今日は午後から市役所で「発達面で気になる子の理解と対応について」と題した講演会を聞いていました。講師は済生会明和病院なでしこの山川紀子先生で、発達障がいを持つ子どもさんや、それっぽい子どもさんに接するときの考え方や、行動の方法を説明していただき、非常にわかりやすかったと思います。
今日は午後から市役所で「発達面で気になる子の理解と対応について」と題した講演会を聞いていました。講師は済生会明和病院なでしこの山川紀子先生で、発達障がいを持つ子どもさんや、それっぽい子どもさんに接するときの考え方や、行動の方法を説明していただき、非常にわかりやすかったと思います。
総合計画2023後期計画策定に関連して、市民全体に向けたまちづくり意見交換会と、鈴鹿高専、鈴鹿大学、鈴鹿医療科学大学で開かれた学生対象のまちづくり意見交換会の傍聴に、合わせて4回参加しました。最初の写真は鈴鹿医療科学大学、以下、鈴鹿大学、鈴鹿高専となっています。
率直な感想は、それぞれ会場について、どのように取り組むのかの部分の煮詰めがもう少し必要だったのではないかというところです。また、説明に1時間強かけていたので、それぞれ意見交換が30分程度かそれよりも短い感覚だったので、その点は残念に感じた部分もあります。そして市民参画と若い世代の参画という部分で、鈴鹿市の取り組みを深める必要があるのではないか、場合によっては、長期計画などの策定の際に市民参画を必須とし、その手法について規定する条例の策定ということも考えるところかと思いました。
さて、鈴鹿高専では産業関係の施策について、鈴鹿医療科学大学では医療と福祉に関する施策について、それぞれ事前に学生にアンケートを配布し、そこで出た意見をもとに会が進行されていました。会が始まる前に、資料として出てきている意見に一通り目を通してから、担当課の説明と意見交換の状況を聞いていたのですが、やはり、自分たちの学んでいる領域や関心のある領域だと、質問も多く出ていましたし、その中にはハッとする意見も含まれていました。ここをどう活かすのか、パブリックコメントも終了した中で、それぞれの課の取り組みに注目するところです。
学生対象の取り組みを見ていて、説明に時間をかけるのではなく、出てきた意見の中から「これは!」と思うものをピックアップして、参加者全体にどう考えるのかを投げかけると、声もたくさん出たのではないかと思うところす。この部分については、それぞれの意見交換会が終わった後に、担当者に少し意見を伝えました。そして、3校の取り組みが終わって思うのは、やはり市内高校での実施があればよかったと思うところです。
自分が市長であれば、このような取り組みにもっと力を入れ、市職員と市民で政策を考える参画機会を増やしながら、これからの社会を創っていきたいと考えるところです。
今の社会は、10年前、20年前、それ以上前よりも、生きづらい社会なのでしょうか?
たしかに、社会として手を差し伸べるべき課題が山積していることも事実だと思います。それらに適切に対処していくことは、私たちに求められていることだとも思います。
しかし、これまでの間に、いろいろな社会課題の解決が図られたり、不足していると思われる社会的サービスが提供されるようになったりと、世の中は変わってきていると思うのですが、それでも不足感を感じる状況、さらにサービスを増やすことが求められるのは、どこに原因があるからなのでしょうか。
バブルがはじけるまでは、いろいろなものやことが右肩上がりで、私たちは増やすこと、増えることに慣れすぎてしまってはいないのか、バブル崩壊後は、社会の変化の痛みから目をそらすために、赤字国債を発行してしのぐことに慣れてしまい、それらが相まって、未来からの収奪をしているという感覚さえ麻痺させてしまっているのではないか、そのようなことをゆっくり考える時間さえなくしてはいないでしょうか。
話は戻って、いろいろなものが不足と感じたりサービスを求めるのはなぜか。一つは、誰かに解決を依存して、自分で考えることが置き去りにされているからではないか思います。もう一つは、そのような感覚を持つ背景、自分たちを取り巻いている社会の本質的な課題について、多様な視点から想いを馳せ、そして話し合うことが少ないからではないかと思います。
国や自治体に解決策や施設整備を要望して、それが実現されることは大切だと思います。しかし、実現のためのお金はどこからくるのか。国や自治体には打ち出の小槌はありませんし、なにより、税もしくは公債が財源ということは、自分たちのお金の使い方が変わるというだけではないでしょうか。それは、今まで造ってきた公共施設やインフラをどうするのか、という課題と切り離せないことだと思います。
また、赤字国債の発行なしには運営がほぼ無理な今の国財政を考えに含めず、目の前のサービス実現や施設・インフラ整備にとらわれることは、将来に対しての決断としていかがなものでしょうか。サービスなどの切り詰めや、究極には破たんの可能性も想定に入れ、自分ごととして考えることがあれば、要求ばかりでない道が見えると思います。
