伊賀市議会で起こった副議長選挙に関わる贈収賄行為の問題ですが、議会改革の先進市であったこともあり驚きがあった一方で、やはりあり得ることなのだと改めて思う自分がいます。少し前の話ですが、龍谷大学LOACの質問力研修に参加した際、その場にいらっしゃっていた奈良市議会の天野さんが、役職選挙がらみで買収を持ちかけられたが断ったことで、波紋が大きくなっているということを話されていました。そのようなこともあり、先に書いたような感想にもなったわけです。
伊賀市議会は議会基本条例を先進的に制定し、また市民報告会を行うなど、鈴鹿市議会基本条例策定の過程でも条文などが参考資料となったりした議会です。安本 元伊賀市議会議長がパネリストとして講演されているのをお聞きしたことがありますが、非常に熱意のある発言をされていたのが印象に残っています。
しかし、このような事態が起こってしまった。このことは真摯に受け止めなければいけないことだと思います。
考えるのは、この事態を他山の石として、多くの自治体議会とその議会のある住民の人たちは、伊賀だけの話にするのではなく、ローカルメディアも含めて、自分たちのまちの議会を見直すきっかけにするべきではないかということです。
報道では動機に「市議になって長い。どうしても副議長になりたい」、「名誉職に就きたかった」とありましたが、この点についてどう考え議論し、役職についてどのような選定方法や基準を作るかということ、またそのような意識を容認する風土がないかなど、自分たちのまちのこととして住民も考えるべきなのだと思います。そう考えたとき、議会がするべきことは、内部だけの論理ではなく、開かれた議論で論理を構築し、常にその過程を開かれたものにすることなのだと思います。
話を進める前に、役職に就くために裏工作をすることは私は論外だと思っています。
議会の公職であれば、立候補の過程や投票結果について、住民に公開されるものであるべきと思います。
今回の事態でも、投票した議員が誰かがわかっていれば、今行われている議論のあり方もまた違うのではないかと思います。
さて、議長や副議長、監査委員をはじめとした議会でのいろいろな役職、各常任委員会委員長や特別委員会委員長は、それぞれに応じて議会での役割はもちろんですが、いろいろな審議会などに出席することが多いのは事実で、やはり役職の重要性をあらためて認識するところです。もちろん、対執行部に対しても応分の存在意義があるといえます。そのような意味では、一議員でいることよりも実行できることの範囲が広いとも言えます。
しかし、報道された動機からは「その役職で実現したいがある」というより、「その役職になりたい、肩書がほしい」ということが強いように感じます。もちろん報道内容からの憶測なので、そうとは限らないとも思いますが。この意識が形成される過程に、焦点をあわせてみてもよいのではないかと思います。
例えば、後者のような欲求についてその個人の意志が大きく関与していることは間違いないと思うのですが、住民の視点から考えるとき、その個人の欲求を形成する要素の中に、周囲の人たちが肩書に対して付与する評価があるのではないかと考えられます。そう考えると、住民の側から肩書に対する過度な評価を抑え、その役職で行ったことを客観的に評価したり、年次ごとで比較検証し評価する機会をつくれば、それによる変化が、議員の中にも出るのではないかと思います。
また、ローカルメディアにおいては、上記のようなことを独自の視点で行うことが考えられるでしょう。それを公開することは、メディアの役割として重要だと考えます。ローカルといいながらも、大手紙の地方版では限界もあるでしょうが、取り組む価値はあると思います。
このような議会外部からの評価の過程があれば、単に「役職に就く」ことが目的になることはかなり抑制されると思いますし、役職への立候補にも相応の意志と発想が必要になるでしょう。結果、前例踏襲といった運営では追い付かなくなるといったことも期待できると思います。内発的に変わらざるをえなくなるともえるでしょうが。
そのような発想からすれば、議会だよりの発行を議会主導で行うのではなく、発行費用と編集費用を議会予算から出し、議会からは議会として広報しなければいけない情報を編集者に渡し、それ以外の部分は自主的な編集としてもらうということも考えられるのではないかと思います。もちろん、過剰に編集に介入しないまでも、最低限の調整は行うということで。事業を充実させるために、広告収入を得ることも可能にするなどの工夫もあれば、コミュニティビジネスとして成立するようにできないかなども検討できるのではないでしょうか。
まとまりがついていませんが、議会は公開の議論で論点を明らかにする場所で、採決や議決については各々説明責任を持つという視点から、伊賀市議会の動きに注目したいと思います。目先の処分や対応ではなく、今回のような事態が再発しない仕組みを、住民の方々との公開の議論の上に構築されることを期待しています。
