鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

新型コロナ報道はウイルスと同じでは?

2022年08月19日 14時00分27秒 | Weblog

第七波といわれるようになってから連日、朝も昼も夜も、テレビや新聞のような既存メディアはもちろん、ネットニュースなどの形でも、感染者数と表現されている検査による陽性反応者数がこれまでにない人数で出ているということであったり、死者数も増加しているということが流れています。

ただ、それらの数字は総数だけが報じられていて、その内訳や内容についての情報がないままではないでしょうか。あってもそれは気づきにくいように思います。

例えば、8月19日付のある新聞の朝刊で「新型コロナ4642人が感染 三重県内最多を更新、死者5人」という見出しの記事がありました。記事も読んだのですが、感染者の症状がどのような状況や割合なのかは書かれていません。また、死者数については5人のうち3人の方が新型コロナが死因と書かれていて2人の方は違うようです。であれば、見出しの死者数は3人とするべきじゃないでしょうか。

連日の報道の中で、私たちも見出しのような感覚でとらえてしまっていて、他の状況や可能性を考えにくくなっていないかと危惧します。感染して発症する人が多くなれば重症化する人も増え、結果として死者数の増加につながることはわかります。ですが、それだけに目を向けているだけでいいのでしょうか。

そこで、ワクチンとの関係も取り上げられるところなので、30代以下の新型コロナによる死者数と、令和3年中の自殺による死者数から考えたいと思います。取り上げる資料は、いずれも厚生労働省や警察庁が公開しているものになります。

●令和3年中における自殺の状況(2022年3月15日)
https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/R04/R3jisatsunojoukyou.pdf

●新型コロナウイルス感染症の国内発生動向(2022年8月16日
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000977136.pdf

新型コロナの国内発生動向の資料を見ると、2020年1月15日以降これまで約2年半の死亡者の類型総数は3万5394人です。そのうち、30代以下でお亡くなりになられた方は、この資料から読み取ると合計で203人です。

一方、自殺状況についての資料を見ると、令和3年の自殺者数は総数で2万1007人、うち0歳から39歳の合計は5914人です。

亡くなられた方や、そのご家族の方にとっては、数字で判断されるものではないと思いますし、どちらも重い数字だと思います。

ですが、ニュースで自殺者数が取り上げられていないわけではありませんが、新型コロナの情報と比べてどうでしょうか、圧倒的に少ないと思います。なかでも、数字に見える状況でどちらが若い世代に深刻なのかといえば、自殺ではないでしょうか?ですが、私たちはどちらが問題だと考えているでしょうか。

新型コロナが課題であることは否定しません。しかし、連日流される情報は、果たしてどのような影響を若い世代に与えているでしょう。閉塞感やあきらめ、自暴自棄な感覚さえ与えてはいないでしょうか。それを考えることはあるでしょうか、メディアはしているでしょうか。

煽りたてる新型コロナ報道によって、若い世代で生きる気力や活力がそがれてしまっているとすれば、そのような報道は新型コロナウイルスと何が違うのでしょうか。そう考えると、報道によって私たちは心の健康を蝕まれているかもしれないと感じます。

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今の状況のこと、自分も、私たちでも考えましょう。

2022年08月01日 14時40分10秒 | Weblog

 各地でプロスポーツやイベントが開催されたりしている一方で、ローカルなスポーツやイベントの現場では、新型コロナの感染拡大を理由に、参加を自粛したりする動きや、開催そのものをやめる動きも出ていたりしています。
 おかしな状況だと思うのですがどうでしょうか。

 このような状況になるのは、自己判断、自己責任ということがあるから、身近な社会との関係が濃い状況ほど、動きを止めてしまうのだと思います。

 なぜそうなるのか。

 それはメディアだけでなく国や自治体などでも、感染者数(陽性反応者数)ばかりに目を向けた発信が多いからではないでしょうか。さらに、変異が出たといえば、それまでよりも悪いと思わされる情報が多いからではないでしょうか。

 その中で、私たちは自分自身で情報について考えたり、そのための情報に目を通したりしているでしょうか。少し考えてみたいと思います。

 

 そもそもですが、「新型コロナウイルス」と言われていますが、コロナウイルスは突然現れたものかといえばそうではなく、もともと風邪症候群を起こすウイルスのひとつでした。その中で、「サーズ(SARS)」や「マーズ(MARS)」が現れ、変異の中にはリスクが高い場合があるのも事実です。

