鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

1週間が経過して

2023年04月30日 02時00分31秒 | Weblog

統一地方選挙が終わり、県議で約2週間、市長・市議で約1週間が経過しました。当選証書授与式も終わり、市議会議員は5月1日からは新しい任期となります。自分は現職ですから、4期目の任期は4月末まであり、月曜日からほぼ通常モードのように活動しています。

そんな中、これまでの選挙の中でも感じてきたことなのですが、「公正な選挙」ということについてどれだけ世の中で重視されているのでしょうか、また、それがおろそかにされる社会は果たして良いものなのでしょうか。子どもに誇れることなのでしょうか。そのことを大人が真剣に考えているのでしょうか。いま一度考えたほうが良いと思います。

■ 総務省:「なるほど選挙」

今回の鈴鹿市議会議員選挙において、最下位当選者の方と次点の方の差は約60票でした。案分票の存在がなければ、さらに差は小さかったかもしれません。ご本人にとっても大きなことですが、支援されている方にとっても大きなことだと思います。それがもし、事前運動なども含め、黒に近いグレーの活動の存在があったとしたら、納得できる結果といえるでしょうか。また、支援者の方がもしわかっていてグレーの行為を行っていたとしたら、それが社会に良いことなのか考えてしまいます。

自分自身はじめの選挙に出るときに、ぎょうせいから出版されている「地方選挙の手引き」を読み、公職選挙法でアウトとされる行為を知りましたし、その後も選挙のたびに、例えば報告書を印刷して配布する際に配慮することなど、いろいろなことを選挙管理委員会に確認しながら選挙に臨んでいます。また、詳しい方に意見をお聞きしたりもするので、グレーなことはそれなりに知っているつもりです。

ですから、気になることを見かけたりしたときは、選管や場合によっては警察に確認したりすることもあります。それは「公正な選挙」を実施してもらいたいためで、公職選挙法を読んで真面目に解釈して選挙に臨む人や支援する方々の努力が尊重される社会であってほしいという思いがあるからです。

ただ、公職選挙法はややこしいとは思います。なので、その隙間を縫うように行動する人たちもいれば、一方で、知らずに法に触れることを行ってしまう方々もいるとは思います。ですが、公職に就こうとする候補者、当選後には長や議員となる者にとっては、法律をどのように解釈するのか尊重するのかが問われるはずです。もし法に触れることを行うとなれば、それに対する責任について、運動する方の責任はもちろんですが、自分自身の責任も意識しておかなければいけないと思います。

今回の選挙でもかなり濃いグレーと考えられる行為を見かけました。選管などにも確認しましたが、グレーという解釈の説明ばかりで腑に落ちませんでした。選管がグレーとして判断を行い、特段注意等も行わないのであれば、いっそのこと、すべての候補者に認められる行為とするほうがよほど「公正な選挙」になると思います。

特に「事前運動(立候補届け出前に選挙運動※をすること)」と考えるものが気になりました。その点は下記にあるリンク先の「選挙必勝バイブル」で、「選挙運動かどうかの主な判断基準」を参照いただければと思います。県議の告示日直前や、市議の告示日直前週にそれらがありました。

「選挙運動」総務省HPより: 判例・実例によれば、選挙運動とは、「特定の選挙について、特定の候補者の当選を目的として、投票を得又は得させるために直接又は間接に必要かつ有利な行為」とされています。

■ 選挙ドットコム・ボネクタ:「選挙必勝バイブル」より

「公正な選挙」への取り組みという観点から、市政や自治のあり方を検証したり、これからを考えることが大切なのかと思います。そのようなことにモラルハザードが起こっている状況では、子どもたちに誇れる社会にはならないという意識を、大人がもっと持つ必要があるのだと思います。

 

