今日は和光市の松本市長に面談するため、他自治体の議員と一緒に市役所を訪問していました。福祉や財政規律などについていろいろお話を頂いた後、庁内にある食堂で昼食も一緒に取りながら、さらに歓談をしていました。
その後、駅まで車で送っていただく道中の話のことで、気になったことをここに書きます。
道中、自然災害について自治体による災害への備えの違いや、想定に関する考えなどが違うべきだということを話しながら、百年に一度、千年に一度という言葉を出しながら、実際はすでに起こった災害の映像のイメージだけで語っているのではないかと、あらためて思いました。
たしかに、津波は未曽有の大災害の映像を私たちに残し、私たちに恐怖の記憶を植え付けています。それは千年に一度の大災害だったのかもしれません。過去の津波災害の歴史からしても、やはり津波は大きなリスクです。百年単位でも別のプレートが繰り返しひずみのエネルギーを開放していることがわかっており、そのリスクもやはり無視できません。
これらは次の瞬間起こってもおかしくないことですから、そのことに意識が向いてしまうことは、ある意味仕方ないことなのかもしれません。
しかし百年、千年の時間の流れで考えれば、温暖化による海水面の上昇は無視できないリスクに加えるべきではないでしょうか。今世紀末には1メートル近く海水面が上昇するということは、津波にせよ高潮にせよ、洪水にせよすべてのリスクによる被害を乗数的に大きくする可能性はないでしょうか。
海水面の変動がもっと大きな時間の中で起こってきていることは、私たちの暮らす平野の多くが、沖積平野という川からの堆積物がたまってできたものであることを考えればわかることだと思います。ただ、この変化は一人の人間の一生という時間でみたとき、ほとんどわからない範囲のもので、また影響を受けるものではないでしょうが、私たちの次の世代、その次の世代は影響から逃れられなくなる可能性があるものです。
いま、私たちはそのようなリスクを前にしています。百年千年のリスクの中に海面上昇のリスクも重ねて、これからの生活の形を考えるべき時期にあるのではないかと思います。
そんなことを会話の中から考えました。
その後、駅まで車で送っていただく道中の話のことで、気になったことをここに書きます。
道中、自然災害について自治体による災害への備えの違いや、想定に関する考えなどが違うべきだということを話しながら、百年に一度、千年に一度という言葉を出しながら、実際はすでに起こった災害の映像のイメージだけで語っているのではないかと、あらためて思いました。
たしかに、津波は未曽有の大災害の映像を私たちに残し、私たちに恐怖の記憶を植え付けています。それは千年に一度の大災害だったのかもしれません。過去の津波災害の歴史からしても、やはり津波は大きなリスクです。百年単位でも別のプレートが繰り返しひずみのエネルギーを開放していることがわかっており、そのリスクもやはり無視できません。
これらは次の瞬間起こってもおかしくないことですから、そのことに意識が向いてしまうことは、ある意味仕方ないことなのかもしれません。
しかし百年、千年の時間の流れで考えれば、温暖化による海水面の上昇は無視できないリスクに加えるべきではないでしょうか。今世紀末には1メートル近く海水面が上昇するということは、津波にせよ高潮にせよ、洪水にせよすべてのリスクによる被害を乗数的に大きくする可能性はないでしょうか。
海水面の変動がもっと大きな時間の中で起こってきていることは、私たちの暮らす平野の多くが、沖積平野という川からの堆積物がたまってできたものであることを考えればわかることだと思います。ただ、この変化は一人の人間の一生という時間でみたとき、ほとんどわからない範囲のもので、また影響を受けるものではないでしょうが、私たちの次の世代、その次の世代は影響から逃れられなくなる可能性があるものです。
いま、私たちはそのようなリスクを前にしています。百年千年のリスクの中に海面上昇のリスクも重ねて、これからの生活の形を考えるべき時期にあるのではないかと思います。
そんなことを会話の中から考えました。