平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

秋葉原無差別殺傷事件を考える

2008年06月12日 | 事件・出来事
秋葉原無差別殺傷 25歳どう見る 「共感できない」(産経新聞) - goo ニュース

 宮崎勤事件、オウム事件、酒鬼薔薇事件に続いてまた大きな事件が起こってしまった。
 加藤容疑者は酒鬼薔薇事件の少年Aと同じ年齢。
 少年Aが書いた犯行声明文
「さあ、ゲームの始まりです。
 ボクは殺しが愉快で愉快でたまらない。
 人の死が見たくてしょうがない。
 汚い野菜共には死の制裁を。
 積年の大怨に流血の裁きを」

 この声明文と今回の掲示板への書き込みは非常によく似ている。
・世の中への恨み。
「何もかもが敵です」「勝ち組はみんな死んでしまえ」
「私は神だ。全人類の苦しみを背負っている。だから自分は不幸なのだ」
・そして透明人間。
 少年Aは自分のことを「透明な存在」と呼んだが、加藤容疑者も同じ。
 ひとりで誰も自分のことを認めてくれない。
「不細工だと中身がよくても誰も見てもらえません」
「友人の優先順位で自分は低いのだろう。100番目の友だち」
「彼女がいれば惨めに生きなくてもいいのに」
「現実でもひとり。ネットでもひとり」
 だから自分の存在を認めてほしくての犯行。
「夢はワイドショー独占」

 評論家の西部邁さんは日曜日の「報道2001」で言った。(以前、僕は西部さんの言うことが嫌いだったが、最近妙に引っかかる)
 「ファシズムのファッショとは縛る、拘束するということ。僕はファッショが大好きだ」
 ファシズムの時代とは国が個人を縛る時代。国の価値観が個人を拘束する時代。
 国が個人を管理するシステムとして『家』があった。
 戦後日本はそれの否定から始まった。
 個人の自由を大事にし、国を否定し家を否定した。
 僕は個人が好きだからファシズムの時代は大嫌いだけど、現在は『個人』に行き過ぎている。
 個人が行き過ぎてみんなが孤独、透明人間になっている。
 以前は、自分が何か事件を起こせば母親が悲しむだろうな、家族に迷惑がかかるだろうなという家族の縛りがあったのだが、今はこの加藤容疑者の様に家族の縛りがない。むしろ憎しみの対象になっている。

 振り子が大きく振れている時代はよくない。
 国家という振り子が大きく振れたファシズムという時代もよくないし、個人に振り子が大きく振れた現在もよくない。
 もう一度他人との関わりを取り戻そう。
 まずは家族から。友達や会社、身のまわりから。
 他人との関わりが憎しみや怒りしか見出せないほど、現在はコミュニケーションが難しくなっているのかな。

 本日は「ラスト・フレンズ」のオンエア日。
 宗佑(錦戸亮)も今回の容疑者と心象が似ている。
 彼も孤独で美知留(長澤まさみ)を求めて事件を起こした。
 どう描かれるか?
コメント
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