昨日と今日と、午前中に地元の公園づくりに関連して、予定地の雑木の伐採と後片付けのためのボランティア活動をしていました。両日ともに、地域の方々も多く参加し、予定地の伐採は終わりました。地域の人たちの力に頭が下がります。
前日はうっそうとした感じ(写真)でしたが、それも一日でほとんど伐採され、また搬出もほとんど終わり、今日は残ったものの後片付けがメインでした。
作業の中ではのこぎりはもちろん、チェーンソーなどもみなさん巧みに使われ。これまでの活動を垣間見る感じでした。
このような地域の方々の活動を見ていると、「地域社会は解体した、これからは新しい公だ」みたいなことを聞いたときに感じた違和感について、再度確認するような気持ちになります。
どれだけテーマで活動する市民活動が増えたとしても、地震などの災害を考えたとき、日々の地縁の市民活動の大切さは変わらないでしょうし、地域社会の重要性はなくならないでしょう。
それに、地域社会は解体‘した’のではなく、‘されている’と表現するほうがあっているのではないかと思います。それには産業構造の変化やそれに伴う働く場所や時間の変化、教育現場でことさらに最近地域との連携が言われますが、教育と地域とのかい離など、いろいろな理由が考えられるでしょう。
そういう社会構造の関係で、今の生産年齢世代に地域との接着点や接着意識が薄れ、結果、地域社会が揺らいでいることはあると思います。
しかし、少子高齢化人口減少社会の中で、今後、地域社会の重要性、地域社会での人のつながりの重要性は増しこそすれ、下がることはないと思います。特に、福祉面や教育面での社会的なコストを長期的に抑えるということを考えると、それに向けての地域社会の見直しや再構築は取り組む課題ではないでしょうか。
皆が安心して暮らせる地域社会づくり、持続的に生活できる地域社会づくりの中に、これからの日本社会のあり方の方向があるのではないかとも思います。
前日はうっそうとした感じ(写真)でしたが、それも一日でほとんど伐採され、また搬出もほとんど終わり、今日は残ったものの後片付けがメインでした。
作業の中ではのこぎりはもちろん、チェーンソーなどもみなさん巧みに使われ。これまでの活動を垣間見る感じでした。
このような地域の方々の活動を見ていると、「地域社会は解体した、これからは新しい公だ」みたいなことを聞いたときに感じた違和感について、再度確認するような気持ちになります。
どれだけテーマで活動する市民活動が増えたとしても、地震などの災害を考えたとき、日々の地縁の市民活動の大切さは変わらないでしょうし、地域社会の重要性はなくならないでしょう。
それに、地域社会は解体‘した’のではなく、‘されている’と表現するほうがあっているのではないかと思います。それには産業構造の変化やそれに伴う働く場所や時間の変化、教育現場でことさらに最近地域との連携が言われますが、教育と地域とのかい離など、いろいろな理由が考えられるでしょう。
そういう社会構造の関係で、今の生産年齢世代に地域との接着点や接着意識が薄れ、結果、地域社会が揺らいでいることはあると思います。
しかし、少子高齢化人口減少社会の中で、今後、地域社会の重要性、地域社会での人のつながりの重要性は増しこそすれ、下がることはないと思います。特に、福祉面や教育面での社会的なコストを長期的に抑えるということを考えると、それに向けての地域社会の見直しや再構築は取り組む課題ではないでしょうか。
皆が安心して暮らせる地域社会づくり、持続的に生活できる地域社会づくりの中に、これからの日本社会のあり方の方向があるのではないかとも思います。