鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

個人情報のことを話すなら

2023年03月27日 23時20分25秒 | Weblog

マイナンバーに関する意見や、選挙などでの動画活用の話を聞いていて思うのは、そもそも、アプリにどれだけのことをアクセスされてるかを考えたりすることはあるのかなと。カメラや位置情報、電話帳などにもアクセスすることがあると、アプリを入れる際にも書かれているのだけど、そのリスクって相当に大きいと思うのです。

そのリスクも、アプリを配信している会社がどこにあるかだけでなく、データを保管したりするサーバーなどが置かれている国によっては、その国の法律で情報を集められることがあるし、そうして集められる個人の情報が、どのように使われるのかを考えると、相当に怖いことだと思います。アメリカでは実際にリスクがあると判断されたアプリが問題になっていますが、アプリによる収益などの経済面よりも、安全保障も含めたことが問題になっていると思います。

日本ではどうかと言えば、まだ流行として取り上げられていて、導入によるリスクはほとんど語られていないように思います。ネットメディアのリテラシーも大切ですが、無料で使える裏でどのようなものにアクセスされ収集されているか、そういう情報がどうつかわれるのかも考えられる情報を伝えるべきなのだと思います。

このようなことを取りあげず、マイナンバーばかりを取りあげているのを聞くと、バランスの良くない話に聞こえてしまいます。

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県議選を前に

2023年03月27日 12時43分46秒 | Weblog

三重県議会議員選挙がこの週末に告示、4月9日が投票日となります。街頭や個人報告会、事務所開きや決起大会など、市内のいろいろなところで、候補となる皆さんが動かれています。

そんな中、話をお聞きする機会もあるのですが、ふと感じたことがあります。

たしかに鈴鹿市が選挙区であれば、県が関わるインフラ整備や各種制度などで、鈴鹿にとって良いように動いて頂きたいという思いは自分にもありますし、各候補にはそのことを期待します。また、近隣市との政策課題について、広域的な連携が出てくる場面でも、県の中での調整を期待もします。

同時に、補完性の原則に則って、権限と財源を県から市に移譲することに力を入れて頂きたいとも思います。一例ですが、県道にかかる交差点の横断歩道の課題について、市警察も課題を認識して改善方向の考えだったのですが、県予算がないということで改良が進んでいないところがあります。このようなとき、財源と権限が市に移譲されていれば、鈴鹿に住む人たちで優先順位を考え取り組むことができるようになります。このようなことに取り組んで頂きたいところです。

そしてこれが一番感じることなのですが、鈴鹿市に住んでいるから鈴鹿市民という視点だけで考えてもらうのではなく、これまで鈴鹿市が大きくなってくる過程で、県内のいろいろなところから移り住んで鈴鹿に根を下ろしている人も多いことに思いを馳せて頂きたいなと。

自分もかれこれ20年近く前の話になってしまいますが、前職の中で家の取材をさせて頂いたとき、津の方だったのですが、そちらにお住まいの方は尾鷲から移り住まわれたという話で、話をお聞きしていくと、自分の祖父母が営んでいたお店のことをよくご存じで、そのことで話が盛り上がったことがあります。自分もルーツはそこにあり尾鷲に愛着を感じています。

南紀につながりのある人は多く鈴鹿に住まわれていると思いますし、その方々は出身地域になんらかの愛着を持っていると考えると、南紀のいろいろな資源を鈴鹿とつなげていく施策を聞くと、大きくはなくても心に響くものがあるのではないでしょうか。観光だけでなく水産や林業など、多くの資源が南紀にあると思います。それらを鈴鹿とつないで、鈴鹿にも南紀地方にもプラスになるようなことに取り組んで頂きたいなと思います。

鈴鹿のことだけでなく、三重県内でどのように地域間連携を進め、魅力ある三重県として全体を考えるのか、各地域をどのように持続可能なものにしていくのか、各候補にそういう視点を持って頂きたいなと、県議選を前に考えるのです。