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選挙を終えて

2023年04月24日 19時24分29秒 | Weblog

開票速報から、鈴鹿市議会議員として5期目の任期を勤めさせて頂けることとなりました。議員定数削減の中、前回より多くご投票いただき、あらためて議員としての責任を感じています。期数、年齢(53歳)を考えると、自分の思いの中にある次の世代の育成も、今期の課題になると考えています。それは後継者というようなおこがましいものではなく、自分が学んだりしてきたことや経験してきたことを、なんらかの形で若い世代に伝えるというような形です。

■令和5年鈴鹿市 鈴鹿市長・鈴鹿市議会議員選挙 開票速報

今回の市長・市議会議員選挙で、鈴鹿市の投票率は45.99%でした。市議会議員選挙のみだった前回の投票率は47.19%だったのですが、大きく投票率が下がることを想定していたものの、微減という形なのかと考えます。それでも、市長選も行われていたことを考えると、投票率が下がったことは憂慮する点と考えます。一方、今回の県議選・鈴鹿市選挙区の投票率は40.76%でした。全会が約48%だったので、深刻な状況になっているように考えます。

■令和5年鈴鹿市 鈴鹿市長・鈴鹿市議会議員選挙 投票速報

今回の統一地方選挙では、政策研修やいろいろな活動を共にさせて頂いた他の自治体の議員の方々の中で、そのまちの長に立候補されたものの残念ながら落選されたり、同じ議員として立候補されたものの落選された方がいらっしゃいます。同じ議員として、年齢関係なく尊敬するところのある方々なので、複雑な思いにかられます。

政党に所属しない無所属・無党派議員に、選挙がじわじわと厳しくなっているように感じます。

そして公正な選挙ということを考えずにいられません。県議会告示日直前と市議選告示日の直前週に、後援会入会リーフレットがそのまま新聞折り込みされていたり、よくある小さな案内ビラもあったりなど、公職選挙法の解釈を考え直すか、それともきちんと、他の選挙で警告されたり摘発されている行為について、わかりやすいチラシを作成して、一人でも多くの方に伝えることも必要になっているように思います。

 

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人生の中には巡り合わせがあります

2023年04月22日 22時31分58秒 | Weblog

昨日、寝る前に「スター・トレック:ピカード」を視聴している中、吹替ですが主人公のジャン・リュック・ピカードのセリフに次のようなものがありました。

 人の一生には潮目というものがあって うまく流れに乗れば 行きつく先は幸せだ

 流れを無視すれば すべての人生の航海は みじめにも浅瀬に乗り上げる

 そして我々は 今まさに 大海原に浮かんでいる

 先へと導く波に乗らなければ 冒険はできない

これまでを振り返る思いで沁みました。そうして階下に降りると、ちょうど映画「ボヘミアン・ラプソディ」で「We Are the Champions」が流れるシーンでした。もともと好きなのですが、この歌詞の中で特に次の表現のところが沁みました。

 I’ve paid my dues  Time after time

 I’ve done my sentence  But committed no crime

 And bad mistakes I’ve made a few

 I’ve had my share of sand  Kicked in my face

 But I’ve come through

気持ちが下がっていたところだったので、これらを聞いて自分の中に力がわき、きょう一日の活動を終えることができました。巡り合わせだったのかもしれないと感じています。

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選挙戦が終わり感じていること

2023年04月22日 22時06分05秒 | Weblog
今日の最終日、朝も交差点に立っていました。
 
立ちながら4年前、手伝って頂いたジュニアバレーの保護者の方に、少し弱音を話したところ、子どもたちも見ているからがんばってと声をかけて頂いたことを思い返していました。その方の子どもさんは、昨年の子ども議会で中学生として参加され、しっかり話していたのを見て、嬉しい気持ちを感じました。しかし、その保護者の方はその後お亡くなりになられ、自分はどれだけ伝えることができていたのかと考えると同時に、あの時の言葉があったからこそ、今の自分があると深く感じています。
 
