東海・東南海・南海三連動地震での被害予想が非常に気になるところです。鈴鹿市の海岸部では、東北の海岸を襲った津波の映像のイメージと実際の被害の大きさから、どうしても津波からの避難ということが関心を引きがちです。たしかに、そのリスクがあることはもちろんですが、違う面から私は気になっていることがあります。それは海底地形などと、地震災害との関連についてです。
なぜそのようなことが気になったのかというと、若松小学校そばに心海寺というお寺があるのですが、そのお寺は昔は現在の海岸線あたりにあったと、若松の歴史に詳しい方からお話を聞き、現在の位置に移動したのは、周辺の集落の人と一緒に、明治政府が移転するように命じたからというのです。
つまり、昔は陸地だったものの、何らかの理由で地盤が沈下したため、海がそばになってしまったと考えられるのです。
また、現在でも四日市の港を築造する際に、沖で砂を取っていったため、海岸の砂が少なくなったという話も聞きます。
そのようなことを踏まえてネットを検索したところ、伊勢湾環境データベースというものを見つけました。
http://www.isewan-db.go.jp/index.asp
ここで調べたところ、次のような図と説明が見つかりました。

これをみると、鈴鹿の海岸線そばの海中は砂礫が多いことが特徴的ということがわかっていただけると思います。
ここで自分なりに想像を働かせて考えてみると。
明治政府が移転を命じたときの前に、安政東海地震と安政南海地震が発生しています。このとき、津波が発生したでしょうから、勢いのある海流が伊勢湾に押し寄せ、当時も同じようにあっただろう、鈴鹿沖の砂礫を押し流してしまったのではないかと考えられます。
沖の砂が移動したことにより、陸地側の土地・土が沖方向に流れだし、地盤沈下の原因となったのではないでしょうか。
つまり、次に起こるであろう大地震の際にも、同様の事例が起こるのではないかということを考えているのです。
もしそのような事態が起こったら、私たちはどうするのか、堤防に頼りそれで対処するのか、それとも、明治政府がとったようなことをするのか、そのようなことを想定することも必要なのかもしれないと考えています。
なぜそのようなことが気になったのかというと、若松小学校そばに心海寺というお寺があるのですが、そのお寺は昔は現在の海岸線あたりにあったと、若松の歴史に詳しい方からお話を聞き、現在の位置に移動したのは、周辺の集落の人と一緒に、明治政府が移転するように命じたからというのです。
つまり、昔は陸地だったものの、何らかの理由で地盤が沈下したため、海がそばになってしまったと考えられるのです。
また、現在でも四日市の港を築造する際に、沖で砂を取っていったため、海岸の砂が少なくなったという話も聞きます。
そのようなことを踏まえてネットを検索したところ、伊勢湾環境データベースというものを見つけました。
http://www.isewan-db.go.jp/index.asp
ここで調べたところ、次のような図と説明が見つかりました。

これをみると、鈴鹿の海岸線そばの海中は砂礫が多いことが特徴的ということがわかっていただけると思います。
ここで自分なりに想像を働かせて考えてみると。
明治政府が移転を命じたときの前に、安政東海地震と安政南海地震が発生しています。このとき、津波が発生したでしょうから、勢いのある海流が伊勢湾に押し寄せ、当時も同じようにあっただろう、鈴鹿沖の砂礫を押し流してしまったのではないかと考えられます。
沖の砂が移動したことにより、陸地側の土地・土が沖方向に流れだし、地盤沈下の原因となったのではないでしょうか。
つまり、次に起こるであろう大地震の際にも、同様の事例が起こるのではないかということを考えているのです。
もしそのような事態が起こったら、私たちはどうするのか、堤防に頼りそれで対処するのか、それとも、明治政府がとったようなことをするのか、そのようなことを想定することも必要なのかもしれないと考えています。