鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

本会議での討論

2013年05月30日 12時39分39秒 | Weblog
議会では、提出された議案に対して、本会議の最後に‘討論’を行うことができます。

ぎょうせいから出版されている「地方議会運営辞典」では、
・・・議会の会議において、評決の前に、議題となっている案件に対し、賛成か反対かの自己の意見を表明することをいう。
 討論は、単に自己の賛否の意見を明らかにするだけでなく、意見の異なる相手を自己の意見に同調させようと努めることにその意義がある。

と書かれています。

この討論のあり方などについて、鈴鹿市議会でも議論がされています。
現時点での意見の方向性はこのような状況です。

この後、議長をはじめとした役選があり、会派構成などが変わっていますので、まったくこのままというわけではないと思いますが、おおよその傾向として見て頂ければと思います。

今回の論点は、‘討論’を個人が行うことについて、‘会派’として意見をそろえなければいけないのかというところにあります。

ここで再度「地方議会運営辞典」での関連部分を引用すると、
・・・討論は、評決問題に対する自己の賛否の意見の表明であるから、賛否いずれともつかない討論はありえないし、代表討論はあっても代理討論は許されない。
と書かれています。

つまり、「会派を代表して」という形での委任での討論はあっても、方向性の違う考えをまとめるなどの代理討論的なものはないと考えられます。

私個人の考えとして、議員は選挙でそれぞれ別の方々に支援していただき議会に送って頂いていると思いますので、それぞれの議員に議決に対する説明責任があると考えています。
その説明責任である討論を制限することは、非常に違和感のあることと思うところです。

皆さんはどうお考えになられるでしょうか?

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あっという間に

2013年05月30日 12時10分58秒 | Weblog
前回のブログから2週間もたっているとは・・・

その間、若松海岸通り美化ボランティア活動、愛宕校区青少年育成町民会議、若松公民館での打ち合わせ、生活産業委員会の勉強会、自治総合学会、ジュニアバレー鈴鹿招待大会、自分のバレーなどなど、それらと予定が重なる形で、いくつかの行事などに行っていたりしました。

ブログを書いていないのは、自分の不徳の致すところで反省なのですが、

ちょっと放置しすぎたかなと。。。そろそろ整理する時期ですね。

6月議会も目の前に来て、議案そのものは少ないのですが、

一般質問を3項目と、議会だよりの編集委員と、しっかり取り組まなければいけません。

さて、今期の委員会の所属についてですが

●常任委員会・・・ 産業建設(前年度は委員長でしたが、今期は普通の委員として)

●特別委員会・・・ なし

●その他・・・ 都市計画審議会、議会だより編集委員会

となっており、委員長などの役職は無役ですので、

いろいろと違う動きに取り組みたいと考えています。

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南相馬 ~ 考えてみてください

2013年05月17日 02時14分50秒 | Weblog

この図を見てください。
左は、福島第一原発で発電施設が爆発して飛散した放射性物質の状況を示したものです。緑の反円部分は20キロのラインですが。
右は、福島第一原発からの距離、20キロと30キロを示している線です。

これらの地図、同じ意味なんでしょうか?

左の地図はもう起こってしまったこととその結果。
右はまだ作業が進行中の施設からの距離。

ここからは個人的な考えです。

左の地図は、福島第一原発でなにかが起こった時、放射性物質が飛散する距離を表している。風向きが少し違えば、同じくらいの範囲で拡散するということの証拠なのではないでしょうか。
右の地図は、拡散した場合に影響がある範囲を示している。

ということは、どちらの地図にも書かれている‘避難指示解除準備区域’ですが、本当に大丈夫と言えるのでしょうか。

たしかに、市街地や集落では除染作業などで空間線量が下がり、緑色で示されている区域でも、日常生活をしても問題ないであろう線量になりつつあるのでしょう。

が、まだ問題がとても解決したと言えない福島第一原発の状況の中で、本当に安心して住める状況なのか、リスクがほとんどないと言えるのかといえば、誰もそんなことはとても言えないのではないでしょうか。

私も、南相馬市に行ったときは、もしものことをある程度想定していました。大きな余震があって、もし建屋が大きなダメージを受け、待機中に大量の放射性物質がまき散らされたらなどということをです。

次の1分…大丈夫だろう、1時間…それも大丈夫だろう、1日…大きな余震があったら、10年…建物は持つんだろうか。。。

そう考えると、政治の責任は重いと思います。
国や県の役人はもちろんですが、国会も県議会も真剣にそこに住む人のことを考えなければいけないと思います。

今の大人の世代は、福島第一原発周辺で生まれ育った次世代のふるさとを奪ってしまったのではないでしょうか。
これまでの多額の補助金や補償金の話があるとしても、それは大人の世代だけの話。子どもたちにもそれを背負わせてしまうのは、大人の無責任ではないかと思います。

