今週末はいろいろな行事や用事、お世話になった方の告別式など、あっという間に時間が過ぎていくような押し流されるような中で、色々思い感じることのある日でした。
週末の一日は、混合バレーのすずかっぷの運営と、実際にバレーのプレーをしていました。すずかっぷももう6年近く開催しており、それなりに浸透させてもらっていると感じています。始めた当時は、まだまだ一緒にプレーをできるような体格ではなかった自分の子どもが、まだ十分とは言えないまでも、一緒のコートでプレーができるようになったことは感慨深いものがあります。
そのすずかっぷの運営の間を縫って、お世話になっている方のお父さんの告別式に出席しました。その方とも、一緒にお酒を飲んだりしながら楽しい時間を過ごさせて頂いたりしました。いろいろ思い出す中で心残りなことは、その方とお酒を交わせる機会にお酒を誘っていただいたのですが、そのときに一緒に飲んで話せなかったことです。そして、その機会が結果として最後の機会だったことです。
一期一会という言葉があるように、人生の中で出会ういろいろな場面は、取り戻すことのできない貴重な一瞬ということをあらためて思いました。
日は変わって、ママさんバレーのコーチとして市長杯に参加したあと、車イスの金メダルアスリート伊藤智也さんのイベントに参加していました。
ママさんバレーも普通のママさんに加え、五十路(50歳以上)やことぶき(60歳以上)といったクラスがあり、チームによっては30代から60代までが一緒にプレーするなど、生涯スポーツの一面を強く感じました。
また常々思うことなのですが、スポーツは「する」だけではなくて、「見る」ことも楽しみで、その二つを合わせたところに「コミュニケーション」の楽しみがあると思います。そう考えると、鈴鹿にはスポーツを楽しめる場が少ないと思います。公であるか、民間であるかということではなく、既存の施設を活用して鈴鹿全体として機能するように持っていくことが求められていると思います。同時に、スポーツと飲食業をつなげるなど、複合的に魅力を創出することも考えられると思います。
ともかく、時代はいつまでも待ってくれるわけではなく、時代をつかむことも大切だと思います。
貴重な時間は、大人が思う大切さと、子どもの育ちのはやさで考えるべきなのだと思います。
週末の一日は、混合バレーのすずかっぷの運営と、実際にバレーのプレーをしていました。すずかっぷももう6年近く開催しており、それなりに浸透させてもらっていると感じています。始めた当時は、まだまだ一緒にプレーをできるような体格ではなかった自分の子どもが、まだ十分とは言えないまでも、一緒のコートでプレーができるようになったことは感慨深いものがあります。
そのすずかっぷの運営の間を縫って、お世話になっている方のお父さんの告別式に出席しました。その方とも、一緒にお酒を飲んだりしながら楽しい時間を過ごさせて頂いたりしました。いろいろ思い出す中で心残りなことは、その方とお酒を交わせる機会にお酒を誘っていただいたのですが、そのときに一緒に飲んで話せなかったことです。そして、その機会が結果として最後の機会だったことです。
一期一会という言葉があるように、人生の中で出会ういろいろな場面は、取り戻すことのできない貴重な一瞬ということをあらためて思いました。
日は変わって、ママさんバレーのコーチとして市長杯に参加したあと、車イスの金メダルアスリート伊藤智也さんのイベントに参加していました。
ママさんバレーも普通のママさんに加え、五十路(50歳以上)やことぶき(60歳以上)といったクラスがあり、チームによっては30代から60代までが一緒にプレーするなど、生涯スポーツの一面を強く感じました。
また常々思うことなのですが、スポーツは「する」だけではなくて、「見る」ことも楽しみで、その二つを合わせたところに「コミュニケーション」の楽しみがあると思います。そう考えると、鈴鹿にはスポーツを楽しめる場が少ないと思います。公であるか、民間であるかということではなく、既存の施設を活用して鈴鹿全体として機能するように持っていくことが求められていると思います。同時に、スポーツと飲食業をつなげるなど、複合的に魅力を創出することも考えられると思います。
ともかく、時代はいつまでも待ってくれるわけではなく、時代をつかむことも大切だと思います。
貴重な時間は、大人が思う大切さと、子どもの育ちのはやさで考えるべきなのだと思います。