本質的な課題を考えることについて、今の政策の状況は、例えるなら、健康な生活を送るために、頭が痛いから頭痛薬を飲み、関節が痛いから痛み止めを飲み、熱が出ているから解熱剤を飲み、鼻水が出るからそれを止める薬を飲み、咳が止まらないから咳止めを飲み、という状況になっているのではないでしょうか。それらをバラバラのものとしてではなく、大きな一つの要因から起こっていると考えれば、別の対処を考えるのではないでしょうか。また、その大きな要因を診断して、対処を考えるのではないでしょうか。
メディアの多くは「ある社会問題の解決策はこれだ」とばかりに、少々偏った視点で情報を提供している場合が多いと思います。また、その影響もあってか政治の場面でも、メディアを含めた世論にのることが解決という感じになってしまっている場面があるように思います。しかし、本来はどちらも多様な視点をや考えを、視聴している人や有権者の方々に伝えた上で、どのように取り組むのがいいのか、受け手の人たちと考えたり、解決に取り組むことが大切なのではと思います。
大きく社会が動くことが予想される時代、これまでや今の考えにとらわれず、一人でも多くの人が社会のことを考えられる、そういうまちづくりも意識したいと思います。
今年も気象災害により、多くの方々が被災され、また広い範囲で大きな被害が出ています。被災された地域が少しでも早く復旧されるようにと思いますし、先の台風で大きな被害を受け、まだまだ生活の復旧もままならない地域の方々についても、一日でも早く生活の復旧または復興が進むようにと思うところです。
これまで何度か中学校での部活動の改善を一般質問で取り上げ、それ以外にも担当課でいろいろと懇談を重ねてきたりしています。その部活動について、11月14日の信毎web記事ですが、『飯田の中学部活、1月「オフ」 放課後「新たな挑戦する時間に』を見出しとして、長野県飯田市で、来年1月の1カ月間を「放課後部活動オフ期間」と位置付け、試行として、おおよそ4時半の完全下校時刻以降は、平日の全部活動を取りやめ、それ以降の「社会体育活動」も完全に行わないと決めたとありました。
■信毎web 11月14日記事『飯田の中学部活、1月「オフ」 放課後「新たな挑戦する時間に』
自分の一般質問で考えた鈴鹿市の部活動の改善提案とは手法などが違いますが、飯田市の取り組みは非常に関心があるところで、試行期間を終えた後に、実施状況などをお聞きしてみたいと思っています。
さて、部活動の改善を考えるときにポイントとなる視点は、①生徒の多様な活動機会をつくる、②先生の労働環境の改善、ということで、これらに関係することから、外部の指導者の活用であるとか、飯田市の取り組みのような視点など、部活動の改善の取り組みが出てくると思います。①のことからは、学校での部活動は、なにもひとつだけじゃなく、2~3程度に関わって良いのではという考えにもつながると思います。
今回のブログでは改善案のことではなく、活動に取り組む時の価値観といえばいいのか、活動を通じた先をどう考えるのかという部分を考えたいと思います。
端的にいうと、部活動の指導の中で「生涯のなかで楽しむ」という観点がどこまで、どの程度の割合で考えて取り組まれているのかに、もう少し視点を向けて良いのではないかと、自分は考えています。中学校の期間だけではなく、もっと先、高齢者になったときにも、部活で関わったことを楽しんでくれているだろうか、どういう形で活動に関わるのだろう、ということを指導する際の考えの中に入れることが大切ではないでしょうか。
「生涯のなかで楽しむ」ということを指導において考えるだけで、おそらくですが、かなり部活動は変わるのではないかと思います。なぜなら、活動の前にまず、それぞれの人生を大切にすることが優先されようになると思うからです。そのことは生徒も先生も同じではないでしょうか。
また、「生涯のなかで楽しむ」という視点を持つと、上手さということだけが価値ではないということにつながるのではないでしょうか。たしかに、運動系にせよ文化系の活動どちらににしても成果や結果を出していることは、そこまでに至る過程などを考えると価値のあることです。しかし、目立つ成果や結果は出していなくても、高齢になってもその活動を大切にしていることも、同じくらいに価値があるのではないでしょうか。そこを教育活動としての部活動に組み入れるべきなのだと思います。
そして、生涯という時間軸で生徒のことを考えれば、成果や結果を過剰に追うところに意義があるわけではなく、また生徒による違いを尊重することが大切ということが、指導の中に自ずと入ると思います。また同じように、先生自身の人生を尊重することも、部活よりも先に考えるということが、ある意味で当然になると思います。
このような視点を、部活動の改革を考えるときに取り入れておくことが大切と思っています。