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南相馬 ~ 中川議員との話

2013年05月17日 01時28分41秒 | Weblog

南相馬市の中川議員のご自宅から、海の方に向いた写真になります。津波の際はここまでがれきや、それとともに自動車や御遺体が流れ着いたそうです。中川さんとお話をしていて、その光景が心に影を今も落としていることを、お話しされる表情から感じました。
写真に写っているヤギは、癒されるかと思って飼っているとのことでした。

当日は、冷たい海風が吹く天候で、震災前は海岸線に松林がありこのような風は吹いてこなかったとのことでした。海風は、伊勢湾岸の潮風とはまた違った匂いで、はじめ匂いを嗅いだ時、金属臭のようななんとも言えない感じでした。

さて、本題に入る前に地図で確認を少し整理を。
(地図をクリックして拡大してください)

南相馬市は3つの自治体が震災の5年前に合併してできた都市です。北部から鹿島区、中央部に原町区、南部に小高区となっています。
地図中の青い点線がそれぞれの区を分ける線になっています。また、この線のところは小高くなっていたりしていて、3つの平地として分けていることにもなっています。

ここでお気づき頂けるかと思いますが、この区を分ける境界、行政的な観点での境界も、地形的な境界も、ほぼ福島原発からの距離の線と重なっているのです。30キロのラインは鹿島区と原町区を、20キロのラインは原町区と小高区をほぼ分ける形になっています。前に書きましたが、この線によって、いろいろなことが変わってしまう線が、もともとのまちの境界とほぼ重なってしまっていることが問題になっているのです。

写真は中川議員のご自宅の中、津波の際は1階に海水が押し寄せ、中の家財道具などが流されてしまったとのことです。

中川議員はざっくばらんに感じたことも含めてたくさんお話しいただきました。ここには私がその場の会話をメモしたものを転記させて頂きます。ですので、ご本人が話された内容を詳細に書いているのではありませんので、ご了承ください。

・ 津波だけなら復興できただろうが、原発事故で難しくなった。
・ 住民投票で合併が選択されたにもかかわらず、合併が失敗だったという人もいる。人間関係が非常に難しい。
・ 鹿島区の仮設住宅に小高区の方が居住しているが、津波で被災した鹿島区の避難者と、東電からの補償が小高区だけということで問題が。
20キロと30キロの線引きをされたことが住民分断の原因。同じ地区でもその線が問題になる場合が。避難勧奨区域内でも同様のことが。
・ まち自体がダメになる。
・ それまでは仲良く暮らしていた同居世帯が、避難を機に家族バラバラになってしまったことも。
・ 市内に働く場所はあるが、避難した人には働く場所がないというミスマッチ。
・ 市内に働く場所があっても、有期雇用で正規ではない。
・ ゴミの焼却について、生活ごみについて大きな課題がある。
・ 震災直後は自己犠牲の精神が住民にあったように思うが、エゴが出てきている。
・20キロ圏内への居住は困難だろう。
「震災でわかったのは、国も県もなにもしてくれない」
・ 2年経っても、どこから手をつけていいかわからない。
・ 国から役人を課長職等に据えている。
・ 職員の中でも避難して転居した人がいる。
・ 対策本部で議員はオブザーバーであり発言できなかった。
・ せめて議長を対策本部に入れるべき。
・ 各地区で議員は突き上げを食らった。
・ 議員は避難所や体育館で活動していたがバラバラであった。
・ 避難所から逃げ出す人もいた。気を使ったのか、夜中にいなくなったりした。
・ 職員派遣は期間が短いと、受け入れ自治体にも負担が大きい。
除染に同意しない→補償で暮らす→働かなくなってしまう。
お金が人を狂わせる。

お話しを聞いていて強く感じたのは、宮城や岩手の津波被災とはまた違った形、被災地での‘絆’がよく言われていたりしますが、南相馬での原発事故による被災と避難は、地域内住民の‘絆’を壊してしまったという点で、非常に深刻な問題ということです。コミュニティを崩壊させつつあるといえます。

また、国と県に対する言葉は、今の国政と地方政治との関係、地方政治の中での県と市の関係を考える上で、非常に重い言葉ではないでしょうか。
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坂井市の取り組みから

