鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

伊賀市議会のことから考える

2012年09月24日 12時26分39秒 | Weblog
伊賀市議会で起こった副議長選挙に関わる贈収賄行為の問題ですが、議会改革の先進市であったこともあり驚きがあった一方で、やはりあり得ることなのだと改めて思う自分がいます。少し前の話ですが、龍谷大学LOACの質問力研修に参加した際、その場にいらっしゃっていた奈良市議会の天野さんが、役職選挙がらみで買収を持ちかけられたが断ったことで、波紋が大きくなっているということを話されていました。そのようなこともあり、先に書いたような感想にもなったわけです。

伊賀市議会は議会基本条例を先進的に制定し、また市民報告会を行うなど、鈴鹿市議会基本条例策定の過程でも条文などが参考資料となったりした議会です。安本 元伊賀市議会議長がパネリストとして講演されているのをお聞きしたことがありますが、非常に熱意のある発言をされていたのが印象に残っています。
しかし、このような事態が起こってしまった。このことは真摯に受け止めなければいけないことだと思います。

考えるのは、この事態を他山の石として、多くの自治体議会とその議会のある住民の人たちは、伊賀だけの話にするのではなく、ローカルメディアも含めて、自分たちのまちの議会を見直すきっかけにするべきではないかということです。
報道では動機に「市議になって長い。どうしても副議長になりたい」、「名誉職に就きたかった」とありましたが、この点についてどう考え議論し、役職についてどのような選定方法や基準を作るかということ、またそのような意識を容認する風土がないかなど、自分たちのまちのこととして住民も考えるべきなのだと思います。そう考えたとき、議会がするべきことは、内部だけの論理ではなく、開かれた議論で論理を構築し、常にその過程を開かれたものにすることなのだと思います。

話を進める前に、役職に就くために裏工作をすることは私は論外だと思っています。
議会の公職であれば、立候補の過程や投票結果について、住民に公開されるものであるべきと思います。
今回の事態でも、投票した議員が誰かがわかっていれば、今行われている議論のあり方もまた違うのではないかと思います。

さて、議長や副議長、監査委員をはじめとした議会でのいろいろな役職、各常任委員会委員長や特別委員会委員長は、それぞれに応じて議会での役割はもちろんですが、いろいろな審議会などに出席することが多いのは事実で、やはり役職の重要性をあらためて認識するところです。もちろん、対執行部に対しても応分の存在意義があるといえます。そのような意味では、一議員でいることよりも実行できることの範囲が広いとも言えます。

しかし、報道された動機からは「その役職で実現したいがある」というより、「その役職になりたい、肩書がほしい」ということが強いように感じます。もちろん報道内容からの憶測なので、そうとは限らないとも思いますが。この意識が形成される過程に、焦点をあわせてみてもよいのではないかと思います。

例えば、後者のような欲求についてその個人の意志が大きく関与していることは間違いないと思うのですが、住民の視点から考えるとき、その個人の欲求を形成する要素の中に、周囲の人たちが肩書に対して付与する評価があるのではないかと考えられます。そう考えると、住民の側から肩書に対する過度な評価を抑え、その役職で行ったことを客観的に評価したり、年次ごとで比較検証し評価する機会をつくれば、それによる変化が、議員の中にも出るのではないかと思います。
また、ローカルメディアにおいては、上記のようなことを独自の視点で行うことが考えられるでしょう。それを公開することは、メディアの役割として重要だと考えます。ローカルといいながらも、大手紙の地方版では限界もあるでしょうが、取り組む価値はあると思います。

このような議会外部からの評価の過程があれば、単に「役職に就く」ことが目的になることはかなり抑制されると思いますし、役職への立候補にも相応の意志と発想が必要になるでしょう。結果、前例踏襲といった運営では追い付かなくなるといったことも期待できると思います。内発的に変わらざるをえなくなるともえるでしょうが。

そのような発想からすれば、議会だよりの発行を議会主導で行うのではなく、発行費用と編集費用を議会予算から出し、議会からは議会として広報しなければいけない情報を編集者に渡し、それ以外の部分は自主的な編集としてもらうということも考えられるのではないかと思います。もちろん、過剰に編集に介入しないまでも、最低限の調整は行うということで。事業を充実させるために、広告収入を得ることも可能にするなどの工夫もあれば、コミュニティビジネスとして成立するようにできないかなども検討できるのではないでしょうか。

