三重県は木材の豊富な県だと思います。
今は、植林してから50年くらいの、建材として利用できるものが豊富にあると思うのですが、それを公的施設の改修で活用することを、もっと考えて良いと思うのです。特に学校施設について、考え方を大きく転換してはどうかと思います。県であれば、県立高校の改修時期に入っていますし、県内各市町でも、公共施設マネジメントで学校施設の改修は待ったなしの状況です。もっと考えて良い課題と思います。
木材が重要な産業になっている自治体では、学校を建て替える際に、地元産の木材を活用して、木造の校舎などの施設を建設することが多くなっています。そのような施設をいくつか視察させて頂いたことがありますが、やはり良いものだと感じます。
ですが、鈴鹿市で改修された神戸中学校と平田野中学校を考えると、県産材の活用という部分については、個人的に活用されているとは思えない感覚です。
鉄筋コンクリート造が当たり前のように考えられていますが、構造から木材を使ってはどうでしょうか。今の技術であれば、耐火性も高くできるはずです。集成材などでも高層化ができるものが出ていますが、三重県内でできる技術や、技術を導入すれば、全県的な学校
壁や床についても利用することが良いと思います。
それを、交換しやすいものにして、20年で新しいものに交換してはどうでしょうか。
そうして、木材を循環するようにすれば、産業としての林業も持続的になり、山林も循環するものになるのではないでしょうか。
私たちは、阪神・淡路大震災や東日本大地震を象徴的に、巨大災害に見舞われる時代に入っています。また、地殻の活動に伴う災害だけでなく、気候変動の影響によると思われる極端な気象現象によっても、未曾有の被害を経験する時代と言えます。ですが、私たちはそのような時代ということを、本当に真正面から受け止め、いろいろな可能性から将来を考えているでしょうか。私は覚悟と、柔軟に対応することから目をそらしているのではないかと感じる時があります。
例えば、東日本大震災による津波被害について、多くの方が考える津波への備えは表面的な部分にとどまっているのではないかと感じる時があります。津波が来た時、逃げる場所が必要だと、命山や避難ビル指定といった取り組みが注目されがちです。しかし、本当にそのような施設が必要になる津波に襲われるとして、津波にほぼすべてのものが押し流された後のまちに、また住民の方々は戻り、生活を再建するのでしょうか。
愛着を持っていても、一度起こったことは再度起こる可能性がある中で、元の場所にそのまま暮らしを再建することは、はたして妥当な判断なのでしょうか。その部分について、実際に被害を受けた地域でどのような取り組みが行われているのか、継続的に情報をえた上で、今の取り組みや要望について検証されているのでしょうか、そこは将来世代に対する責任といった視点からも問われるべきではないでしょうか。名取市と岩沼市の復興の取り組みを視察した経験から言わせていただくと、危険区域指定として人が住んではいけないと地域が設定されている現状があることを、私たちは直視して考える時期ではないでしょうか。
リスクがあるのであれば、それに柔軟にしなやかに対応していくことは、過去の日本にもあったことではないでしょうか、そのことを考えた上で、巨大災害に備える取り組みをしてはどうかと考えます。
そのひとつとして、私たちは土地に価値があり、それを私有するということに慣れてきていますが、はたして想定される巨大災害による被災に対して、その考えは続けていくことができるでしょうか、続けるとしてそれが復興の大きな足かせになる可能性はないでしょうか。
津波被害について、陸上のものが全て押し流されたところを、それまでと同じ価値があると考えられ続けられるでしょうか。時間が経って、人々の記憶から薄らいだとして、それでリスクが下がるわけでもなければ、問題が解決するわけではないのではないでしょうか。
火山噴火による被害について、溶岩だけでなく、大量の火山灰によって数十センチ以上の堆積物ができたとき、どこまで私たちはその堆積物を片付けることができるでしょうか。都市部であればなおさら難しくなってしまうのではないか、その搬出場所も大きな課題になってしまうのではないでしょうか。
地球温暖化による影響について、温暖化が進むなどして海水面が上昇したとき、海抜以下になる可能性が高い地域は、相当に広いものだと考えられます。その時、巨大台風などのリスクに対して、どこまで私たちは耐えられることができるのでしょうか、被害を何度も受けることになった時、どのように対応していくのでしょうか。
これらについて、土地の私有と災害への備えという考えから考えた時、私たちは今の考え方を見直していく必要に迫られるのではないかと考えます。
つい先日、県北部の新名神が開通し、椿小学校そばに鈴鹿パーキングエリアと商業施設ピット鈴鹿がオープンしました。このことはこれまでの名阪自動車道の渋滞解消や、鈴鹿パーキングエリア近辺での事業系の開発だけではなく、鈴鹿市の西部地域にとって大きな意味を持ってくると考えています。