2013年05月17日 00時04分21秒 | Weblog
坂井市には、昨年から自分なりに行政とやり取りしている「公共施設マネジメント白書」 について、特に合意形成の部分に焦点を当てる形で視察を行いました。

鈴鹿市においても、現在、公共施設カルテを作成しているところですが、それはあくまで施設情報だけで、それから後の手順が非常に重要だと考えます。
手順について、議会はもちろんですが、市民との間に公共施設の維持更新問題に関する情報をいかに伝え、大まかな方向性について合意をいかに形成していくかということです。

そのことについては、坂井市のスケジュールを参考に整理をすれば、鈴鹿市でも同様の動きができると考えますが、そのためには、白書を作成する際に必要となる人口動態や、財政状況の推移を含めた財政白書的な情報を整理する必要があります。後者については、議会内有志での動きもあることから、それらと連携させる考えもありえます。

つまり、施設カルテが完成した時に、市民向けに啓発活動を行うべきですし、その際に、鈴鹿市の状況がわかる資料も必要です。
この啓発活動をどう行うのか、坂井市の動きを参考に考えると、現時点の鈴鹿市ではそれぞれの地区の自治会長会、もしくは公民館区ごとに行うかなどの整理が必要と考えます。

また、視察の際に気づいたことで、白書を作成して終わりではなく、その後も進行管理を行っていくために、作成の際の合意形成の動きを、なんらかの形で継続していくことが必要と思います。
例えば、白書は作成後、そこに書かれていることをどのように実行していくか、それを関係する市民に説明することも求められるものなので、グループリーダー以上の職員は必ず年に一度、公共施設白書を確認する研修を取り入れるなどです。

今できることは、施設カルテを公表する際に、かならず職員向け研修をすべての事務系職員に行うことではないかと思います。


>>>>

以上、データシティ鯖江も含めた簡単な感想です。

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鯖江市の取り組みから

2013年05月16日 23時47分48秒 | Weblog
鯖江市では、行政情報のオープンデータ化の取り組みとして、「データシティ鯖江」 を2010年から取り組んでいます。

きっかけは、鯖江市で事業を行っている(株)Jig.jpの福野泰介氏と、W3C日本マネージャーの一色正男氏が、牧野鯖江市長にデータシティ鯖江の提案を行ったことから始まる。

鯖江市でのオープンデータ化について、行政がホームページで公開している情報について、現在公開している行政情報に加え、公開の要望があったものから随時XML化をLinkDATAのサイトで行い公開していくというもの。

この動きは国の方でも推進していくようになっており、電子行政オープンデータ戦略に基づいている。
また、福井県では先だっての5月10日に福井オープンデータ&ご当地アプリ開発プロジェクト・キックオフセミナーが開催されるなどしている。


鈴鹿市について考えること>>>

鈴鹿市においても、行政情報のオープンデータ化は取り組まなければいけない、早急に取りくんでいくべき課題だと思います。現時点では、鯖江市が中心の取り組みですが、今後急速に広がっていくことは間違いのない動きです。

そこでまず、鈴鹿市の持つ行政情報を手のつけやすいところ、もしくは、鯖江市のデータを基に開発されているアプリを活用できる領域から手をつけることが有用と思います。アプリについては、このブログの前に方にあるデータシティ鯖江のサイトを参照ください。

ただし、行政情報を提供することが大きな目的で、行政が委託などしてアプリを開発することが目的でないことを、明確に示す必要が鈴鹿市ではあると思います。
ここで鯖江市の動きが参考になるのは、鯖江市に高専がありそこと連携しているのと同じように、鈴鹿市でも鈴鹿高専などと連携することは、県内でIT関連企業を誘致するための魅力の一つとなりえると思います。

しかし自発的にオープンデータを活用し、地域社会に貢献する動きをする人たちを見つけ出す、育成していくためには、まちづくり基本条例などをもとに鈴鹿市で市民活動の底上げを図る必要があるのではないかと思います。

また、鈴鹿市職員の間で行政情報のオープンデータ化を通じて地域が活性化していくという共通意識を醸成することが必要になってきます。

オープンデータ化した各種行政情報を市民が活用すること、そのためのアプリなどを開発することは、市政への市民参画のための情報ソフトインフラを市民も一緒に構築していくという作業になり、このような活動を通じて、オープンガバメント、ガバメント2.0の動きにつなげていくことが、鈴鹿市の今後に非常に重要になると考えます。

そのために、今できることから取り組むことはもちろんですが、おそらく新しく作られることになるであろう総合計画の中で、直接の文言としてではなくとも、各種政策を連携させるときのキーワードとして、オープンデータを織り込むことが必要と考えます。
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今日の視察について

