホなどの機器やSNSなどを利用したコミュニケーションが普通となり、一方で、PTA活動などから距離を取ろうとする世代の方々にとっての、地域コミュニティの形とは合わなくなる恐れがあるでしょう。できることは、社会に一定の責任を持って自分たちも生活していることを前提に、自分たちにとって、お互いに支え合う社会、コミュニティの形はどのようなものなのかを、すべての世代で考える機会を持てるような仕組みをつくり、社会を維持していくことなのかと思います。

介護予防についても同じで、65歳以上の高齢者となったときにそのことが課題に出るのではなく、高齢になるまでの過程の中でも、骨折になりにくい骨や、身体を支える筋肉量の維持、脳機能の活性化、認知症の予防といったことが関係しているということを、若い世代から考えることが大切になるのだと思います。

少子化が進む一方で高齢者人口が増加し、人口が減少していく世の中に対して、人口の数だけで物事を解決しようと考えるのではなく、これから高齢者となっていく世代が、相応の考えと取り組みで、これまでとは違う生活を実現することで、社会の変化を柔軟に受け止めて、それに適応していくという考えも必要だと思います。

いま良いと考えていることが、10年後には陳腐化している可能性も多いにあります。それにコストをかけることに気を取られすぎるあまり、将来への変化が柔軟にできず、かえって社会を混乱させてしまうことがないよう、年齢がすべてとは言いませんが、このようなことを考えられるように、政治に関わるものは意識するべきなのだと思います。

 

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県議戦終盤に思うこと

2019年04月05日 15時05分38秒 | Weblog

4月7日投開票日となる三重県知事・県議会議員選挙も、選挙運動の期間があとわずかになりました。いろいろと事務所で作業をしていると、遠くから選挙カーの声が聞こえてきます。市役所に用事で行くことがあったときも、期日前投票を行う方も多く、最終的な投票率がどうなるのかと気になるところです。

鈴鹿選挙区では、4議席に対して現職3名と新人3名の6候補が選挙戦を戦われています。それぞれの方々について、地域での活動やその他の活動、市議会での活動や実績などから、自分なりに考えることはあります。そして、その中でも県議会にいて頂きたいと考える方は複数いらっしゃいます。また、鈴鹿という地域や党派などに関わらず、他市町においても市議から県議にチャレンジされる方、県議としてがんばっていらっしゃる方々と、太くはありませんが交流させて頂いており、ぜひ県議会の場でがんばって頂きたいと思っています。

自分が候補の方々に期待したいことは、県道の補修や信号機の設置、停止線や横断歩道などの塗装などの、権限や予算を市町に移譲するなど、それぞれのまちの事情に応じて、改修などを行いやすくするようにして頂きたいということです。もちろん今の時点でも、相談させて頂いたりする県議の方々が、地域の方々の声も踏まえて、県の担当と話をするなど動いて頂いていることも知っています。

しかし、予算が県全体で考えられる中では、その順番などなかなか難しい部分があり、事業に取り組めていないものもあります。そのようなことについて、身近な議会で議論し、必要度の高いものは、そのまちの行政と議会の責任で取り組むようにすることは、必要だと考えています。また、東京都府中市で行われているような、道路の包括的維持管理について考えたとき、塩浜街道を例に挙げると、県道と市道をあわせてエリアとして考えてはどうかと思います。そのこととあわせて、税の分配の不均衡を是正して頂いて、鈴鹿の地域活性化にもつながるように取り組んで頂ける方を期待しています。

また、全県的な視点からものごとを考えて、意見を述べたり、行動して頂ける方を期待しています。

いくつか考えるところを挙げます。

学校現場で公務支援システムの導入がありますが、先生方の異動があっても、システムの違いに混乱がないように、本来このようなシステムは三重県で共通のものにしたほうがいいのではないでしょうか、このような点に取り組んで頂きたいと思います。また、部活動とのバランスや、地域課題解決も考えたカリキュラムなどの検討も期待したいと思います。

また、近隣の市町との関係が必要な地域医療について、県レベルでの議論や調整ということも取り組んで頂きたいと思います。鈴鹿市では、夜10時以降の子どもの夜間救急医療体制がしないで完結しない形になっていますが、これは、県の計画の中で津の三重病院と四日市の総合医療センターに、小児科医が重点的に配置されるという考えがあるためです。鈴鹿市政の中で市議会も含めて議論をすることは前提として、このような点について、人口20万の鈴鹿はどう考えるのか、真摯な議論を県政の場でお願いしたいと思います。また、鈴鹿市と亀山市で医療圏を形成することにもなりますから、このような点について、自治体同士だけではなく、県からの視点で取り組んで頂きたいと思います。

紀北町で都市圏の建設残土投棄の問題がありますが、人口減少の影響など南勢の問題も同じように、鈴鹿とのつながりから考えて頂きたいと思います。県の北勢には、県南部から仕事の関係などで転居し、そこに住む方も多いと思います。その方々が繋がりを感じて暮らすことが、人口減少下でも県南部地域が続いていくための要素になると思います。また、自然環境は全県民の財産という考えもあるのではないでしょうか。そのようなことも思いをはせて頂ける方を期待します。

災害について、南海トラフ地震の被害想定と対策は多くが語られますが、気候変動への適応という観点からも、長期的な視点を持って考えて頂ける方を期待します。昨年は、伊勢湾台風クラスの台風の危機が語られました。今後、このような台風が毎年発生する可能性を考えると、相応の対応を考える必要が出ると思います。海岸線の工事については、長期の環境への影響も考えなければ、漁業にも影響が出る可能性が高くなります。そのようなことと、災害対策を関係させて、県としてあるべき災害対策を検討できる方を期待します。気候変動については、白子の県水産研究所などで水温が高くても生育できる海苔品種の開発や、高温に対応できる米品種も開発されたりもしていますが、気候の変化に適応した農業のあり方も大きな課題になると考えますので、このような点にも関心を持って頂ける方を期待します。

いろいろとありますが、基本的に財源のことをきちんと考えられるということは大前提です。財源を考えずに、あれもこれもと耳触りのいいことばかりでは、いかがなものかと考えます。その点を覚悟を持って考えていらっしゃるのかは、いろいろな政策を語る前に重要な点だと思います。

みなさんはどのような方を期待されるでしょうか。いま一度、選挙公報や、候補者の方のホームページ、議会の議事録などに目を通して考えて頂くことも一手だと思うところです。

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