まとまりがついていませんが、議会は公開の議論で論点を明らかにする場所で、採決や議決については各々説明責任を持つという視点から、伊賀市議会の動きに注目したいと思います。目先の処分や対応ではなく、今回のような事態が再発しない仕組みを、住民の方々との公開の議論の上に構築されることを期待しています。
今日、信頼回復策について市議会としての結論が出るそうなので、関心のあるところです。
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委員会審議を考える

2012年09月19日 19時05分39秒 | Weblog
今日は、10月5日に開かれる鈴鹿亀山地区広域連合議会での議案質疑と一般質問の主旨聞き取り後、生活福祉委員会を傍聴していました。

傍聴していた感想から、明日開く産業建設委員会での議事運営について、整理すべき点が見えました。それは、昨日の委員会でも触れながら、今一つ委員長としての発言として整理しきれていなかった部分について、進行の中で明確にしていこうということです。

昨日の委員会で整理しようとしたことは、決算書にしたがい、款、項、目を意識して順に審議していく、その上で質問は、ひとり一項目として、関連質疑を行いやすくするということです。もちろん、委員の質問回数を制限するということではなく、質問機会を整理する程度の意味合いです。

こうすることで、一人の委員が複数項目を質問して、あちこち決算書のページをめくり、別の議員が同じように質問することで、同じ作業を繰り返すよりも、審議についても議事録作成についても、一つの議題について深くできる可能性と、スムーズにできるのではないかと思います。

個々の委員の質疑は、それぞれの方の視点があり、委員会審議の中で非常に大切だと思います。そこからどのようにして、委員会としての意見を抽出して、それを執行部に伝えるかが課題ではないかと考えるところです。

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質問力

2012年09月19日 17時03分24秒 | Weblog
先だって、CNS(ケーブルネット鈴鹿)での一般質問の放送をご覧になられた市民の方から、私の質問についてではありませんでしたが、いくつか一般質問に関する質問と、放映された質問に関しての苦言をいただきました。
耳の痛いお話でしたが、鈴鹿市議会が住民の方々から意義を感じていただくために、質問のあり方について考えるべきじきなのだと、改めて感じました。

一般質問は議案とは別に、市の政策や財政などに関する内容を質問できる機会です。
そのため、鈴鹿市議会でも毎定例会ごとに、多くの議員が執行部に対して、提言や提案、問題提起、問題追求などのような形で、市長以下の執行部に質問を行っています。
そのような一般質問ですが、一期目のはじめに事務局が行う研修がありますが、一般質問のあり方についての研修などはなく、ほぼ自己流になってしまいがちということです。

ここで課題になることは、「議場での質問」などということは、まず一般の生活の中で体験することはなく、テレビなどのメディアで国会中継や県議会中継、もしくは市議会中継を見るくらいしかなく、市民視点で考えることが難しいものだということです。

一般質問については、自分自身の政策課題について論じることになるわけですから、まったく個性を消さなければいけないわけではありません。言葉遣いや言葉の調子など、スタイルはあって良いのだとも思います。しかし、個性はパフォーマンスで現すものではなく、自分の取り上げる課題の切り口や、それに対する論調などから、自然と現されるべきだと思います。

自分自身も、はじめての一般質問は過去の議事録を参考にしたり、先輩議員におおよその流れについてを聞いて、自分なりに質問を構成して臨んだだけで、個性的がどうかと聞かれれば、今もどうかと考えるところで、また、いわゆる「よい質問」というところまではいっていないのではないかというのが実感です。

話は戻って、一般質問を行うにあたって、最低限行うべきでない発言もありますし、効果的な質問とするための論点整理など、やはり研修が必要ではないかと思います。
ひとつの例としては、以前ブログでも取り上げたことがあるかと思いますが、LOACの質問力研修のように、自分の行った質問について、まったく違う観点から論評されたり、他の議員から改善点を聞きながら、自分の中で整理していく過程が良いのではないかと思います。

今の自分としては、最低限、①窓口で聞けば済む質問はしない、②起承転結、論点整理をして主題と関連の内容を明確にする、③財源が必要であれば、財源についての考えを示す、などは最低限意識しながら質問をしています。もちろん、行政の職員から意見を聞いて、独りよがりになっていないかなども気にするところです。

ともかく、自分の質問の質をあげることに今、意識して取り組んでいます。
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産業建設常任委員会