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子どもたちが食べるに困らない世の中

2023年03月27日 02時42分11秒 | Weblog

自分のやってきたこと、これから取り組みたいことを話しながら、あらためてその底に流れる共通のものを考えると、いろいろな社会変化の要因が見えている今、一番強い思いは「子どもたちが食べるに困らない」という表現に集約されました。当たり前と言われるかもしれませんが、本当に当たり前として私たちは考えているでしょうか。考えているつもりになっていないか、自問自答する時間が必要かと思います。

新型コロナのパンデミックにあるように、感染症の影響はすぐに世界に広まってしまうことがはっきりし、その影響は健康面だけではなく、社会的にも経済的にも大きなものとなって、あっという間に世界全体を覆ってしまうことを目の当たりにしたにもかかわらず、これからが、これまでと同じ考えのままでいられるでしょうか。

経済を背景にした大国の変化を、どこまで考えているでしょうか。大国だけでなく、軍事力などを背景にしながら国を統制しているところもあり、そこでは一方で、その国の人たちが抑圧されていたりするのに、毅然と抑えることもできないまま、行動がエスカレートしていっている。一見して安定しているように見えても、ほんの少しで大きくバランスが崩れて、世界のあちこちで戦時下になる可能性はないのでしょうか。

世の中にたくさんお金(マネー)が出回っているのに、その総額ほど、世界全体で私たちは幸せになっているでしょうか。あふれるマネーが引き起こすことのリスクを考えることはあるでしょうか。私たちが「それだけの価値があると考えて」その前提で信じあって使っているから成り立っているお金は、そのことを疑う人や信じない人が、自分の利益を最大にするために動いたら、信じあうことがなくなったら、数字がどれだけあっても成立しなくなるかもしれないと考えるでしょうか。

気候変動の影響で起こる極端な気象現象だけでなく、地殻の動きによって発生する大地震や火山の噴火、温暖化に伴う海水面の上昇を、地球の変化としてつなげて考えることはあるでしょうか。私たちはこの100年程度の間の落ち着いた状態に慣れすぎて、それに、人間の力でさばけると過信しすぎてはいないでしょうか。

感染症についてはペストやコレラ、スペイン風邪をはじめとして、いろいろな疾病で私たちの生存が脅かされてきていることは事実です。戦争によって食糧に困窮することも、過去からずっとあることです。経済危機も世界恐慌やリーマンショック、戦時下や戦後の混乱の中でのインフレなどが起こってきています。地球の活動による影響も飢饉につながるなどの形で見えているものです。

十分に予測できるこれらのリスクの中で、弱い立場であり、理不尽なまでに影響を受けるのは、子どもたちではないでしょうか。私たちは、というよりも国の政治では、これらの想定が十分に可能なリスクに対して、「子どもたちが食べるに困らない」社会を作ることが何より優先だと考えます。

ですが今の日本はどうでしょう。

子ども食堂の立ち上げやフードパントリーなどの話があるように、すべての子どもたちが食べるに困らないとは到底言えないのではないでしょうか。そのような状況なのに食糧自給率は低いままで、諸外国からの輸入を前提にした考えから抜け出せていない方が多いように思います。

 

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給食と農生産の連携

2023年03月12日 23時28分45秒 | Weblog

現在、鈴鹿市の小学校給食センターでの市内産野菜などの農水産物の使用割合は約16%、中学校給食センターでは約39%となっていて、それ以外は、次に県内産を使用することを選択、それもない場合は他の地域での生産物を選択して、学校給食が調理されることになっています。

ということは、子どもたちの給食のための食材調達について外部への依存が大きい状態であり、気候変動の影響による豪雨や台風などといった気象災害や、低温や高温、渇水など他の気象条件などによる不作などへの対応が、鈴鹿市では脆弱ではないかとと考えられます。

市内産の次は県内産なので気象条件は大きく変わらないとは考えられますが、不作により野菜などの市場価格が高騰すると全体的に高くなることの影響は避けらず、家庭から徴収している給食費では賄いきれなくなることも出て、ですから、数年前に給食の停止を検討しなければいけない状況が起こったわけです。

