鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

想定できること

2017年06月26日 16時19分32秒 | Weblog

自治体の財政が破たんすること。

国の財政が破たんすること。

どちらも実際に起こってきたことで、その影響がどのようなものであるか、すくなくとも議会、議員は想定できないことではないはずです。

■夕張のこと

問題は、国や自治体が破たんするという現実が起こっているにもかかわらず、それを正面から考えずに、その場その場の対応だけに終始してしまう政治があり得るということではないでしょうか。

「ギリシャは国が財政破たんしてしまった。日本がそうなってはいけない。けれども、国と地方を合わせた借金はギリシャどころではない・・・」、心理的な大きなギャップをどうしよう。こういう状況は「認知的不協和」と言われる状態です。

■認知的不協和について

今の政治はどうやってこのギャップを埋めようとしているように見えるでしょうか。

破綻を想定しながら、目の前の政治に取り組めているでしょうか。

破たんとなれば、私たちみんながその影響から逃れられません。甘言に惑わされないようにしなければいけないと思います。

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目をそらしていないか

2017年06月24日 20時14分52秒 | Weblog

久々にブログを書きます。

昨日と今日と構想日本の研修「現場みらい塾」に参加していました。石破茂議員の講演や、頭を使う研修、他の自治体の方とのやりとりなどで、自分の動くべき方向が見えた気がします。

そんな研修の中で、印象強く残っているのは、昨日の研修の後の懇親会でのことです。隣の席に座っていらっしゃった方の帰り際の一言、「今日は楽しかったべ」といって背中をポンと叩かれたことです。
その方は福島県安達郡大玉村で農業をされており、原発事故の被害に対して訴訟をされている鈴木さんでした。

自分自身、数年前に南相馬市に行き、原発事故がもたらした被害と現状、その一方で、それがなかったかのように時間の進む東京での時間に、なんとも言えないギャップを感じ、それが鈴鹿に戻っても続いたことがありました。今も、ときどき現状はどうなっているのだろうと思います。

鈴木さんとの話の中では、何も解決していないこと、いろいろな思惑が蠢いていること、鈴木さんご自身の思いなどを聞かせていただきました。そこであらためて思ったのは、私たち自身、福島での出来事が終わったかのように思わされていないか、自分たちで見ないようにしていないか、そもそも見ようとしていないか、そのことです。

たとえば、教育の無償化で法律改正ということが聞こえてきますが、それはそれで大切なことだと思いますが、福島で起こっている、まだ進行中のことが、どのように国会で議論され、国会議員の方々がどう考えているのか、それがとても気になります。もちろん、原発そのものをどう考えているのかもです。みなさんはどうでしょうか。少なくとも、福島の現状は事故が起これば、一世代では対応しきれないことが見えていると思います。

それなのに、事故が起こる前と変わらない感覚で、国や自治体の政治を考えているような状況のように思えて、その違和感がどこかにあり続けています。少なくとも、地方議会をはじめとして政治に関わる立場の人間は、自分ごととして考える必要があると思うのです。

私たちは目をそらしていないでしょうか、目をそらされてはいないでしょうか?

そう思っている自分に、笑顔で「今日は楽しかったべ」と話しかけてくれた鈴木さんに、自分がどう鈴鹿市政に向かい合うか、どう1人の議員として政治に向かい合うかを、あらためて揺り動かしてもらえたように思います。

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