今日、信頼回復策について市議会としての結論が出るそうなので、関心のあるところです。
伊賀市議会は議会基本条例を先進的に制定し、また市民報告会を行うなど、鈴鹿市議会基本条例策定の過程でも条文などが参考資料となったりした議会です。安本 元伊賀市議会議長がパネリストとして講演されているのをお聞きしたことがありますが、非常に熱意のある発言をされていたのが印象に残っています。
しかし、このような事態が起こってしまった。このことは真摯に受け止めなければいけないことだと思います。
考えるのは、この事態を他山の石として、多くの自治体議会とその議会のある住民の人たちは、伊賀だけの話にするのではなく、ローカルメディアも含めて、自分たちのまちの議会を見直すきっかけにするべきではないかということです。
報道では動機に「市議になって長い。どうしても副議長になりたい」、「名誉職に就きたかった」とありましたが、この点についてどう考え議論し、役職についてどのような選定方法や基準を作るかということ、またそのような意識を容認する風土がないかなど、自分たちのまちのこととして住民も考えるべきなのだと思います。そう考えたとき、議会がするべきことは、内部だけの論理ではなく、開かれた議論で論理を構築し、常にその過程を開かれたものにすることなのだと思います。
話を進める前に、役職に就くために裏工作をすることは私は論外だと思っています。
議会の公職であれば、立候補の過程や投票結果について、住民に公開されるものであるべきと思います。
今回の事態でも、投票した議員が誰かがわかっていれば、今行われている議論のあり方もまた違うのではないかと思います。
さて、議長や副議長、監査委員をはじめとした議会でのいろいろな役職、各常任委員会委員長や特別委員会委員長は、それぞれに応じて議会での役割はもちろんですが、いろいろな審議会などに出席することが多いのは事実で、やはり役職の重要性をあらためて認識するところです。もちろん、対執行部に対しても応分の存在意義があるといえます。そのような意味では、一議員でいることよりも実行できることの範囲が広いとも言えます。
しかし、報道された動機からは「その役職で実現したいがある」というより、「その役職になりたい、肩書がほしい」ということが強いように感じます。もちろん報道内容からの憶測なので、そうとは限らないとも思いますが。この意識が形成される過程に、焦点をあわせてみてもよいのではないかと思います。
例えば、後者のような欲求についてその個人の意志が大きく関与していることは間違いないと思うのですが、住民の視点から考えるとき、その個人の欲求を形成する要素の中に、周囲の人たちが肩書に対して付与する評価があるのではないかと考えられます。そう考えると、住民の側から肩書に対する過度な評価を抑え、その役職で行ったことを客観的に評価したり、年次ごとで比較検証し評価する機会をつくれば、それによる変化が、議員の中にも出るのではないかと思います。
また、ローカルメディアにおいては、上記のようなことを独自の視点で行うことが考えられるでしょう。それを公開することは、メディアの役割として重要だと考えます。ローカルといいながらも、大手紙の地方版では限界もあるでしょうが、取り組む価値はあると思います。
このような議会外部からの評価の過程があれば、単に「役職に就く」ことが目的になることはかなり抑制されると思いますし、役職への立候補にも相応の意志と発想が必要になるでしょう。結果、前例踏襲といった運営では追い付かなくなるといったことも期待できると思います。内発的に変わらざるをえなくなるともえるでしょうが。
そのような発想からすれば、議会だよりの発行を議会主導で行うのではなく、発行費用と編集費用を議会予算から出し、議会からは議会として広報しなければいけない情報を編集者に渡し、それ以外の部分は自主的な編集としてもらうということも考えられるのではないかと思います。もちろん、過剰に編集に介入しないまでも、最低限の調整は行うということで。事業を充実させるために、広告収入を得ることも可能にするなどの工夫もあれば、コミュニティビジネスとして成立するようにできないかなども検討できるのではないでしょうか。
まとまりがついていませんが、議会は公開の議論で論点を明らかにする場所で、採決や議決については各々説明責任を持つという視点から、伊賀市議会の動きに注目したいと思います。目先の処分や対応ではなく、今回のような事態が再発しない仕組みを、住民の方々との公開の議論の上に構築されることを期待しています。
今日、信頼回復策について市議会としての結論が出るそうなので、関心のあるところです。