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ドイツの光と影(サンスーシ宮殿とザクセンハウゼン収容所) 影… 2010年旅の記録 ドイツ

2010-09-04 | TRIP&TRAVEL
ユダヤ人強制収容所といえば ポーランドのアウシュビッツが有名ですが、ドイツ国内にも 自分たちの犯した罪を忘れないためと 若者たちに戦争の悲惨さを教えるために いつくがの強制収容所が残っています。

ザクセンハウゼン強制収容所は ベルリンの北にあり、中心地から 約1時間で行けると言うこともあり 是非行きたいと思いました。

午前中早めにポツダムのサンスーシ宮殿を見学した後、Sバーンでフリードリッヒシュトラーセ駅に戻りました。 
そこでオラニエンブルグという町まで Uバーンに乗り換えです。 約40分の移動時間です。

この電車は 各駅停車で しかも途中からは 単線になっていました。 オラニエンブルグはUバーンの終点でした(何番だったかは 忘れてしまいました)

ここで下車し、バスがあるかどうかをチェック。 ガイド本には1時間に1本しかバスはないとのことです。 歩けば 20分ほど。しかし どの方面に歩けばいいのか 途中で迷っても困るし。 タクシーは 電話で呼ばなければならないようで ドイツ語がわからない私たちには ちょっとためらわれ。

20分ほど待てばバスがあることがわかり バスに乗ることに。 バスの時間が近くなってくると 収容所見学者らしき人も増えてきました。。

徒歩20分なら、バスで5分ほどと思って乗りこんだのでしたが、随分乗っていました。 心配になったほどです。 バスはぐるーっと回って やっと目的地へ。

 バスを降りるとすぐに 写真の風景が目に入り この中に施設があるだろうとわかります。

入っていくと 白い建物のような門がありました。 ここで オーディオサービスの貸出やパンフレットの配布をやっています。(日本語のパンフはありませんでした)

赤い枠の中は 白い建物を通り抜けたところにある 当時の鉄の門です。「労働は自由をもたらす」と文字が書かれた扉があります。

 クリックすると 拡大します

最初 時間的に無理があるので この強制収容所見学を渋っていたトトは 着くと 「1時間しかないからね」と ぶすっとした顔で言うのです。 駆け足で見学かぁと思いながらのスタートでした。

ところが、中は 広い! 当時の強制収容所がそのまま残っているのですから。

古い建物を外から見て回りながら しばらく歩いて 記念館に入りました。

当時のいろんなものが展示してあるし 収容所に収監されて 生きて出られた人々のその後の記録などもありました。

その中で 目をひいたものがいくつか。

 

強制収容所に入れられた人が着せられていた囚人服です。 胸に識別番号が縫いつけられています。

 

強制収容所を囲んでいた有刺鉄線を巡らせるための支柱



巻きとられて保存されている有刺鉄線の一部


記念館を出て 現存する収容所に行く前には 収容所を取り囲んでいた石壁と鉄条網がレプリカとして展示してありました。

 

鉄条網と石壁の間は幅があり、看守が見回っていたところで 看守塔も残っています。 鉄条網の支柱は手前に反っていて 乗り越えにくくなっていますし、下にはぐるぐる巻きにされた有刺鉄線が張り巡らされています。 しかも 石壁の上も有刺鉄線が。 幾重にも 脱走を阻止するための措置がなされています。 この厳重な壁は ここが政治犯も収監されていたから?

記念館を出ると 広大な空き地が広がっていて(そこがかつて収容所施設が建っていたところです) 



 プライバシーのないトイレ 

しかも そのトイレさえ 使うは原則朝と晩で病人優先、しかも監視付きだったという説明書き。

 (クリックして 拡大します)

洗い場です。



物品渡し場所 と説明してあったような。



ここを出たところで トトが白旗あげました。「こんなに広くては 1時間なんかで見るのは無理だな」もともと歴史大好きなトトです。こうしてタイムスリップしたような世界に入り込むと すべてを見たくなったのでしょう。


もう一つの棟は 大きな部屋に板で作った簡単で粗末な3段のベッドが そっくりそのまま保存されていて、しかも ガラスで仕切ってありました。



写真を撮ると ガラスに映った人影までが写って まるで 当時の亡霊のよう。



外に出ると 公開処罰場と処刑場が。

 この杭に吊るされて 罰を受けたり 絞首刑になったりしたところ


ちょっと離れた所にも また 保存された施設です。

こちらは独房。

独房は二重扉になっています。



独房の中。



独房の中のいくつかには 写真や出身地などの説明書きがあり、花が添えてあったりしました。

なんとイギリスの国旗も写真の隣に飾ってあったりするので、たぶん政治犯の収容施設だったのかも。

最後に見た施設も大変おぞましいものでした。


それは ゆるやかなスロープと階段で直接地下質に入ることが出来る白い建物でした。

今まで見た収容施設は 作りも雑で粗末なものでしたが、ここは白い壁とほぼ白いタイル張りになっていて、今でも大変清潔な感じが残っています。



一つの内部はこのように格子がしてあり 中には入れません。 しかし もう一つの同じような内部は 中まで入って行って よく見ることが出来るようになっています。

大変気密性が高く作られていて トトは 「たぶんガス室ではないか」 と言っていました。

地下から 0階(1階)に階段があり、行き来が出来るようにもなっていて、その階段を上がっていくと

 

人体実験したところのようです。

この白さと清潔な感じが かえって不気味です。

この台で人体実験の数々が繰り広げられたのでしょうか? 

このタイルを貼られた台の上で ユダヤ人が体を切り刻まれていたなら、最初に入った地下室は 一部は死体置き場だったのかも。 

ここを見て もう十分という気持ちに3人ともなってしまいました。



ザクセンハウゼン強制収容所は 1936年に作られ 1945年までにユダヤ人だけで10万人以上が収容されたそうです。 収容施設は30棟以上あったようで、扇状の敷地内に いかにもドイツらしく(幾何学的にきちんと) 扇の形に 施設がつくられていたことが 残された石碑でわかります。

収容所跡には 収容所棟の番号を刻んだ石碑が。

向こうに見えるのが 看守塔です。

ドイツも夏休みでもあり、学生の見学者が大勢来ていて 先生(?)に詳しく説明を受けていました。


人間は 時に慈悲深く 思慮深く そして たまに横暴になり 狂気に走ってしまいます。

程度の差はあれ みな持っている感情や行動だと思います。

このような施設を残すということは やはり 自己を律し 平和へ努力するという意味で大変価値あることだとつくづく思うことでした。



アクセスは オラニエンブルク駅からバスを利用して行くには 804番のバスに。

 帰りのバス停の標識です。

フリードリッヒシュトラーセ駅からは Sバーンに乗る方法も(早いはずです)

ベルリンの都市交通は このサイトのマップを参考に。









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