話は戻りますが一方で、給食センターにおける市内産野菜の使用割合から考えると、小学校で約8割強、中学校でも約6割、市内産農水産物の参入余地があると考えることができます。つまり給食メニューを、鈴鹿の気候に合わせた野菜などを旬の時期に使うこと基本にして作成、需要と供給の中で計画的に生産とリンクすることができれば、生業としての農業を拡大できる可能性が考えられます。

そのような農業が実現できれば、子ども食堂や生活困窮の状況にある方への食料支援などともつなげることができ、福祉的側面からも意義のある取り組みになる可能性があると考えます。取り組みを進めることができれば、野菜分からでも給食費を減免できるかもしれないと考えたりもします。

ただ給食に使う野菜を生産する場合は、“市場”によって価格が決定されるという考えと一線を画する必要があるかもしれません。だからといって、市場価格と大きく乖離する価格は現実的とは思いません。ただ、給食のためだけに取り組む方がいるとして、それだけでも生計が成り立つという前提で、耕作面積なども考慮しながら価格を設定することはどうかと考えます。

このようなことが実現できれば、鈴鹿は次の世代を支えることができるまち、持続可能性が高いまちになると考えています。なにより大切なことは、社会や自然でいろいろな変化があっても、子どもたちが食べることに困窮しないまちであるように、大人の私たちが意識を変え取り組むことです。

コロナ禍の中で一般質問でそのことを取りあげましたが、政策としてつながるようにがんばりたいです。

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グローバルから身近な社会の見直しへ

2023年03月12日 10時47分54秒 | Weblog

市議会なのに、なぜこんなことを考えているのかと言われそうですが、大きな流れは自治体にも影響があることと考えるので書きます。

コロナ禍の出口が見えていますが、だからといってコロナ禍でのいろいろなことは、まだまだ検証と評価がされているものではなく、そういう意味では総括されるまで何らかの影響があると思います。

例えば、海外からの観光誘客について、コロナやインフルエンザだけでなく、今は梅毒の流行といった性病も含めて、人の移動による感染症のリスクをどう考えるのか、リスクを最小限にして国内の健康環境を守ることをどう考えるのか、私たちは向きあっているかと考えると心もとない気がします。

経済について考える前に、生物学的なヒトとして、社会的な存在の人間として、私たちは平等だと考えていたりしますが、実際はどうかと考えると、住んでいる国や地域によって差(格差)があることが前提になってしまってはいないでしょうか。

その一方で“自由な貿易”が語られるわけですが、平等でない状況があるのに自由に貿易というのは、矛盾をはらんでいないでしょうか。それに、自由であるということは、相互の社会を尊重することがあってこそで、企業に都合よくルールを設定されたら、見かけは自由や平等が語られながら、強者の論理でルールを作られるとしたら、一体それは誰の為なのでしょう。

大きな企業がどこをみて活動を行っているのか、安くモノが手に入っても、それが国外での生産などに依っているのなら、安くされている分のお金が国内にまわっていないということだし、生産に携わっている国の人たちはどのような待遇なのかを考えることが大切ではないでしょうか。きれいごとを言っていても、その根底に傲慢で強欲な部分があれば、きっと他を淘汰して一人勝ち、自分さえよければという行動があると思います。

それと、これまでは利害の方向性が一致していた部分が多かったから、見かけの安定が保たれていた国際社会も、その中で力をつけた国の為政者が、自分のエゴを国の運営で実現することが増えた今、違う局面の中にいると考えたほうがいいのではと思います。

そんなこんなをいろいろと情報を見たり聞いたりして考えてしまうのです。

その中で、これからの社会を考えるにあたっては、グローバル社会という前提を考え直す必要があると思います。グローバルへの依存を低くしながら、できるだけ身近な経済を大切にする、私たちの生活を見直したり創りなおす時代なのだと思います。

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