なぜなら、二本の高速道路が開通し渋滞の解消が見込めることで、名古屋や京都などの関西圏が自動車などによる移動で、それぞれ1時間程度の所要時間の範囲に入り、自家用車はもちろんですが、高速バスによる通勤バスの可能性や、今後の自動運転技術の展開による無人バスなどの可能性も考えれば、都市圏の中に入ったと考えられるからです。この状況に、市中央部にも向上以外にも就労場所が多くあれば、将来的な可能性は大きくなると考えます。
また、高速道路とあわせて、国道306号線についても四日市の関係地域が通りやすくなったことで、いなべ市から続く鈴鹿山脈沿いの道路として、自転車やバイクなどのツーリングの視点といった、一般道による観光面でも利便性が上がっていると考えます。新名神、東名阪、それぞれのインターチェンジが、国道306と隣接しているのは鈴鹿の特徴と考えますので、その点でも可能性があると考えます。
災害リスクから考えると、鈴鹿市は南海トラフ地震や気候変動に影響による極端な気象現象などによって、水に関係する災害リスクが心配される地域が市内各地にあります。これらについては、数十年単位の長期的な影響を考える必要がありますが、西部地域は水に関係する災害リスクが、他の地域より非常に少ないと考えられます。もし、甚大な被害をもたらす災害が起こったとしたら、もし、甚大な被害をもたらす台風が頻発する時代に入るとすれば、私たちは住み替えの必要に迫られるかもしれません。そう考えると、高速道路が二本整備された現在、復興という観点から、西部地域は可能性を有しているのではないかと思います。
このような観点から鈴鹿市の西部地域を捉え直し、20年、30年後のまちの姿、住民の生活の姿を考えて、総合計画や都市マスタープランに位置付ける時期なのだと思います。その際、人口が右肩上がりになっていくという予想だけではなく、人口減少の社会の中、一方でスポンジ化していく地域があるといった社会課題も存在することを、きちんと押さえていくことが大切なのだと思います。
このような西部地域について、私が考え、このようになっていったら良いなと思うことを以下に書いていきます。;
重点的に力を入れるエリアとして、新名神鈴鹿パーキングエリアから農村環境改善センターに至る道筋の地域を、将来的に人が居住する拠点地域と考え、西部の拠点エリアとして集約、コンパクトな市街地を形成できるようにしていくということです。その考えのもとに、各種公共施設を整理することや、福祉サービスや公共交通のあり方も整理することが必要になるでしょう。;
公共施設について、西部地域には学校施設として鈴峰中学校、庄内小学校、深伊沢小学校、椿小学校、鈴西小学校があり、公民館と市民センターも存在します。また、農村環境改善センターなどもあります。学校施設について、今後、学校規模適正化事業と公共施設個別管理計画が策定され、その維持更新のあり方が具体的な課題として上がってきます。その際、これらの学校を統合し小中一貫校として、新名神鈴鹿パーキングエリアから国道306号線の間に再編整備してはどうかと考えます。;
学校施設は地域の記憶と紐付いていますから、それらも含めて、議論と合意形成に時間がかかることを考えると、早期に選択肢の一つとして提案をする必要があると思います。;
福祉サービスと公共交通について、小中一貫校として整備すると同時に、その施設を高齢者福祉も行える施設と隣接するようにしてはどうかと考えます。そうすれば、例えば給食を親子方式で実施すると同時に、その給食を高齢者の方々にも提供することが考えられますし、屋内運動場や図書館なども利用できるようにすれば、有効活用を図れると考えます。また、このように集約することと併せて、スクールバスと地域内の高齢者移動バスを併用する形にすれば良いのではないかと思います。;
このように考えることと同時に、該当地域の土地利用の考え方を転換し、公共施設周辺に住宅が建てられるようにして、西部地域内での転居も含めながら、20年程度先にコンパクトにまとまる鈴鹿市西部の拠点となれば、西部地域だけでなく鈴鹿市にとっても意義があると考えるところです。;
“いじめ”について、今の状況でなくなるのかを考えるとき、残念ながら、形が変わりこそすれ、なくならないのではないかと考えています。もちろん、いじめをできる限りなくす方向に動くことは大切な取組と考えていますし、自分自身もいじめはなくすべきと考えています。ジュニアバレーのコーチをするときも、その点には注意を払っています。
では、なぜなくならないと考えているのか。それは“いじめ”について、大人自身が自分たちの行動を真剣に振り返り、自分たちの行動や考えを変化させる考えがあるのか、その点が非常に懐疑的だからです。
以下、調べやすいこともありWikipediaから引用しながら話をすすめます。■ いじめ ‐ Wikipedia ■