だからこそ、主権者教育が大切だということ、若い世代の市政や政治へ参画の大切さを痛感しています。その参画は、選挙を前提にしたりするような大人の都合ではなく、また、大人が子供に教授するというような姿勢ではなく、大人が型にはめようとするのでもなく、子どもが自分の力でつかみ取り、そして育っていくことができるよう、大人は伴走する形が良いと考えます。
 
行政だけではなく議会も含め、鈴鹿市の仕組みとして確立したいと思います。
 
また、選挙について、大人は総括する必要があると考えます。黒に限りなく近いグレーの行動を放置するのではなく、大人は暗黙の了解のようにするのではなく、白日の下で市民の皆さんも交えて精査し、今後の方針を明確にするようにしなければいけないのではないでしょうか。
 
公職選挙法を真面目に解釈して、法に沿って活動しようとする人たちがいる一方で、グレーであることを認知しながら活動する人たちがいることは、コンプライアンスという側面からも見直さなければいけないことのはずです。選挙管理委員会も警察も、真面目に活動する人が不利益を被らない仕組みづくりに取り組むべきと考えますし、なによりも、真面目な者が馬鹿を見る仕組みはおかしいです。
そのようなことを子どもたちに胸を張って言えることでしょうか。
 
このように考えられることや、これまで市政にまっすぐ取りくんでこれたのは、このような自分を支援して頂いている皆さんがあってこそと、今、あらためて感じています。立会演説ではすべての会場でこの思いを伝えさせていただきました。
 
今回の選挙、自分の結果も気になりますが、投票率が非常に気になっています。明日の投票、期日前投票に行っていない方だけではなく、ぜひとも、投票所に足を運んで頂いて、少しの時間を投票に使ってください。
みんなで鈴鹿を育てるには、それが第一歩です。
どうぞよろしくお願い致します。
 
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主権者教育に力を入れるべき

2023年04月21日 22時30分15秒 | Weblog

明日で活動も終了になります。ここまでの活動で感じ、考えたことですが、義務教育機関の主権者教育と、市内高校との連携で行う市政への参画機会を、どこのまちよりも鈴鹿市は推進するべきです。

選挙カーに乗っていると、小学生の子どもたちや中学生の一部の子どもは、手を振って声をかけてくれます。これは面白半分もあるかもしれませんし、タレント的に候補者を見ているからかもしれません。しかし重要なことは、子どもたちは無関心ではないということです。

ということは、関心を持った機会に年齢というよりも発達段階に応じて、市政と議会について鈴鹿市独自の教材を用いて主権者教育、シティズンシップ教育を行うことで、政治に無関心な層の割合を少なくしていくことができるのではないでしょうか。

あわせて、地域課題解決型の探求学習を積極的に取り組んでいくことで、主体的に地域社会や市政に取り組むことを育てることも必要でしょうし、具体的な参画機会としてパブリックコメントを活用したり、通年の子ども議会や若者議会の設置を検討してもよいと考えます。

今回、県議選の投票率が大幅に落ち込んでいます。年齢層などの分析をきちんと行う必要はありますが、県政への無関心やあきらめが広がっているという危機感を持つ必要があります。

投票率については、市議選においても大きく減るのではないかと懸念しています。学力テストの点数を意識することもひとつと考えますが、私は、社会に積極的に関わる子どもを育てることが、鈴鹿市はもちろん日本、そしてこれからの社会に大切だと考えます。

そのことを、手を振ってくれる子どもたちから強く感じました。

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選挙公報から

2023年04月20日 22時43分06秒 | Weblog

今日やっと選挙公報が新聞折り込みされました。2015年の統一地方選挙後の一般質問で「選挙公報について」を取りあげています。自分でいま見直すと、結論の部分が尻切れトンボになっているので、選挙終了後に修正しなければと反省です。

■2015年一般質問「選挙公報について」

あらためて、16日に告示、17日から期日前投票が始まっているのに、選挙公報の折り込みが20日の朝刊というのは、23日の投票日だけを考えればそれでもよいのでしょうが、さすがに時代にあっていなさすぎ思います。

