その後、鈴鹿医療科学大学のきゅうめいサークルの活動の様子を見に行きました。
心肺蘇生に関する勉強を、他の地域の大学生も参加しながら、1日かけて学ぶという内容でした。身近な大学でこのように活動する学生がいるということは、鈴鹿にとっても財産だと思います。若い世代で前向きに活動する層が増えれば、鈴鹿も日本も変わっていくと思います。良い方向に。
4月29日は鈴鹿サーキットで行われていた「BIKE!BIKE!BIKE!」に行きました。午前中だけで、すべてを詳細に見たわけではないのですが、直感的な雑感を。
ひとつめは、年々参加台数が増えるこのイベントについて、二輪を活かすという観点をもっと鈴鹿市に押さないといけないなということです。
少なくとも、このイベントに集まる3千台以上のバイクに乗っている方々は、魅力的なイベントがあれば、鈴鹿サーキットに再訪してくれることが望める人たちで、やみくもに観光戦略を打つよりも、分析して対応すれば非常に硬い層だということです。
そのためには、情報としてこのイベントを知っているだけではなく、パドック裏の駐車場も含めて、そこに集まる人たちの空気を実際に感じることが重要だと思います。できれば、サーキットを走るイベントに一緒に参加することもするべきだと思うくらいです。
そうして、このイベントに集まる人に、どのような鈴鹿の地域資源の情報を発信すれば、あと1時間サーキット外の鈴鹿市で時間を過ごしてもらえるかということが自然に出ると思いますし、どの地域に向けてメディアを通じて情報を発信すればよいかという点も見えると思います。
ふたつめは、新製品としてのバイク販売だけでなく、過去に販売されたバイクの維持のためのパーツ制作の部分で、地域経済につなげることができるのではないかということです。新しいものを否定するつもりはありませんが、やはり、70年代から90年代に販売されていたバイクについて、日本の文化資源として考えるくらいの度量が必要かと思います。
過去のバイクが好きという層は必ずいるわけで、いろいろなパーツを再生産するために、少なくとも国内メーカーは、自分たちが生産終了し、かつパーツの供給も積極的に行わないというのであれば、各種パーツの設計図を国内生産する中小企業に公開すればと思いました。今であれば、3Dプリンターなどの発達で、1個単位での再生産も容易ではないでしょうか。
こんなことをイベントに参加しながら思っていました。
いま、観光を政策として考えるとき、観光コンテンツやサービスを提供側の視点で考えることが多いように思いますが、やはり、自分が旅を楽しむ側に立って考えることが必要だと思います。そうすると、なかなかまとまった休みが取りにくいことや、道路や移動手段などが便利になった一方で効率的な移動だけになっていないか、などなども考えて良いのではないでしょうか。
観光はどこかで得た情報を確認するだけのものではなくて、自分の知らなかった気づいていなかったものに出会い、またそれに会いに行きたくなるものになれば、都市から地方という流れだけでなく、地方と地方、地域と地域という形の動きが活発になり、結果として地方が元気になると思うのです。
電動バイクで芸人さんが旅をする番組を見ていると、だいたい20キロごとぐらいに充電をお願いしないといけなくなり、それがそこの人たちとのふれあいの時間になって、普通の旅番組ではでないところも映されていました。こういう楽しみ方をできることが、今の自分たちも欲しいし、地域の活性化にもつながるのだと思います。
先日の内容は、横浜から伊勢に行くというものでした。で、三重県に入ってから鈴鹿はどう取り上げられるのかなぁと見ていたら、塩浜街道の長太の辺りから伊達家のある江島、そこで宿を探しても空いていなかったので、白子駅前のホテルで宿泊、そして伊勢街道で津に向かっていましたが、芸人さんが街道の雰囲気を「古い街並みでいい」というような言い方をしながら電動バイクに乗っていました。こういう感覚で、自分の街を見ることができれば、違った取り組みが考えられると思います。
公務員の仕事はいろいろと言われることもありますが、内向きだけではなく、外から見る感覚を養えるきっかけを、もっと許容しても良いのではないかと思います。
一般質問を聞いていると、気になることがあります。それは資料の引用や、過去の議事録などの引用、また、同趣旨の他の議員の発言の尊重についての在り方です。
資料の引用については、いつのどこの資料から引用したということをはっきりとすることはもちろん、それをもとに自分が整理して作成しているのであれば、そのようにきちんと言わなければいけないというのは、議会に限らずある意味当然だと思うのですが、意外に、そのことをきちんとされていない場面を見ることがあります。
過去の議事録からの引用について、自分が行った質問は別として、行政側の答弁だけではなく「質問はいつ」で「質問者は誰」かも簡潔に言うべきではないかと思います。同趣旨の質問を自分より前に他の議員が行っていたとき、その議員について触れることも、必ずしなければいけないというわけではありませんが、できるだけ行うほうがいいと思います。
これは行政側の答弁についてもいえることで、質問者の議員だけでなく、以前の質問者についてもきちんと触れることは、議論を深めるためにも有用だと思います。以前の質問があり、その時に質問を行った議員が働きかけた部分があって、今の考えもあると考えるのが妥当だと思うからです。もしそうでないとすれば、行政側は仕事を見直すべきでしょう。
これらに共通することは、他の意見を尊重することを通じても、議会の力はアップするだろうということです。尊重することを通じて、チーム議会としての力をアップさせていくという意識が必要と思います。
桜がきれいですね。