2012年09月19日 00時31分31秒 | Weblog
9月18日は産業建設常任委員会でした。
決算委員会の初の仕切りでしたので、いろいろと緊張もしましたが、自分なりに得るものもたくさんありました。

今回の委員会では、議員間討議、議員間の意見交換ができないかということを意識した部分があります。鈴鹿市議会議会基本条例は12月施行ですので、確定的に運用がされているわけではありませんが、現時点で委員長として仕切れる範囲のことを実践したつもりです。
もちろん、これに先立つ市議会常任委員会の正副委員長会議で、委員会で決算審議から意見をまとめる動きをしてはどうかということを、他の委員会の委員長と副委員長に提議しています。

今日のまとめですが、実際に議員間討議、行政に対する委員長報告としての意見をまとめるという流れにするには、整理すべき課題が多々ありました。
それは、委員長としての発言にはじまって、意識の課題と言うことが考えられます。

委員長の発言としては、ある議員から委員会として整理する内容の意見が出ても、それに対して、他の委員の自発的な発言以外は、意見を求めるのはどうかという解釈があるということでした。それについては、他の委員に対して自分の論点を発言してもらい、それに対して同調する意見があるときは、そのことについて採決後にまとめるようにする。それ以外の、他の委員から特に意見がない場合は、意見が出たということで整理するということが考えられます。

意識の課題については、決算と事業仕分け、決算内容から委員会として予算の増額を求めるなど、執行部と個々の議員の質疑がそれになるという解釈から。個々の議員の質疑の中から論点を抽出して、最後にまとめるという意識が必要ではないかと考えます。

今9月定例会では、議会からの意見がまとまった結果として、本来1年ごとに修繕に入る考えであった学校体育館のつり天井の改修が、優先事項として補正予算に設計費が1校をのぞいて上がっているという実績があります。

このような動きをするためには、やはり議員間で考えを共有し議論するというプロセスは欠かせないと考えます。対執行部との質疑の中で、自分の意見を伝えることも大切とは思いますが、やはり、議員間でその問題意識を共有し、議論することが議会として議員として大切なことだと思います。

ちなみに、産業建設委員会について、9月20日(木)の10時から、残りの都市整備部所管分の審議を行い、最終採決を行う予定となっています。昨日は午後5時過ぎまでみっちり審議しました。
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劣化コピー

2012年09月18日 23時22分57秒 | Weblog
劣化コピー・・・ネットで検索するとこんな解釈が出てきます。
「オリジナルと比べて品質の劣る複製品、模造品。
もともとは、ダビングしたビデオをさらにダビングするなど、アナログでのコピーを繰返すことでノイズが増加した複製物をさす。」

思うのは、今の世の中にあるいろいろな仕組みや決まりごとについて、劣化コピーになってしまっていることがたくさんあるんじゃないかと。
劣化コピーだけれども、それしか知らなければ、それがオリジナルに見えてしまうから、悲しいかな、さらに劣化コピーを重ねてしまっていることがたくさんある気がします。

例えば、今の日本の議会制民主主義についても、1889年に大日本帝国憲法及び衆議院議員選挙法が公布され、一定以上の財産を持つ25歳以上の男子に選挙権が与えられ、数度の改正を経て、1925年に25歳以上の男子全員に選挙権が与えられた。その後、1946年に日本国憲法が公布され、20歳以上の男女と定められた。
という動きの中で、議会と議員のあり方、市民との関係は相当に考えられ取りくまれたはずです。もしかすれば、今ある議会改革の動き以上ではなかったのでしょうか。それがあって、今の世の中があるはずです。

しかし、高度経済成長期が過ぎ、それ以降の日本はどうかと考えれば、平和な時代が続き、次の時代への構想や熱意を徐々に失っていって、前例踏襲していくだけになってしまったのではないでしょうか。だからこそ、政争ばかりが注目される政治になってしまったのではないかと思います。

一方、地方でも、拓殖大学地方政治センター長である竹下譲教授の話では、日本ではある時期、たしか1950年代ごろから標準会議規則などが導入され、国による地方議会の統制のような動きが起こり、今に至っていると聞きます。それ以前にあった地方議会の熱意は、力を失っていったとも聞くところです。