さて、この選挙公報については、内容も前時代的になっているのではと、今朝の折り込み分を出かける前に見ていて感じました。内容については、それぞれの特徴があってよいと思うのですが、予算が必要となる公約がいくつも散見され、それらうちには相当に財源が必要と考えられるものがあっても、財源確保の方策に触れられているものはなく、そういう部分で、人口も経済も右肩上がりのころの名残なのだろうと感じました。

実現には億単位の財源が必要と考えられるのに、財源確保の考えに触れられていなかったり、財源確保の考えが現実的でなければ、その公約は一体だれのためのものなのかと考えます。

財政に関連して、白子中学校の改修は公共施設個別施設計画の考えに沿って、長寿命化改修が選択されているのですが、私自身は質問の聞き取りだけでなく幾度も、白子中学校は白子駅そばの学校であるし、人口減少が緩やかなことも想定される地域であり、市外からの転居者も含めて考えると、改築(立て直し)として投資をして良い学校と考えることを話していました。しかし、市は約40億以上かかると試算される改築ではなく、その半分強で実施可能と判断した長寿命化を選択したものです。

■2021年6月「公共施設について」

■2021年9月「三中学校の改修の現状について」

財源の考えは部分の問題でなく全体から考えるものです。それは行政だけでなく、議会・議員も同じだと自分は考えます。

財源についても覚悟と考え、そして責任を持ち政策提案に臨むのが議員と、自分は考えます。

そういう視点で選挙公報を見ると、がんばらなければいけないことがたくさんあると考えます。

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子どもたちが、どの子も、食べるに困らない社会

2023年04月18日 08時00分00秒 | Weblog

選挙に入る前から、ときどき話していることなのですが、「子どもたちが、どの子も、食べるに困らない社会」であること、それがこれからの政治の根本になると思います。そのことを話に入れるようにしています。

このことは、気候変動への適応に関心を持ったころから感じていることで、鈴鹿市で学校給食の提供がピンチになった時、真剣に考えたほうが良いと実感しました。その時に、農林水産の部署でもその話をしたところです。そして今、気候変動のリスクは高まるばかりです。地球温暖化だけではなく、火山噴火などリスク要因は大きくなるばかりではないでしょうか。

また、世界各地で極端な気象現象が増えていることを考えると、じわじわとこれまでと違う局面に入っていると考えるべきと感じています。そこに、ロシアのウクライナへの侵攻や、東アジア地域での不安定な状況、経済を前面に押し出しながら対外的圧力を強めたり影響力を高めて、自分たちの価値観で物事を進めようとする国の存在もあります。なにより世界人口も増加しているということは、食糧がどこかで足りなくなる局面も想定されます。

あっという間に、砂上の楼閣のように、私たちが現在当たり前のように享受している食の恩恵が揺らぐ、最悪、飢饉の状況になるかもしれないと想定に入れておくことは、政治の責任であると考えます。

別の視点では、「子ども食堂」の立ち上げが各地で進んでいることもあるでしょう。子ども食堂などをはじめとして、子どもの支援に携わっている方々の想いや行動には頭が下がります。そのような皆さんを支援することはもちろん、子ども食堂などを支援することも大切なことだと思います。

しかし、政治が考えるべきなのは、支援や補助を行うことばかりではなく、「食べるに困る子」もいるという現実を直視して、その上で、保護者の状況に関わらずすべての子どもが食べるに困らない社会を目指す、行動することだと思います。

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何を戦っているのでしょうか

2023年04月17日 21時57分20秒 | Weblog

統一地方選挙後半がはじまって2日めとなります。これまでの活動の中からフェイスブックでつながりを持たせて頂いた他のまちの候補の方々の活動が、いろいろな動きとして見えています。皆さん精力的に活動されていて、こちらも励みになります。

