高齢者の事故が急増し、免許返納などにより、日常生活の移動に困難な場面が出てくることが、今後一層懸念されています。免許返納された方に対する優遇措置などを導入している交通関係会社も多くなっています。その中で高齢者の利用を念頭に置いた公共交通を、これから“ 公 ”としての行政がどこまで支援するのか、その点は非常に関心を持つ方も多いところではないでしょうか。
しかし、現在の困りごととしての視点だけで考えることは、公共交通の課題にふさわしくないように思います。
それを考えるひとつの切り口として、マイカーで享受できていた移動の自由が、ほぼ変わりなく公的な移動手段で享受できるかといえば、現時点ではタクシーなどを利用しなければ、同程度まで享受できない状況が挙げられます。
そもそも、このような状況になった理由はどのようなことが考えられるでしょう。
鈴鹿市を念頭に置いて考えると、マイカーという言葉で象徴されるように、自動車が一家に1台から1人に1台という感覚になる過程で経済成長が進み、それらにより道路などのインフラが増え、それに伴って、住宅だけでなく公共施設もマイカーありきの配置になってきてはいないでしょうか。
そしてその動きの中で、公共交通からマイカー利用への転換が進み、公共交通は利用者の減少が進み、結果として便数が減ったり撤退していく動きになってはいないでしょうか。また徒歩で移動という感覚も薄らいでいるのではないでしょうか。
また別の切り口として、“買い物難民”という表現がありますが、大規模店舗に依存する状況となった現在、この言葉に象徴される課題は非常に気がかりになるものです。
しかし、マイカーが広がる前の時代、買い物難民という言葉があったでしょうか。地域の身近なところに、中小の商店などがあったり、移動販売の車があったりと、日常生活で食事などをする分には過不足ない時代があったのではないでしょうか。
とすれば、マイカー生活の利点を享受してきた上でいまの社会状況があるわけで、マイカーから離れることになれば応分に不都合が出てくるのは明らかで、その解決のためには、交通手段だけに答えを求めるのではなくて、私たちの生活そのもの全体を見なおすことも必要ではないでしょうか。
そのとき、考えるためのキーワードになるのが、福祉の観点からの“地域包括ケア”であり、都市計画での“コンパクトシティー”であり、シェアリングエコノミーやコミュニティスクールといった言葉も関連してくるのだと思います。
10年、20年先を考えながら、いまの課題として取り組む必要がある、しかし、解決は待ったなしで考えなければいけない、それが高齢化と公共交通の課題だと思います。