2013年05月16日 21時15分57秒 | Weblog
今日は福井県の鯖江市と坂井市に行政視察を行いました。

両市ともに、私一人に対して真摯に対応して頂きました。
非常にありがたく思っています。

貴重な時間を割いて説明いただいたことを、鈴鹿市政にぜひ活かしたいと思います。

鯖江市では、行政情報のオープンデータ化の取り組みとして、
「データシティ鯖江」 の取り組みをお聞きしました。

坂井市では、昨年から自分なりに行政とやり取りしている
「公共施設マネジメント白書」 について、特に合意形成の部分に焦点を当てる形で、取りくみをお聞きしました。

この2つの項目ですが、一見するとまったく違うことのように見えます。
私自身、それぞれ別の意図があり視察したのですが、続けて話を聞いていて気づいたのは、同じラインにあることを意識するべきだということです。

それは‘ 市民の市政への参画 ’です。
それも‘ より積極的な ’です。

オープンデータ化は、行政の持つ情報を活用しやすく提供して、その情報を市民が積極的に活用することに大きな意味があります。

公共施設マネジメントについては、公共施設の現状についてはもちろん、これまで出されているもののあまり意識されていないまちの財政状況などに、市民も目を向けることに意味があります。

両市が取りくんでいる住民との協働のしくみは、鈴鹿市でも取りくんでいるものですが、どう活用するかが問われると考えました。
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南相馬 ~ 原発事故関連(3)

2013年05月15日 12時52分12秒 | Weblog
今回は農業や全体で感じた印象などを書きます。

稲作ですが、黄色の線より外側では普通に行われているところが広がっていました。しかし、黄色の線より内側では、試験的な栽培しかまだ認められておらず、荒れた農地が広がっている状況です。
現在はいわゆる「野菜工場」が建設され、そこでの栽培も始まっているということでした。

また、自家栽培などでつくられた生産物の放射線検査をするための機器が、市内の出張所などに設置されており検査されているということです。道の駅があり、そこで南相馬産のアスパラなどが販売されていましたが、それらは検査をした上で並べられているということでした。しかし、店頭に並べられているものすべてが南相馬産かと言えばそうではなく、やはり、コメや麦などを使った製品などは、国内産のものでつくっているとなっていました。

ここで、街中などの生活空間について感想を言うと、特別なことを感じることはほとんどありませんでした。地元の方々も日常生活を行っており、‘普通’という言葉で表現することが一番妥当なのかもしれません。
しかし、図で示されているような線引きが見えないところにあり、それがまちに影響していることは確かなのです。これらのことも、自分のまちにいただけ、メディアを通して見るだけでは感じられないことです。
また、各家庭には希望すると線量計が配布されていました。

街中ではあまり線量について変わらないということでしたので、すこし緑の多い地域に移動してみることになりました。そうすると、たしかに街中よりも空間線量が上昇しました。放射性物質を帯びた物からの距離によって線量が変わることから考えると、除染がまだ行われていないでしょうから当然のことだと思います。

しかし、なにか有毒物などをまかれたり、除草剤などがまかれたりしたように、森や林で樹が枯死しているわけでもなく、季節柄か藤の花が咲いていたり、タンポポが咲いた後のふんわりした状態になっていたりと、見た目‘普通の自然’が広がっていました。
しかし、この自然のある地域は、高線量地域なのです。その影響が長期間でなければわからないことが、問題を難しくわかりにくくしていることを感じました。

そして、山間地にある吉沢牧場さんのところへ牛の様子を見に行きました。

こちらは浪江町地内にあり、写真で見て頂くと分かりますが、これより南には立ち入りできないよ道路にバリケードが設置されています。

Facebookページ 希望の牧場

ここも線量的には高い区域だと思いますが、牧場内にいる牛たちは、なにも変わらないように餌をはみ、また妊娠し子牛を産んでいます。もしかすると、放射線で何らかの影響を受けているのかもしれませんが、変わらぬ命の営みがここにもあります。
地震がきっかけとはいえ、起こった事故による影響の問題の深さと複雑さを感じずにいられませんでした。

移動しながら、区域割も線引きもどこにもない、それを決めているのも、そうしてしまったのも、私たち自身だということが、ひしひしと迫る感じがしていました。
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南相馬 ~ 原発事故関連(2)