まず、どのように“いじめ”が定義されているかを考えるとき、日本ではいじめ対策基本第2条において「児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう」とされ、「児童」が対象となっています。一方で国際的には「自尊心を損なわせ弱体化させることを目的とした、執念深い、冷酷な、あるいは悪意のある企てによる、長期に亘って繰り返される不快な行為」とされ、「児童に限らない」と考えられていることがあります。
つまり、社会として子どもも大人も連続し地続きであるのに、いじめを大人の社会規範などとは別のところにあるかのようにすることで、大人自身が自分の責任を直視しなかったり、自分たちの行動を自分たちの論理で正当化しやすくしているのではないでしょうか。そう考えると、“いじめ”は全ての人にありえることだと考えなければ、いじめをなくすことは難しいと考えます。
“いじめ”の分類の考えから、教育社会学者の藤田英典氏によるいじめの4つ形態について、①モラルの低下・混乱によるもの、②社会的偏見・差別による排除的なもの、③閉鎖的な集団内で特定の個人に対して発生するもの、④特定の個人への暴行・恐喝を反復するもの、となっています。この分類から考えても、いじめは子どもだけではなく、大人社会にとっても課題であることは明らかですし、子どもと別の課題ではないことも明らかではないでしょうか。
これらのうち①、②、④は目につきやすいところで、対策もいろいろな形で取り組まれていると思います。例えば、様々な社会的マイノリティの方々に対するいじめに類する行為などについては、その解消が国際的にも取り組まれているところですし、日本国内での関心も高いところだと思います。しかし、③についてはどうでしょうか、非常に心もとない状況だと思います。
③について2つの視点があると思います。ひとつは、ある集団内でその構成員によって行われる場合。もうひとつは、ある集団の構成要因や集団規範がつくられ、そこにすでに“いじめ”と同様の仕組みが埋め込まれている場合です。後者について言えば、少数派や少数意見を抑圧するような仕組みが作られている事例は多く見られますし、それらはそれ自体に疑問を持つことがない限り、過去からの積み重ねでできあがっていて、容易には変えられないものとなっています。
つまり、大人は作られた制度や仕組みとその運用の中で、“いじめ”につながる行動を行っている場合があり、意識的であれ無意識であれ、それらの解消に大人自身が取り組まない中では、いじめをなくすことは難しいと考えます。いくら制度を根拠にしたところで、結果としてそれがいじめと同様の構造を持っているのであれば、その制度や仕組みは変えるべきものだと思います。
前に書いたかもしれませんが、いじめは「その人がその人であることを認められない、尊重されない。」という状況だと思います。突き詰めれば、憲法における基本的人権の尊重が実践されているかどうかであり、それには子どもも大人も区別はなく、すべての人が正当に評価され、その上でいろいろな活動に参加できる世の中でなければ、鈴鹿からいじめはなくならないと思いますし、日本からいじめはなくならないと考えています。
平成から令和へと元号が変わりました。思えば、学生の頃に昭和から平成に変わることも経験しており、時代の流れを感じます。その中で、自分も四期目をスタートすることになるのですが、これから先の課題を考えるにあたって思うことを書きます。
端的に言うと、「いま直面している社会状況は、いま起きたことばかりではなく、過去からの私たちの選択の影響が出ている。」ということです。それなのに、過去の出来事を振り返ることなく、そこでの自分の選択がどうだったかを考えることなく、いまの課題の解決を、現在の視点だけで考えることは、結局のところその場しのぎの取り組みになりはしないかということです。
例えば、高齢化が進むことで免許返納が増え、移動に不便を感じる状況は、たしかに今の課題といえます。その解決は自動運転などの技術の進歩も含めながら、多様な手法で検討されることが期待されていると思います。しかし、その解決を考えるとき、交通手段だけに焦点を当てすぎてしまうのは、はたしてどうでしょうか?
昔は家族に一台だった車が一人に一台と言われる中で、公共交通が減少し、身近な商店がなくなる代わりに郊外型の大店舗が増え、居住地も含めた市街地が広がっていったことは、行政の責任でしょうか?行政の責任が全くないとは言いませんが、私たちの選択が今の状況をつくる一因となっていないでしょうか。
このように考えると、移動困難の課題については交通手段だけではなく、私たちの暮らし全般にわたる見直し点が見えてくるのではないでしょうか。身近な地域で、歩いて生活がある程度の段階まで完結できるようにすること、そのような考えが広がって良いのではないでしょうか。これは、地域共生社会の考えにも合致しているはずです。また、持続可能な社会をつくっていくためにも大切な視点と考えます。
このように、物事の一面だけから解決策を考えるのではなく、過去からの変遷も含めた多様な視点から、将来に向けての対処策を考える必要が、これまで以上に高まっているのが、これからの時代、政治の方向性だと思います。