「新型」として覚えきれないほどの変異が重なっている現在のコロナウイルスについて、どれだけきちんとした検証が行われていて、その上でのリスク情報がメディアからではなく、国や関連機関から公開されているでしょうか。また、私たち自身、どれだけ強くその公開を国や関係機関に求めているでしょうか。

 あやふやであるのに、はっきりした情報であるかのように思い込んでしまい、自分たちで醸し出してしまう社会の空気で、自分たちの行動に制限をかけてしまっているのではないでしょうか。

 

 メディアの報道内容はどうでしょうか。第七波といわれる状況になって以降、たしかに陽性反応者数が激増していることは事実です。そのことは否定するものではありません。

 ですが、第七波と言われ始めたころの前の週あたりを思い出すと、参議院選挙の話題であったり、街ぶらのロケ番組なども普通に放送されていたのではなかったでしょうか。

 第七波と騒いでいる現在も、テレビなどでは普通に街ぶらのロケ番組が、収録済みだからとは思いますが放送されていますし、スタジオ収録もされて放送されているのではないでしょうか。また、プロスポーツで多数の陽性反応者が出ても、メディアで活動を停止するべきだという論調は聞かないように思います。

 そう考えると、私たちはメディアのご都合主義に振り回されているようにも感じられます。下手をすると、メディアに不安を煽られながら、特定の方向に誘導されているのではないかとも考えてしまうほどに。マインドコントロールされているのではと疑い、情報を多角的に見ることが必要ではないでしょうか。

 

 そして私たち自身も立ち止まって考える必要があると思います。ローカルな事業への参加や、開催をためらったりやめたりする背景には、「感染することは悪」という感覚が、私たちの考えのどこかにあるからではないでしょうか。新型コロナウイルスが出始めた初期に、強く形成された感染者に対する否定的な意識は、時間が経っても根強く残ったままなのだと思います。

 ではここまで書きましたが、私たちは科学的な視点で、いまのコロナウイルスの状況を、自分自身で考えたことがあるでしょうか。公的な資料などに目を通したことはあるでしょうか。振り返る必要があると思います。

 感染によるリスクについても、メディアでは“ 感染するといかに大変か ”という情報ばかりを強く流し、症状が出ている人全体を俯瞰した情報は流していないように思います。そのような中で、「新型コロナウイルスは怖い」という認知が、強く私たちの中に形成されてしまっているように感じます。

 そのような認知が形成されると、違う情報や考えに触れた時、冷静に判断したり考えるよりも、「そうはいってもやっぱり怖い」というように、自分の認知を強化する方向になりがちなのだと思います。

 私自身、第六波から第七波にかけての期間で発症された方から、38度を超える発熱はもちろん、咽頭痛や咳がひどいとお聞きしています。ワクチンを接種済みの方からもお聞きしていますし、逆に未接種の方から、発症して発熱はあったものの1日程度で軽快して、その後は待期期間を過ごしていたという話もお聞きしています。

 ですので、感染リスクは、過度に楽観できるものではないけれども、同じくらいに過度に不安視するのもどうかと考えています。

 で、ローカルな事業への参加や開催についてですが、その是非を考えるときは、より不特定多数の人と接する場面との感染リスクを比較して、私たちは考えてはどうかと思います。

 

 最後になりますが、初期の完全なロックダウン以降、私たちはこの2年間強、国・厚生労働省の出す方針をもとに、緊急事態宣言の発令と営業制限やワクチン接種推進など、自治体でも取り組みを進めたり、私たち自身も行動抑制を行ってきたはずです。マスコミなどメディアは、それを強化するように新型コロナウイルス関連の情報を、不安を煽るような論調で報道し続けてきたはずです。

 その結果はどうでしょうか。

 好転するどころか逆に悪化しているように感じているなら、悪化していることが実際の状況なら、政治もメディアも、取り組みの前提に不備があるからと考えるほうが自然ではないでしょうか。それさえも、私たちに原因があるかのように感じさせられるのは違うと思います。

 前提に不備はないのか、そこに私たちも疑問を持ち考え、政治やメディアに働きかけることが大切だと思います。不備をごまかすために、常に新しいことばかりを伝えられ、考える余地をなくされないようにすることが大切だと思います。

 

 なにより、私たち自身が考えることをやめない、自分でも判断することが大切だと思います。

 

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