もしかすると、自分たちが目にしているいろいろなことは、ある時期から過去のコピーを繰り返すだけで、劣化コピーになってしまっているのではないかと思います。
これを越えていくためには、前例踏襲主義ではなく、常に道を確かめ、道を切り開き、過去を参考にしながらも、新しい息吹で絵を描いていく意識が必要なのではないでしょうか。

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福祉器具を考える

2012年09月14日 17時25分04秒 | Weblog
ロンドンパラリンピックでの伊藤さんの活躍は、チャレンジする人生ということからも、とてもよいことで、鈴鹿市として大きな意味があると感じました。
けれど、パラリンピックを見ていて、どうしてもすっきりしないことがあります。それは奇しくも義足での200メートル走で、ピストリウス選手が2位となったことに対しての発言から見えました。

彼は1位になった選手の装具が、自分のものより10センチ長いと言っていたということです。そうなれば、装具による反発力などが違うことで差が出ることは、たしかに事実でしょうし、予測もできるところです。そのことはつまり、装具や道具に依存する部分が大きい、それを持つかどうかが大きな差となることです。
それは、道具を持たない、持てない人には、もしかするとオリンピックよりハードルが高いということにつながるんじゃないかと思います。

そういうことを考えながら、競技用車いすのことなどを考えていると、有名なところではOXレーシングさんがテレビなどでも取り上げられており、バイクに乗っている身からすれば、鈴鹿の産業とも近いものがあるなと。
また自分がもしそうなったと思いいろいろ考えました。伊藤さんがパラリンピック出場のために市役所に訪れたときの車いすと、競技用から感じる雰囲気はかなり違い、競技用的な雰囲気のものがあればなぁと思ったり。
鈴鹿川の河川敷のサイクリングロードを活用すれば、競技用まではいかなくとも、ツーリング的な車いすで運動できるのではないかなども考えました。

そのことを昨日、福祉に詳しい同僚の伊藤議員にも話し、なにかうまい方法がないかと考えていました。
そうこうして今日、市役所から出るときにたまたまものづくり支援センター所長と話す機会があり、車いすの話をしたところ関心を持っている方々が市内にもいるとのこと。うれしく感じました。こうやって話があることを聞くと、今度はどのような形で市は関われるのかなども考えるところです。金銭的な支援はすぐに考えつくところですが、それ以外の面でなにかできないかということです。

そこで考えつくことは、車いすなどを「持たない人、持てない人」は国内だけでなく、紛争や戦争で脚を失った人、悲しいことですが、そのような地域の子どもには、地雷などで失ってしまった子もたくさんいるのではないかということです。
このような人たちに毎年少しずつでも、競技用に近い形の車いすなどを支援することを、鈴鹿のまちとして行うことで、市内の産業支援にもなりますし、「鈴鹿」、「SUZUKA]という地名を広く知ってもらえることにつながるのではないかと思います。

そのような活動を通じて、紛争地域からパラリンピックに出場し、また活躍することができる人が出てくることができれば、それは日本の選手がメダルを獲得するのと同じくらい、もしかするとそれ以上に、日本という国はもちろん、鈴鹿というまちにとって名誉なことではないかと思います。

このようなことを考えると、議員として行政に関わることでできることの狭さと、行動に移すまでの時間がかかることに、残念な思いを持ちます。
ブログに書いていますが、すこしずつ取りくんでいきたいと思っています。
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ちょっとうれしいこと

2012年09月14日 01時28分44秒 | Weblog
遅ればせながら、9月議会ももう半ばですが、実は少しうれしいことがありました。
ひとつは、総合計画の平成25年度微調整に関連して、もうひとつは今定例会に提出されている議案に関してです。

総合計画の微調整はこちらのPDFを見て頂くとよくお分かり頂けると思います。
http://www.city.suzuka.lg.jp/kouhou/gyosei/plan/keikaku/sougou/pdf/168.pdf

一般質問の子ども図書館についてでは、平成23年度の微調整で図書館分室化が削除されたりしており、あらためて、このような微調整のチェックも重要だと思ったところです。
さて、平成25年度の微調整でなにがうれしかったのかというと、「伊勢若松駅のバリアフリー化」への取り組みが事業として上がっていることです。