2013年05月15日 11時48分25秒 | Weblog
話を小高地区でのことに移します。

写真の左側は、公共施設にある空間線量計です。ことの是非についてはいろいろ意見があると思いますが、見て頂くと数値がそれほど高くないことが見えると思います。
右側の写真は、小高地区内で下水道の復旧工事が行われていることの看板です。電気と上水道については使えるということで、下水道が復旧すれば、戻ることのできる環境が整うということでした。

しかし、小高地区は現在のところ‘避難指示解除準備区域’です。
地震で倒壊した、倒壊しかけている建物がほんの少しあったりしますが、見た目には普通のまちです。
しかし、片づけなどに戻る方や、消防、ボランティアセンターの方々がいらっしゃる以外は、だれも住んでおらず無人のまちです。


感想を一言で言うなら‘時間を止められたまち’です。

クリーニング店の中には仕事中のまま服やアイロンが置かれ、タクシー会社の軒先にはタクシーが置かれたまま、生活の風景はあるのに、生活の音や空気を感じないまち。そこに泥棒除けの意味もあるのか、商店街には誰が聞くでもなく音楽が流れています。
商店街を走る2車線の道路の真ん中を歩いていても、誰にも咎められることなく歩ける状況はやはり異様です。
テレビなどで流れる映像を見たことがありましたが、実際に自分がそこにいると、不安というか、違う世界に来たような、そんな感覚にとらえられました。

考えれば、福島第一原発に近づくほど、このような風景が広がるまちがあるのです。
その現実から目をそむけている、目をそらさせているのは誰なのか、そのことを考えます。

ここに写真を載せることについて、そのお店の方がどう感じるのかと自分なりに考え、今回は見送ったお菓子屋さんがあります。同行していただいた方によると、おいしいと評判だったお店ということで、外観もヨーロッパを感じさせるような建て方でした。
そのお店の入り口の前に、チョークで「頑張っぺ小高 必ず、小高で復活します!!!」と書かれた黒板がありました。
無人のまちの中で、人の営みの力を感じた言葉でした。
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南相馬 ~ 原発事故関連(1)

2013年05月15日 11時13分44秒 | Weblog
今回は、南相馬市での放射線に関することを書きたいと思います。
ただ、専門家でもなく、詳細な情報をすべて網羅しているわけでもなく、自分の目で見た感想を書くことになりますので、その点についてご了承ください。
今回は、半径20キロ圏内の‘避難指示解除準備区域’となっているところに立ち入りが可能になったこともあり、原発事故がどのように地域に影響を与えているのかを、自分たちの目で見て考えるためということが主眼でした。

放射性物質除染の情報はこちら → 除染情報サイト(環境省)


この図の左側は、放射性物質の飛散状況と重なっていると思いますが、平成25年5月7日時点での避難指示区域の概念図です。こちらの図は、福島県のホームページから引用しています。南相馬市はこの図で‘凡例’と書かれた四角の左下あたりになります。緑の半円が図に重なって見えますが、これは福島第一原発から半径20キロのラインになっています。

右側の図は南相馬市の図になり、これは平成25年5月8日時点の南相馬市の被災状況説明図です。図の中のピンクのラインは原発から半径20キロの線となり、黄色のラインが半径30キロの線になっています。
この線の意味合いとして、例えば、黄色のラインより内側の地域住民は医療費が無料ですが、外側は医療費がかかるということになっていたりしていることがあります。

ここでまず考えて頂きたいことは、どちらの地図上でも色分けや線引きが行われていますが、私たちの普段の生活の中で、自分たちのまちにこのように明確に線引きがされていることがあるでしょうか。あるとすれば、今はなくなりましたがベルリンの壁や、いろいろな国境に設置されている壁のような物理的なものだけではないでしょうか。
そこが、図を見て考えることと、実際に見ることとの大きな違いです。


さて、国道6号線を南下し、この20キロ圏のラインのところに来ると、やはり、警察の方々が警備されています。泥棒なども横行していたということですので、この警備は当然だと思いますし、また、ここから先の地域は現時点で日帰りしか認められていないことになっています。
この写真を撮る少し手前にコンビニがあったのですが、商品棚はがらんとしていていました。それは、この先は居住できない区域であるから、モノの需要がないためと、同行の方に説明されて納得でした。

この6号線をどんどん南下していくと浪江町の一部に入ることができますが、その先で写真のように通行止めになりその先には行けなくなっています。

浪江町では6号線は通れますが、街に入るための道路は警備員付きで封鎖されています。これも泥棒などの横行を防ぐために当然のことだと思いますが、南相馬市小高地区との違いがあるということを感じました。また、建ったばかりに見える浪江町役場が無人で建っているのを道路から見て、どれほどのことが起こったのか考えざるを得ませんでした。
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