新型コロナウイルスが世に出て以降のことを考えていると、いろいろなことが多面的な視点からの検証を行われないまま、なんとなく承認される形になっているかよくわからないまま、ただただ今に流されるようになっているように感じています。
例えば新型コロナウイルスと呼ばれるものも、それが出現した時点では、過去のSARSやMERSのようなリスクをはらむものだったのだろうと思います。しかし、コロナウイルスはいわゆる風邪から重篤な呼吸器疾患を引き起こすウイルスとして存在してきたもので、変異もしやすいものだと認識します。
私たちは、変異株が出現すると言われるたびに、メディアを通じて不安を煽られてきたと思います。しかし、感染法上の5類に移行して以降、それらのウイルスのリスクについて検証された情報が、私たちに知らされているでしょうか。いまだに「新型」として検証があやふやなまま置かれているように思います。
新しい手法として用いられたmRNAワクチンについて、効果はどの程度だったのでしょうか、副作用などのリスクはどうだったのでしょうか。それらに対する検証に触れないままになっているのではないでしょうか。メディアは真摯に報道しているでしょうか。
その結果の一端は、ワクチン廃棄の課題から見られるのではないでしょうか。
■2024年4月15日読売新聞ウェブ記事:『コロナワクチン廃棄額6653億円…厚労省「必要な量購入した」「無駄とは考えていない」』
■2023年9月19日読売新聞ウェブ記事:『コロナワクチン、政府が8630万回分を廃棄へ…購入単価は公表せず 』
ワクチン接種を国は進めましたが、この二つの記事から、1兆円近いお金で購入したものが廃棄されていると考えられます。製薬会社破は損をしていないでしょうが、日本は廃棄した分は無駄と言えるのではないでしょうか。
次の世代にも大きな影響のあることに、関心が薄れてしまっているのではと考えると、私たち自身から検証を意識することの重要性があると思います。
その他の政策についても考えられることです。
平成に入って以降、赤字国債の発行を続けながらここまできていますが、私たちの生活は、次世代のための世の中は、将来に向けて持続的で豊かなものになっているでしょうか。
一例として、トリクルダウン※という言葉が用いられていましたが、そのようなことは起こったでしょうか。まったくなかったとは言いませんが、ほとんど起こっていないから今の状況があるのではないでしょうか。
欲望について同じ大きさのグラスで構成されるシャンパンタワーのようであれば、もしかすればよかったのかもしれません。しかし実際は、富裕層とされる人たちの欲望はより大きく、そこでほとんど飲み込まれてしまったのではないでしょうか。検証が行われないままのように思います。
社会に関わることは膨大で、そのすべてを検証することは困難だと思います。しかし、身近で起こっている、見えている事象に関しては、私たちは検証という視点をもって考えることが大切だと思います。
見えてきたものが、自分に認知的不協和をもたらすとしても、安易に目をそらさず多面的に考えることが、より重要な時代に生きていると思います。