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本郷 旧森川町界隈

今日は次の土曜出勤の振替で仕事はお休み。。。
天気がいいのと、博物館や美術館は月曜休館が多いので、カメラを片手にブラっと散歩に出ました。

特に目的はなかったのですが、本郷三丁目から菊坂を下ってみました。
途中の看板に、さらに一段下がった「菊坂下道」に樋口一葉の旧居跡や菊水湯があるとあったので、本妙寺坂から「下道」に入ります。


軽自動車がやっとの狭い道。 前方に風呂屋の煙突が…

路地をチョッと横へ入ったところにある「菊水湯」。
最近少なくなった破風のある銭湯です。樋口一葉も通っていたのでしょうか?





菊水湯の近く、菊坂から下道に抜ける階段の脇に建つ木造3階。


  まだ 現役です!



一旦 菊坂下から本郷弥生の言問通りに抜ける道へ出て、石川啄木縁の蓋平館別館(現・太栄館)へ再び坂を登ります。
(結構な勾配…建物自体はど~ってことなし

児童遊園に沿って左折し、台地の上を弥生交差点方面に向かいましたが、途中でT字路にぶつかってしまいました。

え~~ぃ適当に曲がってみよう!と左へ折れるとすぐ下を先ほどの言問通りにつながる道が見えたので、脇の階段を下りると、その先の高台に姿を現したのが木造3階の共同住宅=本郷館。



言問通りまで下がってみると、その威容が一層強く感じられます。


西片2丁目の交差点から回り込むと、ちょうど建物の真北側が地型のせいで鋭角になっているのが 船の舳先のよう!


土台の煉瓦積みの高さから、傾斜地に建っているのが判ると思います。

南東側のファサード。 立派な破風の載った玄関があります。


この本郷館は、1905年に建築された木造三階建ての建築物で、部屋数は約70室。
関東大震災や空襲にも残った貴重な建物。 2007年に老朽化のため建替える計画があったようですが、まだ住んでいる人もいるようで、防災上の問題や使い勝手などの問題はあるにせよ、文化財として生き残らせたいですね~
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蒸し鳥と葱の汁そば @木蘭

先ほどの日記にも書きましたが 今日も東京は快晴のいい天気♪
仕事の方も振替休日ということで、文京区本郷は旧森川町界隈を散歩してきました!

西片から小石川へと坂を登り、ついでと云っちゃぁご先祖様に叱られますが、菩提寺に寄って墓参りを済ませると時分時。

茗荷谷まで歩いて都バスの車庫裏にある「木蘭(ムーラン)」にやってきました♪

去年の3月までは仕事の関係で茗荷谷に来る機会が多かったのですが、4月以降は茗荷谷はほとんどなくなって 専ら飯田橋。。。
そんな訳もあって、久しぶりの木蘭です。

チョッとこない間にメニューも少し増えたみたい♪ 
ここのお料理はみ~んな美味しいので大変迷ってしまうのですが、今日は「賄いから昇格した…」と書かれていた「蒸し鳥と葱の汁そば 」を頼んでみました。



12時少し前の入店だったので、いくらも待たずにでてきた麺がこちら!



麺が見えないくらい 斜め切りにした根深ネギがたっぷりと載っていて、その下に大変よい加減に塩抜きされた搾菜のスライスと結構大振りにカットされた蒸し鳥もタップリ!

スープは鶏系の綺麗に澄んだ醤油ベース。
細めで緩くウェーブのかかった中華麺との相性も◎




麺をいただいた仕上げはもちろん 杏仁豆腐!



酸味の利いたジュレが美味しい木蘭です♪
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猿沢池


東京は今日も快晴! 
ただ、明け方の気温はここ数日0℃前後を記録し、今朝も-0.7℃でした。
新聞を取りに行くのが寒い。。。
(今日は変則勤務でお休みです


さて、写真は猿沢池からの興福寺の五重塔。
興福寺の塔って綺麗ですね♪ 高さでは東寺に負けてますが、優美さではこっちが上!
今年は遷都1300年でJRなどでも観光キャンペーンが行われていますが、江戸時代に発行された『大和名所図会』でも、東大寺の鐘・春日野の鹿と並んで猿沢池の名前が挙がる名勝地。


この興福寺は歴史が古いことでも知られています。
日本の本格的な(伽藍配置などがある)寺で一番古いのは飛鳥寺(前身の法興寺)ですが、6世紀末から7世紀初頭にかけて造営されたとされています。

興福寺の前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらにさかのぼると天智朝の山背国「山階寺」が起源と云われています。
「その山階寺は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡大王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられており、この名称は後世においても興福寺の別称として使われています」と興福寺のパンフレットにありました。

その後壬申の乱などを経て710年平城京に遷都した際、藤原不比等によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられました。
ってことは、平城京遷都と同じ年ですから、興福寺さんも1300年ってことですね

さらに時代は下って、皇室に深く入り込み摂生を敷いた藤原北家との関係が深かったために手厚く保護され、寺勢はますますさかんになり、平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領し、鎌倉・室町時代には幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たるなど権勢を欲しいままにした時期もあったようです。

明治時代になって神仏分離令、廃仏毀釈、国家神道などで興福寺は荒れ、1717(享保2)年に被災した後は中金堂の再建も叶わないまま、現在の伽藍となっています。
(現在、中金堂再建工事中とはいえ、寺域内はガランとして印象

昨年一大ブームを巻き起こした例の阿修羅像も、東京国立博物館で見たときはぐるっと全周から眺められ、またライティングもよく考えられていたのに対して、興福寺の国宝館では前面しか見えない上に平板な照明でチョッとガッカリ。。。
(阿修羅像に限らず展示物全般ですが…)



「正倉院展」を除くと、奈良の目ぼしい観光資源って「お水取り」くらい??
やっぱり、観光客が少ない → 財政的に潤わない → 展示が貧弱 → 観光客が少ない…って負のスパイラルになっちゃってるんですかね~?

因みに、国宝の数を県別に比べると…
 建造物;奈良64件,京都48件…
 彫 刻;奈良70件,京都37件…
書画骨董などを含む国宝全部では、
 京都253件に対して奈良203件(東京は236件)と、新幹線など足の便はさておき、奈良は決して京都に負けてる訳じゃないんですが、いかんせん食べ物の旨いとこが少なすぎる。。。ってのが私の印象。。。
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