25年度と26年度で総額1億円の事業費が計上されています。伊勢若松駅のバリアフリー化は、地域の方々が熱望されていただけでなく、近鉄名古屋線から鈴鹿市役所へ来るために通らなければいけない駅であることなどから、バリアフリー化されるべき駅です。それが動き出すことになったことは、やはりうれしいことです。
一般質問で取り上げさせて頂いたこともあり、どのような経緯があるにせよ、実現に動き出すことはうれしい限りです。
できれば、一般質問で取り上げたように、単純にエレベーターの設置だけにとどまるのではなく、広めに駅舎を改装してもらい、津波避難場所としてや、そこでいろいろなPRができる場になるように検討してもらいたいです。

もうひとつは、今回の補正予算の中で、公用車にEV(電気自動車)リースに関わる予算が計上されていることです。ホンダ製のフィットEVとは思いますが、次世代型自動車への取り組みという観点からも、ホンダさんとの連携の観点からも、意義があると考えるところです。
これも、一般質問で取り上げたこともあり、このように動きが見えることはうれしいことです。

誤解がないように書き添えると、一人の議員の一般質問で、市の政策が決定されることはないと思っています。今回の件も、執行部内などで検討されたり、地域の方々の声もあり実現されたことだと思っています。
議員ができることは、一般質問や委員会などの機会を通じて、そのまちの課題点と考えることを、公開の場である議会で出し、それを議事録などの形で残せるということだと考えています。

自分が何らかの形で携わったことが形になるのを見ることができるのは、やはりありがたいことです。
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一般質問について

2012年09月13日 09時39分41秒 | Weblog
今日は一般質問最終日です。
今回の質問でも、何件か気になる、関心を持つ論点がありました。
自分の質問は「子ども図書館設立について」と「地域維持型JVについて」でした。

前者は中江島町にある江島カルチャーセンターを、子ども図書館と子育て支援拠点として整備してはどうかということを主な論点としました。
子ども図書館自体は、現在も江島カルチャーセンターの機能の一部にあるのですが、明確にすることでそこで市民の方々に提供するサービスを向上でき、また効率的な運営もできると考えるからです。


子ども図書館にするにあたって、子育て支援の機能は同じ白子地区にある勤労青少年ホームで「はぐはぐ」という名称で行われている事業を、江島カルチャーセンターに移管する。そして、勤労青少年ホームは事業として整理する、もちろん、底地も含めて処理し、財源の当てとするということが考えに入っています。そうすれば、鈴鹿市として新規に財源を必要とすることなく、サービスを統合して、より意義のあるサービスを創出できると考えます。

この内容に対する答弁では、図書ビジョンや図書館サービス指針がなく取り組めないということでしたが、全体としての答弁は進めていくということでしたので、進捗をチェックしていきます。

本題以外に提案した内容、改善を求めた内容がいくつかあります。
ひとつは、このような施設運営管理について公ですべてする、もしくは民間でなければいけないという発想にとらわれるのではなく、子育て支援という観点から、子育て支援に実績のあるNPOに管理運営委託し、NPOを育成する観点もありではないかということです。
改善を求めた点は、今回の一般質問に取り組むにあたって、現地に行った際、「空調設備が壊れてしまっており、完全に修理するには電子基板のパーツがもうなく、非常に難しい。」と聞きましたので、早急に対応するよう求めました。

もう一つは、事務所と子供図書室を隔てている壁の撤去です。これは特に構造上必要のない壁であり、また撤去そのものもそれほど困難なものではないので、図書室を広く感じるためにも撤去を提案しました。


「地域維持型JV」についてですが、これは昨年末に国土交通省から地域の建設業などを支援する観点などから通達が出ているもので、内容を読むと、除雪や除染などの事業を想定しているようにも読めますが、趣旨そのものは地域を維持していくという観点ですので、鈴鹿市に今後の情報収集と検討を求めたものです。

http://www.mlit.go.jp/totikensangyo/const/1_6_bt_000101.html

http://www.mlit.go.jp/common/000171606.pdf

まだ、実施している地域なども少ないのですが、三重県も取り組む方向を考えているので、並行して考えることが必要と思います。

これについても、取り組んでいくという答弁が出たので、一定の結果はあったかと思います。
今後、河川や海岸の保全などの取り組みに際して、鈴鹿市から三重県に対して地域維持型の考えを取り入れられないか提案したり、共同で実践研究するという取り組みがありではないかということも提案しました。
また、質問をするにあたっては、これからの鈴鹿市においての公共インフラの維持更新問題と絡めて、地域産業としての建設業にどう考えるのかという視点も入っています。
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9月11日

