一般質問は、市政のいろいろな課題などについて、それぞれの議員が自分の観点で、行政側に政策提案的な観点であったり、論点を共有するような観点であったり、監査的な観点であったり、場合によっては市の姿勢を追及する形であったりと、本会議場で質問ができる仕組みです。ある意味で、自分の課題意識を他の議員とも共有する機会とも言えるかもしれません。
一方で、一般質問が政策実現に直結しているようなイメージがあるのか、数年前ですが議会報告会の場で、会場の方のご質問や意見の中で「一般質問で取り上げられたことはいつ実現するのか」という言葉がありました。簡潔に言うと、一般質問=政策実現ということではありません。ただ、課題を取り上げた議員は、質問の主旨聞き取りの場だけでなく、いろいろと職員と意見交換を積み重ねて質問を行っていたり、その後も意見を交換するなど、議員活動の部分で動かれていたりするので、実現につながることも多くあります。また、タイムリーな課題であると、行政も動きを取り始めていたりするので、そのタイミングが重なり実現という形に見えるときもあります。
この一般質問について、自分が気をつけていることは、自分のパフォーマンスの場ではなく、市政課題について広く議会活動の一部というように考えることです。この意識から、次の二つのことは強く意識しています。
ひとつは、過去の議事録に目を通し、関連する質問をされてる方がいた場合は、その方の議事録も読み、自分の質問と重なるようであれば、過去の引用という形で取り上げることです。
このことは、自分が議員一期目の際に何人かの先輩議員からお聞きしたことで、その時から意識していますが、自分が四期目となった今、その意味を考えるところです。このことは、質問は個人のパフォーマンスの場ではないということとつながるのですが、議会として考えた時、先に課題として取り上げた方がいるのであれば、そのことに触れることは、その議員の方をリスペクトする意味でもあるし、議会としての課題ということをより行政に訴えられると思います。
もうひとつは、財源についても責任を持って考えるということです。
このことは、リーマンショックや東日本大震災など、社会の大きな変動を経験したこともありますが、三期議員を務めさせていただく中で、自治体の財政を自分なりに真摯に学ばせて頂いた結果でもあります。極論かもしれませんが、財源を考えずに要望を訴えるのであれば、それは議員である必要はないのではないかと思います。むしろ、市民の方々が積極的に発言できる場をつくり、そのような意見を言って頂くことができるようにすることが、議会の役割ではないかと思います。
また、鈴鹿市の財政について、厳しい財政状況にあるということであれば、市長をトップとした行政だけでなく、予算や決算を議決してきている議会、議員にも応分の責任があると考えています。そう考えると、積み増すことばかりを議会で議員が訴えることは、無責任なことになってしまうと思います。ですから、見える部分の質問では財源的なことを話していなくても、行政側とのやり取りの中では、実現するための財源の考えについても意見を交わしています。
あとひとつあるのですが、当たり前といえば当たり前のことなのですが、鈴鹿市の計画などがあればそれに目を通し、その考えも踏まえながらの議論の組み立てにすること、各省庁などにデータなどがあれば、国などの考えを参考に取り入れることです。この部分は、議員であれば当然のことと思います。その部分の情報は、鈴鹿市のホームページの「行政ガイド - 計画・財政・施策」に集約されています。
例えば、公共施設に関してトイレなどの改修や建て替えなどの課題があると考えるのであれば、「公共施設マネジメント」を開いて、そこにある「鈴鹿市公共施設マネジメント白書」から目を通し、そして「鈴鹿市公共施設等総合管理計画」にも目を通してもらって、そこに財政などの展望についても考えた上で、議場で発言するのが議員の役割だと思います。
ビルド&スクラップで政策を選択するという考えからすると、これまでは議員側もビルドの部分だけを取り上げればよかったかもしれませんが、本当に実現につなげるのであれば、スクラップの部分についても考えるようにする必要があると思います。しかし、スクラップの部分は言いたくないと、公債の発行で賄おうとすれば、それは将来世代の富をあてにして、今がよければ良いという選択ではないかと考える必要もあります。
議会への関心が薄れているといわれる中、ローカルメディアなどで取り上げる際も、過去の議事録や財源の考えなども含めてもらえると、一般質問の見方がまた変わるのではないかと思うところです。