行財政改革、議会改革と身近なところでも‘改革’と言葉が盛んに使われていますが、言葉だけが先行してしまっているのではないかとここのところ考えています。
端的に言うと「‘改革’の目的は?、誰のため? 」ということが、はっきりしているようで、実のところ、本当にそれに沿って考えているのか、行動しているのか
と考えると、とても心もとなく感じるのです。
例えば行財政改革ついて、鈴鹿市での考え方は次の資料のようになっています。
http://www.city.suzuka.lg.jp/kouhou/kaikaku/data/pdfs/plan_02.pdf
この中からあえて抜き出すとすれば
‘目的は?’の部分は「限られた資源=人・物・金を最大限に活用し,自治体としての自己決定と自己責任の原則に基づいた自立的な行財政システムを確立します。」となり、
‘誰のため?’の部分は「市民の立場になって市民が求めているサービスを的確に把握し,市民満足度の向上に繋がるような行政への転換」という部分でしょうか。
言葉としては、市民のため、となっているのですが、果たしてそのようになっているのかと言えば、少し疑問を感じます。第5次総合計画について、第3期の行財政経営計画の見直しが行われているのですが、第2期でもそうだったのですが、各種の指標の見直しなどについて、行政優位の状態で進められている感はぬぐえません。また、市民委員の活用についても、旧態依然とした感覚がまだあるように感じるのが実態です。
議会改革ということについて、鈴鹿市議会でも議会基本条例の策定に取り組んでいるのですが、最近、全国的に流行りになっているこの取り組みについて、目的は「議会改革として、これまでの議会のあり方を見直す。」ことにあるのは、他の事例でも見られることで、特に否定するものではありません。
二元代表という言葉の下、同じく公選で選ばれる首長と、公選で選ばれる議員で構成される議会は、それぞれ行政と議会という形で、機関競争の状態にあると思います。その際、誰との関係においてと言えば、主権者である住民・市民の方々と言えます。そのように捉えたとき、議会改革は‘誰のため?’と考えると、わかっているものとされ、あいまいになってしまっている、または、混線しているのではないかと考えます。
「~の、~による、~のための改革」の「~」の部分に言葉を入れると、今回書いている違和感が見えるのではないかと思います。
首長をトップとした行政にせよ、議会にせよ、‘誰のため?’ということについて、‘住民・市民のため’ということは絶対条件であって、それからブレるべきでないと思います。
「~の、~による、住民・市民のための改革」であるべきで、その実現のためには、住民・市民の方々との徹底的な情報共有、既存の価値基準のゼロベースの見直し、改革にあたっての双方向性などが必要だと考えます。意思形成の過程を公開するのは当たり前ですし、意思形成の過程で意見を取り入れ議論をするのも当然と考えます。
どの様な改革を行うにせよ、住民・市民との関係にしっかり目を向け、取り組まなければ、「仏つくって魂入れず」、「画竜点睛を欠く」ことになると危惧するところです。
端的に言うと「‘改革’の目的は?、誰のため? 」ということが、はっきりしているようで、実のところ、本当にそれに沿って考えているのか、行動しているのか
と考えると、とても心もとなく感じるのです。
例えば行財政改革ついて、鈴鹿市での考え方は次の資料のようになっています。
http://www.city.suzuka.lg.jp/kouhou/kaikaku/data/pdfs/plan_02.pdf
この中からあえて抜き出すとすれば
‘目的は?’の部分は「限られた資源=人・物・金を最大限に活用し,自治体としての自己決定と自己責任の原則に基づいた自立的な行財政システムを確立します。」となり、
‘誰のため?’の部分は「市民の立場になって市民が求めているサービスを的確に把握し,市民満足度の向上に繋がるような行政への転換」という部分でしょうか。
言葉としては、市民のため、となっているのですが、果たしてそのようになっているのかと言えば、少し疑問を感じます。第5次総合計画について、第3期の行財政経営計画の見直しが行われているのですが、第2期でもそうだったのですが、各種の指標の見直しなどについて、行政優位の状態で進められている感はぬぐえません。また、市民委員の活用についても、旧態依然とした感覚がまだあるように感じるのが実態です。
議会改革ということについて、鈴鹿市議会でも議会基本条例の策定に取り組んでいるのですが、最近、全国的に流行りになっているこの取り組みについて、目的は「議会改革として、これまでの議会のあり方を見直す。」ことにあるのは、他の事例でも見られることで、特に否定するものではありません。
二元代表という言葉の下、同じく公選で選ばれる首長と、公選で選ばれる議員で構成される議会は、それぞれ行政と議会という形で、機関競争の状態にあると思います。その際、誰との関係においてと言えば、主権者である住民・市民の方々と言えます。そのように捉えたとき、議会改革は‘誰のため?’と考えると、わかっているものとされ、あいまいになってしまっている、または、混線しているのではないかと考えます。
「~の、~による、~のための改革」の「~」の部分に言葉を入れると、今回書いている違和感が見えるのではないかと思います。
首長をトップとした行政にせよ、議会にせよ、‘誰のため?’ということについて、‘住民・市民のため’ということは絶対条件であって、それからブレるべきでないと思います。
「~の、~による、住民・市民のための改革」であるべきで、その実現のためには、住民・市民の方々との徹底的な情報共有、既存の価値基準のゼロベースの見直し、改革にあたっての双方向性などが必要だと考えます。意思形成の過程を公開するのは当たり前ですし、意思形成の過程で意見を取り入れ議論をするのも当然と考えます。
どの様な改革を行うにせよ、住民・市民との関係にしっかり目を向け、取り組まなければ、「仏つくって魂入れず」、「画竜点睛を欠く」ことになると危惧するところです。