2012年09月08日 23時20分04秒 | Weblog
9月11日は一般質問に登壇の予定です。
今回は「子ども図書館の設立について」と「地域維持型JVについて」の二つを質問します。
45分ですので、論点を整理して臨むところです。
しかし、そのことは今回のブログの本題ではありません。

9月11日は、みなさんご存知のように、2001年に同時多発テロが起こった日です。今日も、ヒストリーチャンネルでは特集番組も放映しています。そのような番組を見ると、あらためて自分を見つめ直すことになります。
以前にもブログで書いたことがあるかと思いますが、9月11日の世界貿易センタービルのニュース映像を、CNNだったと思いますがリアルタイムで見ていたことは、今の自分の中にある感覚や考えを形づくるひとつになっています。

今日、当時の映像の放映を見ていて感じたのは、放送内容に最低限の文字字幕での説明を入れるだけで、当時録画された映像が時間軸に沿って流されており、当時感じた感覚を再体験、自分の中に沈んでいた思いが表に出てくる感覚です。
もう10年以上前になって、自分の生活している日常からはほとんど感じることもなくなった出来事ですが、起こった事実は決して忘れてはいけないこと、そのことがあったことを受けながら、今の私たちは、これからの世の中を考えていかなければいけないということです。

そのようなことを考えながらふと思ったことは、東日本大震災の映像について、日本ではナレーションや専門家の解説、場合によってはタレントなどを使うことで、本来、いろいろな映像が持っているはずの、直接訴える力、見る人が自分で考えることを奪ってしまっているのではないかということです。

9月11日、そのような放送があればと思うところです。
また、アメリカでおこった出来事とは言え、日本の教育現場でも取り上げていくべきなのではないかと考えるところです。
東日本大震災の映像も脚色せずに、時間軸に沿って放映してもらいたいと思います。
そうすれば、日本で起こった3月11日の未曾有の大災害、それによる多数の犠牲になられた方々がいらっしゃるにもかかわらず、そのようなことに思いをはせることもないのか、自国のエゴ、領土問題を振りかざしてくる人たちのことを、私たちが冷静に考えることもできるのではないでしょうか。

そんなことをふと思う時間でした。
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道州制の前に

2012年09月06日 18時52分04秒 | Weblog
これからは、国が仕切る全国一律の自治体運営ではなく、それぞれの自治体が、自分たちの地域にあった形で、住民も合意の形で、特色のある自治体運営を行えるようにするべきだと思います。
そういう視点で、維新の会が道州制の導入を掲げていることには、共感する部分もあります。が、実際のところを見ていると、気になるところがあります。それは、大阪府と大阪市の関係は盛んに語られますが、大阪市以外の市について大阪府がどのような立ち位置をとるのか、そこが見えないからです。

国から地方へ権限と財源を移譲し、国は外交や防衛を担うことにし、政府を小さくするという考えがあるのであれば、同様のことが府(県)と市町の関係でもあてはめられる部分があると考えます。

例えば、府(県)は県道などの計画と新設整備は行うけれども、その後の維持管理・改修や更新については、該当のインフラなどがある自治体に権限と財源を移譲すると考えると、その分、府(県)の業務をスリムにできるのではないでしょうか。もちろん、基礎自治体の担う業務は増えるでしょうが、道路などの公共インフラの維持を、住民の身近なところで考えることができると思います。

この考えを進めると、基礎自治体の中でさらに住民のニーズや地域社会の特性も考慮してエリアを分割し、それぞれのエリアに予算を配分して、エリアの維持管理業務などを行うようにしてはどうかということになります。この場合、エリアでの方針を考えるのは、あくまで住民参加で行い、エリア内での公平性などの調整は住民自らで行うということになるでしょう。自分たちのまちのことは、自分たちで考え決めるという住民自治が重要になります。
道州制というより、それぞれのまちの特性に応じた自治、つまり住民自治をどのように実現するかがポイントだと思います。

集めた税金を交付金や補助金という形で分配し、あたかも国、県、基礎自治体の順になっているようにするのではなく(だから議会についても同じ?)、税を納める住民の視点から自治を行っていくべきなのだと思います。ただしその際、自治体間のあまりに大きな経済格差がないようにする配慮は必要とは思うところです。

そのようなことを考えると、道州制のように国政から大きく仕組みを変えるということもありとは思いますが、府(県)と基礎自治体の関係を見直すことから取り組むことがよいのではないかと考えます。
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