メディアでは“選挙戦”や“舌戦”と表現されていることが多く、たしかに定数に対して候補者数が上回っている場合、その枠に入るための競争という意味合いで「戦」という表現はおかしくはないと思います。

しかし、その戦いの本質はどこにあるでしょう?いかに顔を知ってもらうか、知名度を上げるか、そのためにどのようなことをするか、そして票を獲得することだけになってしまっているように感じます。

メディアも「戦」として表現するのであれば、平素の議会活動やそのほかの活動も含め、各候補の情報を客観的に整理して提示してはどうかと思いますし、また、財政状況に対する考えやそのほか、そのまちの政策課題について事前に内容を伝えることなく、メディアが率先して候補者の考えがわかるような公開討論会を仕掛けることがあってもよいのではと思います。

第三者による評価や比較がないまま行われる戦いを今後も続けても、選挙に対する忌避感が住民の方々に広がるばかりと思いますし、なにより選挙自体がゆがんでしまうように思います。国会でも問題になった事案がありましたが、そのようなことを生み出した一端はメディアにもあると思います。

・・議員定数削減について、それを訴えることも争点や論点になるでしょうが、同じくらいかそれ以上に、議決における賛否の姿勢は争点であり論点になるはずと思います。ですが、そのような報道はない中で、いくら戦いとメディアで表現されても、どこか上滑りしているように思います。

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コロナをきっかけに考える

2023年04月11日 01時01分12秒 | Weblog

寝床でぼんやり考えたことなのですが、私たちは、私たち自身で、自分自身で、コロナ禍について整理して考えることが求められているのではないでしょうか。誰かに求められるものではなく、自分ごととして。そして、そうして考えることこそ、これからの時代に大切なのだと思います。

ほんの少しコロナのことを考えてみます。

コロナウイルスは、もともと風邪症候群をひきおこすウイルスのひとつであり、その中で、SARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)といった感染症の原因となっています。SARSとMERSについては、ワクチンや治療薬が存在していなかったのですが終息していきました。今回の〝新型コロナウイルス〟はそういったウイルスの中のひとつということです。
 
 
そのようにみると、変異を重ねているウイルスは、当初の武漢型といわれるそれと比較して、果たしてどのように変化していて、どれだけのリスクを持っているのでしょうか。変異に対して“新型”と表現するのであれば、それは私たちへのリスクが高い方向にも、リスクが低くなる方向にも、どちらも可能性があることなのに、そのことを客観的に分析するのではなく、「新型=リスク高」とイメージを紐づけて、いつまでも不安を煽られるのはどうなのかと思います。
 
今の世の中は、玉石混交とはいえネットで検索するとたくさんの情報に目を通すことができるので、公的なサイトから順に目を通していくことで、基本的な知識を持つことにつながると思います。
同様に、ワクチンについても今一度、厚生労働省で公開されている情報に目を通して考えて頂いてはどうかと思います。
 
■第25回資料から ・・・ 諸外国の考え方などが掲載されています
■第26回資料から ・・・ 副反応などの情報が掲載されています
 
このような資料などに目を通しながら、これまでの半年程度を振り返ってみてください。高齢の方々でたしかに症状が重くなるリスクは高かったと考えられますし、それ以外の世代でも低い割合ですが、入院を必要とされた方がいらっしゃったのも事実とは思います。
ですが、50代以下では、ワクチン未接種で感染し発症した人がいても、咳など呼吸器系の症状はあってもごく短期間の高熱で回復したということがある一方で、ワクチンを接種していても感染し発症、症状もそれなりにあった人の話も聞いたりされたのではないでしょうか。おそらく、症状がごく軽くで済んだ方が相当いたのではないかと思いますし、不顕性感染だった方も多かったのではないかと思います。また、ワクチン接種による副反応で高熱や強い倦怠感など、感染して発症するのと変わらない人もいたと聞きます。
 
・・・私たちは、ウイルスの発症リスクとワクチンとの関係について、自分なりに科学的に考えることがあったでしょうか?
 