で、ふと思ったのですが、桜のことが話題に上がるのは開花の時期だけではないでしょうか。
夏の濃緑の葉も魅力に思いますし、秋の紅葉の時期には柿色や茜色などの紅葉と、桜には魅力があると思います。もっとも、夏は毛虫がついたりして厄介なところはありますが。
それに、桜餅の葉や花の塩漬けといった形で、見た目だけでなく、そこから感じる花の薫りを楽しむことも、桜の魅力だと思います。
もしかしたら、木材としての魅力や、スモーク用のチップとしての利用も魅力に入れていいのかもしれません。
などと考えると、桜の魅力について一面しか切り取られてないにもかかわらず、桜と聞くと桜色の花しか思い浮かばなくなってしまっていないかと、少し振り返ることがあってよいように思います。
そうすることで、桜と私たちの共生が深まるのではないでしょうか。
同じように、私たちの目の前にあるいろいろな課題についても、ある課題に対しては多様な考えの方がいると考えるようにすべきと思います。
そうすることで、私たちの社会は深みを増すように思う、桜の季節です。
3月定例会の地域福祉委員会(分科会)で、学童保育の状況についての質疑がありました。ひとつは耐震性について、もうひとつの論点は学童保育の設置と待機児童に関する内容でした。
耐震性については、ガイドラインに基準があり認可する際にチェックしているが、民家などを利用していて老朽化している施設もあるという答弁がありました。
後者について、3小学校区で待機児童がすでに予想されており、うち1地区は新設するもののまだニーズがあり待機児童が予想され、1地区は設置場所について地域との折り合いがまだついていない、1地区は解決の方向性が見えていないということでした。
ここで見えてくることは、学童保育の施設についても公共施設マネジメントの中で整理すべきということと、ニーズに対して施設や学童保育を設置するという考えでは、対応しきれなくなる状況がはっきりしたということだと思います。
そしてつい最近、鈴鹿市在住ではありませんが、知り合いと話をしている中で、小4になると学童に通わせられず、また、それ以外の施設やサービスでは子どもが嫌がるため、一度仕事を辞め、子どもにあう形で職探しをするということを聞きました。
このような状況を目の当たりにして、以前から鈴鹿市に提案しているように、学童保育という事業そのものの考えを変え、学校を子供の居場所としてとらえて、誰もがいられるような制度にすべきだと思いを強くしました。
■関連一般質問
2016年6月定例会一般質問 「愛着をはぐくむ教育について」
もちろん、委員会などでも同様の発言をしていますし、担当職員と話すときもこうあるべきだと伝えています。残念ながら、まだ動きにはつながっていませんが、方向性を変えることができればと思っています。
なぜ学校で誰もが放課後居られるように転換すべきだと考えているのかというと、それは、2014年と16年の一般質問を読んでいただければわかっていただけるかと思いますが、なにより、子どもたちにとってそのほうが福祉面でも教育面でもプラスになるはずだからです。
福祉面で考えると、誰もが行けるということで、“行かせてもらえない”子や“安心して帰ることができない”子を、学校という場で支えやすくなると同時に、それが特別な対応という形をとるのではなく、みんなが同じことを享受できる中で行うことができると考えられることは、子どもの成長に意味があるのではと思います。
教育面で考えると、誰もがいられるようにする中で、放課後の補習対応や、学校図書館を活用した学びなどによって、学校と家庭の間での学びのサポートを厚くでき、それが学習威容区の向上にもつなげられるのではないかと思います。また、これからの学校規模適正化事業をはじめとして、公共施設マネジメントを進めるうえでも、子どもの居場所となる事業を学校に取り入れて、校舎を複合的に利用することも必要と思います。
保護者の面から考えると、保護者の就労などにより学童保育を必要とする家庭にとっては、保育料の支払いや運営委員会への参画といった部分の負担軽減が考えられますし、そうすることは家庭での可処分所得を増やすことにもなるでしょう。それ以外の家庭にとっては、仮に急な用事ができた際、安心して学校にいるように子どもに伝えられることが考えられます。課題を持つ家庭にとっては、子どもが学校にいることで、その間に保護者に対する社会的支援などを行えることが考えられるのではないでしょうか。
人的支援の部分について、現在学童保育で働いている方々はそのまま就労していただくことが可能と考えますし、学校を居場所にするということは、コミュニティスクールや今後想定される地域包括ケアの観点や、地域づくりの観点からも一貫性を持たせられることが期待できます。また、各学校や公民館で行っている事業、スポーツ少年団の活動とコラボするなどすれば、相当な部分での地域での子ども支援が期待できるのではないかと思います。
財源の部分を考えると、現在、学童保育の指導員として雇用されている方々の給与は、ほぼ鈴鹿市が補助している額と同等であり、雇用を維持することは可能と考えます。ただし、公での雇用という形態をとった場合には若干負担が増える可能性はありますが、その分は、放課後の子供の居場所というサービスの拡大と充実という観点から考えれば、将来に向けても、また地域での雇用の観点からも、自治体として投資すべき分野であり、他の事業を精査する中でねん出するべきと考えます。また、人的支援の部分で触れていますが、地域力を生かした取り組みをすることで、バラバラで事業を行うよりも、整理し統合される過程で財源のねん出を考えることができると考えます。
このような考えが、現市長の子ども政策の中でどのように取り組まれるのか、しっかり政策提案を行っていきたいと思います。