篤姫「桜田門外の変」その2。
★思い出
天璋院(宮崎あおい)は言う。
「思い出は宝物。心を弾ませ、沈め、慰めてくれる」
そうですね。
人が生きていく上では『宝物となるいい思い出』を沢山持ちたいものですね。
いい思い出があれば、自分や他人を信じることが出来る。
逆につらい思い出ばかりだと人は不信の固まりに。
自分さえも信じられず愛せなくなったら人生は悲惨だ。
天璋院はいい思い出を沢山持っている人。
尚五郎(瑛太)や薩摩の両親。
斉彬(高橋英樹)に幾島(松坂慶子)。
夫・家定(堺雅人)。
たとえ人間を信じられなくなる出来事があっても、これらの人々との関わりを思い出せばいい。
そうすれば人間を信じられる。
人はいい思い出を作れるように日々生きていくことが大事なのだ。
★好いちょられましたか
ジョン万次郎によって尚五郎の気持ちを知った天璋院。
この瞬間だけ彼女は薩摩時代の於一に戻った。
それまでは弾圧を行った井伊(中村梅雀)に嫌悪の感情。
「そなたもおったのか?」
およそ今までの篤姫らしくない。
これでは主人公でなくなってしまったため、作者は昔の篤姫を登場させたのだろう。
それにしても旧友は昔の自分に戻してくれる。
御台所、大御台所といった鎧を外して何も持っていなかった頃の自分に戻してくれる。
思い出と共に旧友の大切さを教えてくれた今回のエピソード。
天璋院と帯刀が再会した時、どんな会話がなされるのだろう?
★新キャラ登場
幾島がいなくなって今までの登場人物がリセットされたこの作品。
そこで勝麟太郎(北大路欣也)という新キャラが登場。
この作品は篤姫が様々な人と出会う作品ですからね。新キャラを投入しないと。
来週は和宮が出るらしい。
※追記
薩摩では「誠忠組」が誕生。
司馬遼太郎の「桜田門外の変」では精忠組(司馬さんの方は<誠>でなく<精>の字が使われている)についてこんな描写がなされている。
当初、井伊誅殺については、薩摩藩激徒の間に壮大な計画があった。
井伊誅殺と同時に、薩摩藩は壮士三千人をもって大挙京にのぼり、朝廷を守護して幕府に臨み、朝命により幕政の改革をせまるにあった。
この『斬奸計画』のため国元におかえる大久保ら有志数十人が脱藩を覚悟したほどだが、この脱藩のうわさが藩主の実父島津久光に洩れた。
が、久光は弾圧しなかった。
このときに久光がとった態度が、幕末動乱期における薩摩藩独特の統制主義の基礎をつくったと言われている。
「その方たちの志は嘉(よみ)する」と久光は言った。
「しかし微力の脱藩浪人の力で天下を動かせるものではない。まあ待て。いずれ薩摩藩は一藩をあげて事に従い、機会を察して起ちあがるつもりでいる」
この旨を藩主直書のかたちにして、しかも「精忠士面々へ」という宛名までつけ、「精忠組」という非公認政治団体を公的なものとして認めた。
あざやか過ぎるほどの手際である。
これには大久保らも「一藩勤王ならば、わざわざ脱藩して詭道を踏むにあたらない」と突出を思いとどまり、それぞれ血判して請書を出した。
これはほぼドラマで描かれていたとおり。
他の小説と比べてみる。
これも歴史ドラマの楽しみだ。
「桜田門外の変」その1はこちら
★思い出
天璋院(宮崎あおい)は言う。
「思い出は宝物。心を弾ませ、沈め、慰めてくれる」
そうですね。
人が生きていく上では『宝物となるいい思い出』を沢山持ちたいものですね。
いい思い出があれば、自分や他人を信じることが出来る。
逆につらい思い出ばかりだと人は不信の固まりに。
自分さえも信じられず愛せなくなったら人生は悲惨だ。
天璋院はいい思い出を沢山持っている人。
尚五郎(瑛太)や薩摩の両親。
斉彬(高橋英樹)に幾島(松坂慶子)。
夫・家定(堺雅人)。
たとえ人間を信じられなくなる出来事があっても、これらの人々との関わりを思い出せばいい。
そうすれば人間を信じられる。
人はいい思い出を作れるように日々生きていくことが大事なのだ。
★好いちょられましたか
ジョン万次郎によって尚五郎の気持ちを知った天璋院。
この瞬間だけ彼女は薩摩時代の於一に戻った。
それまでは弾圧を行った井伊(中村梅雀)に嫌悪の感情。
「そなたもおったのか?」
およそ今までの篤姫らしくない。
これでは主人公でなくなってしまったため、作者は昔の篤姫を登場させたのだろう。
それにしても旧友は昔の自分に戻してくれる。
御台所、大御台所といった鎧を外して何も持っていなかった頃の自分に戻してくれる。
思い出と共に旧友の大切さを教えてくれた今回のエピソード。
天璋院と帯刀が再会した時、どんな会話がなされるのだろう?
★新キャラ登場
幾島がいなくなって今までの登場人物がリセットされたこの作品。
そこで勝麟太郎(北大路欣也)という新キャラが登場。
この作品は篤姫が様々な人と出会う作品ですからね。新キャラを投入しないと。
来週は和宮が出るらしい。
※追記
薩摩では「誠忠組」が誕生。
司馬遼太郎の「桜田門外の変」では精忠組(司馬さんの方は<誠>でなく<精>の字が使われている)についてこんな描写がなされている。
当初、井伊誅殺については、薩摩藩激徒の間に壮大な計画があった。
井伊誅殺と同時に、薩摩藩は壮士三千人をもって大挙京にのぼり、朝廷を守護して幕府に臨み、朝命により幕政の改革をせまるにあった。
この『斬奸計画』のため国元におかえる大久保ら有志数十人が脱藩を覚悟したほどだが、この脱藩のうわさが藩主の実父島津久光に洩れた。
が、久光は弾圧しなかった。
このときに久光がとった態度が、幕末動乱期における薩摩藩独特の統制主義の基礎をつくったと言われている。
「その方たちの志は嘉(よみ)する」と久光は言った。
「しかし微力の脱藩浪人の力で天下を動かせるものではない。まあ待て。いずれ薩摩藩は一藩をあげて事に従い、機会を察して起ちあがるつもりでいる」
この旨を藩主直書のかたちにして、しかも「精忠士面々へ」という宛名までつけ、「精忠組」という非公認政治団体を公的なものとして認めた。
あざやか過ぎるほどの手際である。
これには大久保らも「一藩勤王ならば、わざわざ脱藩して詭道を踏むにあたらない」と突出を思いとどまり、それぞれ血判して請書を出した。
これはほぼドラマで描かれていたとおり。
他の小説と比べてみる。
これも歴史ドラマの楽しみだ。
「桜田門外の変」その1はこちら