・・・薬害のことや、DDTのようにある時期は夢の化学薬品と思われながらその後大きな被害を起こす化学物質もあったことを考えたりしたでしょうか?
    〇レイチェル・カーソン:「沈黙の春」
 
ただ、今からいろいろな情報に目を通すことは、自分の認知との不協和に向きあうことになるかもしれません。しかしそれを含めて考えることは、混迷の社会の中で重要なことになると思います。
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財政のことを考えてみる

2023年04月05日 11時04分23秒 | Weblog

自分のまちの財政を考えるとき、どうしても国の財政も考えないといけなくなります。それが端的に表れているのは、地方交付税と臨時財政対策でしょう。

地方交付税は総務省の資料で「所得税、法人税、酒税、消費税の一定割合及び地方法人税の全額とされている。地方交付税は、地方公共団体間の財源の不均衡を調整し、どの地域に住む国民にも一定の行政サービスを提供できるよう財源を保障するためのもので、地方の固有財源である。」とされています。

ですが次の図を見て頂くと、地方交付税は実のところ計算通りに交付されておらず、マイナスの差額が出ている状況です。この差額について、“赤字の地方債”と言われることもある臨時財政対策債の発行を行うことで、鈴鹿市の財政運営も行われていたりします。この状況は、“赤字国債”の発行がなければ運営が難しい国の財政の影響があることは否定できないところです。

今回はここまでの内容のことではなく、日本の財政を考えるときに出てくる「リフレ派」や「MMT派」と言われる方の論調を読んでいたりするとき、引っかかりを感じていた部分を考えたいと思います。参考に、公益財団法人NIRA総合研究開発機構が公開している「日本の財政に関する専門家たちの意見」のリンクを貼ります。

公益財団法人NIRA総合研究開発機構:「日本の財政に関する専門家たちの意見」

記事の是非について考えるのではなく、読んでいると「量的・質的な金融緩和政策を実施」という表現や「自国通貨を発行できる政府は、自国通貨建てで国債を発行する限り、財政破綻することはない。」という表現が出てくるのですが、この部分に引っかかりを感じていたのです。

それは、社会の動きは経済理論だけで動くのではなく、私たちの行動や判断も含めてのものではないかということです。

そうして考えたのが、一例として直近の東京オリンピックにおけるお金の動きです。開催費用が約1.7兆円と大きく膨れ上がったことや、その後明るみになってきた談合や汚職などを見ると、国債発行や金融政策を経済学的な視点だけで見るのではなく、そこにどのように人が関わって、どのようなお金の流れになるかも見ないといけないのではということです。

どれだけ国債を発行しても、どれだけ金融緩和を行っても、その恩恵は一部の人に大きく得られるものであったり、不透明なところに流れてしまうものが大きく、格差を助長する方向への力が強いのであれば、そもそもの理論や論理自体の信頼性が問われるものになるのではないでしょうか。

個人的にですが、国の長期債務残高が1000兆円を超えていること、令和5年度予算が110兆円規模になりその中で赤字国債の発行額は約29兆円であること、一般会計の基礎的財政収支は10.7兆円の赤字であることなどについて、政治のあり方が重く問われていると思います。

政治も政策実現のための財源について、国や自治体の財政も踏まえて責任を持って考える必要と、いろいろな理論についての検討と比較、そして、その上での選択に対しての責任意識も問われるでしょう。10年後、20年後、次世代に責任を持たない政治は行うべきではありません。

甘い汁に群がろうとする人たちは、自分たちの行動や行為を正当化するために、あらゆる手段を使って隠したり、また正当化の後ろ盾となる専門家の意見をつくり出すかもしれません。そのような人間の業も考えに入れながら、財政や金融政策を考える必要もあると思います。

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